「陽介は強いよね。才能あるよ」
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自分のことを名前で呼ぶ人間は珍しくない。名字で呼ばれるのは堅苦しい感じがしてなんとなく好きじゃなかったから、昔から、それなりに気に入った相手や交流の多い相手には、すぐに「陽介でいい」と言った。
周りの人間はそんな俺のことをWコミュニケーション能力が高いWと言って褒めた。俺にはそれがよく分からなかった。自分の中で、それ──名前で呼ぶこと──は特別なことじゃなかったからだ。中には皮肉みたいなものだって、もしかしたら混じっていたかもしれないけど、それでも別に何も感じなかったから関係ない。
そう、別に普通のことだった。逆に、なんでみんな「自分のことを名前で呼んでいい」っていうただそれだけのことが言えないんだ、とすら思っていたくらいだった。それを言葉にするのに緊張なんかしたこともなかったし、断られたらどうしようと思ったことなんかなかった。
「……あの。俺のことは、陽介って、呼んでくれません?」
ただ、その人が俺の言葉にきょとんとした顔をして、その後に「わかった、陽介ね」と言って顔を綻ばせた時。その時のことだけは、俺は未だに思い出すたび、心臓の真ん中のむずがゆさと戦っている。
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「…才能、っすか?」
「そうそう」
「いやー、俺じゃねえっしょ。出水とか、緑川とかならまだ分かりますけど」
「そんなことないよ」
対戦のモニターから目は離さず、独り言みたいにそんなことを言うから、考え事をしていたこともあって、つい返事が遅れてしまった。才能。自分たち三輪隊がA級に上がったときにも、よく言われた言葉だ。
トリオン量がズバ抜けてる出水やあの年でA級になった緑川のことならまだ分かる。でも、自分自身をそう思ったことは特に無かった。
ここで太刀川さんなんかを引き合いに出さなかったのは、はっきり言ってケタが違うからだ。この間10本勝負を2回して、片膝付かせることもできなかった悔しさも半分ある。太刀川さんにボロ負けするのは、Wあの人Wに負けることの次くらいに悔しい。
「蒼也も言ってたもん。米屋は才能があるから、これからまだまだ伸びるだろうなって」
ああ、ほらな、と思った。結局俺はあの人に勝てなくて、でも負けたくなくて勝負を挑んで結果いつも負けて、その上余裕を持って力を認められるような、そういう中途半端な奴だ。
同じように名前で呼んでいるのにまったく響きが違うその声を、鼓膜だかなんだかが敏感に聞き分けてくれるもんだから、いざ耳にするたびに呼吸の通り道が狭くなる。声に乗った感情を嗅ぎ分けるなんて、そんな器用なサイドエフェクトを持った覚えはねえのにな。心底迷惑だ。
ちょうどそのとき、ラウンジに響いた歓声。鈴鳴第一の村上さんがベイルアウトして、風間さんの勝利を告げていた。俺みたいな馬鹿と違って、シリョ深くて、冷静で、なんだかんだ俺たち後輩の面倒見だってよくて、そして何回やっても勝たせてもらえないくらい、強くて。
「風間さん」
ブースから出てきた風間さんに、隣のみょうじさんが何か言う前に、声をかける。自分の瞳をギラつかせないことと、声のトーンを落とさないこと。ただそれだけを気に掛けた。「米屋か」と呟いたその声はただただいつも通りだ。この人が違う色をした特別な声を使うのだって、きっとみょうじさんにだけ。
「お疲れ様です。次、俺と勝負してもらえません?」
それでもやっぱり諦められないから、今日こそ勝ち越してやる。風間さんはすこしだけぽかんとした顏を見せて、だけどすぐにこくりと頷いた。さっきの戦いで疲れた素振りなんかまったく見せずに、承諾の意を込めてふたたびブースに向かう風間さんの、その自分より小さな背中を見つめた。
頭の中でイメージする。初撃を避けてまずは左腕、そして次はできれば、左足。地面を潜って刺すスコーピオンを避けて間合いに入って、トリオンの供給機関を一突き。
たとえばもしもそれを成し遂げられたとして、あの人の心が俺に向くことなんか無いって、それは分かってるけど。それでも俺は馬鹿だから、あの人に名前を呼ばれるたび、ほんのちょっとの希望を捨てきれないまま足掻くのを繰り返す。
こうして無意味な勝負を持ちかけて、そしていつも通り、風間さんの心臓を狙うんだろう。風間さんにしか見せない、いじらしい笑顔で笑うあの人が住む、その心臓の真ん中を。