あんまりお酒が強くないわたしは、ご飯を食べようという流れになっても、あんまり居酒屋に飲みに来たりしない。だから、それこそボーダーの飲み会とか、サークルの親睦会とか、そういう規模の場所に諏訪も含めたメンバーで出席したことはあるけれど、その時もテーブルは完全に別。

かなり飲める諏訪と、それほど飲めないわたし。お酒を女子にはあまり強要することがなくなった近頃の風潮から、飲めない人は自然と集まって料理をぱくぱくと食べる。

まあつまり、ふたりで居酒屋に来て飲んだのはこれが初めてだ。だから諏訪の普段のペースなんかはもちろん知らず、そもそも飲み会でも誰かに介抱されるような場面は見たことがなかったので、きちんと自己制御のできるやつだと思っていた。そう、だから、気にかけてなんかいなかった。気付けば、かなりのハイペースで生を飲み続けたあと机に突っ伏してうとうとと船をこぐ諏訪に、冷たい水を差し出していた。

「ほら諏訪、多少なら寝てもいいから、その前に水ちょっとでも飲もう。ね」
「ん゛ん……」
「そんなまま寝たら起きた後も大変だってば」

身じろぎはすれど、あまりちゃんとした返事はもらえない。半分以上夢の中なんだろう。個室の飲み放題の席、このまま店にいられる時間は限られている。あと30分あるけど、今このまま寝たら起きてはくれない気がする。

大変申し訳ないけど、木崎くんにでも電話して迎えに来てもらうことも視野に入れようか。と、そう考えていたところで、諏訪がむくりとテーブルに支えられていた頭を持ち上げた。

「諏訪、起きたの?水飲む?」
「……あ゛ーー……、………、」
「え?ごめん、何て……」

何て言ったの。諏訪の言葉が聞き取れなかったからと顔を覗きこんで言ったその問いかけの、残り半分は声にはならなかった。自分の思い通りに呼吸ができていないことで、くっついたくちびるの存在に気付く。頭を引いてもがっちりと後頭部をいつの間にか固定されていて動かない。距離も取れない。

ちゅ、ちゅ、と離れるか離れないかを繰り返して何度も角度を変えてまた啄ばまれる。一体これはなんなんだろうと、わたしたちはただの友人であって付き合ってなんかいないのにと、そんな風に混乱したアタマでは目をぎゅっと閉じてやり過ごすことしかできない。

「ン……っ!?」

舌を一瞬ぬるりと別の舌に絡められる感覚があって、びっくりして上ずった声が漏れた。瞬間、それはひっこんでくちびるも離れ、わたしは慌てて口元を抑える。目の前の諏訪は依然とろりとした目をしていて、そのままぼんやりとわたしを見ている。

「わり」
「え、あ、うん? 目、覚め、」
「こんどはべろ、いれねーから、」
「は……?」

そう言って再びわたしの肩を抱き込んで距離を詰めたこいつの酔いを冷ますには、ピッチャーの冷水をぶっかけてやるしかないのかもしれないと思った。残っていたくちびるの熱ともう一度同じ場所に触れた熱とが煩く身体の中で暴れまわる。

わたしのほんの少しの酔いが、恋人でもない男のキスをこうして受け入れさせてしまっているに違いない。わたしの頭も、ついでに水を被らなければならないなと思った。







まったく信じられないことに、諏訪はふたりで飲んだあの日のことを、すこしも覚えちゃいないらしい。

あのあと、思いっきり眠りこけた諏訪をどうすべきかすこしの間考えて、だけどわたしにこいつを運ぶことなんかできるはずもないので、本当に心の底から申し訳なく思いつつ、木崎くんに連絡をして、迎えに来てもらえないか頼んだ。木崎くんは快く了承してくれて、逆にわたしを心配してくれたくらいだった。ただそれが、「おまえも顔が赤いな、結構飲んだんじゃないか?」という言葉だったので、またさっきの熱を思い出して、人知れず心臓がねじまがりそうで大変だった。

「なあ、手間かけさせて悪かったって」
「……」
「反省してっから、機嫌直してくれよ。あー、今度メシ、か何か、奢るからよ」
「…………うるさい」

ただただ、酔いつぶれて迷惑をかけたことへのお詫び。人のいないラウンジは今ちょうど午後のシフトなら防衛任務が始まったばかりの時間で、わたしの隊や諏訪の隊のように午前中に任務があった隊は、もう粗方、本部を後にしている。

わたしは諏訪のそのあまりに何でもない態度に、それから自分だけがやたらに意識してしまっていることに、どうしようもなくむかついて。半ば衝動的に、諏訪のくわえているタバコを指で挟んで抜き去った。

そしてわたしの予想外の行動に目を見開いて間抜けに開いたそのくちびるに、自分のそれをくっつけた。身長差を埋めるためにひっつかんだ襟元は、それなりにシワになっているかもしれない。

「ーーー……、な、」
「昨日、あんたが酔っ払って、わたしにしたことのひとつ。そんであんたは更に、一瞬舌入れたりとか、もう一回いいかとか言って何回も繰り返してきたりとか、とにかく好き勝手してくれたわけ」
「え、は、ちょ……、マジか……?」
「そのくせそれ自体まっっったく覚えてないなんて、ほんと最低だよね。一回しねこのスケベ阿呆馬鹿ヤリチン」
「ッおい、」
「しばらくわたしに話しかけないで」

ピシャリと言い放てば諏訪はそれ以上何も言わず、ただその場に突っ立っていた。話しかけないでと言われたって、弁解があるならすればいいのに。何も言わないってことはそれだけ、WわたしにWキスをしてしまった後ろめたさがあるからで、つまりそれは、わたしを好きな子と重ねてたとか、そういうことなんだろう。変に意識をしてしまったわたしがただただ馬鹿で、浅ましくて、単純な女だった。それだけの話。






諏訪とはあれ以来、連絡を取っていない。もともと、任務のためでもなければ、話し合う必要も、会わなければいけない用事があるということもなかった。ただなんとなく、一緒にいた。その距離感を心地よいと思っていたことが、きっと駄目だったんだろう。

大学の帰り道をそこそこのスピードで歩く。考え方をしていると、つい早歩きになる。諏訪とは同じボーダー隊員、同じB級である以上、これから一度も顔を合わせず生きていくなんてことはありえない。適当なところで許して、チャラにして、またもう一度、せめて普通に話せる仲にならなければ。

「……よう」
「……………諏訪」

わたしの家の前に、ひとつの影。何回もメッセージ入れたんだけどな、おまえ返事しねーからよ、と言いながら、バツの悪そうな顔をして頬をかく諏訪がいた。一体いつから待っていたんだろう。そんな献身的な態度は、らしくない。トレードマークの煙草もくわえていなくて、なんだか調子が狂う。

「……何か用」
「あー、こないだのこと、ちゃんと謝りてーのと、」
「それのことなら、もういいよ。わたしも一方的で悪かったから、今まで通りに」
「よくねえ」

頼むから話、聞いてくれ。怒っているのとは違う、だけどすこし眉間に皺をつくった顔でそう言う諏訪に、わたしはカバンの内ポケットから家の鍵を引っ張り出して、諏訪に家に入るよう促した。お邪魔します、と律儀に言うそれが、なんだか可笑しかった。

「その、………悪かった」
「覚えてないんでしょ」
「っ、お、ぼえて、ねえわけじゃなくてだな、……その、……」

歯切れの悪い諏訪の言葉の続きを待つ気になったのは、諏訪の顔がものすごく真っ赤だったからだ。ああでもないこうでもないと言葉を探しているその様子は、割に頭の回転が速い諏訪にしては珍しい。

「……その、なんつーか、普通に夢、だと、思ってて、だな……」
「……? 何が?」
「っだから、酔っ払ってお前に、その、き、キスしたとかっていう、やつだよ……っ」
「はぁ?」
「あーーー……! だから、その、まさかほんとにやっちまってるとは思わなかったんだよ! 確かに夢にしちゃリアルだったけどよ、現実、だったらおまえ、もっと抵抗してんだろーなと思ったから、……あ゛ー………」

マジで10回くらいしにてえ、と言いながら髪をぐしゃぐしゃとかきむしる諏訪に、わたしは抵抗云々のくだりで既に30回くらい死にたいけど、と思ったことは内緒である。

「つーか、なんだこないだの! 馬鹿阿呆あたりはまだいいけどヤリチンはねえだろ!」
「誰かれ構わずキスとかしてたら言われても仕方ないでしょ」
「してねぇっつーの…! こちとらもう何年も、……付き合ってもねえ男にキスされてもろくに暴れねえ、クソ危なっかしいどっかの誰かさんに一途に片思いしてんだよ!」

そんなこと知らないし、とかさっきまでのしおらしい態度はどうした、とか、いろいろ言いたいことはあったけど。わたしはとりあえず、耳まで真っ赤にして顔を背けている諏訪に、そのWどっかの誰かさんWの名前を、聞き出してやろうと思った。




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