慶が楽しそうな顔をするのは、戦っているとき。ただし、上位ランカーが相手のときに限る。
 わたしはガンナーであるので、個人のランク戦で彼と戦うことはまずない。だからわたしは彼を楽しませてあげられない。別にそれはまあ構わないけど、同じアタッカーで、慶の思うW戦うの楽しい人ランキングW2位の風間くんあたりが羨ましいなあ、なんて思うこともある。

「……なんだその不愉快な格付けは」
「ごめんこれはわたしが勝手に付けた名前。1位と2位を迅くんと争ってると思うんだけど、でもとにかくあいつ、風間くんとランク戦したときものすごく機嫌いいよ。ちょっと妬けるくらい」
「冗談でもやめろ、気持ち悪い」

 苦めのブラックコーヒーを飲んでいるせいではない眉間のシワが、割と童顔とされるその顔に刻まれている。呆れたような目で見られるのは久しぶりかもしれない。風間くんとは入隊が同じ時期だったから何かとわたしが一方的に絡んでは相手をしてもらっていたけれども、彼が隊長になってからはすこし控えるようになっていた。それからしばらくして慶と恋人になってからは、また話す機会が増えた。元に戻った、という表現が正しいのかもしれない。

「恋人同士になっても戦いたいと思うものなのか?」
「ええ、思わない? 風間くんがA級とかB級上位の女の子と付き合ったのを想像してみてよ」
「俺ならわざわざ戦わないな」

 風間くんは一秒も考えずにそんなことを言う。わたしは常識人なこの人が言うのだから一般的にはそうなのかもしれないとは思いながら、それでもやっぱり慶と戦いたいなと考える。慶がどう思っているかは知らない。戦いが好きだからじゃあわたしとだって、とはならないだろう。わたしは弱いからだ。

「わたしじゃ弱いから駄目なんだよね」
「……お前は弱くはないだろう」
「弱いよ、慶とか風間くんとかに比べたらね。特に個人では」
「単体の強さが全てじゃない」
「あはは、分かってるよ」

 ミルクティーを喉に流し込むと食道が冷える感覚があった。中身がなくなった途端にとても軽く感じるペットボトルの重みを手で遊ばせる。既製品特有の作り込まれた甘さが口の中に残っていて落ち着かない。やっぱりわたしもコーヒーにすれば良かった。

「風間くん、それ一口くれない?」
「は?」
「いや、適当にミルクティー選んじゃったけど口の中が甘いのがちょっと」
「自業自得だ。それに、そんなことをすると後で俺が面倒なことになる」

 風間くんは缶を軽く凹ませてゴミ箱に入れた。中にある缶たちと擦れて軽い音が鳴った。俺はもう行くと言い残してさっさと歩いて行ってしまう。面倒なことというのはよく分からなかったけれど、取り敢えず「話し相手になってくれてありがとう」という言葉を、身長の割にたくましいその背中に投げた。同じく空になったペットボトルをそれ専用のゴミ箱へそっと入れた。今度は大して音は鳴らなかった。

「なまえさん」

 訓練室で楽しそうに迅くんと戦っていたはずの慶の声が聞こえたので振り向くと、口元は笑っているけれどまるで笑顔ではない表情の、そのなんとも言えない瞳がわたしを見ていた。何に対してのどういう心境を表しているんだろうか。付き合って一年ほど経つけれどもこいつのこういう部分は分からないことだらけだ。
 隊服ではないから、今日はもう存分に戦って満足したのだろう。それにしては機嫌があまりよくないように見えるのは、たぶんわたしの勘違いじゃない。

「風間さんと何話してた?」
「え?」
「あと、彼氏がいるのに他の男に間接キスをねだるのはどうかと思わないか」

 名前は丁寧に呼ぶくせに敬語をすこしも使わないその口調は、いつもは可愛げがあると思えるのだけれど。気付いたら自販機に追いやられて、ずらりと並ぶジュースたちにプラスチックケースごしに背中がくっついていたので、どうやら逃げ場がないみたいだとぼんやり思った。

 そのままあまり丁寧でないキスで呼吸を奪われて、すぐに苦しくなる。誰が来るかもわからないような場所なのに、早々に舌を捻じ込まれるのはいつものことだ。はっきり言っていざ付き合うまで、太刀川慶の三大欲求は食欲と睡眠欲と、そして戦闘欲だと思っていた。それくらい、楽しそうに戦っているから。

 わたしといるとき、本当に楽しいんだろうか。21にもなってこんなことを思うのは、重い女みたいでいやになる。高校生くらいなら、些細なことで不安になってもおかしくなんかないし、むしろかわいらしいけど、それをわたしが言ってどうなるのか。「別に楽しくない」と言われたら、じゃあ別れようってことになるのか。
 今まで任務や鍛錬ばかりで恋愛に興味を持たなかったツケが回ってきたんだと思う。恋愛の常識が、まるで分からない。だから、ひとつだけだけれども一応年下の、キスもそれ以上も済ませた男の気持ちも、分からない。

「……なんでそんなに、泣きそうな顔してんの?」

 慶のカーディガンをずっと掴んでいたらしいわたしの右手は、気付けばその骨張った大きな手に包まれていた。
 そのままふわりと抱きしめられて、現金なことに、どうしようもなく安心した。肩にマーキングするみたいにおでこをくっつけてみる。慶の舌が耳をぺろりと舐めた。思わず変な声が漏れたわたしを見て、悪戯をした張本人はおかしそうに笑った。

「そういえばなまえさんは、戦ってるときって何考えてる?」
「急だね。別に、何も考えてないよ」
「へえ? まあ、いいけど。俺も、つい最近まではあんまり考えてなかったんだよ。楽しいとは思ってたけど」

 個人ランクで一番になって、隊も一位になって。それはそれでいいんだけど、なんのために任務こなして、近界民倒して、遠征行ったりしてるんだろうなって考えたときに、なまえさんのこと思い出すようになった。

 いつも通りの声で、いつもは言わないことを言う。そんな慶の言葉がなんでもないことのように鼓膜から侵入して、脳を麻痺させて、なんだかまた泣きそうになる。どうかしてる。わたしも慶も、アタマがおかしくなったのかもしれない。

「なまえさんはもっと弱くてもいいのに、とか思うようにもなったかな」
「……なんで?」
「強くなったら、任務も危なくなるだろ。なまえさんに限ってそんなことないと思うけど、これでも一応心配してるよ。あと、いつかランク戦することになったらどうしようか、とか」

 すこし言いづらそうに、だけど強くてはっきりした声で、暗にわたしと戦いたくないと言った。いつになく饒舌な慶に絆されて、心の中がからっぽになる。戦いが慶の一番だと思っていたのに、そこにわたしが割り込んでいるなんて、思ってもみなかった。わたしは戦ってもいいよと言ったら、どんな顔をするのだろう。
 いつになく饒舌な慶に絆されただけ。自分より高い位置にある首に腕を回して、下から掬うようにくちびるをくっつけた。普段は絶対にやらないけど、今日くらいはいいかと思ってしまったのだ。

「…ここじゃなかったら押し倒してるな」
「それは困るよ。今から防衛任務行くんだから」

 じゃあもう一回だけ。そっと囁かれれば、降ってくる唇をおとなしく受け入れるしかない。ミルクティーの残した甘ったるさが消えていることに気がついたのは、長い長いキスが終わってからだった。




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