※さらっと救済
※なんでも許せる方のみどうぞ














 後から思い返してみれば、それは他の海賊との戦いの最中の出来事だったように思う。頭に強い衝撃があって、私は多分そのまま倒れた。倒れた時にはそういえばそれほど痛みは無かった気がするので、自分で見事に受け身を取ったか誰かが支えてくれたのだと思う。



 そうして目を覚ますと知らない天井だった。
 ただ、見覚えのない白い天井でどうやら入院していて……などというお決まりの展開ではなかったけれど。

「……! 目を覚ましたのか。何日も寝こけやがって……」

 目を覚ますと男の人の声がした。まず視界に入ったのは鋭く見える目つきと目の下の隈。次いで胸に刻まれたタトゥー。よく見たら腕なんかにも入っていてなかなかヤンチャだ。というかそのタトゥー、まるであの『死の外科医』みたい。

「……は」

 目の前の男がW誰かWというのは0.02秒で理解してしまったけれど、その後の処理が追いつかなくてその声にもうまく反応できなかった。自分の目の前にいるということ自体があまりにも現実的ではない人物だったから。

「敵からの攻撃を避けた仲間にぶつかって頭を打ったんだ。バイタルは安定していたが3日間目覚めなかった」
「………」
「気分はどうだ。痛むところはあるか」
「………」
「……おい。おれが分かるか?」

 分かる。ものすごく分かるし、誕生日から出身地、好きな食べ物や嫌いな食べ物、そしてイメージカラーならぬイメージ動物や最新の人気投票の結果だって知っている。……いや、もしこれが現実でこの人がW本人Wだとしたら最後の二つはまずい。記憶力の良いデータ思考なオタクの危険なところが早速発揮されるところだった。

 そんなことより、そろそろ返事をしないとどんどん目の前の男の顔が険しくなっている。顔が整っているだけに、その内ぶん殴られるのではと思うほどに怖い。漫画で読んだ時にはイケメンだなと呑気に思っていたけれど実際目にするとなかなかにいかつい。
 今は椅子に座っているので目線は近いけれど、確かトラファルガー・ローの身長は191cm。前世では稀な長身もワンピースの世界では中の中くらいなのだから恐ろしい。ああまた脱線した。

 質問はなんだっけ? Wおれが分かるかW?
 某海賊漫画を読んでいない人ですら名前を聞いたことがあるって人も多いほどの人気キャラクターぶりなのだから当然、知っている。

「えっと、トラファルガー・ロー、さん……?」
「…………は?」

 絶対に間違いなく合っているはずのその名前をきちんとフルネームで告げてから敬称まで付けたのに、死の外科医たるその人はぽかんと口を開けて驚いていた。今の顔に関しては少し幼く見えるかもしれない。眉間の皺も一瞬なくなった。

 と、この男を漫画の世界の住人として認識していた頃の記憶が蘇って正気に戻った私は思い出した。今この世界に確かに存在している自分が、今までトラファルガー・ローに何をしていたかを。


 ──ロー、好きだよ。

 ──今日も格好いいね。愛してる!

 ──大好きだよ。私、ローに出会えて本当に良かった。


「〜〜〜〜〜!!!」

 思い出したと同時に感じる、とてつもない羞恥と罪悪感。頭を抱えて俯いても中和されることのない後悔が私を襲う。

「ッおい、どうした。頭が痛むのか?」
「ご、ごめんなさい……」
「あぁ? 何を謝ることがある」

 何を、と言われると全部である。とにかく全部に謝りたかった。

「今まで本当に、ご迷惑をおかけしました! 好きとか愛してるとかそんな鬱陶しいこと、金輪際言いませんから……!!!」
「……は……?」

 そう。記憶が戻るまでの私は毎日のようにこの死の外科医に愛の言葉を伝えていた。にこにこと愛想を振り撒き恥ずかしげもなく好きだなんだと言う自分を思い出したと同時に、そんな自分を軽くあしらうローの姿も思い出した。

 全く脈がなく冷たくされていたにも関わらず告白し続けるなんて、我ながらとんでもない女である。恋は盲目というけれど、仮にも好きな人が本気で鬱陶しいと思っていることに今の今まで気付けないなんて。

 私の言葉を聞いて、ローはぽかんとして言葉を失っている。まあ私の変わり様を目の当たりにすればそれもやむ無しだ。その後なんとも言えない顔になったのが何故かは分からなかったけれど、もともとろくでもない女だったのが訳の分からないことを言ったのだ。不審に思うのも仕方ないことだと思う。
 









 ここで少しだけ、元いた世界(一応は前世ということにする)の私の話をしよう。そちらの人生が終わっているとしたらその最期は正直あまり覚えていないけれど、事故などに遭った記憶はないし事件に巻き込まれたり自殺なんかをしたりした覚えもない。
 思い当たるのは過労死というブラックな3文字くらいだ。それも定かではないけれど、20連勤という自分史上最長最悪の就労状況だったような気がする。むしろ記憶を手繰り寄せていくとマンションの階段を登っている時に立ちくらみをしたところまで思い出した。絶対にそれだ。休みって大切だ……。

 医療現場は拘束時間は長くても休みはそこそこきちんと取れる場合が多いのに、その時は所謂ウイルスの世界的な蔓延で全てが手一杯だった。誰が悪い訳でもない。だからこそシンプルに未練でも残ってしまってこんなことになったんだろうか。

 そんな私の最推しは、このローを救って「愛してる」と言ってこの世を去ったあの人だった。
 ちなみに別にトラファルガー・ローに興味がない訳じゃない。ハートの海賊団は箱推しなので船員同士のやり取りなんかが尊いから好きだ。ベポとローとかの絡みは特に好き。





 とにかくそんな感じで前世の記憶(というのか何なのか分からないけれどとにかく元の記憶)を思い出し、途轍もない羞恥と後悔に見舞われて頭をかかえ謝罪した私のことを、それから暫く経ってもトラファルガー・ローは眉間に皺を寄せてじとりと睨んでいた。

 今まで散々追いかけてきた女が急に平謝りしたので気味が悪いんだろう。本当にストレスの原因になって申し訳ない。これからは適切な船長と船員の距離で接することを誓うから許してほしい。

 前世の記憶のせいで脳内の思考が押し流されていたけれど、この世界における『私』はハートの海賊団として航海をしていた。その筈だけど、前世で漫画として読んでいた知識を思い出してしまったせいで記憶がごちゃごちゃになっていて、何か大切なことを忘れているような気がする。

 さっきのローのことをフルネーム+敬称付きで呼んでしまったせいで記憶やら何やらを疑われ、船員にそれぞれ会わされてハートの海賊団の存在を改めて感じた。その上でなんとなく感じる違和感。

「ッうわ、ドジった!」

 それが何か分からないまま頭を悩ませていると、少し遠くから何かに驚き慌てる男の人の声。

 ──その声、その台詞。ものすごく聴き覚えがある。いや、今の『私』は聴き慣れてすらいる気がする。鼻先にかすかに触れる、何かが焦げる匂いも。

 でも、まさか。前世の私はW彼が居ないW現実を知っているしその事実を知っているから信じられない。このトラファルガー・ローがとっくに成人を迎えているこの年齢なのだ。W彼Wはローを守って死んだのだから、ここに居る訳がない。そう思うのに、この世界の『私』がそれを否定する。

「ったく、あの人は……。おいベポ! 消火してこい!」
「アイアイキャプテン!」

 漫画として読んでいた時に想像していたより100倍ふわふわもこもこしていた喋る白くまのベポが、アニメ通りの良い返事をして扉を開けて出て行った。特に火種になるものは無さそうなところでのW消火Wという言葉にも原作の彼の姿を思い浮かべてしまう。煙草を吸うとすぐ自身に燃え移らせて小火を起こしてしまっていた姿を。

 少しして再びそこが開いたと思ったら、体の一部を水に濡らしたままに、頭を屈めて扉を潜るようにして部屋へ入ってきた人物。私の呼吸が止まった。

「お! 良かった、目が覚めたのか……!」
「……コラ、さん……?」

 私を見てホッとした顔で笑うその人の名前を呼んだのは無意識だった。この世界の彼らについて自分が知り過ぎていることは分かっていたし、だからこそ彼らと話す時は言っていい情報と言ってはいけない情報とをしっかり考えてから発言しようと心に決めていたのに。
 目から大量の涙が溢れるという経験は初めてだったかもしれない。周りの船員がぎょっと驚いている様子を感じ取ってはいるけれど、だからといって止められない。

 あのピエロメイクでは無い姿で、ハートモチーフやふわふわのコートではなくかといって海軍の制服でもない私服のような姿。それが少し見慣れないものの、その顔と身長と声で判断するに間違いなくドンキホーテ・ロシナンテだった。

 未だにこの世界が夢という感覚を捨てきれていない私だったけど、この時ばかりはこれが現実だったらいいと思った。この人の辿る筈だった結末を改めて思い出し、海賊団の船長となったローと彼が並んで立っている今の現実を目の当たりにしてしまっては、涙は止まるはずもない。

「……っう゛、コラさ、っひく、生きてる゛ぅ……」
「え、え? おいロー、どうしたんだこれ!?」

 大人になればまず号泣する機会なんてそうそう無い。それが人前でなんて穴があったら入りたい案件だけどとにかく涙を止める方法もなく俯くことしかできず、そして下しか向けないのでこの場から逃げ出せもしない。

「そんなに泣いたら目が腫れちまう」
「ひぇ」
「ほら、オレはちゃんと生きてる。まずは泣き止んでくれよ。な?」

 さっきまで、その人のとても良い声が随分と上の方から降っているとは感じていた。私の知る限りその人の身長は293cmで、私の元いた世界ではまずあり得ない長身だ。もはや壁に等しい。
 なのにそれが途端に近付いて、そしてあやすような優しい声でそんなことを言うのだから、愛しさと尊さと一周回って湧いてきた心苦しさとがキャパオーバーして悲鳴のような声が出た。
 彼はもしかして馬鹿みたいに泣く私のためにしゃがみ込んだのではないかと思うと目も開けられないままに気配だけ感じてしまい、もうどうしたらいいか分からなかった。叫ばなかっただけ偉いと思う。

 いっそ開き直ったことを言わせていただくと、私の反応はとても頑張った方であるということだ。それもそのはず、享年26歳という若さでこの世を去った筈のキャラクターが生きているなんていう突然の供給に、簡単に耐えられる人間なんてそうそういるはず筈がない。今なんとか意識を保っているものの正直吐きそうである。

 顔を見て泣いて挙句の果てに吐くなんて、失礼にも程があるし人間として失うものが多すぎるのでどうにか耐えたいところだけど、私が泣いたことに目の前の大男(私の中でものすごくカワイイ認定されてしまっているドジっ子な人)がいまだ少なからず狼狽えているような声と気配がするのも解釈が一致しすぎてしんどい。

 夢小説の読み過ぎが祟って幻聴を聴いて幻覚を見ているんだ。きっとそうだ。そういうことにしないと、生命活動に支障をきたすのではと真剣に思った。



▽▲▽▲▽



「本当にすみません、取り乱してしまって……」

 結論から言うと、幻聴でも幻覚でもなかったのでそれはもう大変だった。
 コラさんが生きている&目の前で元気そうにしている&自分に話しかけているという3連コンボからの、至近距離での「目が腫れちまう(良い声)」+涙を拭おうとして私の頬に触れた指の感触(もはやあんまり覚えていないけど)+水もしたたる良い男(ドジで引火して消火を受けたのが原因だけど)というオーバーキルによって、立ったまま気を失いかけたらしい。
 それをベポちゃんがキャッチしてくれたようでその際に全身でもふもふを感じ、なんとか意識を取り戻した。もふもふって凄い……。

 泣いて気絶しかけるという大失態を犯した私のために人払いをしてくれたらしく、ここにいるのはコラさんとローだけだ。とにかく迷惑をかけお騒がせしたことを謝るために深々と頭を下げた。
 はっきり言って礼儀正しいとかそういうのではない。直視できないためだ。

「なかなか目覚まさねェから心配してたんだが、無事でよかった。体に異常も無いんだよな?」
「うぁ、は、はい……!」
「……なんかよそよそしくないか?」

 よそよそしいどころか直視できないので。とは言える筈もなく、私はとにかく押し黙って存在を消したいとしか考えられなった。声色から察するに、彼はきっと私の無事を喜んで笑っているのだろう。眩しい。重ねて言うが絶対に直視できない。

 そんな私に代わって、ローがコラさんに今の私の状況について説明してくれている。ただ、記憶喪失まがいの状態のはずなのに何故コラさんの時だけ何かを思い出してあんなにも泣いたのか、と目だけで訴えられているような視線を感じるけれど。

 そう。何を隠そうドンキホーテ・ロシナンテは私のW推しWだった。
 粗暴に振る舞う一面や実際に少しやり過ぎな場面だってあったけれど、不器用で優しい彼が大好きになってしまって、最期のシーンは思い出すだけでいつでも目に水の膜を作れる程度にはいまだに私に刺さっていた。

 彼に「愛してる」と言われ命懸けで守られたローを一瞬羨ましく思ったと同時に、大切な人が目の前で亡くなった辛さを想像してまた泣けてくる。
 なのでローのことももちろんキャラクターとして好きだけれど、推しとはまた違う種類のベクトルだ。

 さて、推しからの質問に顔が熱いのを俯いてどうにか誤魔化しつつなんとか答える、と言う奇妙なやり取りを数回繰り返して、推しと同じ空間で息をすることにも慣れてきた頃。我らが船長からの視線が痛い。
 これはもう見られているというより睨まれている感じかもしれない。 なんで? 普通に怖い。

 高身長ゆえの威圧感という意味ではコラさんの方が感じるはずなのに、ドジっ子という圧倒的な庇護欲かきたてオプションやお人好しオーラ、そして友好的な笑顔、何よりもW奇跡的に生きている推しWという分厚いフィルターのせいだろうか、この人には怖さはあまり感じない。

 対してローはクールで口数が少なく、無表情まではいかないものの決して表情豊かとも言えない。もちろん格好いいし海賊団の船長としてはそういうタイプの方がいい場合もあるかもしれないけど、ここでは恐怖にしかならない。好き好き言っていた鬱陶しい女相手だったとしても、病み上がりの船員には優しくしてほしい。

「……あの、トラファルガーさん」
「……気持ち悪い呼び方するな。ローでいい」
「(気持ち悪いって言われた…)」
「……なんだ」
「えと、ロー、さん。なんか怒ってます……?」
「………………別に、怒ってはいない」

 長すぎる沈黙を経ての怒ってWはWいないという回答。なるほど対戦ありがとうございました。
 不機嫌ではあるというお気持ち表明をいただき背中に嫌な汗をかいてしまった。もうどうしろって言うの。

 もしかして、今度はコラさんに近付く厄介な女と認定されたのか。おれの恩人にやたら優しくされやがってこの女、ということか。それに関しては申し訳ないけどやっぱり私にできることなんて限られていると思う。文句ならコラさんに言ってほしい。

「なんだ、今日はWいつものWは言わないのか?」
「え?」
「『ローは怒った顔も格好いいね』っていつも言ってただろ?」
「……………」

 な ん だ そ れ は……。恥ずか死ぬっていうのはきっとこういう時に使う表現なんだろう。しかも最推しに純粋な笑顔で言われるものだから余計に傷口が抉られる。ほらまた船長様のお顔が険しいことになってるから……!

「ほ、本当に今までごめんなさい。もう二度とそんなこと言わないから……!!!」

 誠意を見せようと思ってローと目を合わせてそう言ったら、余計に怖い顔で睨まれた。なんで? 今後一切言わないから許して!

















◯おまけの会話(withシャチ・ペンギン)

「どうしよう今日もローの機嫌が最高潮に悪い。挨拶しただけなのに睨まれた」
「いつもは『おはよう! 今日も大好き!』って言ってた(のにただの挨拶になった)から不機嫌なんじゃないか?」
「ギャーーーーーーー!! 好きとか愛してるとか身の程知らずなこと言ってた過去の自分を殴りたい!!」
「落ち着けって。いやまあ確かにキャプテンは迷惑そうに振る舞ってる時もあったけど……。でも」
「やっぱりそうだよね……!」
「え? いや、だからキャプテンは」
「ローさんみたいな人が私なんか相手にする訳ないし死ぬほど迷惑だったよね。あーもう消えたい……!」
「話聞けって。あのさ」
「なんかあの人の目の隈がだんだん酷くなってる気がするし絶対私がストレスの原因だよね。やっぱりこの船降りた方がいいかな。賞金首でもないしどこかの島で下ろしてもらえないか聞いてみる!」
「「(そんな言ったらキャプテンの機嫌が今よりもっと悪くなって他のクルーに被害が出るから)やめてくれ!!!!!」」




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