※怪獣襲来などの時系列はご都合主義により改変あり








 知らなきゃ良かった、なんて思うことは誰にでもある。見なきゃ良かった、聞かなきゃ良かったなんてことも然り。だけど大抵はどうしようもない場面に遭遇してしまった時に使う言葉であって、ただなんとなく眠れなかったから資料整理でもしようなんて、そんな慣れないことをした私の場合はただの自業自得だ。



「亜白隊長の隣は譲らへんぞ」

 恋人が他の女性の隣を譲りたくないと話しているその声が聞こえて、思わず息を止めてそのままUターンした。部屋に戻った頃にようやく息がしやすくなったことに気付く。

 分かっていた。宗四郎が亜白隊長を心から尊敬していること。それは隊長としてであって、自分に存在意義を与えてくれたその人の役に立つのが自分の使命なのだと以前言っていた。本当に彼の人生において重要なポジションに亜白隊長はいて、だけどそれでもW私は?Wと思ってしまう自分がいやだ。私といるより隊長と居る時間の方が長くて、そうやって他の隊員にもそう話せるほどの情を持っている。

 たとえば今は恋愛感情が無いとしても、紛れもなく憧れも敬愛も含まれている筈で、つまりは彼の中で何よりも大切で優先するべき女性であることを突きつけられる。戦闘員にもなれなくてオペレーターとしても中途半端な私に、その特別な興味関心が本当の意味で注がれることはきっとない。

 だからきっと宗四郎は、私に触らないんだろう。






 私は彼と同じ年に戦闘員として入隊試験を受けたものの受からず、ただ情報整理や視野の広さを買われてオペレーターとして入隊した。その括りで言えば彼とは同期だったから最初こそ他愛無い話をすることもあって、その中で自分の淡い感情にも気付いたけれど、だからこそ立場の差が開いてからは外で気軽に話しかけることはしなくなった。

 呼び方もW保科副隊長Wに変えて、偶然すれ違った時は挨拶や最低限の事務連絡程度の会話だけを交わす。何か報告が必要な時も基本的には対面ではなくメールや通信などを介した。そうして何年間も経てなるべく距離を置けばこの馬鹿な恋心も忘れられると思ったのにそれもうまくいかなくて、いっそ振られてしまえと3ヶ月前に酔った勢いで告白をした。当たって砕けるつもりだったのに「ええよ。付き合おか」とあっさり受け入れられたものだから一瞬で酔いも冷めて、とにかく混乱したものだ。

 そうして晴れて恋人同士になったけれど、付き合ってからも日常は大きく変わらなかった。宗四郎が私を好きで告白を受け入れたとは到底思えず、きっと彼が飽きたら終わる関係だと思った私は、恋人になったことは誰にも内緒にしたいと伝えた。それについては彼も賛成意見だったのか頷いて、「二人だけの秘密やなぁ」と笑って了承した。まあこの部隊内で誰かにバレればすぐに話が拡がるだろうし、そうしたらたちまち他の部隊にすら噂されて揶揄われるだろうからそれも面倒だったんだろう。

 誰にも知られないために、名前で呼ぶのは二人きりの時だけ。二人で会うとなれば、私の部屋は他の子の部屋も近くて誰かに遭遇する可能性があるから、基本は彼の自室。隊長と副隊長にそれぞれ与えられた殺風景な事務作業部屋、そこへ行った時だけ恋人らしい触れ合いをする。

 並んでコーヒーを飲んで一息つきながら、隊のみんなの話や最近見たテレビの話題など他愛無い会話で笑うところから始まって、腰を抱かれて促されるまま距離が近付けばそっと顎を持ち上げられて、そっと唇が重なる。密着すると普段は細く見えるその身体の硬さや厚さを感じてしまって、ああ男の人なんだと当たり前のことに気付かされてドキドキした。

 だけど、彼はそれ以上のことをすることはない。なんならキスも唇を触れ合わせたり啄まれたりするだけで、深く口付けられることはなかった。身体を重ねるなんて夢のまた夢だ。

 まあ部屋は鍵をかけられると言っても誰が尋ねてくるとも限らない場所だし、いつ出撃要請が出るか分からないから当然だ。だから仕方ない。そう思い込もうとしても、自分は彼に触れたいと思ってしまうからきっと宗四郎と付き合うのには向いて無かったんだと思う。

 おまけに好きとも愛してるとも言われたことがなくて、滅多にない二人の時間だってそうやって気まぐれな触れ合いで終わるような求められ方だけ。それらが重なってWああ自分には魅力が足りないんだなWと思ってからは自分から部屋に行くのはなかなか勇気が出なくなって、そのうち宗四郎から誘われても理由をつけて断るようになった。彼にとって私はきっとただの同期のままなんだろう。ただ断ると気まずくなるから告白を受け入れてみただけ。

 そんな中で「亜白隊長の隣は譲らない」なんて台詞を聞いてしまったものだから、いよいよ彼との関係の終わり方を考えなければと思った。
 ただただ亜白隊長が羨ましいだとかそんな醜いことを考える自分に気付いて自己嫌悪に陥る、その繰り返しだったから、もう潮時なのだ。






 宗四郎の言葉を盗み聞きしてしまったその時は結局、資料室に向かっていた道を引き返して自室に戻った頃に怪獣発生のアラートが鳴り響き、上着を羽織ってオペレーションルームへと直行した。ひとたび任務となれば高い集中力を保てるのは私の数少ない長所だ。だからちょうど良かった。この任務が終わるまでは何もかも忘れて、オペレーターの仕事のことだけを考えられるから。

 本獣は亜白隊長が早々に倒し、あとは新人の隊員──宗四郎曰くヒヨコたち──の実践経験と能力を見極めるのにちょうど良い余獣の殲滅任務だと思っていたのに、最終的には8号や9号と言った大怪獣クラスまで出現した大規模な討伐任務となった。
 ここ最近だけを見ても怪獣はどんどん強力になっていく。副隊長である彼はもっと厳しい戦線で戦うことになって、だからその時には強くて有能な人しか隣に居られない。少なくとも、今の自分が抱えている気持ちはきっと邪魔になるだろうということだけは自信を持って言える。

 かといってすぐに気持ちを封印することもできなくて、たとえ別れたとしてもこのまま同じ部隊に居れば嫌でも関わってしまうから、本気で忘れようと思ったら物理的な距離をとって離れるしかない。このままずるずると関係を続ければいずれ自分の持つ醜い感情のどこかが彼やその周囲の人に悪い影響を与えてしまうのでは、なんて被害妄想すらも頭を過ってしまう。好きだからこそ、それだけは避けたかった。



 隊員達だけでなくモンスタースイーパーなど外部企業と連携し後処理もすべて終えた頃には、すっかり太陽が真上に近付いていた。ここ最近眠りが浅かったこともあって頭がくらくらする。自室に戻ると気が抜けたのか、ベッドにもたれ掛かるようにしてカーペットにがくりと膝をついた。戦闘員の彼らほどではないけどオペレーターだってコンディションは大切で、だからきちんとベッドで休まなければと思うのに、倦怠感と重い瞼に抗えない。

 目を閉じる寸前、ローテーブルの上にある第一部隊への異動希望の文書が視界の端に映った。異動希望の提出期限が迫る中でずっと迷って、承諾する旨を記入したまま暫く置いていたけれど、いよいよ決断しなければいけない。日付で言えば今日が締め切りのはずだから、今晩にでも記入して送信すれば間に合うはず。次に目が覚めた時の自分にそれらを託しながら、ベッドに凭れかかったまま意識を手放した。

 


 目を覚ましたらまず見えたのは天井、そして感じたのは背中で受け止めているマットレスや頭の下の枕の感触。結局無意識にベッドに潜り込めたのかと思っていると、「起きたん?」と聞こえるはずもない声がしたので思わずがばりと体を起こした。

「……は、ぇ、宗四郎……?」
「おはよ。言うてももう夕方の4時やけどな」

 パタンと本を閉じた宗四郎は立ち上がって、ベッドに座ったまま固まっている私にゆっくりと近付く。ぼーっとする頭では、私の部屋の一人用のソファに座って本を読んでいたらしい、ということしか分からない。なんで部屋に宗四郎がいるのか少しも理解できず、ただ見上げることしかできない。

「昨日、いやもう日付変わって今日か。用事あったからメッセージ送ってんけど返事ないし、もう寝たんかなぁ思いながら部屋行ったらドアちょっと開いて電気ついててん」
「……あー……」
「不用心やな思てノックしたけど応答ないから、もしかして倒れてんちゃうかと思って部屋入ったらホンマに倒れとって意識もあらへんし」
「……はは」
「見つけた時、ホンマにヤバいんちゃうかと思って焦って一瞬脈測ってもたわ。まあ寝落ちしとるだけやて分かったから、とりあえずベッドに寝かしたってんけど」
「ごめん……」

 宗四郎はいつも表情には出ないけどきっと疲れているだろうに、わたしなんかのことで手を煩わせてしまったことが申し訳ない。色々ぐちゃぐちゃな感情を誤魔化すために苦笑いするしかない自分が情けなくて思わず謝ると、少しの沈黙の後にベッドがぎしりと軋んだ。宗四郎が私のベッドに腰を下ろして、ほど近い距離で目線が合う。

「なぁ。なんかあったやろ」

 問いかけているのに疑問符もつかず確信を得ているようなこの話し方は、過去に何度かされたことがある。ただその時は優しい雰囲気だったような記憶があるけれど、今の宗四郎は何を考えているのか分からなくて思わず目を逸らした。

「ちょっとだけ、疲れ溜まっちゃっただけ」
「そんだけか?」
「そうだよ」
「……僕、何かした?」
「何も、してないよ」

 何もされないから不安だなんて、忙しい彼に言えるはずがない。そして例えば何かしたと答えたとして、亜白隊長じゃなくて私を優先して欲しいなんて白状できるほど無神経にはなれない。私は大概馬鹿だと自負しているけど、そんな私ですら言えるわけがないことだ。副隊長が隊長を隣で支えることは当たり前だし、誰を想おうとその人の勝手なんだから。

「じゃあコレ、何?」
「………あ、」
 
 宗四郎がテーブルに手を伸ばして、置きっぱなしにしていた異動希望書を摘み上げ、ひらりと私の眼前に突きつけた。バレた、という心境が思わず声に漏れたのがいけなかったのか、より一層纏う雰囲気が鋭くなった。

「僕、聞いてへんけど」
「……リーダーには、相談した」
「リーダーて小此木ちゃんか。あの子大概口硬いもんなぁ」

 気まずさに俯いていると、紙が擦れる音がしてから「よりにもよって第一かい」と拗ねたような声がした。異動希望の部隊を何処にするかと考えた時にあまりにも距離が遠くなるのは不安で、とりあえず第一部隊と書いた気がするので、きっとその欄を見てのことだろう。
 さっきまでの重たい雰囲気がほんの少し霧散していく。きっと敢えて声色を明るくしてくれたんだろうなと思う。少し肩の力は抜けたけれど、黙って離れようとしていた事実が微かに喉に酸素を詰まらせるような心地だ。

「僕、第1の奴らに嫌われとるから、フラッと会いに行くことも出来へんやん」
「ふふ、会いに来てくれるの?」
「当たり前やろ」
「……そっか」

 当たり前。恋人同士だから? もし別れて恋人じゃなくなったら、ただの別部隊のオペレーターになったらもう会うこともないんだろうなって、そんなW当たり前Wのことを少し寂しく思う自分が嫌になる。

「宗四郎、あのさ」
「別れへん」
「……え、」
「嫌や」

 宗四郎の顔が近付いて唇が触れる。頭を抑えられているわけでもなく腰を抱かれているわけでもない。ただ私の手に宗四郎の手が重ねられていて、掬い上げるようにキスをされているだけ。舌を合わせるでもなくただくっつけられているだけのそれに、泣きそうになるのはどうしてだろう。
 ああ、言いたくない。言いたくなかった。言ったらきっと、言わなきゃ良かったって後悔する。だけど込み上げる涙を堪えることも、言葉を飲み込むこともできそうにない。

「……なんで」
「え?」
「じゃあなんで、触ってくれないの?」

 宗四郎が息を呑んだのを空気で感じた。もともと、異動がバレたら別れ話を切り出すつもりだった。私が告白をしたから流れで付き合ってくれただけで、だからこんな時だってこんな優しいだけのキスまでで。

「もう、やだ」
「………ナマエ」
「付き合ってくれたのに、めんどくさくてごめん」
「………」
「別れたい」

 声が震える。それでも一緒にいられるならと思って我慢してきたけど、結局何をしたって彼の一番になったり、亜白隊長みたいに彼の隣に立てない。

「宗四郎は私のこと、別に好きじゃないでしょ」

 肯定されたらそれこそ馬鹿みたいに勝手に傷つくくせに、わざわざ自分の言葉でその状況を作るなんてきっと合理的な彼からしたら愚かなことだと感じるだろう。

 だけど、彼にとっては怪獣殲滅が一番の使命。つまりこの第3部隊が一番大事。だから、亜白隊長のことが一番大切。そんな彼を好きになったし応援したかった。でも出来なかった。包容力のある女性なら全部受け止めて隣にいられたかもしれないけど私には無理だった。きっと今の言葉でそれに気付かれたから、告白した時のように「分かった、ええよ。今までありがとうな」なんて台詞が返ってくると思ったのに。

「————あ?」

 私の言葉に対する短い返答は私の予想と違っていて、あまり怒りの感情を表に出さず飄々としている彼のその低い声が肌にも鼓膜にも波打って、布団を握りしめる自分の手を見つめていたのに思わず顔を上げた。その目を表情を感情を、ただ少し覗くだけのつもりだった。

「ん……ッ!?」

 目も表情も感情も分からないまま、顔を上げたと同時に唇が塞がれる。さっきと違うのはベッドに押し倒されてのしかかるようにキスをされていること、腕が両方ともベッドに押し付けられて抵抗しようにも身動きがとれないこと、そしていきなり舌が唇を割って侵入してきて、私の舌や歯や口蓋を蹂躙していること。

 くちゅ、ぴちゃ、と生々しい水音が頭に響くのと酸素がうまく取り込めないのとで頭がぼーっとする。時々角度を変えるのに唇が離れるけれど、息を吸いたくて彼の舌を招くように口を開いてしまってまた塞がれる。

「んん、……はぁ……っ」
「想像しとった何倍も、可愛えぇしやらしいなぁ」
「……え、宗四郎、あの」
「なあ。誰が、誰を、好きやないって?」

 腕が拘束されこちらに圧をかけたまま、「僕聞こえへんかったからもう一回言うてや」と白々しいことを告げる彼の怒りは初めて見るもので底が知れない。恐怖というより混乱が勝ち、返事ができずにただ見上げた。いつもは穏やかに細められた目元は赤い瞳が覗いていて、彼に睨まれた怪獣の心地が少し分かったような気がした。

「酔っ払って告白されてあっさり彼氏になれてもたから、あんまりがっついて体目当てやと思われんように我慢しとってんけどなぁ」
「へ……」
「まぁ、そんなん言わな分からへんか。そこは僕も反省や」
「宗四郎、」
「さっきのん怖なかったか? ごめんなぁ」

 宗四郎の頭が私の首元に埋められた。熱っぽい吐息を耳のすぐ近くで感じて心臓が脈を急く。
 気遣って謝罪して、その割に宗四郎は私の上から退かない。私はと言えばようやく酸素が足りてきて、さっきのキスの感触だのなんだのを思い出してしまって顔が熱い。1秒でも速く離れたいと思う。だけど今の宗四郎の感情が読めなくて、ただ何か地雷を踏んだのかもしれないというこの状況でそれをどう伝えるか悩んでいると、首にチクリとした痛みがあった。

「この部屋な、鍵かけといてん。で、隣部屋のオペの子は今日は休みやろ」
「ま、待って、宗四郎」
「僕、待たせすぎて振られそうになってんねんけど」
「私のこと、好きなの……?」
「…………は?」

 瞳孔が開かれて赤い瞳がまん丸になって私を見る。虹彩すらも見えそうなほどじっと見つめられたのち、背後に獣の気配を背負ったような圧を隠さずににこりと笑った。前門の虎と後門の狼とはよく例えたものだと思う。今の彼からはそれほど剥き出しの激情を感じるから。

「好きや」
「……ぁ、えっ、ほんとに……?」
「心配せんでもほんまやし、今から何回でも言うたるわ」

 せやから早よ触らして。
 その言葉を合図にもう一度唇が重なった。抑えられていた手は自由に動かせるようになっていて、思わずその背にしがみついた。キスの合間に「すき」と呟けば、ぎゅうっと抱きしめられて「僕も好きや」と掠れた声がして、服の上からお腹や腰をなぞられる。

 ずっと触れたかったし、触れて欲しかった。好きと言いたかったし、言ってほしかった。
 特別な存在が居たってよかった。誰にも内緒にしてても、ただ本当に宗四郎の彼女なんだと自信が持てるほど愛されていられるなら。



「……ほんまに好きや。愛しとる。やから好きやないとか別れるとか言うたん、撤回してや」

 何度か果てて思考がうやむやになって溺れていく中、意識を手放す寸前にそんな言葉が聞こえた。ずっと強気だった筈の恋人の、随分と弱々しくて縋るような声だった。

 どうやら私は、彼に心底愛されていたらしい。
 



▽▲▽▲▽




「いきなり別れるとか、言ってごめん」

 何度も求めて繋がって何度も絶頂に上り詰めた彼女はやがて眠ってしまい、そのあどけない寝顔を見ながら、際限のない幸福と無理をさせた後悔とを噛み締めた。同意してくれたもののムードも碌に作れずことに及んだことに対してどう謝ろうかと思っていたら、1時間もしないうちに目が覚めた彼女は、申し訳なさそうに眉を下げてそう言った。

 行為に至るまでの経緯の、その言葉の一つについて言っているのだと判断するのに少し時間を要した。

 なにせ昔から怪獣討伐のための修行にこそ明け暮れて色々な技を磨いてはきたが、恋愛のテクニックなどはまるで知らない。一応童貞では無いが経験の必要性をなんとなく感じて適当に通り過ぎたというだけで、ずっと焦がれて漸く抱けた恋人の服を着せてやるなどという高等なことができるほど手慣れてはいないので、何が言いたいかと言うと布団に隠された彼女は生まれたままの姿なのだ。それを頭の隅に追いやらなければまともな思考など働かない。

 その言葉はつまり、自分とは別れないという意味だろう。彼女の言葉のトーンと淡く色づいた頬や穏やかな表情からそう結論づけた。もしそうでなくても強引にそう持っていく気でしか無いが。

「でもあの、それでも異動は考えてて」
「は?」

 この一連の会話だけで何度この声が漏れたか分からない。威圧するつもりは本当に無い。無いけれど、彼女のことを手放す気などさらさら無くずっと機会を窺っていた自分の心情を、彼女の自分に対する考えや言動があまりにも軽んじているのではと思ってしまうので、つい取り繕う暇もなく言葉が漏れる。

「……なんで? 君は僕と離れてもええの?」

 どうにか冷静になって出来る限り甘えた声を出してみる。彼女は元々防衛隊員を目指していたこともあり気が弱い訳では無いが、決して押しに強いタイプでは無いということは知っている。それでも彼女には常に格好良く思われていたいのでこんな風につけ込む真似は自分の中の恋人像に反するが、彼女の異動を阻止する重大な任務に比べれば些細なことだ。

 彼女が第1部隊に異動した場合、おいそれと会いには行けない。自分の部隊が回るようにした上でというのは大前提だが、別に他の部隊にアポ無しで訪問すること自体は禁止されている訳ではないけれど、彼女に話した通り、第1部隊とこちらの関係は特別なのだ。用事があって事前に申請して許可を得なければ、門前払いは本当にあり得る。長居はできないし二人きりなどは実現不可能と言っても不思議ではない。

 会えないからと言って彼女を忘れたり他の女に惹かれたりということはまず無い。だけど彼女はどうだろうか? もちろん信じていない訳では無いが、悩んだ末とは言え一度ははっきりと別れを切り出された身としては不安は尽きない。

 そして彼女には言っていないし言ったところで社交辞令か何かだと受け取られそうだが、彼女は密かに男性隊員から人気がある。関係を秘密にしてくれと言われた時に快く承諾したが、僕と彼女が付き合っていることは歴のそこそこ長い隊員は全員知っている。絶対にそれを勘付かれるなと脅し———いや約束させているので彼女だけは知らないままだ。
 そして新人にはまだ言うなと各小隊長に言ってあるので彼らは知らないが、ヒヨコだって何だって男も女も年齢関係なく油断ならないので、その内解らせる気でいる。

 そうやって牽制してきたこの部隊ですら完璧に安心はしていないのに、第1部隊に行く? 冗談じゃない。怪獣を倒すこと以外てんでマイペースな鳴海隊長しかり、遠ざけたい人間は山ほどいる。親子ほど歳の離れた幹部以外、彼女に関わる全ての人間に彼女は僕のものだと伝えたいのに、手が出しづらい第1部隊などあり得ない。だが基地が遠方にある他の部隊に行くのもあり得ないので結局許すわけにはいかない。

 なんとか異動の申し出を撤回させるために彼女の気持ちを聞き出してみると、彼女は言い出しにくそうに視線を彷徨わせた後、口を開いた。

「亜白隊長の隣は譲らないって、言ってた」
「……亜白隊長?」
「隊長と一緒に居るのを見ると、不安になる。そういう嫌な気持ちになる自分が嫌だから」

 想像していたのと違う角度で答えが返ってきたのでつい鸚鵡返しで精一杯になる。不安になる。嫌な気持ちになる。それはつまり、亜白隊長に嫉妬しているということ。隊長へ恋愛的な気持ちは抱いていないが、彼女にはそうは思えなかったらしい。もしくはそう思っていても受け流せなかったかのどちらか。

 もしかしたら自分の好きという気持ちと彼女のそれとは、随分と重さや大きさが違うんじゃないかと思っていた。なんとなく好意を寄せているというレベルの彼女に対して、一言で言えば誰にも見せたくないと言っても過言ではない僕のこの愛情は彼女にとってはただ重すぎるだけかもしれない。そう思っていた僕にとって、彼女には申し訳ないが妬いてくれたことはとてつもない幸福であるし、それなら余計に近くにいて彼女以外には興味がないということを知ってもらいたい。

 というかそれにしても、亜白隊長の側にいたのが裏目に出るとは。

「君が最近いっつも亜白隊長のこと熱心に見よるから、隊長に取られへんようになるべく一緒におっただけなんやけど」
「………え、私が?」
「段々アホみたいに他人行儀なったから焦っててんけど、僕が亜白隊長と居るんが嫌やったん? どんだけ可愛いん自分」

 最後の一言は内に秘めておくつもりだった心の声まで漏れたが彼女がじわじわと頬を染めているのでまあ良しとする。負担を強いてしまったことによる気怠げな雰囲気に加えて情事を思い起こさせる表情に思わず触れたくなったが、流石にここは我慢しなければならない。

「亜白隊長に聞いてもええよ。僕がしつこく惚気とったんも聞いてもろてたし」
「……え、隊長に言ってたの……!?」
「あ」

 彼女は頭まで布団を被ってしまってその仕草も大変可愛らしかったけれど、皆に知られていることを白状すると「恥ずかしいからやっぱり異動する」と言われてしまったので、出動の呼び出しが入るまでこの押し問答は続いた。




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