人間っていうのは、圧倒的な才能を目の当たりにしたとき、潔く諦めて開き直ったほうがいいんだろうなって、今になって思う。だけど俺はそこまでおとなしくもなければ賢くもなかったし、物分かりも悪かった。足掻けば同じ景色が見られるって本気で思ってて、でもそれが、周りにどれだけの心配や迷惑をかけてるかなんて、考えもしなかった。

 そんな視野も心も狭かった幼稚な俺にずっと、とことん根気よく、優しくし続けた女の子がいた。その子はとても分かりやすくて、他の男子と喋るときと俺とのそれは、明らかに表情が違った。俺が話しかけると頬を赤く染めて、仕草も慌てたものになる。純粋でまっすぐなその女の子は、女子バレー部のセッターだった。

「及川。気合、入ってるね」

 よく彼女は俺にそう言った。今思えばそれはWオーバーワークだWという心配の意味が込められてたんだろうけど、当時の俺はただただ単純に、そんな言葉が邪魔だった。お前は天才がどんなものか知らないだろ。ねぎらいとか労わりとか、そんなもん要らないから、アイツに、飛雄に勝てる才能をくれよ。心の声は決して音にはならなかったけど、代わりにそれなりに酷い態度でその子に接していたと思う。

「うるさい」

 ある日の居残り練習で、俺の口から出た言葉は、たぶん彼女を傷つけていた。それだって、あのころから10年近く経って、今更になって気付いたことだ。そのときはわからなかった。分かっていたけど、分からないフリをしてたのかもしれない。



▽▲▽▲▽



「及川、わたしね、結婚するんだ」

 そうなんだ、おめでとう。そう言わなければならないのに、喉がカラカラに乾いてしまって、うまく言葉を繋げない。代わりに声になったのは、「いつ」という頭の悪い日本語で、そういえば俺は自分が馬鹿だってことを忘れていた。
 「いつ」結婚するか。そんなもの今聞いたって仕方ない。じゃあ「誰と」? そんなのは尚更だ。俺の知っている奴か知らない男か、それすらもう、どうだっていい。

 そうか。彼女はもう、俺の知ってる彼女じゃなくなるんだ。それだけは分かったし、それだけ分かれば十分だった。
 何度か、青春な少女漫画のようか夢を見たことがある。主人公は高校のときの自分で、お相手は、現実では俺の隣にいなかった彼女で。俺が自主練習をしようとすれば、オーバーワークはだめだよ、と優しく諭してわらう。夢でも彼女は優しいままだ。きっと今も昔も。そうして、俺は馬鹿なままだ。今も、昔も、これからも。

「及川」
「……なぁに」
「わたしね、中学の時、及川のこと好きだったの」

 心臓が一瞬止まったのは、はにかむように笑う彼女に変な期待をしてしまったからだ。まるでドラマみたいに、何もかもを放り出してこのまま俺のものになってくれるんじゃないかとか、そういうことがほんの欠片だけでも、頭を過ってしまったからだ。

「だからこれからも及川のこと、応援してるよ」

 ほら、そんなわけないんだから、期待なんか最初から、させてくれなくたっていいのに。

 ただの自分の思い上がりを彼女の所為にするあたり、俺はやっぱり幼稚で、だめな男だ。彼女の左手薬指を彩る指輪はあんまりに彼女に馴染んでいて、心臓が痛くなった。
 きっと彼女の運命のひとは、俺みたいな中途半端な人間じゃなくて、もっと頼りがいのある、誠実な人なんだろうな。いっそ自分と真逆の容姿性格を持ち合わせた人間であってほしいと、切に願うばかりだ。

「……お幸せに」

 きっとバレーの才能と違って、彼女は、それこそきっとW頑張れば手に入るものWのひとつだっただろう。だけど気付くのが遅すぎたせいで結局は、足掻いてももがいても、どれだけ欲しても手に入れられないものになった。

 俺はいつ、自分の心から望むものを、手にできるのだろうか。




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