船を降りるべきかもしれない、なんて思ったことは一度や二度じゃない。弱い私が本当にこの船に居ていいのか、足手纏いなんじゃないか、ハートの一員としてもっと相応しい人がいるんじゃないか。

 私がこの船で担当しているのは誰でもできる簡単な料理や洗濯と医療補助だ。私個人は賞金首でもない訳だし、これからの航海やこの海賊団のことを考えれば早めに船を降りた方がいい気がした。

 だってもし万が一、私が人質に取られたりしたら? 無力な自分は本当にただ捕まることしかできない。キャプテンはなんだかんだ優しいからたとえ私みたいなお荷物であっても、もし捕まったら危険を冒してでも助けに来てしまうだろうから。

 一度ペンギンにそれを相談したら、馬鹿なことを考えるなと慌てた様子で反論された。別にそこまで変な考えでもない筈だけど、「賞金首にはなってなくてもハートの一員だって知られてる可能性もあるだろ」とペンギンは言う。ペンギンだけじゃなく、ハートの皆は割と心配性で過保護なところがある。とはいえその理論は一理あるけれど。

 自分の気持ちに正直になるなら、本当は降りたくない。だけど戦うことへの恐怖はどうしても拭えなくて、護身術程度は習ったけどその先へはなかなか進めないのだ。誰かを傷つけることを想像するとしんどくて、ナイフや銃は碌に扱えなかった。

 そんなお荷物な状態を自覚しながらも降りられないのは、命を拾ってもらったあの時から私はキャプテンのことが好きだから。本懐を遂げるまで前だけを見るキャプテンが恋愛なんかしている場合じゃないことは分かっているので伝えるつもりは無いけど。

 だから側に居たいのは本心だけど本当にここに居ていいのか分からなくて、ハートのことと自分のこととをどう折り合いを付ければ良いのか結論が出なかった時。キャプテンがペンギンだったかシャチだったか、とにかくクルーの誰かと話していた時に、その言葉は聞こえてきたのだ。


「……おれに惚れる女なんざ、仲間にする訳ねェだろう」


 ヒュッと喉に空気がつまるような感覚だった。話の経緯や文脈は分からないけど、とにかく間違いなくキャプテンはそう言っていたのだ。

 助けてくれたハートの皆と、何より私みたいな女を治療して命を救ってくれたキャプテンと一緒にいるためには、この気持ちを捨てないといけないということを知った。だけどすぐには捨てられないから、誰にも知られないようにしようと思った。今まで隠し通せてきたのだから、これからも大丈夫なはずだ。







「……買い物に付き合え」

 ある日キャプテンにそう声をかけられて頷くと、どういう訳か期間限定でキャプテンの恋人に任命されることになっていた。いやそれだと語弊があるかもしれない。
 他でもないキャプテン自身に頼まれたのだ。島に上陸して街に行けば女が寄ってきて鬱陶しいから、恋人のフリをしろということだった。行く先々で綺麗な女の人に言い寄られることに対して鬱陶しいという感情を抱くことにキャプテンらしさを感じて、そしてそんな中で私を側に置いてくれるらしいことが嬉しくてつい二つ返事で頷いてしまった。

 ただよく考えれば特別なことは何もなく、ただ数少ない女のクルーだから声をかけられただけ。キャプテンには女として見られてはいないし一切そういう感情を持たれていないということになるんだろう。まあ、キャプテンにとって自分をそういう対象として見る女は船から降ろすレベルで鬱陶しく思えてしまうらしいから仕方ないけど。

 後になって思えば、イッカクちゃんだってその役割を担うことができるのだから私は断った方が良かったということに気付いた。あの話を聞いて以来、普段からさりげなくキャプテンと二人きりにならないようにしていた日々の苦労が水の泡だ。もし万が一この気持ちに気付かれたら、この島に置いていかれる可能性だってある。なのにデートの真似事なんて、墓穴を掘ったじゃ済まない。

 キャプテンと二人きりで過ごすことに対する気持ちとしてドキドキよりもハラハラが勝ってしまったので今からでも断ろうと思ったけど、イッカクちゃんは物資補給のために既に出発してしまったらしく、私は自分を信じて頑張るしかない状況になった。




 島に降りたキャプテンが医学書や薬草や医薬品を買いたいというので、さっそく恋人として並んで一緒に歩く。ただ隣に居ればいいだけだからと平常心を保とうとする私をよそに、キャプテンは当たり前のように私の右手を取って、そしてあろうことか指を絡めて手を繋いだ。

 フリとはいえ恋人なのだから、当たり前の行為なのかもしれない。けれど私の心臓はドッドッと胸を強く叩いてうるさい。だけどそれでも、絶対に表情に出してはいけない。大丈夫、過去には恋人がいたことだってあるし一応やることをやった経験もある。手を繋いでデートをするなんて、それこそ恋仲になって一番初めのステップだ。

 今までの恋人のことも当時は好きだったと思うけど、ここまで心臓が痛いぐらいドキドキするのは相手がキャプテンだからなんだろうな。そう思うと余計に鼓動が速くなった気がして駄目だった。

「キャプテ……、えっと、ローさん」
「なんだ」
「万が一何かあったときに、片手が塞がっているのは危険だと思うんです。だから手を繋ぐんじゃなくて、腕を組んでもいいですか?」
「……好きにしろ」

 恋人なのだからキャプテンと呼ぶのは不自然だと出発する前に呼ばれたので、呼び慣れない名前で呼ぶことになったけれどこれにも随分と体力と気力を使う。噛まないように吃らないように落ち着いて名前を呼んでそう提案すれば、あっさりとした了承の返事と共に指が解かれて手が離れる。

 キャプテンに気付かれないようにほっと息を吐いて、その左腕にそっと腕を絡める。細身に見えるけれど私からしたらしなやかで逞しい腕だ。あまりくっつきすぎるとこの浮かれた熱が伝わってしまいそうなので、出来るだけ自然に、だけどなるべく触れすぎないようにして寄り添った。

「医学書を先に買うと重いですよね。まずは薬屋を探しますか?」
「………」
「……ローさん?」
「、あぁ」

 キャプテンを見上げると珍しく上の空だった。少し顔を覗き込んでみるとすぐにいつもの様子に戻ったので、反応が遅れただけらしい。長旅で疲れが溜まっている上に寝不足だったりするんだろう。キャプテンは医者の不養生を体現する人だ。

「お疲れですよね。早めに済ませて船で休みましょう」
「問題ない。……行くぞ」

 やんわりと腕を引かれるままに私も歩き出す。私の歩幅に合わせて歩いてくれていることにきゅんとしながら、声も表情もいつも通りでいることに努めた。






 薬屋を何軒か回ってから書店へ行った。店内は狭いから腕は離して少し後ろから着いていくだけ、移動の間はキャプテンに寄り添ってはいるものの基本的にはただ隣で歩くだけ。なのに私はひどく疲れていた。それは何故か。

 キャプテンの視線が、声が、どうにも甘すぎるし優しすぎるのだ。この島ではあくまで私は恋人なのでそれ自体は別におかしなことでは無いのかもしれないけど、キャプテンのことが好きな上にそれを隠さないといけない側の人間からすれば、もう本当に勘弁してほしいぐらいに本物の恋人のような言動の数々だった。

 歩く速度が速くないか、疲れていないかなどを細かく気にしてくれるし、人とすれ違う時にはぶつからないように腕を引いて私の体を引き寄せてくれる。人通りの多い場所でずっと横に並んで歩くのは邪魔かもしれないと思って腕を外して半歩下がってみれば、腰を抱き寄せられて「おれから離れるな」とわざわざ少しかがんで低くも優しい声をもって耳元で囁かれた。

 顔が赤くならないように、嬉しいだとか幸せだとか──好きだとか、そういう感情が顔に出ないように。きゅっと奥歯を噛み締めて常に深呼吸をするようにゆっくりと息をしていないと、自分自身を急かすように速まる鼓動に飲み込まれてしまいそうになる。

 気付かれちゃダメ。
 この人は船長で、私はただの船員だ。

 このWデートWが始まってから頭の中で何度も何度も繰り返した言葉を今一度反芻する。とりあえず買い物は無事に終わったし、あとは船に戻るまでの間だけだ。

「腹減ったな。どっかで飯でも食うか」
「え……?」
「……どうした」
「あ、いえ。なんでもないです」

 そう思っていたのに、あろうことかこのまま二人で食事をするという提案。ボロを出さないように頑張ってようやく乗り切ったのに、まだ二人きりで? いよいよ何かの拍子にばれてしまうんじゃないかとヒヤヒヤしてしまう。

 船に戻るまではいかなくてもみんなと合流して食べればいいんじゃないかなと思ったけれど、歩く速さを緩めた私の手を取ってまた指を絡められたので相当お腹が空いているのかもしれない。

「ロ、ローさん。手を、」
「利き手さえ空いてりゃ問題ねェ」
「でも」
「おれがW恋人Wひとり守ってやれねえ男だと?」

 恋人、という言葉を強調したあたり、この恋人のフリの再現度を随分と重要視しているみたいだ。たしかに、周囲の女性達はちらちらとキャプテンを見ている。けれど誰にも話しかけられないのはW恋人Wがいるからで、それなら私は私で仕事を全うするべきだと、その繋がれた手をきゅっと握った。

 その日のお昼ご飯は、向かいに座るキャプテンからの視線に耐えきれなくて黙々と食べた。相変わらず恋人のフリに勤しむキャプテンは私の口端についたソースを指で拭ってその指をぺろりと舐めたり、私がフォークに刺していざ食べようとしたメインディッシュの一切れを、私の手首を掴んでご自分の口に運んだり。
 恋人の前ではこんな感じなんだ、と思えば思うほど胸は軋んだし、もしキャプテンの耳が良ければ聴こえてしまうんじゃないかと思うぐらいには心臓がドキドキと忙しなかった。








 それから幾度となく私とキャプテンは仮の恋仲になってでかけた。島に着くたび街へ行くたび、キャプテンの恋人として隣に居続けた。この気持ちを押し殺してただの船員の一人でいるのにも、そろそろ限界を感じてしまう。

 だってこの恋人のフリを始めてからというもの、キャプテンがたとえ船内であっても、随分と優しい眼差しで私を見つめている気がするのだ。露骨に表情に出るわけじゃないけど明らかに以前と違う。

 仲間内しかないない宴でも毎回私の隣にいるし、胃に悪いから酒ばかり飲むなと料理を取り分けられる。「その酒、美味いか」と問いかけられて頷けば、一口くれとジョッキを攫われた時には変な声が出そうだったがなんとか堪えた。



 私が夜の見張りをする時には何故かキャプテンも寝ないで隣に座って本を読むようになった。「眠くなるまでここにいるだけだ」と言うけれど毎回朝日が上るまでいるのだからさすがに嘘だと分かる。暗いからとわざわざランタンをそばに置いて読書をするのだから、さすがに気まぐれと言うには無理がある。そう思うけど、理由を聞こうにも話の方向性によっては何か余計なことを言ってしまいそうで聞けない。

 少し冷える夜には毛布を持ってきて私を包んで「寒くねェか」と尋ねるその声が優しくてずるい。寝ずの番の交代を促すでもなくただそばに居るキャプテンに、2人きりになりたいのかもしれないなんて勘違いしそうになるたびに自分を戒める、その繰り返しだ。あくまで眠れないから。その証拠に、キャプテンはほとんど話さないでただ本を読んでいるだけだった。



 あとは、やたらと過保護になったように感じる。少しでも怪我をしたらすぐに部屋へと招かれて治療を受けるし、航海が長引いて少し疲れを感じていると「休め」と言ってベッドに押し込まれる。ちなみにその時にお言葉に甘えて休もうとするとそっと額のあたりに触れられて熱を確かめられるし、目が覚めたらなんとキャプテン自らお粥を持ってきてくれて更にそれを食べさせてくれようとする。

 さすがに所謂「あーん」は断ったけどそれを除いてもあまりに日々甘やかされている気がして、好きな人に世話を焼かれるのはもちろん嬉しいと思う反面、こんな風に接されてこれでキャプテンのことが好きだと知られたらクルーで居られないなんて、あまりに理不尽だとも思う。








 そんな日々が続いて私が出した結論はW新しい恋をするWことだった。誰でも良い。島の人でも、なんなら海軍や他の海賊でも。その人と恋仲になりたいわけじゃなくて、少しでも「格好いいな」と思えたら、ただただキャプテンにきゅんとしてしまうこの厄介な恋心が少しましになるんじゃないかと思った。

 そうは言っても、海賊である自分にそう簡単に出会いなんか訪れない。結局何年もこの気持ちに蓋をしたまま、ハートの海賊団は新世界へと入った。

 とりまく環境に変化が訪れたのは、それから2年ほど経った頃。麦わらの一味と同盟を組んだ。以前キャプテンが治療した麦わらのルフィを筆頭に、男女ともに気のいい人たちで話しやすかった。
 キャプテンの本懐とも言えるドフラミンゴとの戦いを経て、ワノ国では四皇との戦いが繰り広げられた。この規模の戦いとなると戦闘面ではサポートすらできず、怪我人の治療などに追われた。



 戦いが終わったあと、それぞれの治療に当たった。特に重症だったロロノア・ゾロと、このワノ国で共闘したユースタス・キッド。私は主にこの二人の介抱を主に担当した。キャプテンのことももちろん心配だったけどそちらへ行かなかったのは私情だ。二人になるのは極力避けたかったのと、麦わらの一味のロビンちゃんとキャプテンが随分と親しげで、それを見るのが少し辛かったから。

「……い、おい」
「っあ、……ごめん、ボーッとしちゃって」

 包帯を替える途中で少しぼんやりしてしまい、キッドから声をかけられた。たぶん同い年ぐらいだけど相手は船長だし敬語で話していたら普通に話せと言われ、ついでに呼び方についても「キッドでいい」と言われて、まあ名前を呼ぶ機会なんてそうそう訪れないからいいかと了承した。

 キッドはキャプテンと共闘してビッグマムを倒したと聞いている。ここにいる全員が自分の意思で四皇と戦ったんだからお礼を言うのは違うとは思うけれど、キャプテンが無事なのはこのキッドのお陰でもあると思えば、少し友好的に接してしまうのも仕方ない。

「さすが、傷の治りが早いね。完治まで2週間以上はかかると思ったのに」
「当たり前だ。んなヤワじゃねぇ」
「でも無理しちゃ駄目だよ。重症に変わりないから」
「チッ、分かってる」

 キッドと話してみてまず意外だったのは、思っていたより理知的で話しやすいということだ。まあ船長として船員を纏めているのだから当たり前なのかもしれないけど、それでも粗暴ながらあのカリスマ性で部下達を従えているのだと思っていた。それが、言葉遣いは荒いけど話せば普通で、こちらの話もきちんと聞いた上で返答をくれる。

 キャプテンや麦わらと張り合っている時には煽ったり荒々しい言動がほぼだったけど、こうして敵としてじゃなく普通に出会っていれば、良い友人になれそうなタイプの人間だと一方的に思った。

「イイ女だな」
「…………え?」
「んだよ、それなりに言われ慣れてんだろ」
「いや、えっと……?」
「言っとくが、見た目だけの話してんじゃねェぞ。手当ての手際もそうだが、話も退屈しねぇ」
「………」
「今日の夜の宴の時にはおれのとこへ来い。お前の酌で飲む酒は楽しめそうだ」

 いい女。言われ慣れてなんかないし、そんな風にストレートに言われたことがそもそもなくてカッと顔に熱が集まる。無邪気な少年みたいな顔をして楽しそうに笑うのもずるい。
 キャプテンと2人きりのときや恋人のフリをする時は予め覚悟していたのもあって、心臓は常に煩いものの表情は保てていた。だけど今のは完全に不意打ちだったから顔に熱が集まるのを止められない。

 そういえばゾロにも酒が好きかを聞かれて、好きだしそこそこ強い方だと言えば「飲めるクチか。なら宴の時に飲み相手になれよ、礼ならそれでいい」と笑われた。深い意味はないそれにも、ドキリとはしたのだ。今のキッドの言葉を聞いて、ゾロもそういう、気に入った女と飲みたいなんていう感情から声をかけたのだろうか? 余計に恥ずかしくなってくる。

「……イイ顔すんじゃねえか」
「キッド……?」
「ンな顔してたら、食われても文句言えねェぞ」

 キッドの指先が頬にするりと触れた。男の人にそんな風に触られるのも久しぶりで思わず固まった、その時。

「触るな」

 ぐいっと後ろへ引っ張られ、振り返ると聞こえた声の通り、キャプテンがそこに居た。座って手当をしていた私に合わせるようにしゃがみ込んでいるから、立っている時より声が近い。

「おれの女だ」

 キッドへ向けて覇気というより殺気が伴うほどに静かに怒っているキャプテンは、私の胸上あたりに腕を回して引き寄せられた。なんなら後ろから抱きしめられている。キャプテンの体温を背中で感じていよいよキャパオーバーしそうだ。

「んだよ、トラファルガー。クルーに手ぇ出してるたァやるじゃねえか」
「…………行くぞ」
「っわ……」

 引き摺られるようにして立ち上がり、そのまま腕を引かれて歩く。久しぶりにここまで不機嫌なキャプテンを見たかもしれない。自船のクルーが敵対する船のいけすかない船長にちょっかいをかけられたのだ。なんだかんだ仲間意識の強い人だし、苛つくのも仕方ない。

 いやそれよりも、おれの女って。キャプテンの事だから他意はないし、共闘したとはいえ馬が合わないらしいキッドからクルーを守るためってだけだと思ってもきゅんとしてしまう。これ以上ホンモノの恋人みたいに扱われたら私の心臓が疲れ切ってしまうのに。

「あの、キャプテン。今は恋人のフリなんてしなくても、」
「ユースタス屋と何を話してた」
「え?」
「ああいう男が好みか」
「はい……?」

 キャプテンは眉間に皺を寄せて私を見ている。こういう時にベポがいたら場を和ませてくれるけれど、生憎今は私とキャプテンしかいない。あれだけ避けようとしていた2人きり。空気は重く、何か言おうとするも言葉が出てこない。

 ああいう男が好みか、なんて。ずっと前からキャプテンにだけ心惹かれて、それを忘れたくて少し視野を広げてみただけじゃないか。

 まあ、そんなことを馬鹿正直に言えばこの重い空気がさらにピリピリしたものになりそうで流石に言えず。ようやく火照った頬も落ち着いてきたので、声のトーンを少し上げて、努めてなんでもない声で言う。

「キッドはただ、『イイ女だ』って言ってくれただけです」
「……は、?」
「自分のクルーが敵船の船長に褒められたんですよ。船長として、誇らしく思ってくれないんですか?」

 茶化すように言ってキャプテンの顔を覗き込めば珍しくキョトンとしていて、思わず笑みが漏れた。いつもの澄ました表情より随分と幼く見える。

 私はただの船員の一人なのだ。そうと振る舞わなければ船から降りることになる。キャプテンにとって大切なハートの海賊団の一員であることを誇りに思わなくちゃいけない。

 何も言わないキャプテンにちょっぴり居た堪れなくなって「先に戻ってますね」と言って歩き出せば、がしりと手首を掴まれた。

「……ってる」
「え?」
「おまえがイイ女だってことぐらい、おれも知ってる」
「え、あぁ、ありがとう、ございます……?」
「……チッ」

 キャプテンは言い捨てるようにそう言った。そして。大きな手で耳まで覆うようにして顔を掴まれたと思うと上を向かされ、キャプテンの端正な顔が、近付い、て。

「っキャプテン、! いくらフリでも、ッ」

 顔に影がかかるそんな距離に耐えられるはずもなく、だけど顔を背けることもできないので仕方なくぎゅっと目を瞑ってやり過ごそうとした。すると一瞬呼吸が堰き止められて、音もなく唇にやわらかい感触。

 何が起きたのだろう? 経験がない訳じゃないから頭では理解していても、混乱した脳はうまく答えを出してくれない。

「まだ分からねェのか」
「は……」
「W恋人のフリWは、てめェの男避けだ」
「は、え……?」
「それが、ゾロ屋といいユースタス屋といい、ちょっと目離してる間に隙見せやがって。治療は一応許可したが、触られていいとは言ってねェ」

 何が何だか分からないままの私を置いて話を進めるキャプテンは、私の頬をするりと撫でた。意図してかどうか分からないが、さっきキッドに触られた場所だ。

「……少しはおれを意識しやがれ、この鈍感女」

 キャプテンはそれだけ言って背を向けた。遠くなっていく背中を見つめて、今何が起きたかをようやく理解する。足に力が入らなくて、その場にへたりこむことを止められなかった。







 廊下の角を曲がったキャプテンがその場にしゃがみ込んで真っ赤な顔を手で覆っていたなんてことは、私も含めて誰も知らない。





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