危ないところを助けてくれた。
 身寄りのない私に居場所をくれた。
 危険が降りかかった時に護ってくれた。
 拙い手際で作った私の料理を食べて「悪くない」と言って微笑んでくれた。

 ミホーク様は数えればきりがないほどのきっかけを私に与えてくださったし、これからもきっとそうだろう。彼しか側にいないという今の環境もきっとあるだろうけど、それにしたって素敵な男性なのだ。部屋は分かれているとはいえ同じ住居に住まわせてもらって、優しくされて時々世話を焼かれて、異性として意識しない方が無理だった。

 けれど、一回り年の離れた私に彼がどうこう思う事はないということは分かっていた。昼に酒を飲むから付き合えと言われたことはあれど、夜に部屋へと招かれたことは無い。たとえば七武海の招集に言って数日帰ってこない日もあって、そういう時は華やかな女性が身につける香水のような良い香りを纏ってくることもある。きっと、そういうお店にだって行っているのだろう。

 私じゃ駄目ですか、なんて言葉は一生かかっても告げられそうにない。断られたらその後どうやって共に過ごせば良いか分からないし、そもそもそういう身の程を弁えられない女はお嫌いかもしれない。

 嫌われることに比べれば、どうこうなりたいとは思わなかった。だって私は此処には住まわせていただいているだけだから、この方が出て行けと言えば当然、出て行かないといけない。行く当てが無いことよりも、この方と離れなければならないことの方が何倍も怖かった。

 彼の世間の評判を知れば知るほど、接点を持てたのかが不思議なほどに住む世界が違う人だ。一度でもお別れをしたらきっともう二度と会えない。女々しいと分かってはいるけれど、それだけはどうしても耐えられそうになかった。





 ある日、ミホーク様がご不在の間にこの城に女の子がやってきた。20代半ばくらいの可愛い子だった。ペローナちゃんと言うらしい。その可愛いお顔からすると少し男勝りな言葉遣いだったが、甘いテイストの服とのギャップが男心をくすぐりそうだ。
 話を聞けばどうやら誰かの能力? でこの島に飛ばされたらしい。自分も能力者だと明かした彼女は怖くないのかと聞かれ、怖くないと言えば訝しげだった。

「もうちょっと警戒心持てよ。そんなんじゃすぐ死ぬんだからな!」

 と、そんなような言葉を貰ったので、どうやら少し天邪鬼な優しい女の子らしい。行くところがないということなので、この城の主の許可さえ出れば部屋はいくつかあると教えた。
 とりあえず飲み物を出してあげるとそれが気に入ったようで、刺々しい雰囲気が柔らかくなった。どうやら少し懐かれたらしい。随分あっさりと私が用意したものを飲むので警戒心云々の話を逆に持ち出してみたが「弱くてお人好しだろうからそんなもん考えるだけ無駄じゃねーか」と笑われた。お人好しは分からないけど弱いのは本当なので何も言えなかった。

 やがてミホーク様がご帰宅されたので出迎えると、暇だからと外へ散歩(といっても歩かずに浮かんでいるらしいけど)に行っていたペローナちゃんが戻ってきた。私がペローナちゃんの事情を話せば、少し考えたのち溜息を吐いて「好きにしろ」とミホーク様は了承した。
 そのあと、ペローナちゃんがミホーク様の耳元で何かを話していたが私にはよく聞こえなかった。ただ、私とミホーク様とでは身長差があってあんな風に近くでお話することはできないから、ふわふわと浮かべる彼女が少しだけ羨ましかった。

 ペローナちゃんは私とミホーク様との生活に新しい風を吹き込んでくれた。気兼ねなくミホーク様と会話を交わすその様子にも羨望を覚えたものの、ミホーク様と二人きりの時には彼のことばかり考えて辛い事もあったから、会話をする相手が増えて単純に気が紛れた。






 そうして暫く経った頃、ペローナちゃんよりも更に年下だろう男の子がやってきた。ミホーク様もペローナちゃんもその子を知っていたようで、世間のニュースに疎い私は蚊帳の外だったけれど、海賊の一味でロロノア・ゾロという剣士なのだとペローナちゃんが教えてくれた。ミホーク様に認識されているなんてきっと強い子なんだろうなと思った。

 暫くすると、彼が弟子になったと聞かされた。なんでも、ミホーク様を超えて世界一の大剣豪になりたいからと土下座したらしい。超えたい相手にその旨を伝えた上で教えを乞うというのは少し特殊な気もするけれど、ミホーク様が気に入ったのならきっとそれでいいのだろう。

 彼は毎日毎日酷く傷だらけになるので手当てを申し出た。ミホーク様は怪我をすることは滅多にないのでこれまで私が基本的にこの城で役に立てることは家事だけだったけれど、一応簡単な処置ぐらいはできる。人が増えたのだからそれだけ必要としてもらえるよう、少しでも役に立ちたかった。

 手当てする時間に何気なくゾロ(そう呼べと本人に言われた)と話すようになり、彼とミホーク様が初めて出会った時のことなんかも聞いた。ミホーク様に切られたという傷の話は聞くだけで痛そうだったので正直にそう言えば、彼はそこで初めて年相応の笑顔を見せたような気がした。「鷹の目に仕えてるとは思えない」ということらしい。平和ボケしているという意味合いだそうだ。

「……なあ。アンタは鷹の目の、嫁か何かか?」

 少し打ち解けた頃にゾロが随分と改まってそう言うので、それこそつい笑ってしまった。「ただの居候で使用人だよ」と答えると、納得したようなしていないような、どっちつかずの反応が寄越されたのみだった。






 そうして城が以前より賑やかになったある日の夜、ミホーク様に呼び止められて「晩酌に付き合え」と言われた。他意は無いとしても夜に男の人の部屋へ行くのは少し緊張したけれど、相手が何とも思っていないのにそんな風なことを考えるなんて不純だ。すぐに了承の返事をして、ミホーク様の好きな赤ワインに合うつまみを簡単に拵える。

「ロロノアと気が合うようだな」
「え?」

 特にこれといった明確な話題も無い中、脈絡に欠けるタイミングでミホーク様が言った言葉に、つい間抜けな声が出た。

「短期間で随分と気易い仲になったものだ」
「えっと、そうですね。思ったより話しやすい子だった、ので……?」
「……そうか」

 ミホーク様はそれだけ言うと、また黙ってワインを飲み始めた。意図が読めないままになんとなくその沈黙が気まずくて、私も注がれるままにワイングラスを傾けていく。
 ミホーク様の好まれるお酒をあまりたくさん飲んだことは今まで無かった。口当たりはあっさりとしていて飲みやすいものが多いが、ラベルを見るととんでもない度数の高さであることが多いから。

 だから普段はセーブしていたのに、今日はミホーク様のグラスが空いたら注ぐ傍らで私のグラスが空いては、手ずからにまた同じだけ注がれてを繰り返してしまった。やがてふわふわと心地よいままに眠気が意識を攫っていくのを他人事のように感じていた。





 眠りから覚めるとなんとなくいつもより温かい気がして、その心地よい温もりに離れ難くなりながらも薄らと目を開けた。

「起きたか」
「───は……?」

 ピントが合わないほどすぐ近くに肌色が見えて、それがミホーク様の逞しい胸筋と分かった瞬間に思わず息が止まった。その光景と声の主がすぐ側にいることが掛け合わされ、自分の腰に回されているその腕の重みにも気付いてしまった。自分のすぐ目の前にあるその人と目が合って顔に熱が集まる。いや、そんな程度のものじゃない。爆発するんじゃないかってぐらい頭ぜんぶが熱い。

「っ、ご、めんなさい……っ!!」

 温かさに甘んじてなんなら二度寝しようとしていた自分を殴りたい。がばりと起き上がった私にミホーク様は不思議そうな顔をして「何故主が謝る」とこれまた不思議そうに言った。

「飲ませすぎたようだ。すまなかった」
「えっ、いえそんな、私がっ」
「眠ったので此処まで運んだのだが、主がおれの服を掴んでいたのでな。とはいえ、年頃の娘の寝床に潜り込むなどあまり良いことではなかった。……おれも少し、酔っていたようだ」
「い、いえ……本当に申し訳ありません……」

 言われてから気付いたけれど此処は私の部屋だった。私のベッドで朝まで共にしてしまったというのか。しかも私が服を掴んだまま離さなかったらしい。それではまるで添い寝を強請る子どもみたいだ。

 ミホーク様はきっと私の幼稚さに呆れただろう。でも子どもだと思ってくれたお陰で助かったかもしれない。ますますこの気持ちをミホーク様にばれる訳にはいかなくなったけれど、一先ずこの場は妹の我儘を聞いてくれた兄、もしくは娘に対する父親のような感覚だと信じたい。

「朝ごはんの準備、してきますね」

 自分でそう考えたのちに自分で凹むのも自覚済みだ。本当はひとりの女性として見てほしい。だけどそれが駄目なら、たとえ手のかかる妹や娘だと思われていようが側にいたいから仕方ない。とにかく、この欲深さが彼に届かないことを願うばかりだ。

 冷めやらぬ顔の熱をやり過ごしながらベッドから降りようとした時。いつの間にか掴まれていたらしい手首を引っぱられる感覚に、思わず後ろを振り返った。

「……ミホーク様?」
「………」
「あの、どうかされましたか……?」
「……いや。おれも部屋に戻ろう」
「あ、はい。あの、介抱していただいてありがとうございました」

 そういえばきちんとお礼を言っていなかったことに気付いてそう言えば、ミホーク様は一瞬目配せをしたのち、ご自分の部屋へと戻られた。何度か深呼吸して脈拍を落ち着かせてから冷たい水で顔を洗えば、少し頭が冷えた気がした。






















「……何をしているのだ、おれは」

 ミホーク様が自分の掌を見つめてそんな風に呟いていたことなど、私には知る由も無かった。




list

TOP