「場地が風邪ひいたらしいから、ちょっと様子見てきてくんない?」

 マイキーに会うや否や捕まって、身長はそう変わらないはずなのにそのとんでもない馬鹿力から逃れられるわけもなく、離してもらうためにあまり深く考えずに頷いてしまったことを今更後悔した。

 場地家を尋ねて圭介のお母さんと軽く世間話をして、さていくらわたしが幼馴染でも風邪を引いた息子の部屋に入らせないだろうなと思っていたのにそこはさすがに圭介のお母さん。気付いたら圭介の部屋の前に案内されていて、わたしに言われたくはないかもしれないけど圭介の大雑把な性格は間違いなく母親譲りだななんて他人事みたいに考えなきゃやってられない。

 小学校低学年の時ならまだしも、中学に入ってから異性の部屋に入ったことなんてない。それが片思いの相手だなんて余計に緊張する。とりあえず深呼吸をしてから3回ほどノックをしてみる。力加減が分からなくて少し弱い力になってしまったので、ドアの向こうにどれぐらい音が響いているのか未知だ。

 やっぱり、コンビニで適当に買い込んだものは玄関先でお見舞いの品として献上するだけにしておけばよかったかもしれない。今日に限って松野くんが委員会で居なかったのが運の尽きか。いやそもそもマイキーに捕まらなければ……とこうなった要因を思い起こしていると、ガチャリとドアが開いた。

「ンだよかーちゃん…………、は?」
「あ、あのえっと、ごめん。わたし、」
「は……!? おま、っ、ちょっと待ってろ!!」

 バン! とすごい勢いでドアが閉められたかと思うと中でバタバタと騒音が聞こえて始めて、5分後ぐらいにまたドアが開かれた。たぶん部屋を片付けたんだと思う。
 さっきは一瞬だったけど、圭介はおでこに冷えピタを貼っていたはず。だけど今は貼られてなくて、でも心なしか顔が赤いから熱はあると思う。もしかして結構しんどいのに無理してるんじゃないかな、なんて申し訳なく思っていると「なんだよ、もう入っていーぞ」と罰が悪そうに言われ、観念してそのドアをくぐった。

「急にごめんね。熱は大丈夫?」
「おー、んなヤワじゃねぇよ」
「ほんと? 顔赤いよ。熱上がってるんじゃないかな」
「っだ、ダイジョブだ、大したことねえよ!」

 いざ話し始めると結構いつも通り話せていて、会話そのものははそんなに緊張しなくてホッとする。この部屋のことは考えないようにして、改めて圭介を見ると、やっぱり顔は赤いし眼は少し潤んでいるように見える。

「圭介、寝た方がいいよ」
「あぁ?」
「少ししたら帰るから、わたしのことは気にしないで休んでよ」

 意外と律儀なところがあるから「友達が来てるのに寝るなんて」とか思ってる可能性があると思ってできる限り優しくそう言ったのに、圭介の返事は不機嫌そのものだった。ヤンキー仕込みの所謂Wガンを飛ばすWみたいな感じで睨まれたけど、熱っぽいその顔のせいでそれほど怖さを感じない。まあ目つきが鋭いだけで根は優しいのを知ってるから、わたしに向けられる視線自体は普段からそんなに怖いと思ってないけど。

「………だからだよ」
「……? 何が?」
「俺が寝たら、オマエ帰んだろ」
「あぁ、うん」
「じゃあ寝ねえ」
「へ?」

 胡座をかいて座っている圭介は明らかにしんどそうなのに、眠るどころか布団で横になることもしなさそうだ。でも圭介の家のベッドは押し入れの中だし、もし具合が悪くなってもわたしじゃたぶん運べない。
 圭介が完全に寝るまでは帰らないからせめて横になってと何度か頼めば、説得の末にようやくしぶしぶ立ち上がって布団に寝転んだ。

「ホントに帰んねーんだろうな」
「ほんとだって」
「俺が寝ても帰んじゃねーぞ」
「……、あー、うん、分かったからもう寝なよ」

 眠るまでは居る、イコール眠ったら帰るという話だと思っていたけど、どうやら違ったらしい。だけどここで「寝たら帰るよ」なんて言おうものならまた起き上がりかねないので、訂正せずにそのままやり過ごす道を選んだ。

 圭介はこっちを向いて寝転んでいて、わたしをじっと見ている。もしかしてわたしの後ろの何かを見てる? と思って振り返ったりしていると「部屋あんま見んなよ」と咎められて、もしかして圭介も女の子を部屋に上げることに緊張したりするのかな、なんて思って親近感が湧いた。

 ごめんと軽く謝ってから、手持ち無沙汰でなんとなく携帯を見るとメールが届いていた。『バジどうだった?』というマイキーからの一文で、とりあえず圭介の様子でも伝えておこうかなと返信を打っていると、「おい」と不機嫌そうな声。主語はないけどこの部屋にはわたししかいないので、「なに?」と文字を打ちながら返事をした。

「俺がいんのにケータイ触んな」
「マイキーにメールしてるだけ、すぐ終わるよ」
「……ンでマイキーなんだよ」
「圭介の様子見てきてって頼まれたから」

 マイキーも心配してたよなんて喋りながら『熱はあるけどそこそこ元気そう。マイキーが気にしてたって言っとくね』とメールを送って顔を上げれば、いつの間に降りてきたのか、すぐ目の前に圭介の顔があった。つい反射的に後ろへ下がったところへ更に距離を詰められて、圭介の熱い息を肌で感じる気がする。

「ど、したの、」
「オマエまだマイキーが好きなのかよ」
「は?」
「ハツコイの相手、マイキーかなって、昔言ってただろ」

 言葉の意味を理解するために脳をフル回転させている間に、すり、と猫がじゃれつくみたいに首元に圭介の顔が擦り寄った。混乱でキャパが追いつかなくて、言葉の意味も行動の意図もぜんぶ分からないままでいる間に、長い腕が伸びてきてぎゅうっと抱き締められた。

「け、圭介……!?」
「なァ、おれにしろよ」
「え、あの」
「おれ、ずっとおまえのこと、すきなのに」

 その言葉を最後に、のしかかる重さが増した。耳元で寝息が聞こえてくすぐったいしものすごく重くて潰されそうだしでとにかく大変な状況なんだけど、わたしは正直それどころじゃなかった。

 初恋のくだりはたぶん、エマちゃんか誰かと話してた内容のことだ。小学校低学年ぐらいまではわたしは、マイキーのことが一番格好いいと思ってた。まあ今も格好いいとは思うんだけどなにせ当時から特に足が速くて、小学生の時なんていうのは運動が飛び抜けて出来る男の子はそれだけでモテるわけなので、つまりそれだけだ。ぶっちゃけ初恋と言えるほどのものじゃない。

 むしろわたしの初恋は今わたしにもたれかかって寝ている圭介なんだけど、でも恋愛とか絶対興味ないだろうなと思って諦めてたのに。

Wずっとおまえのこと、すきなのにW

「〜〜〜……!」

 思い出したら顔が熱くてたまらないし、そう考え始めたら近すぎる今の体勢も本当にまずい。重いだけじゃない、なんだかもう胸とか色々なところが痛い。心臓が過労死してしまうんじゃないかと本気で思う。苦手な持久走を走り切った後よりも鼓動がうるさい。
 何度か名前を呼んで起こそうとしたら、寝ぼけているのか再び抱きつかれてより密着してもっと死にそうになった。もう嫌だ。ばか圭介。こうなったのも全部ばかマイキーのせいだ。今度スマブラでボコボコにしてやる。

 結局わたしは、圭介の風邪を聞きつけた松野くんが部屋にやってきて圭介を引き剥がしてくれるまでそのままだった。そういえばこうなったのは千冬くんのせいなのでお腹に一発入れておいたけど、全然痛くなさそうでムカついた。千冬くんは「場地さんの片思いが実って良かったです!」と目を輝かせていて、もう本当に居た堪れなくて自分の家に帰った。

 ふと携帯を見るとマイキーからメールが届いていて、『バジに襲われないよーに気をつけろよ(笑)』と書かれていた。耳や首にかかった圭介の吐息を思い出してしまって、そばにあった枕に顔をうずめて声を押し殺して叫んだ。




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