風間は、寝起きが良くない。

 大学で話すようになって、それなりに話が合って、きっとお互い、一緒にいるのが楽で。そうしていつの間にか、飲み会で終電を逃した時にときどき泊めてもらうようになって、最初はソファで寝ていたのが、いつからか同じベッドで眠るようになって。それからすぐに知ったことだ。
 どうやら、起きてしばらくは、頭が覚醒しない。一応、起きなければという気持ちからなのか、なんとか座った体勢にまではなったりけれど、そこからしばらくぼんやりとしていることが多い。
 逆にわたしは、前日にどんなに飲んでも、アラームが鳴れば割とすんなり起きられるタイプだから、先に起きて朝ご飯の準備をするのは、必然的にわたしの役目になっていた。

 コーヒーを淹れ終えて、ストックしてある菓子パンを適当に並べ、ハムエッグを二人分。風間は食べることは重要視していても、食べ物自体にはあまり執着はなく、夜ご飯は週に1・2回はカレー、その他は基本食べられれば何でもいいというスタンスらしいこともこの間柄になって初めて知った。几帳面に見えて、あれで案外大雑把だ。

 ふと時間を見れば、昨日起こしてくれと頼まれた時間だった。天気予報を横目に、ベッドへ向かう。今日は曇りだけど、明日は晴れらしい。そういえば、知り合ってしばらくした頃に風間が引っ越すと言って決めたこの部屋は、一人暮らしにはちょっと広い。家賃を聞いたことはないけど、そう考えるとボーダーってのはやっぱりそれなりに稼げるらしい。

「風間、朝だよ。遅刻するよ」
「ん……」
「今日はボーダーの仕事なんでしょ」
「………にんむだ」
「任務ね。とりあえず起きなよ」

 返事はするものの、なかなか起きられない。いつものことだ。肩を揺すり、頭を軽く叩き、腕を引っ張る。あらゆる手段で瞼を開けさせようと試みるけれど、今日は普段より眠気が手強い。

「風間。いい加減起きないと、」

 起きないと朝ご飯食べる時間なくなるよ。と言うつもりが、そこまでは言葉にならず、わたしは代わりに、軽い衝撃とともに、風間の上にダイブしていた。不測の事態。突然のことに心臓がばくばくと煩いことくらいしか分からない。それから、どうやら風間に腕を引っ張られてこうなったと言うこと。今理解できるのは、それだけ。

「かざ、ま。離して」
「……ことわる」
「ちょっ……、寝ぼけてんの? 」

 大きめのベッドではあるものの、風間はかなり中央寄りで眠っていた。だから、風間の上にのしかかる体勢からなんとか横に並ぶ格好になったものの、わたしに与えられたスペースは狭くて不安定だ。しかも風間にしがみつかれて抱き枕状態。抜け出そうと力づくでなんとかすると落ちそうで、あまり選びたくない選択肢だ。

 とにかくまずは風間を起こそうと、何度も名前を呼んでみる。風間。起きて。他に言うことも思い浮かばなくて、とりあえずそれを数回目繰り返していると、ごそりと目の前の身体が動いたので、ほっとため息を吐く。しかしわたしの予想とは違って、背中に回っていた腕の力が増してより強く抱きしめられる形になった。そして、それに驚く間もなく、風間の顔が首元をくすぐった。

「………すきだ」

 カーテンから覗く朝日にだってかき消されそうなくらい小さな声が、鼓膜を撫でるようにして響いた。呟くような、それでいて祈るような。少なくとも、今までに聞いたことのない声。もしかして、好きな子の夢でも見ているんじゃないか。そうに決まってる。そしてわたしを、その子と勘違いしてるんだ。だから、この煩いままの心臓は、さっさと静かにさせるべきなのだ。
 それなのに、さっきまで何度も呼べていた名前が、まるで喉が閉まったように、声にならない。

 しばらく固まっていると、風間はがばりとわたしを離した。はずみでベッドから落ちかけたわたしをまたしっかり抱えて、なんとも言えない顔をしている。

「すまん」
「え、あ、うん」
「怖がらせたな」
「風間、」
「顔を洗ってくる」
「風間っ」

 わたしと目を合わせず、会話も成り立たせず、一方的にベッドから去ろうとした風間の腕を掴む。きっとまだ脳が十分に働いていなくて、とりあえず顔を洗おうというのは本音だろうと思う。でも、風間は寝起きは悪くても、一度目が覚めればその後はてきぱきと動けるようになる人間だ。だから話はできるはず。そうしないのは、言いたくないことや知られたくないことがあるからだ。

「さっきの、なに」
「……寝ぼけていた。すまない」
「……………」
「忘れてくれ」
「……好きな子いるなら、泊めたりしないでよ」

 思いの外冷たい声が出て、我に返った。八つ当たりだ。わたしは我儘を聞いてもらって寝る場所を借りている身なのに、何様だろう。風間は優しいから、わたしを夜道に追い返せずに、家に招き入れてくれてるだけで、他の女の子に重ねようが、風間の勝手だ。わたしは何ひとつ、文句を言っていい立場じゃないのに。このざわざわとした気持ちはなんだろう。どうしてこんなにも嫌な女になってしまっているのだろう。

「……ごめん。何でもない」

 朝ごはんできてるよ、と笑顔を作る。頬がひりひりするほど、細胞が笑うことを拒絶したけれど、そんなことは関係なかった。風間が忘れてくれと言ったら、そうするだけだ。わたしに分かるのは、胃と喉との間を浅く刺すような、今更気付いてしまったこの胸の痛みは、きっとどこの病院の何科にかかっても治らないものだということだけ。

 コーヒーの香りも微かになったリビングへ、足を向ける。朝から点けっぱなしのテレビのことを思い出して、風間に謝ることが増えたなと思った。瞬間、トン、と背中に軽く何かが触れて、わたしの歩みはすぐに止まった。強くはかけられてはいないはずの背中への重さが、どうしてか、わたしが振り返ることを許さない。そして、お腹にぐるりと腕が回された。風間のぬくもりは、わたしの背中を包んでいた。

「おまえのことだと、言ったら、どうする」
「……………え」
「俺が、好きでもない女を何度も泊めるほど、お人好しに見えるのか? 」

 風間の声は小さく、細く、普段の冷静沈着な姿からは想像できないほど弱々しかった。どういう意味なのだろう。今絞り出された言葉も、さっき呟かれた言葉も、わたしの脳にないものばかりだ。神経がふわふわと浮かぶような感覚。それでいて、じりじりと焦げ付くような感覚。
 焼けそうなほど熱くなっているのは、風間に触れられているわたしの背中か、わたしに触れている風間のほうか。破裂しそうなほど脈が大きく響いているのは、わたしの心臓か、それとも。




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