いつだって、本音をひた隠しにするのが好きだった。仲のいい身近な人間にすらそう振舞ってしまうことが多かった。それは自分の癖みたいなもので、これからも自分はそういう風にしか生きられないんだと思っていた。
この子と恋人同士になるまでは。

「……澄晴、何怒ってんの」
「……何が? 別に何もないけど?」
「うそ、怒ってるじゃん。ねえ、わたし何かした?」

 いつもはこの子を家に呼んだら、二人でDVDを見たりとか、なんでもない話をしたりとか、そういう風にして時間を過ごすのに、今の俺は参考書を読んでいるだけ。そんな俺に痺れを切らして、トントンと肩を叩いてきた俺の彼女は、もう一度「澄晴」と柔らかく俺の名前を呼んだ。

「あのね、わたしは澄晴とか、澄晴とよく一緒にいる辻くんとか荒船くんとか、そんな人たちよりもかなり頭悪いし、だから言ってくんないと分かんないよ」
「………」
「教えてよ。なんでこっち見てくれないの?」

 優しく鼓膜をなぞるみたいにして脳に浸入してくる声で、言葉で、俺の思考を簡単に揺さぶる。別に怒ってない。きみには怒ってないし、きみはそもそも何もしてない。これは全部本当。
 ただ、苛立ってるのも正直いって本当のことで、自分が思ってる以上に狭い自分自信の心に対してだけど、こんなこと言ったら格好悪いから言いたくない。結果、「なんでもない」しか言えない。

「……言いたくないなら、いーよ。ごめんね」

 そろそろ帰るね、と明るい声を装って、立ち上がって制服のスカートの皺をさっと正す。「おじゃましました、明日までには機嫌直しておいてよ?」と俺のためにわざわざ茶化すこの子は、俺の中のどろどろした部分には気付いていないはずなのに、なんだか全てを見透かされているように感じる。

 玄関でローファーを履き終えたところへ顔を出すと、見送りに驚いたのか、目を見開いて振り返る。その大きな瞳に俺だけが映っているのを見て、ようやく思い切り酸素を吸い込めた気がした。

「ねえ、どうしよ」
「え?」
「俺このままじゃ、きみのこと壊しそうなんだよね」

 ぽろりと本音が溢れるのは、物心がついて以降の人生で、たぶん数え切れるくらいしかない。いつだってはぐらかして、適当なことを言って切り抜けてきた。そっちの方が楽だったからだ。本音を言うなんて、面倒だと思って生きてきたから。

「きみが綱とかと仲良いのも、カゲに構ってやってんのも、当真にテスト勉強教えてんのもムカつく。きみの口から、荒船とか辻ちゃんとかの名前が出てくんのもそう。ぶっちゃけ、ボーダーやめて女子校にでも通ってくれたら、こんな風に思うことないのかなって思う」
「………」
「……呆れるでしょ。ねえ、きみはさ、俺のどこが好きで付き合ってんの?」

 本当はこういうのを全部隠して、格好いいとこだけ見せたかった。きみの気持ちなんて聞かなくても分かるよって、余裕のある男を演じててみたかった。
 だけどやっぱり、こいつの周りには同い年の仲のいい男友達はいっぱいいて、なのにその中でなんで俺なんだろって考えることもやっぱりあって。自分は言葉にしたくないことがいっぱいあるのに、彼女からの言葉は欲しいなんて、女々しいなんてもんじゃない。

「……澄晴、わたしのこと大好きだね」
「………調子乗らないでくれる」
「素直じゃないなー」

 完全に体ごと振り返って、俺の少し緩めたネクタイを控えめな力で引っ張って、軽く触れるだけのキスをした。高く背伸びをしていたようで、キスが終わったあとにローファーの踵が床へ降り立ち、コツンと高い音が響いた。

「素直じゃないところ。みんなにはいつでもニコニコしてるのに、わたしの前ではときどき不機嫌なところ。あとはちょっと意地悪なところ。でも、強くてかっこよくて、本当はわたしにけっこう甘いところ」
「……それが、好きなとこ?」
「うん。あとは、わたしのこと大好きなところ?」

 ふふ、と誇らしげに笑うその顔を見て、「きみも俺のこと大好きだね」って言葉が出そうになって、何故か言えなくて、喉の奥底に沈め直した。

「あーでも、ランク戦で、毎回一番に彼女を狙うの、どうかと思うなあ」
「何が?」
「やー、勝負なんだし別にいいんだけどさ。そんなにわたしを殺したいの? 澄晴クンは」

 にやにやと笑いながら、俺の頭をふわりと撫でる頼りない手。いつも思うし、ランク戦のときはより強く思ってる。この子はB級上位の隊の攻撃手だけど、手首は細くて肩幅も小さくて、俺に言わせれば、すぐに死んじゃいそうな華奢な女の子だってこと。

「別に。ただ、どうせ他の誰かがきみを殺すくらいなら、俺が殺してあげたいってだけ」

 撫でる手を止めて、かわりにぽかんと間抜けなカオで俺を見つめるその女の子の、半開きのくちびるに噛み付いた。今までの戦いのその行動がそんな理由だったのかということを言外に語るその瞳を閉じさせるためと、これ以上自分がぺらぺらと喋らないようにするためだった。

 本当は銃で蜂の巣にするんじゃなくて、サブのスコーピオンで刺すのでもなくて、こうしてキスで窒息死させられたら、それが一番いい。そんなことまではまだ、きみは知らなくていいけど。




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