知っている。この子が僕を男として見ていないこと。僕が王様と言い合いをしている時によく視線を感じること。そうしてこの子が見つめる先にいるのはあろうことか、僕じゃなくて王様であること。
 それら全部が僕を苛立たせる要素でしかなくて、本来ならば片想い相手というのはどんな女子より優しくするべき対象である筈というのは理解しているけれど、どんな他人よりもそっけない態度を取ってしまう。

 端から見れば僕がみょうじを嫌っているようにしか見えないだろうことは分かっている。ただそれでも、優しくなんてできやしない。


「月島蛍くーん」
「………」
「蛍ちゃーん。寝てる?」
「………」
「入りまーす」
「馬鹿なの?」
「あは、いるんじゃんか」

 そんな相手が家の近い幼馴染みというのはどうしてこうも厄介なのだろうか。勝手に家にやってきて、母がいる時は女同士なんだかんだと雑談したのちに易々とここへ辿り着き、ノックを無視していれば勝手に部屋に入って来る。そして仮にも男の部屋だと言うのに、服装はキャミソールに気持ち程度の羽織り、そしてショートパンツ。防御力なんて無いに等しい。

「今日めちゃくちゃ暑いね」
「じゃあ自分の部屋でじっとしてなよ」
「いやーなんかわたしの部屋のエアコン壊れたっぽくてさ」

 手に提げていたコンビニの袋から、ハーゲンダッツを二つ取り出してローテーブルに置いた。ストロベリーとバニラ。スプーンを持ちながら慣れた手つきでバニラのフタを開けた彼女に、自然と溜め息が漏れた。

「あれ、バニラが良かった?」
「……ストロベリーでいい」
「蛍ちゃんイチゴ好きだもんね」

 何を言っても帰らないだろうと追い出すことを早急に諦め、頭を冷やすためにアイスクリームへ手を伸ばした。自室のエアコンが壊れたからって僕の部屋に来る理由にはなってない気がしたけれども、そんなことは考えるだけ無駄なのだ。
 わざわざ礼を言うことはせず、同じようにフタを開ける。「溶け具合が絶妙だよ、ちょうど食べごろ」なんて呑気ことを独り言のように告げた彼女の唇は艶めいていて、すぐに目を背けた。


「ねえ」
「んー?」
「そろそろ帰ってくれない? 邪魔なんだけど」
「えー、だいぶ静かにしてたつもりなのに」
「関係ないでしょ。雰囲気が邪魔」

 正確に言えば、ちらちらと視界に入るむきだしの肩や鎖骨や太ももが目に毒だった。どちらかというと分別はつく方だと自覚しているが、自分の理性を過大評価してはいけない。ちなみに、ベッドに寄りかかって読んでいる本はページこそ進めてみてはいるものの内容が入ってこないため、みょうじが帰ってからの読み直しは確定している。
 そう、一応相手はずっと片想いし続けている女なのだ。たとえ当の本人は何とも思っていなくとも、僕には下心ぐらい存在する。無理やりどうにかしようなんて思ってはいないけれど、いつブレーキが馬鹿になるか解ったものじゃない。

「そういえば蛍ちゃんってさ、彼女ほしいなーとか思わないの?」
「……なに、急に」
「いいからいいから」
「興味ないし」
「えー。モテるのに勿体ないね」

 僕の気も知らないで好き勝手言ってくれる。もう帰るまで無視してやろうかと思い、読んでもいない小説をまた1ページとめくったその時。

「昨日もさ。同じクラスの女の子に、月島くんと幼馴染みなんて羨ましいって言われちゃった」

 食べ終えた二人分のアイスのカップをコンビニの袋に入れながら、彼女は呟いた。いつもみたいな明るくて無邪気な声じゃない。らしくないほどには弱々しくて寂しげで、その言葉に込められた意味もその声が表す心情も僕には分からない。彼女を見つめ続けても、当然分からないままだ。

「私、影山くんみたいになりたかったなあって最近思うんだよね」
「は?」
「影山くんと蛍ちゃんの言い合い、わたしからしたらすごい面白くて楽しそうだから」
「……眼科行った方がいいんじゃない」
「だってあんな風に口喧嘩ばっかしてるのにさ、一緒にバレー頑張ってるし」
「………」
「私は蛍ちゃんといると、最近ちょっと苦しいから」
「……は……?」

 息が詰まるような喉の苦しさをほんの一瞬味わって、彼女の声で賑やかになっていたはずの僕の部屋にエアコンの音だけが響く。彼女から零れた言葉たちが頭の中でばらばらになってしまった僕にはすぐに言葉が見つけられず沈黙してしまい、その中で寂しそうに笑う彼女はあまりにも弱々しく見えるた。
 一緒にいると苦しいなんて言っておいて、どうして近付くの。いつものへらへらした笑顔で、教えてよ。

「……僕が、何かした?」
「あ、違うよ、ごめんね。蛍ちゃんに名前で呼ばれなくなって、ちょっと悲しかったし、告白されたって聞くのも全然慣れないし。普通の女の子みたいに、見てほしくて、……ごめん、何言ってんだろ」

 ごめんね。
 もう一度そう言って立ち上がった彼女を後ろから抱き締めた。衝動か反射の類いだったその行動に、彼女だけでなく僕自身も動揺していてひどく格好悪い。
 細い肩の感触が掌にじかに伝わることや、自分のとは違う柔らかさと甘い香りに脳がぐらつく。そしてこの部屋の涼しさに反して汗ばんだうなじが惜しげもなく晒されていることなんかが、僕の冷静さをまともに奪っていく。
 たやすい。男の理性は本当に、たやすく揺らぐものなんだと実感する。よくここまで耐えたと褒め称えることすらできると思った。

「ねえ」
「……ぇあ、な、何……?」
「僕がきみを好きだって言ったら、おとなしく流されてくれる?」

 今度は彼女が息を飲んだ。彼女の首の前で交わる僕の腕が、その細い腕でやんわりとほどかれる。こちらへ向き直った彼女の、その胸元に目が行ってしまいそうになった。男というのは馬鹿な生き物だ。僕だって例外じゃない。

「昔みたいに、名前で、呼んで」
「……うん」
「告白されても、好きな子がいるって言って、絶対断って」
「うん」
「あと、もうちょっと私に、優しくして」
「好きな子はいじめたいタイプだけど、善処するよ」
「……蛍ちゃん、すき、です」
「うん、僕も」

 腕の力を緩めるとほんの少しだけ振り返りかけた彼女は少し俯いたままで、顎に手を添えてほんの一瞬だけ頬にキスをすれば、恥ずかしそうに目を見開いた。
 明るくて元気で無邪気な彼女がしおらしく恥ずかしがるその様子がかわいくて、今度は正面からゆっくりと抱き締める。そろそろ母が買い物へと出かける時間であることを確認してから、彼女の背中に掌を這わせて腰をなぞった。その細さとしなやさかさを堪能していると、びくりと肩を震わせた彼女が身を捩る。

「け、蛍ちゃん、手はやい……!」
「ずっと我慢してたのに人聞き悪いね。そもそも、なんでいつもこういう格好で僕の部屋来てたの」
「……意識、してもらいたかったから、です」
「……はー……」

 悪気なくやっていた訳じゃなくてしっかりとした意図があったということで、やり方はシンプルながらずるいし、だけどある意味健気でいじらしい。
 それなら手を出されても仕方ないと思うんだけど、いざそういう展開になると焦るものらしい。キスをしてみて、キミが舌で溶かしたバニラの味を知りたかったのにと思わなくもない。いやそもそも意図的に肌を見せつけられていたにも関わらず我慢してきた僕は偉いはずなのに、とにかく可哀想だと思うんだけど。

「……まぁ、仕方ないから、今日はこれで許してあげる」

 自分の中で譲歩を重ねて額にくちびるを落とせば、ぴくりと肩を震わせたのちにじわじわと赤くなる耳。ああもう、我慢しようと思ってたのに可愛い反応をするのはやめてほしい。そこをかじれば、舐めれば、キスをして身体に触れたら、全部を暴いて僕のものにしたら。ずっと欲しかった女の子がどんな表情をするのかを、知りたくなってしまうから。




list

TOP