綺麗事なら春がいい



 中学1年。私はその年に初めて会った時からずっと、ドラケンくんのことが好きだった。タカちゃんに紹介されて出会った時には既に隣にエマちゃんがいることは知っていて、二人が両想いであることにもぼんやりと気付いた。そのエマちゃんのことも大好きだったから本当に心から応援していたし二人は絶対に幸せになるって思ってたから、この気持ちには邪魔になると思って一生フタをすることに決めた。
 タカちゃんは多分わたしの気持ちを察してた部分はあったと思うけど、敢えて何も言わないでいてくれた。

 エマちゃんがいなくなった時のことは、今思い出しても涙が滲む。なんで。どうして。そればかり考えてしまって遣る瀬無くて。
 お葬式の日はこれが最期のお別れだというのに、わたしは棺の中に横たわるエマちゃんの顔を2秒と見つめられなかった。元気で明るくて可愛くて、本当に大好きな友達だった。
 わたしですら何日か前に会ったばかりで到底受け入れられなかったのだから、もっと身近な存在だった人たちの悲しみはどれだけ深いものだっただろう。夢だと思いたかったし、エマちゃんがもうこの世に居ないなんて信じたくなかった。胸がちぎれるみたいに痛くて、凛とした表情で前を向いていたマイキーくんのことも涙を流すドラケンくんのことも、辛くて見ていられなかった。


「……あっという間だなぁ」

 無意識に呟いてしまったその言葉は空港の喧騒に消えていく。それはこの一年のことか、悲しみに濡れた数年前のあの日のことか。空港に降り立って飛行機に乗っている間は切っていた携帯の電源を入れながら、余計な考えを払拭するように、凝り固まった肩や背中を動かした。

  一年ぶりの羽田空港は一年前のあの日より少し人が疎らに感じる程度で、なんら変わりない時間が流れていた。飛び交う会話やアナウンスの日本語はすんなりと耳に馴染み、日本に帰って来たことを改めて実感した。
 HNDのタグが付いたままのキャリーケースを並走させながら空港内を歩く。帰国は家族にだけ知らせていて、母が車で迎えに来てくれると言ってくれたのでお言葉に甘えることにした。

 久しぶりに日本に帰ってきてこの空港の景色を見ると、自然と一年前のことを思い出してしまう。



 海外に行くことをずっと言い出せないままに出発の日が近付くばかりだった。一年間も離れるなんてエマちゃんの代わりとして意味がないし、伝えてしまったらきっとその日にこの関係が終わってしまうと思って尻込みをしていた。だけどそろそろ彼に伝えなければと思ってそれでもなかなか言い出せなくて、今日こそはと意気込んだその日の夕方。

 壮行会は昨日してもらって激励の言葉をたくさんもらった。日本での最終出勤日である今日は早めにあがっていいよと前から言われていたから、半休という形で14時頃には退勤できる。だからなんとしても今日、会いに行こうと思っていた。
 明日明後日は準備に充てて月曜日に出発する。土日はきっと彼のバイク屋の仕事も忙しいだろうし、何より振られたあと立ち直る時間が欲しかったから、伝えてしまうなら今しかないって、そう思って。

 会社を出て駅までの道を歩く中で、目立つ長身が目に入った。あ、とつい間の抜けた声が漏れたわたしの視線の先には、綺麗な女の人に腕を絡められた堅ちゃんがいた。堅ちゃんも女の人も楽しそうに笑っていて、とてもお似合いだった。ドクンと脈動が不確かな音を身体に響かせていて、呼吸がうまく出来なかった。

 なんだ。もうわたし、必要ないんだ。

 いつかこうなることは分かってて、それでもちょっとだけでも彼の拠り所になってみたくて。そんな最低な下心からわたしが自分で言い出したことなのに、こんなにショックを受けるなんて馬鹿だ。
 やっぱり本物の恋人になれるわけがなくて、そしの上物理的な距離まで遠くなったら──海外部署への異動だって自分が決めたことなのに──もう二度と恋人みたいな関係には戻れない。
 それに加えてさっきの女の人が本当の彼女になるのかなって思ったら悲しくて辛くて、早足で駅に向かってそのまま寄り道せずに帰路についた。

 自分の家が見える頃には、ようやく感情が追いついてしまったのか涙がぼろぼろ溢れて止まらなくて、さすがにこのまま家に帰ったらお母さんに心配かけちゃうなぁなんて思っていたら、聞き慣れた幼馴染の声がして反射的に振り向いた。

「タカ、くん」
「っは? え、おいどうした、なんかあったのか……!?」

 わたしの顔を見て珍しく慌てた様子のタカくんに少し心の棘が柔らかくなって、強張っていた顔の筋肉が緩んだ気がした。

「……ふられちゃった」
「は……?」
「わかってたのに、こんな、泣いてさ。へへ、だめだよね、わたし」

 笑いながら泣くなんていう器用か不器用か分からないようなことをするわたしにタカちゃんは戸惑いながらも、背中をさすって落ち着かせてくれた。堅ちゃんとのことはただ「振られた」とだけ伝えて、あとは3日後にシンガポールへ出発することと一年ぐらいは向こうにいる予定であることを伝えた。

「お前なぁ、オレにももっと早く言えっての。ルナとマナに聞かれたら何て説明すんだよ」
「あはは、ごめんね」
「……で、それ、ドラケンは知ってんの?」
「一応、……出発までには、ちゃんと言うつもりだから」
「……まあ、なんかあったら連絡しろよ」

 堅ちゃんには言わないでとありきたりなことを言わずとも、私の心情を理解してくれたらしい幼馴染の察しの良さに感謝をしながら、そのあとは当たり障りのない会話をして別れた。

 出発までに言う、なんて嘘。結局堅ちゃんには最後まで言い出せず、シンガポールに到着してから別れのメッセージだけを送って連絡先をブロックした。連絡が来たら会いたくなってしまって辛くなるから。好きな人ができたと言われたらきっと、また涙が止まらなくなるから。
 もう恋人じゃないから、メッセージでは仮の恋人になる前みたいにドラケンくんと呼んだ。そうしたのは自分なのに、ずいぶん他人行儀な距離に戻ったんだと心が軋んだ。

 シンガポールでの生活は楽しかった。ときどき友達と連絡を取り合っては人恋しくなったりもしたけれど、仕事はやり甲斐もあるし毎日忙しくて、寂しさを紛らわせられた。

 エマちゃんのことを忘れたことはないけれど、化粧も話し方も彼女の影が薄れていく。努力してわざわざ近づけていた姿なんて彼には必要なかっただろうに、自分はどれだけ彼に愛されたかったのかという浅はかさを思い知る。

 伸びた髪をばっさり切るついでに、金に近い色にまで明るく染め上げていた色も黒に戻した。一度色を抜いているので少し明るさが残る。きっと、自分が思う以上に似合ってなかったんだろうな。髪を染めたあの日、一瞬だけ強張った気がした彼の表情を見ていられなくて、だけどそれでも良かった。嫌われたっていい。だって好きになってもらえないなら同じで、それにどれだけ嫌われてもたぶん私が忘れられないから、なんの意味もない。

 彼を忘れるために仕事に打ち込んで、関係構築にはある程度必要だと思って、そこまで頻繁には参加していなかった飲み会にも顔を出すようにした。
 半年ほど経った頃、出向してシンガポールで勤務していた別場所の男性にプロジェクトの関係で話すようになって、飲みに誘われて初めて男性と二人きりの時間を過ごした。そして向こうも少し酔っていたこともあって、なんとなく唇を重ねた。高校の時に少しだけ付き合っていた彼氏とした以来、何年かぶりのキスだった。

「……ごめん、あの、ミョウジさんがかわいく、て、つい……」

 その人はアルコールで上気していたさっきまでとも比べ物にならないほど顔を真っ赤にして距離をとった。素直で誠実な人なんだなと思った。部活と仕事ばかりであまり出会いもなく女性経験がないのだと打ち明けられ、真面目な学生時代が鮮明に浮かぶ。正反対だなぁ、なんて思う私はどちらに対しても最低だと思った。

「好き、です」
「え……」
「順番が違ってごめん。でも、初めて会った時からかわいいなって思ってて、一緒に仕事していくうちに、いいなって思って……。もしよかったら真剣に考えて欲しい」

 赤い顔でわたしの目を見てそう言ってくれてとても嬉しかったけれど、脳裏にチラつく龍がわたしの心臓にじくじくと牙をたてた。「返事はすぐじゃなくていいから」と笑ったその人はわたしには勿体無いぐらい素敵な人なのに、彼を忘れるには新しい出会いが必要なのに。駄目な私は言葉が出てこなくて、ただ「ありがとう」と言うので精一杯で結局、進展することはなかった。



 携帯が震えたことに気付いて我に返る。母からのメッセージを知らせた通知からメッセージアプリを開いてみると『ごめんね、急な来客があったから行けなくなったんだけど、でもタカくんにお迎えを頼んでるからもうすぐ着く頃だと思う』という内容だった。それなら一人で帰れるから大丈夫だよと慌てて返信を打つものの、もし既に向かっていたらきっとそのまま来てしまっているだろう。

 とりあえず待ち合わせのロータリーに向かう足を速めると、見慣れた自家用車のドアにもたれ掛かるようにして、母でもタカくんでもない、背の高い彼が立っていた。

「……よ。おかえり」
「………なん、で」
「振られたのに未練がましい男で悪いな」
「え、ぁ、タカくんは……?」
「三ツ谷からお前のこと迎えに行くってお前の母ちゃんに言ってもらって、そのままオレが車借りた」

 どうやらタカちゃんの手引きらしい、ということはなんとか分かった。混乱のなか情報を処理しきったことを褒めてほしい。
 母の代わりに引き受けてくれたタカちゃんも忙しくてドラケンくんに白羽の矢が立ったというのならまだ分かる。だけどさっきの口ぶりからすると違うんだろう。意図的に此処に来たことは明らかだった。

 目の前にドラケンくんがいる。ずっと会いたかったけど、できればもうずっと会いたくなかった。今から何を言われるのか想像もつかない。別れたあの日から、今後もし出会った時に何を話すかは考えていたけど、私なんかが想像する内容ではどれでもない気がして、酸素が薄くなるような感覚だった。


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