※風間蒼也→執事、太刀川慶→SPの思いつきパロディ






「心配をかけるな。欲しいものがあれば俺がなんでも用意してやる」


 そんな風なことをため息まじりに言ってわたしを諭す、小柄な執事。紅い瞳の奥でどんなことを考えているのかなんてわたしには分からないけど、きっとお転婆で生意気で女らしくないやつだとでも思ってるんだろう。前はもうすこし聞き分けの良いWお嬢様Wだったのに、なんてことも心の内では吐き捨てているかもしれない。事実、その通りだ。


「……なんでも?」
「ああ。俺に用意できる範囲ならな」
「じゃあ、キス」
「……は?」
「キスしてよ。簡単でしょ」

 ああどうしてこんな言い方でこんなことを言うことしかできないんだろう。構ってほしくて、心配してほしくて、いつも変わらないポーカーフェイスをわたし自身で崩したくて。結果、体調が悪いなどと言ってみたり、さっきみたいに屋敷を抜け出そうしてみたり、今みたいな無理難題を呟いてみることでしか、風間の時間を奪うことはできない。子ども扱いしてほしくないのに、こうも幼稚な真似しかできないなんて、お嬢様としての英才教育なんか本当に意味のない産物だと思った。

「……それは」
「何でもくれるって言ったじゃん。くれないならまた屋敷抜け出すからね。……それか、外にいる太刀川に言ってみるから」

 表情は変わらないけれど、声色からすこしの戸惑いが見て取れた。もっともっと、わたしのことだけ考えてくれたらいいのに。わたしで頭がいっぱいになればいいのに。昔からずっと一緒にいて守ってくれた風間の中で、わたしが?お嬢様?というだけの存在だってことは知っているけど、ときどきロケットペンダントを開いて、中に入っているだろう写真を見つめているのを知っているけど。ちなみに、きっと彼女の写真だと、そう思うのに時間はかからなかった。だってその横顔が、控えめにだけど、とても優しかったから。こんな手のかかる女より、ずっと彼女と過ごしていたいに決まってるって、そんなこと、分かってるけど。

 それでも、わたしは風間じゃなきゃいやなのに。確かに警護の太刀川だっていい人で、一緒にいると楽しくて、いつもわたしを護ってくれるけど、それでもわたしは、ずっと一緒にいてくれる風間の特別になりたいのに。

「……このワガママ娘が」
「え………」

 その顔がななめに近付いて、わたしの顎は掬われて。一瞬だった。音も何もない、ただくっついた感触だけが、わたしの身体の細胞すべてをばかにしてしまった。くちびるはすぐに離れて、風間との距離も離れて、わたしはただ間抜けに固まったまま、ぼんやりとその燕尾服を見つめていた。自分から言って起こったことのくせに、風間の顔を見ることがこのときのわたしにはできなかった。だってまさか、本当にしてくれるだなんて思っていなかったから。





 いつでも俺が守ってきた。お嬢様がずっと笑えるように、何に怯えることも苦痛を感じることもなく安心して暮らせるように。おはようと眠そうな顔で言う笑顔も、俺の淹れた紅茶が好きだと言ってはにかむその顔も、仕事が多忙な両親にあまり会えないこいつが時折俺に吐き出す弱った横顔も、眠るときにすこしだけそばにいてほしいと甘える表情も、すべてを守ってきた。いつでも自分の生活の中心は彼女で、それはいつしか主という括りを超えて自分の中に居座った。

 だからこそ、線引きをしなければならない。お嬢様の幸せに、自分などという男はお呼びでないのだから。


「………」
「……何を惚けているんだ」
「だ、だって、」
「Wお嬢様が欲しがったものWを、やったまでだろう」
「……!」

 さっと傷ついた表情になって、その黒い瞳に水の膜が張る。いつだったか、俺の瞳の色を綺麗だと言って、それこそキスをしてしまいそうなくらい近くで微笑まれたことがあったことを今、思い出した。俺なんかよりも彼女の真っ黒な瞳の方が何倍も美しくて、それを今歪ませてしまっているのは、紛れもなく自分。

「…お嬢様?」
「……わかってるよ……っ」
「っおい、」

 か弱い頼りない力で俺の身体を押し退けて、ぱたぱたと部屋を飛び出した。ルームシューズのままだとか、そんなことを考えている場合でもないのに、自分は思ったより、その涙に動揺しているらしかった。自分のせいで泣く彼女はとても艶やかで、数年来抑えてきた心臓の隅にある熱が、じくじくと痛むのを感じる。
 肌身離さず身につけているペンダントのロケットの、幼い日のお嬢様はやわらかく微笑んでいた。自分を戒めるため、抑えるため、彼女を守るため。少女のころから自分の主人だった彼女が幼い日のまま笑えるように、そんな風に思っていると、ふとした瞬間にロケットを開くことが増えた。そうでなければ自分は、醜い嫉妬で彼女を傷つけてしまいそうだったのだ。

 特別にはなれずとも、ずっと、俺だけが守ってやれると思っていたのに。それなのに、他の男がこいつを護る立場としてそばに置かれるようになって、しかもその中で最も近くに身を置く側近は、お嬢様の気に入りだと言ってもいいほど、仲睦まじく話しているのを見かける。太刀川が現れてから、自分の中の焦燥が理性に勝つようになってしまった気がして、またそれが気に入らない。衝動に任せて、彼女を追いかけるべく部屋を出た。





 何年かの大掛かりな契約で警護することになった屋敷のお嬢様は、財閥のお嬢様と言うにはそれらしくない女だった。少なくとも自分が今まで警護対象として出会った女達はみんな、自分が金持ちであることをひけらかすある意味で品のない女か、箱入り娘という概念をそのまんま人の形にしたようなお淑やかな世間知らずな女か、そのどちらかだった。だけどそいつはいい意味でサバサバしていて、太刀川も大変だね、わたし部屋でおとなしくしてるからちょっと休んできたら、なんてことを普通に言ってくるやつだった。名前でお呼びしてもいいですかと聞いてみたときも、「そのぎこちない敬語もいらないよ」と笑った、その笑顔に初めて「護ってやりたい」と思わされた。

 ただ、そう気付いたときには既に、そいつがいつも見ている先にはあの小柄な体格の執事がいたのだ。

「っうお、……なまえ?」
「た、ちかわ」

 部屋の前の警備のために廊下で待機しているとぱたぱたと軽い音が駆けてくるのが聞こえて、また執事を困らせるためにあいつが逃げ出してみただけだろうと思ったが、ドンとぶつかって受け止めたときのその瞳が涙に濡れていて、不覚にもどきりとしてしまった。

「……何泣いてんだ」

 目尻を拭ったときにはじめて触れた睫毛が自身の指先を撫でて、護るためとはいえ人を傷つけて蹴散らすためだけに使ってきたこの手が、やたらとむずがゆかった。何があったかは分からないけど、原因となる人物には心当たりしかない。こいつを抱きとめたままで耳を澄ませると、すぐに廊下を駆ける、革靴の音。

「なまえ……っ!……太刀川……」

 いつも冷静沈着なこの執事が今どんな顔で自分を追っかけてきたかなんて、今俺に抱きしめられる格好で腕に収まっているこいつは知りもしない。知らなくていい、とも思う。きっとこの中で、俺だけが知っている。こいつがこの執事を見つめる表情は片想いそのものだけど本当は、本気で焦がれているのは、この執事である風間さんの方だってこと。

「……ふーん。風間さんがこいつ泣かせたんだ。しかも珍しいね、敬語は使ってなくたっていつもはWお嬢様Wなのに」
「クライアントの娘であり警護対象でもある人間を呼び捨てにするのは如何なものかと思うがな。……手間をかけた。お嬢様は返してもらおう」
「なんで?部屋から一歩出ればこいつはW俺がW護るべき女だよ」

 冗談半分で本気半分な言葉を投げてみれば、この人ほんとは執事じゃなくてそれこそボディガードか何かだろ、と俺が思うくらいに、その眼光が鋭くなった。この人は本当に有能で、嫌になる。何から何まで、行動のすべてがこいつのためで、頭の回転は早くて気も利いて、お茶やら料理やらなんでもできて、勉強だって教えているらしい。何より、好きな女と四六時中一緒にいるのに、何も悟らせないその忍耐だって。本当、心底嫌になる。けれど、こいつを抱くこの腕の力を弱めることはできなくて、俺も大概だなと思った。

 いい年した男二人が一人のWお嬢様Wに振り回されているなんて、笑い話にもならない。




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