「えっと、凪くんのことが、好きです」
「……え」
「その、一年の時から好きだったんだけど、それから初めて野球部の試合見に行って、捕手やってるの格好いいなって思って、今更だけど気持ちだけ伝えたくて……」
「………」
「野球部が甲子園優勝してるの見て、来年は私も応援曲の演奏したいって思ったから、頑張ろうって思えて……えっとだから、これからも応援、してます」
「……、そんだけ?」
「え、あっ、ごめん。部活の前に時間取らせてごめんね、練習頑張ってね!」
普段とほとんど変わらないものの少し困惑しているように見える表情に、長く引き留めすぎたことを後悔した。慌てて謝ってその場を離れる。心臓の鼓動が早鐘を打つように胸を叩いていることには後から気付いた。
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凪くんとは一年の時に同じクラスだった。何度か隣の席にもなって、挨拶ぐらいは交わす程度の仲だった。授業中よくぼーっとしている凪くんは勉強があまり好きではないらしく、隣同士で採点し合う小テストではだいたい半分くらい合っていたら良い方だ。
採点し終えて小テストの用紙を返す時に「みょうじさん、字きれいなんやな」と言われたその一言でコロッと好きになってしまったのを、きゅんとした思い出とともに覚えている。幼い頃に書道を習わせてくれた両親にひっそりと感謝した。
凪くんのことを好きになって初めて友達と野球部の試合を見に行った時、遠い世界の人なんだと思った。だって素人目に見ても、対戦相手の同じポジションの人と全然違ったから。甲子園常連であるうちの野球部で一年生からレギュラーだということを知ってから、凪くんが密かに女の子に人気なのだということも知った。
たまたま隣の席になって、野球部は基本的にスマホを常用できないというのは知りつつも連絡先を聞いた。「あんま見れへんねんけど、それでもええん?」という言葉に即頷いたのは記憶に新しい。
好きなもの、好きな科目、好きな曲、そういうのは何も知らない。
二年になって告白しようと思ったのは、自分の中での決意表明だった。
甲子園優勝おめでとう、という何人もの友達やクラスメイトから言われていそうな言葉を私もLINEで送って、まあ返ってこないかなと思っていたけれど『ありがとう。毎日いい天気すぎて暑かったわ』なんて返信が来た時、烏滸がましくもほんの少し凪くんを身近に感じてやっぱり好きだなと思って、それと同時にこのままじゃ駄目だと思った。
親の転勤で大阪への引っ越しが決まった時、陽明の吹奏楽部に憧れて受験を決めた。コンクールの関西大会を見たのもそうだけど、甲子園で演奏する光景はテレビ越しに見ても圧巻だったから。次の甲子園は観客席じゃなくてブラスバンドの一員として演奏で応援できるように頑張りたい。
そのために凪くんに気持ちを伝えて、きっぱり振られたら次に進めると思った。振られたのはショックだったけど少しだけすっきりした気持ちもあって、引きずったりしたくなくてなるべく関わらないように努めた。とはいえ今はクラスも違うので、移動教室の時や昼休憩の時にすれ違ったら声をかけていたのをやめただけ。凪くんから時々声をかけられた時は「急いでるからごめんね」と言って切り抜けた。
「みょうじさん、今ええ?」
「……、え、私?」
「うん。急いどる? ちょっとだけ時間ほしいんやけど」
「……大丈夫、です」
声をかけられては断って逃げてを繰り返していたけれど、ついには昇降口で腕を掴まれた。そこまでされたら適当な理由で逃げるにもやりにくくて、しかも今日はテスト前期間でスポーツ推薦者ですら部活が禁止されている日。部活に行かないといけないという言い訳もできず、おとなしく頷くしかなかった。
凪くんに言われるままついて行った先は前に告白した空き教室で、ようやく切り替えた気持ちがぶり返すような心地だった。
何を言われるんだろうかとどぎまぎしていると、「この間のことなんやけど」と凪くんが切り出した。文字通り見上げるほどの長身である凪くんの顔をそろりと伺うと、まっすぐ私を見ていてぱちりと目が合ってしまってすぐに逸らした。
「告白してくれたんやんな?」
「え、うん……」
「ほんで俺、ちょっとびっくりしてもて、返事できてへんかってん」
「えっあっ大丈夫! 分かってるから、ほんとにごめん!」
「あ」
不恰好で噛みまくりだった告白が凪くんに思い出されていると思うと恥ずかしすぎて、まさに穴があったら入りたい。学校の喧騒から切り取られたこの二人きりの空間がなんともいえず耐え難くて、反射的に教室のドアへ向かおうとすると、「ちょお待って」という声と共にお腹に腕が回った。
凪くんに後ろから抱きしめられているような格好になっていることに気付いた瞬間、顔が燃えるように熱くなった。
「は、ぇ、なぎくん……っ?」
「腕掴もうとしたんやけど、俺が触ったら折れそうや思て」
「は、はなして、」
「離したら逃げるやん」
腰に回った凪くんの腕が引き寄せられて、さっきよりも背中で感じる感触が増したし声もより近くなった。気がする。心臓が速すぎてそれどころじゃないからもうよく分からないけれど。
「……付き合うてみたい」
「はい……?」
「みょうじさんの彼氏になってみたいねんけど」
「………」
「なぁ、無視せんといて」
無視しているのではなく、この体勢と今言われたことに混乱して声もでないだけなんだけど。凪くんに背を向ける形で抱きしめられたまま応答がないこの状態を、当の本人はそう捉えたらしい。自分とは違うたくましい腕、背中に当たる広い身体。少し離れて話していたこれまでよりも距離が近い分、高い位置から聴こえる声。何もかもが自分と違って、当たり前だけどW男の子Wを感じてしまってまた恥ずかしい。
「……みょうじさん小さいねんな。顔見えへん」
腰に回されていた腕は外されて一瞬ホッとしたものの、代わりにくるりと身体の向きを変えられて向かい合う形になる。告白したあの日と違うのは、凪くんが膝を折ってしゃがんで私の顔を覗き込んでいて、さらに私の両手をそっと握っているところだ。
「なあ。返事ほしいんやけど」
私が告白したはずなのに、何故か凪くんが私の返答を待つような展開になっていて混乱する。
私が凪くんと付き合う? 告白する時にそれが成功するパターンはまったく考えていなかったので、正直まったく想像がつかない。というかきっぱり諦めようとしていたはずなのに、あまりにも近い距離とか手に触れる体温とか、あとは背の高い凪くんに今度は見上げられたりだとか、この短時間に一気にいろんなことが起こりすぎてそろそろ心臓が止まるかもしれない。
「えっと、告白はしたけど付き合うとかは、考えてなくて」
「え」
「気持ちを伝えたかっただけというか……」
「……ほな弄ばれたん? 俺」
「え!? いや、というか凪くん別に、私のこと好きじゃない、よね……? 告白した時も断られたし……」
強い力で繋がれているわけでは無いのに惚れた弱みか、なんとなく手を振り解けなくて仕方なくそのまま問いかけると、凪くんはこてんと首を傾げた。背も高くて体格も良い男の子がやって様になる仕草ではないはずなのに、凪くんのことをちょっとだけかわいいと思ってしまったのは私の欲目なんだろうか。
「断ってへんよ」
「え? ……けど、それだけかみたいな感じで」
「びっくりしとる間に話進んで、最後に『付き合って』て言われるんか思て返事どうするか考えとったら言われんかったから、なんて返してええか分からんかってん」
「……なるほど……?」
確かに思い返せば、あの言葉だけで振ったとは言えないかもしれない気がしてきた。うん、確かにそれはそんな気がしてきたけれど、とはいえあの反応と返答で脈アリと思えるわけがない。なんかシュンとしてるように見える凪くんにそれを訴える気にはならないけれど。
「まあ、避けられて余計に気になったんもあるけど。前からええ子やなとは思ててん」
「……へ」
「……めちゃくちゃ顔赤いで。ほんまに俺のこと好きなんや」
「う……」
狙ってないのは分かっているけど、上目遣いでこちらを見るのはあざとすぎやしないだろうか。あざといなんて言葉すら知らなさそうだけど。
恥ずかしくて視線が思わず下を向くけれど、凪くんがしゃがんでいるせいでそれでも目が合ってしまうので、横を向いて無理やり視線を泳がせた。
「……凪くん忙しいのに、その、いいの?」
「何が?」
「付き合ったらやっぱり、お昼ご飯とかときどき一緒に食べたいなって思っちゃうし」
「別に、毎日一緒に食べたらええやん」
「……たまに休みが合う時があればでいいけど、梅田のおしゃれなカフェでデートとか、してみたいし」
「月2回ぐらいオフあるねん。梅田やったら北新地まで一本でいけるからラクやな」
「………て、手繋いだりとかも、してみたくて」
「デート言うたら繋ぐんちゃうん。今もう繋いでもたけど」
「…………凪くんて、けっこう喋るんだね……?」
言うこと全部が恥ずかしいのを承知で話しているのに、普段よりも1.2倍増しでテンポよく返答してくへる凪くんに思わずそう言うと、ずっとこちらを見上げていた顔が初めて逸らされた。私の手の平に添えられた程度の凪くんの手が離れることはなく、むしろ私の指先や手の甲のあたりを感触を確かめるようにふにふにと動いている。
「みょうじさんが意地悪言うからやん」
「ご、ごめん。えっと、ほんとに付き合ってくれるの……?」
「うん」
「……不束者ですが、よろしくお願いします」
「それ結婚する以外で使うんや」
よろしく、という言葉とともに立ち上がった凪くんは改めて間近で接すると本当に背が高い。なのに私の頬に触れて、私の上向いた視線に合わせるように少し腰をかがめてじっとこちらを見つめるものだから、なんというか、たぶんまた赤くなっているだろう私の顔が発する熱すらも伝わっていそうな距離でどぎまぎしてしまう。
「なまえちゃんて呼んでええ?」
「え、あ、うん」
「もう俺のなんやから、他の男とあんま喋らんとってな」
「え……?」
「俺のこと避けとる間、他の男と仲良さそうやったから」
「えっと、ごめんね。気をつけるね」
「ん」
普段との違いが少し分かりにくいけれど、ほんのちょっと拗ねているような声と表情に見えるそれに、初めて野球をしている凪くんを見た時のように胸がきゅんとなった。「付き合ってみたい」という言葉から考えても7割程度は好奇心かなと思っていたけれど、もしかして案外本気で私とお付き合いをしてくれるのだろうか。
とはいえ凪くんはあまり欲がなさそうだから、私がしたいことをあれこれ提案してそれに付き合ってくれる感じになりそうだなと思っていると、ふいに顔が近付いて、唇が、触れた。
「は……」
「……さっき、俺としたいこと色々教えてくれたけど。これはアカンかった?」
あっさりと私のファーストキスを攫っていった凪くんに回らない頭で抗議したものの、「俺も初めてやねん」とちょっとだけ嬉しそうな顔で言われてしまって何も言えなかった。