恋を化石にするひと



 それからナマエが隣にいるようになって、今まで世界が時折黒く暗くなることがあった俺の日常は、あの頃みたいに色づいた。たまに休みが合う時には色んな場所に行った。3ヶ月経つ頃には二人きりの時に「堅ちゃん」と呼ばれるようになって、くだらない話もするようになった。

 バイクの後ろに乗せて海に連れて行った時には、とびきり喜んでいた。海が好きなんだと笑うその横顔にドキリとして、その感情が何かなんて分かりきっていたのに気付かないフリをした。サンダルを脱いで波打ち際を歩くアイツをただ見つめた。潮風になびく黒い髪が綺麗だと思った。

 帰りも2ケツしてバイクを走らせ、そして家の近くまでくると「ここでいいよ」と言われるのはいつものことだった。この道は見慣れたものだが、オレはコイツの家をちゃんと見たことがないかもしれない。それでも、「家の前まで送っていく」と言えない自分が滑稽だ。

「送ってくれてありがとう。すごく楽しかった」
「おー。ンな海が好きなんて知らなかったわ」
「……ふふ。好きな子できたら連れてってあげて。きっと喜んでくれると思うよ」

 じゃあまたね、と別れの挨拶をして歩いていくその背を見送るまでの一連の流れ。それはいつも通りなのに、さっきまで楽しそうだったその背中が少し元気がないように見えて、だけどなんとなく呼び止めたりできなかった。
 好きな子ができたら。アイツは時々オレにそう言った。見えない境界線を引かれてるみたいでモヤモヤしたけど、曖昧な関係のままに超えていい一線でもないんだろうと思うと踏み込めない。
 いつか、ちゃんと気持ちの整理がついたら言えばいい。そんな悠長なことを考えていた。




 だけどそこから、アイツが少しずつエマの姿に自分を重ねるようになっていった。服装、髪を触る仕草、化粧。前から見せていた柔らかい笑みだけじゃなくて満面の笑顔だって見られるようになったのに、段々とその笑顔がどこか作りもののように感じ始めるのに時間はかからなかった。
 俺が未だに時々エマを思い描くせいでそう見えてしまっているだけかと思って自分自身を戒めたこともあったけど、やがて違うと気付いた。綺麗な黒髪だったのにそれをやけに明るく染めた時、それは確信に変わった。

「……その、髪」
「ふふ、ちょっとイメージ変えたくて。やっぱり似合わないかな?」
「…………んなことねぇよ。似合ってる」
「ほんと?」
「あぁ」
「そっか。……ありがとう」

 後から思えば、この時ちゃんと言えば良かった。
 似合ってると言ったのは嘘じゃない。本当に似合っていたし本気でかわいいと思った。だから「似合ってるし可愛いけど、もし誰かになろうとしてんならそんなこと思わなくていい」という言葉が咄嗟に出てこなかった。

 ナマエを見て少しでもエマを思い出したことを、ナマエに知られたくなかった。





 アイツのことが好きだと気付いてしまって、そしてすぐにこのままじゃ駄目だと思った。今すぐ会いに行って直接伝えたいと思ったが、ちょうど仕事が忙しくなってきて時間が取れない。もともと休みが合わないことはザラにあったが、ナマエも忙しいようで寝る前の電話の時間も暫く取れないでいた。

 久しぶりに一日オフになったある日、平日だったからアイツは当然仕事で、だけどどうにも落ち着かなかった俺は実家である店の女に頼んでアイツへのプレゼントを見繕うのに一日を充てることにした。女への贈り物なんか、それこそ昔エマに渡したゲーセンのぬいぐるみ以来で、好みも流行りも全く分からない。
 だから色々なアドバイスを貰って、アイツに似合いそうな華奢なピアスとリップを買った。本当は指輪を渡したかったが重いと一蹴された。告白をして成就してから改めて一緒に買いに行けと言われ、その時のお勧めのブランドはいくつかメモしておいた。

 次に休みが被った時に、プレゼントを渡して告白しようと思っていた。もしアイツが俺をなんとも思ってなくて玉砕したとしても、これから男として、偽物の関係から本物の恋人になりたいと思っているのだと意識してもらえたらいい。



 そう決意した俺の元へ3日後に届いたのが、あの別れのメッセージだった。


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