※女の子の日ネタ






 セフレとはその名の通りそれをするための関係なので、それができない事態になれば当然、リスケするべきだ。これは決して営業部の仕事の職業病なんかじゃない。多分。

 朝起きて腰と下腹部の鈍い重さを感じたので嫌な予感がしていたら、案の定月のものが来てしまった。少し買い物にでも行こうとしていた気持ちは萎え、こう言う場合の自分のパターン的に今日の夜から明日明後日にかけてまあまあな痛さの生理痛に悩まされることを思うと、酷く憂鬱になった。
 仕事の日に痛むのも嫌だからこの土日月の3連休中になるのはある意味助かるけど、どこにも行けない休日に楽しみなんかない。結果的につまらなくてため息が出る。

 明日遊ぶ予定だった友人に謝罪と断りの連絡を入れて、明後日の美容院の予定もアプリからキャンセルをした。薬が効いて痛みが引けば出かけられるようになる可能性はあるけど、どちらかと言うとドタキャンは大罪だと思っている派なので、事前に行動するのが吉だ。
 中学時代の元同級生、現セフレな彼にも同様に連絡を入れる。彼との約束は今日だったから連絡が当日になったけど、まあ事情が事情なので仕方ない。

『ごめん。生理になって今日できなくなったから、また今度でもいい?』

 今日の夜に会う予定だったその名前を選んでメッセージを送る。割とガチめな元ヤンであるところとセフレがいる軽薄なところ以外は割と常識人だから、たぶん問題ないだろう。
 わたしの生理痛の重さを知っている友人からは『全然大丈夫、お大事にね』『また遊ぼ!』と絵文字つきの温かいメッセージが返ってきていた。付き合いの長い友人の優しい顔が浮かんで、少しとんがっていた心の角がとれた気がする。

 暫くすると鈍い痛みを更に少しずつ感じ始めたので、朝ごはんも何も食べてないけどこのまま痛み止めを飲んでもう一回寝てしまおうと考えていると、新着のメッセージを知らせる通知が来て反射的にスマホを手に取った。今日約束していた相手──三ツ谷からだった。

『分かった。体調は大丈夫?』
『もし迷惑じゃないなら、飯とかだけでも作りに行くけど』

 ちょっとびっくりしてスマホを落としかけた。今まで、男の人はおろか友達にすらそんな風に言われたことはない。高熱でしんどい時に母が来てくれたことはあったけど、せいぜいそれぐらいだ。
 もちろん、逆もあまりしたことがない。もしも友達に「お見舞いに来て欲しい」と言われれば当然行くけど、うまく看病などをできる自信も無いので自分から申し出ることはなかった。

 どう返事をしたらいいか分からなくて文章を書いたり消したりしていると、電話が鳴った。混乱を招いた張本人からだ。

「もしもし」
『急に電話して悪いな。体調大丈夫か? メッセージ返すのもしんどいかなと思って電話しちゃったわ』
「ごめんごめん。全然大丈夫だよ。今から薬飲んでまた寝ようと思ってたとこ」
『それ、飯食ったの?』
「あー、食べてない、けど」
『なんか胃に入れたほうがいいと思うけどな。俺、今から家行ったら迷惑?』

 普段から言葉選びの優しいタイプだとは感じていたけど、にしてもその聞き方はずるいんじゃないだろうか。そう聞かれるとW迷惑じゃないW以外に返す言葉が見つからなくて、ほんの少し悩んだ末に結局そのままそう答えた。
 電話の向こうの三ツ谷はホッとしたように笑って『じゃあ30分ぐらいで着くから。食べれるもん持ってくけど、もし無理そうなら先に薬飲んでて』と言われ、親切心と優しさが身に沁みてしまってもう頷くしかなかった。

 お腹の痛みはまあそこまで酷くはなっていないので、まあ空っぽの胃に放り込むのは確かに良くはないなと思って痛み止めは飲まずにベッドに横になる。部屋を片付ける余裕はなかったけど、まあ何度か家には呼んだことがあるし良いだろう。
 何気なくスマホを操作すると美容院のキャンセル完了メールが来ているのを確認して、そっとロックボタンを押して画面を消した。

 ぴったり30分後にインターホンが鳴り、三ツ谷の姿を確認してからインターホンでエントランスを開錠して、部屋の鍵も開けておく。間もなくガチャリとドアが開いて、ひょっこりと三ツ谷が顔を覗かせた。

「よ。体調どう?」
「大丈夫。なんかごめんね」
「いいって。お邪魔していい?」
「どうぞー」

 三ツ谷はいつも通りお洒落な格好をしていて、わたしを見るなり優しく微笑んだ。ベッドで寝ているよう促してくれたり持ってきてくれた物をテーブルでてきぱきと準備したりと随分慣れている様子で、もしかしたら歴代彼女にもこうして尽くしていたのかもしれない。もしくは妹の世話をするのと同じ感覚なのだろうか? 学生の時から面倒見の良い印象だったから、大雑把なわたしを放っておけない性格なのかもしれないなぁと思った。

「昨日の残り物で悪いけど、きんぴら牛蒡と出汁巻とサラダ持ってきた。あと、冷凍うどん持ってきたからキッチン使っていい? 湯沸かすのと醤油とかだけ借りるわ」
「……三ツ谷ってほんとに料理上手なんだね」
「はは、口に合うかは分かんねぇけどな」

 とりあえずは消化に良さそうなものをお腹に入れた方がいいとのことで、他のおかずは冷蔵庫に片付けてくれたらしい。ベッドサイドのミニテーブルに用意してくれたうどんは優しい味で美味しくて、次々と口へ運んでしまう。
 ふと視線を感じて顔を上げると三ツ谷がその様子をじっと見ているので、思わず首を傾げた。

「……もしかしてどっか変? あ、何かついてる?」
「いや? 美味そうに食うなと思って」
「すごい美味しいもん」
「うどん解凍しただけだけどな」

 完食した後手を合わせて「ごちそうさま」と言うと、「お粗末様でした」と笑って洗い物を下げ、水と薬をテーブルに置いてくれた。洗い物は置いておいてくれていいと言っても聞き入れられずすぐに片付けてくれて、薬を飲み終わったらベッドに横になるよう促してくれる。至れり尽くせりとはこう言う時に使う言葉だろうなと思った。

「体調どうだ?」
「いつもよりマシだけど、やっぱりちょっとお腹痛いから横になるね」
「ん、なんかして欲しいことあったら言って」
「大丈夫だよ、ほんとにありがと」

 甲斐甲斐しく気の利いたお世話をしてくれる三ツ谷に申し訳ない気持ちになりつつ、やっぱり今からが痛みの山場なので言われた通りお腹を温めて寝ようと横になって布団を被る。

「寝ちゃうかもだけど時間見て適当に帰ってくれていいからね。鍵閉めてポスト放り込んどいてほしい」
「分かった。おやすみ」

 ベッドに背を向けて座ったまま、頭をぽんぽんと撫でられて眠気がやってくる。妹ちゃん達のお世話をする感覚で来てくれた説が濃厚かもしれないなあなんて思って目を閉じた。
 適度な距離感で側にいてくれることによって感じる安心感と、わたしが眠りやすいように背を向けてくれているんだろうその気遣いに、心がぽかぽかした。

 三ツ谷はなんで彼女も作らずに遊んでるんだろうなぁなんて、意識が微睡むその間際で思う。こんなにも気遣いができて顔も格好良くてモテない訳がないのに。本命の女の子でもいるなら、本気で迫れば落ちない子なんて居なさそうなんだけどなあ。








 ふと意識が浮上してまず僅かなお腹の痛みと空腹感を感じて、時間を見ようとしてふとベッド横を見ると三ツ谷の後ろ姿があって、驚きすぎて声も出なかった。わたしがごそごそと動いたせいか、三ツ谷がこちらを振り返る。ぱちりと目が合った。

「はよ。体調どう?」
「あ、え、大丈夫……」
「そっか。なんか食うか? 適当に食材買ってきたから、食欲あるなら作るけど」
「えっあ、え? あの、ずっと居たの? なんで……?」

 どうにか起き上がると、痛みはマシになったものの重さと鈍いだるさは変わらず、腰や背中もなんとも言えない痛み。いつものことだ。違うのは、朝来てくれた三ツ谷が、3時間ほど経っている今もどうしてか帰らずこの部屋にいるということだけ。
 心配で来たのに顔見ただけで帰ったら意味ないだろ、なんて笑う三ツ谷に訳がわからなくなって、眠り際に湧いて出た疑問をぶつける。

「あのさ、三ツ谷ってほんとに彼女とか本命の子いないの……?」
「……え?」
「いるならわたしといちゃ駄目だよ、ほんとに」
「あー、あぁ、そういう意味か」

 戸惑いから納得までの経緯は少しもわからないままだけど、少し目が泳いでからまた目が合うまでは一瞬だったので、深掘りをする意味はあまりない気がして更に問いかけるのはやめた。わたしの質問への答えは「いない」というあっさりとした答えだった。

「流石に浮気するほどクズじゃねえよ」
「じゃあ元カノさんが生理重めだったとか?」
「なんで?」
「いや、すごい慣れてる感じしたし、優しいなって思って」

 朝から思っていた疑問を言葉にせずにはいられなかった。今日はできないって分かってるただのセフレにこんなにも親切にしてくれるのがどうしてか、少しも分からなくて申し訳なくて。
 三ツ谷は少しぽかんとした後、目を細めて笑った。少しいたずらな笑みで、優しい笑顔ばかりだった今日の印象とはずいぶん違う。

「優しいと思った?」
「うん」
「じゃあ、なんで優しくしてると思う?」
「……え?」

 それが分からなくて聞いてるんだけど、三ツ谷はそれを知ってか知らずか、楽しそうに笑っている。
 なんで優しくしたか。三ツ谷の優しさの理由? お気に入りのセフレだからとか、妹の世話を昔からしていた身として放っておけなかったとか、色々浮かんだけれどどれもしっくり来ない。こんなにも健気に接されては、まるで。

「えーと、それ、なんかアレだね。口説かれてるみたいに感じちゃうな〜、みたいな……」

 そう、まるでわたしのことをお気に入りとかじゃなくていっそ本命みたいな、妹みたいじゃなくて彼女みたいな扱いを受けている心地を感じざるを得ない。そう思い始めると心臓が少し忙しくなったので最後には冗談めかして笑っていると、三ツ谷の手が伸ばされてその手の甲が頬に触れた。

「そうだけど?」
「み、みつや……?」
「だから、口説こうとしてる。お前のこと」

 三ツ谷は驚いて息を止めてしまったわたしに構わず、ゆるゆると頬を触るのをやめない。恥ずかしくなってつい俯いたのを、目の前の張本人が笑ったような気がした。

 だって仕方ない。恋人同士みたいな雰囲気になったのは初めてだったのだ。だけど今思えば身体だけの関係にしては少しお姫様扱いというか、普段から垣間見える気遣いがあったような気がしないでもない。どっちにしても恥ずかしくて顔が熱い。

「本命いないけどそろそろ彼氏欲しいかもって、こないだ飲んだ時言ってたじゃん」
「いやまあ、言ったかもだけど、でも」
「俺はずっと前から、なまえの彼氏になりたいと思ってたんだけど」

 夜しか呼ばない名前をわざわざ呼ばれて、ベッドに置いていただけの手に手を重ねられて、ほど近い距離で目を合わせられて囁かれる。三ツ谷の見た目とスペックとを加味するとこれで落ちない女の子はいないだろうな、と他人事のように考えたいけど、どうしてか実践されているのはわたし自身なので客観的に見るにも限界がある。

「ちなみに、明日の予定は?」
「……予定あったけど、キャンセルした。お腹痛くなるかもって思ったから」
「……面倒臭いこと聞くけど、それ男?」
「女友達との買い物、だけど」
「そか。じゃ、明日も来ていい?」

 なんてことないように言うその眼差しはさっきまでのいたずらっ子みたいな笑顔じゃなくて、随分と愛おしむような表情に見えてしまって落ちつかない。「悪いしいいよ」と言っても「俺がしたくて聞いてんの」と言われてしまえばそれだけで心臓が痛い。

「来たら迷惑?」
「や、えっと」
「こんなにお前のこと独り占めできるの、今回だけかもしれないし」

 愛情以外を見つけられないような言葉に、息が止まった。いやいやいやいや、おかしい。わたしはただの元同級生兼セフレだったはずだ。三ツ谷の中で、いつから独り占めしたいほど昇格していたんだろう?
 考えても分からないので聞きたい気もするけど、するとまた爆弾が落とされるんじゃないかっていう予感もあって下手に言い出せない。

「あのでも、暇じゃない? わたし寝てるだけだし、ご飯だけ作ってもらっちゃうだけみたいな感じになっちゃうし」
「俺がしたいって言ってんだけどな」
「……えーと、したいのはエッチじゃなくて……?」
「あーまあ、それはそれだな。体調良くなったら触りたいから、またその時言うわ」
「………、ぅあー……」

 エッチしたいじゃなくて、触りたいって言うのはこれはどうなんだ。わざと? だとしたら反則じゃないの? 人がわざわざストレートな言葉を選んで恥を忍んで言ったというのに、まるで自分は触るだけでも満足できますみたいな。まるでそれぐらい好きみたいな、そういうその先を予感させる台詞をばら撒くあたり、実は本当にタチの悪い男に捕まったのかもしれない。

 顔が赤いことを揶揄われたけど、そんなのは仕方ない。彼氏もセフレもいたことはあるけど、こんなにも直接的に好意をアピールされたことはないから。

 だけどよく考えると決定的なことは言われてない。嵌って抜け出せなくなる前に、セフレ以下の関係で済ませられるよう足掻きたいけど、揶揄うようなそれでいて蕩けるようなその眼がずるい。

「俺、脈ある? なまえチャン」
「……そりゃ、こんなに尽くされたらさぁ……」
「ふは、なら来て良かったわ」
「料理も美味しいし」
「胃袋掴めた?」
「……正直言って掴まれた」

 軽口は言い合えるのに、いつもと違う空気感と三ツ谷の視線の熱量。一緒にいて楽しい人間だとは思っていた。セフレになんかならずに友人でいられた方が良かったかもなんて何回も考えたことがあるけど、三ツ谷は三ツ谷で違うベクトルで、セフレから抜け出したいと思っていたのかもしれない。

「……ま、体調悪い時に困らせたいわけじゃないし、今日はそろそろ帰るかな」
「っあ、うん、色々ありがとう」

 立ち上がって玄関へ向かうその背を、ベッドから抜け出して追いかける。冷蔵庫に入れたおかずと買ってきた野菜の説明をされ、右から左になりそうなのをなんとか拾い上げながら聞いていた。その様子があまりにいつも通りだから、どこかからは夢だったかもしれないなんて思い始めた頃、三ツ谷は振り返って言った。

「あと、口説いてるって言ったやつ。あれ俺、本気だから」
「……え?」
「また明日ちゃんと言うから、返事考えといて」

 じゃあな、戸締りちゃんとしろよ、と最後まで気遣いと心配を置いて三ツ谷が出て行ったあと、言われた通り施錠してから、その場に座り込みそうになったのをなんとか堪えた。ドッドッと心臓が大袈裟なまでの収縮を繰り返して叩く。速いなんてものじゃない、心臓の周りの細胞が壊れるんじゃないかってぐらいに胸を打つその鼓動は、間違いなく三ツ谷が引き起こしたものだった。

「……明日、どうしよ」

 ドタキャンは大罪だ。明日のことを断るなら今日しかないのに、顔が熱くて脳が茹だる。とりあえずお腹の痛みなんかはもう分からなくて、冷蔵庫のおかずを自分で炊いた白ごはんとともに食べた。
 きんぴらがあまりに美味しくてまた今日のことを考えてしまって、更にどうしたらいいか分からなくなったまま明日を迎えたわたしは、容赦なくストレートに「好き」を聞かされて逃げられず、結局三ツ谷に陥落することになるのだった。




list

TOP