来世まで待てやしないから



 メッセージを見てすぐに電話をかけるが、コールも鳴らずに留守電のアナウンスに切り変わる。取り急ぎメッセージを返したが待ちきれず、イヌピーに頼み込んで仕事を早めに抜けてナマエの家へ向かった。後から思えばあの文章を真に受けるなら真っ先に向かうべきは空港だったんだろうが、焦りと混乱とで頭が回らなかった。まあ空港に行っていたところで、行き先も出発する時間も知らないのに会えるはずもないが。

 アイツの家にたどり着き、そこでようやくアイツの親に会う可能性があることに思い至ったが、服なんか着替える余裕もなくて髪だけ下ろして刺青を隠した。だが予想通りやっぱり家にいないようで、インターホンを押してからほどなくして俺を出迎えたのはナマエの母親だった。初めて会ったがどことなく雰囲気が似ている気がする。アイツは母親似なんだなとぼんやり思った。

「シンガポールへの転勤が1ヶ月前ぐらいに決まってね。昨日出発したの」
「……き、のう、ですか」
「一年ぐらいしたら帰ってくるみたい。電話はできないけど、メッセージは届くと思うから送ってあげて?」
「──ぁ、……はい」

 うまく息が吸えなかったからちゃんと返事ができていたかどうかも分からないが、それどころじゃなかった。オレは間違いなく振られて、縋ろうにもナマエはもう会いに行ける場所にいなくて、しばらくずっと此処に戻らない。その事実がジリジリと心臓を焦がして胸が痛んだ。

 一年。一年って、ここ数週間会えなかっただけでこれなのに、それがあと何回分続く? 考えただけで心臓が締め上げられるような感覚だった。
 そんなにも長く会えない距離にいたことがない。ただの友達だった頃から数えてもだ。たとえば県外とかならバイクを飛ばせばすぐなのに、海の向こうなんておいそれと会いに行けるわけがない。アイツはそれも分かった上で、敢えてオレに何も言わなかった。その現実を受け入れるのがただ苦しかった。

「帰って来たら、連絡するよう伝えておくわ」
「……、ハイ、お願いします」
「……わたしも心配なんだけど、でもきっと大丈夫。あれで結構芯があって、肝が座ってる子なの。まあちょっと大雑把とも言うんだけどね」

 そう言われて、ああ確かになんて納得する自分と、どうして何も言わずに離れて行ったんだって納得できない自分がせめぎ合った結果、「そうっすね」とどうにか笑顔を作って、話を聞いてくれた礼を言って頭を下げることしかできなかった。仮にだが付き合っていたことだとか、それこそ娘さんのことが好きですなんてことは言えるはずもなかった。こんな大切なことを告げるに値しない男が、どのツラ下げて言えるんだって話だ。

 なんで何も言わなかった。なんて、大事なことは何も言わずにただ側にいてくれることを当たり前に思っていた自分のことを棚に上げて、クソほどダサい自分を嘆くことしかできない。

 アイツが何を思っていたのか知りたい。どうすれば良かったのか、これからどうしたらいいか教えてほしい。だけど本人と連絡は取れないし、おそらくこの先も同じだろう。電話メッセージも、これからもずっと繋がらないしアイツから返事はもらえない気がした。

 アイツと近しい間柄で自分の知り合いでもある人間として思い当たるのは一人だけで、携帯の連絡先からすぐに見つかった付き合いの長い友人に、迷わず電話をかけた。

『もしもし?』
「……三ツ谷。オレ、だけど」
『いや、分かってるけど。どーした?』
「あー、………」
『……もしかして、ナマエのことか?』

 あまり話の順序を考えずに電話してしまったせいで言葉に詰まったオレに、三ツ谷はすぐに切り返した。何か知っていることは明らかで、心臓がどくりと大きく脈打つのを感じた。思わず歩く足が止まる。
 ナマエの出張のことを話せば『あぁシンガポールだよな。オレもこないだ知ってびっくりしたわ』なんて先回りした答えが返ってきて、三ツ谷は悪くないのに悔しさが滲む。幼馴染ってのは特別なんだろう。分かってる。分かっていても、自分はナマエの特別でも一番でもなかったことに打ちひしがれることしかできない。

『つーかドラケン、あいつのことフッたらしいな』
「…………、は?」
『てっきりドラケンもアイツのこと好きなんだと思ってたんだけど』

 三ツ谷の言葉の意味が飲み込めず、脈が速く重くなる。振った? オレが? 振られたのはむしろ俺の方だと言えば、電話越しの三ツ谷は訝しげな声になった。

『……ドラケンが振ったんじゃねえの?』
「いや、オレは何も言ってねぇ」
『そうなのか? でもアイツ、泣いてたけど』
「……は……?」
『WふられちゃったWって。まあ、強がって泣き笑いみたいな感じになってたけどさ』

 なんで振られたなんてことになってるのかも分からないがその前に、三ツ谷が言ったことに時間差で混乱した。ドラケンWもW? どういうことだ? 身に覚えはないがアイツは泣いていたらしい。オレに振られたせいで? つまりは、両思いだったってことか?

 俺はアイツが好きで、でもアイツはそうじゃないと思ってた。だけど三ツ谷の言い方だと、アイツも前から俺を好きだったみたいに捉えられる。アイツはどうしてか俺に振られたと思っていて、それが悲しくて泣いた。そんなもん、好きな女への欲目が無くたってそういう風にしか聞こえないのに。



「あ゛ーーー、クッソ……」

 家に帰ってベッドにダイブして、深く息を吸って重苦しい肺の空気を吐き出せばなるほど確かに、幸せが逃げるような感覚があった。アイツが居ない時点で幸せもクソもないが。

 この感情にもっと早く気付いてもっと早くナマエに好きだと伝えられていれば、今のこの遣る瀬無さは少し違っただろうか。シンガポールへ行くのだってものすごく嫌だし行くなと我儘を言いたくなるだろうが、なんとか良い彼氏を演じて空港まで見送りに行って、向こうで浮気すんなよなんて言って空港でキスをして最後は笑顔で送り出して、メッセージで近況のやり取りなんかをしてたまに声を聞いて。
 今となってはこんな馬鹿げた妄想はイタいだけだが。

「……会いてぇ」

 離れた距離の分だけ心を近づけられるようにして、そうしたらきっとお前がいない一年も笑って乗り越えられたかもしれないのに。今は機械越しのメッセージひとつですらきっと届けられない。物理的な距離以上に心が離れていてることを分からせられる。

 数年前のあのエマが居なくなった日、ちゃんと素直に好きだと伝えておけば良かったと、それこそ死ぬほど後悔したはずなのに。オレは結局同じことを繰り返している。とんだ大馬鹿野郎だ。

 お前が側にいないだけでこんなにも心臓が痛い。オレには何も言わずに消えたくせに、三ツ谷には行き先も出立の日も伝えて泣き顔まで見せたことを知っただけで、胸の中に渦巻くみっともない嫉妬心を抑えられない。例えばオレと離れている間にお前が他の男に恋をして、そいつと抱き合ったりキスをしたり身体を繋げたりしようものなら、たとえお前が好いた相手であってもその男を殺したくなる自信だってある。

「…………逃がすかよ」

 自分の声が低く深い響きとなって部屋に漂った。自分のこんな声、不良をやっていた頃でも数えきれるぐらいしか聞いたことがないかもしれない。

 お前は知らないだろうな。エマのことを何年も引きずって引きずって、だけどお前が側に居たから漸く前を向けただけだってこと。オレは諦めが悪いんだよ。お前がこの世に生きてる限りモノにできるチャンスはあるんだから、引き下がれるわけがない。

 たとえば三ツ谷に携帯を借りれば、メッセージの一つぐらいは送れるかもしれない。だけどそれじゃあ意味がない気がした。

 一年。アイツはきっと、それだけあればオレが自身を手放して友達に戻れると思ったんだろう。一生会えなくなることだってある世界で、たった一年だ。されど一年とも言えるがとにかくそっちがその気なら、その程度離れただけで忘れてなんかやらない。

 とりあえず次に会ったらなんでオレが振ったことになってんのかを問い詰めて、なんで何もかも黙って海外へ行ったんだって目を見て聞いて、納得できる答えが聞けるまで離さない。もしお前が理由もなくオレを突き放そうとするなら腕の中に閉じ込めるし、もし他の男に気持ちが傾いていたとしたらオレの思いを伝えて抱きしめて、無理やりキスでもなんでもしてやって、お前の心の中にオレの存在を捩じ込んでやらなきゃ気が済まない。

 帰ってきたらもう遠慮しねえから覚悟しろ。いやその前に、頼むから他の男を選ばないでくれよ。改めて振られようが諦めないから、オレにチャンスをくれ。もしお前が一度でもオレを好きになってくれてたとしたら、もう一回オレの気持ちに応えてくれるまで、跪いてでも愛を乞うから。

「……好きだ」

 ずっと言えなかった言葉は情けなく掠れた声だったけど、いとも簡単に喉からこぼれ落ちた。お前の最後の男になりたい。お前はもう既に、オレの最後の女だから。


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