人数合わせとは言え、合コンなんて本当にロクなもんじゃない。当たり障りのない会話と笑顔と愛想を振りまく120分間+αは、たとえば倍の240分ほどの講義があったとしても、それを受けるよりはるかに疲れる。
 二次会がどうのこうのという勧誘を酔って気分が優れないからと躱し、「家まで送って行こうか」なんていう異性の申し出を丁重に断り、ようやくたどり着いた1LDKの我が家。疲れからそのままの格好でソファに座ってだらだらと時間をロスすること20分。ようやく重い腰をあげて化粧を落とし、シャワーは明日の朝でいいかとズボラなことをして、手持ち無沙汰にテレビを付けたけれど、大して興味を惹かれる番組もなくてすぐに消した。

 そんな深夜の静寂に響いた音。時計の針が長短どちらも12を指すような深夜にも関わらず、似つかわしくない軽快さをもってインターホンが鳴ったのだ。

 覗き穴で確認したのちに玄関を開けると、事前にアポイントを取るなど知らない五条がさも当然のように立っている。ということだけならよくあることだから気にしないけれど、その赤い顔に驚くわたしに構わずドアをくぐり、明らかにふらついた足取りで靴を脱いだあたりから、なんとなく予感はしていた。こいつちょっと、いや、めちゃくちゃ酔ってるんじゃないか、と。







「なあ、なんで俺のことほっとくんだよ」
「だって保湿しないと」
「そんなのあとでいいじゃん、俺にかまってよ」

 ソファに並んで座り、洗顔後のスキンケアセットを化粧水から順番に行うわたしを隣でじっと見つめる五条から、普段ならまず言わないだろうって台詞がぽんぽんと出てきて、自分の返事が変にそっけなくなるのを感じる。いちいち耳に入ってくるのは、どこかいつもと違う、例えるならマシュマロみたいな柔らかくて甘ったるい声だ。いや、21にもなる男(しかも図体はかなりでかい)に対して使う表現じゃない。それは分かってる。でも、妙に舌ったらずで、普段より甘えたような口調で、そう、まるで愛おしいものに話しかけるようにわたしを撫でる声。甘くてとろけるような、そういう感触を鼓膜に残していく。

 さて、この男は大丈夫なのだろうか。色々なことがとても心配になった。ここでわたしが五条の彼女でそして五条がわたしの彼氏なら、特に問題はなかったのだろう。だけども生憎そうではなく、五条はただ女よけを兼ねた寝床と食事と手頃な性欲処理の確保、わたしは人肌の恋しさを求めての結果だから、恋人同士なんていうキラキラしたものとは程遠い。ついでに、甘い空気は互いに求めていない。少なくともわたしは今までそう思っていたので、この態度と雰囲気には少し困っていた。
 たとえ酔っ払いの戯言だとしても、やることやってる相手であり、元々見た目がものすごくいい男だ。高専に通っていた頃はただただクソガキだったけれど、今は少し落ち着いたし口調も柔らかくなっていて、綺麗な見た目に中身が伴うようになってきた。今は酔いのせいか、少しあの頃を思わせる口調に戻っているけれど。

 とにかく、そんな男にまるで誘われるように見つめられて、構えと拗ねられる。母性本能がくすぐられるとともに、優越感にも似た何かが、焦れたように触れてくるその指先から伝染して、わたしの心臓に這い上がってくる気がした。

 だけどこの男は高専時代からもともと、わたし自身に興味なんて無かったはずだ。さして強くもないけどどうにか生き延びて、卒業と同時に術師を辞めて大学に編入したわたしに、時々連絡を寄越して泊めろと強引に家に押し入り、その何度目かで流れのままに抱かれただけ。だから、五条がこんな風になっているのは、単にアルコールの所為だ。

「五条、酔いすぎ。もう寝たほうがいいよ。ベッド貸してあげるから」
「……お前ももう寝る?」
「あーうん、スキンケア終わったらね」
「なんで。お前そんなことしなくてもかわいいだろ」
「……………」

 なんだろう、例えるなら、将来イケメンになるだろうなという見た目の10歳くらいの男の子に、「大きくなったらお姉ちゃんと結婚する!」とか言われたりしたらこういう感覚だろうな、と思わせる一言だった。むしろそう思いたい。なんていうか、心臓がきゅうきゅうと痛む感じだ。血液のポンプ機能をちゃんと担えているか心配になる。
 曲がりなりにも身体を重ね、一般的な友情からは道を誤りつつもそれなりの時間を過ごした男だ。なんとなく心臓が細かく鳴るのは許してほしい。ちなみに酔っ払いの言うことはあてにしてはいけないことは、もちろん知っている。

「うん、まあ、それでも大事っていうか」
「俺よりも?」
「えーっと……、うわっ」
「俺のことだけ考えて。俺だけ見て。……俺を、一番に、してよ」

 体重をかけられて倒れ込んだ先は当然ソファの上で、頭を打たないように後頭部に添えられた手に少しきゅんとしてしまった。背骨の形をそれなりに覚えてくれそうな、年季の入ったスプリングがぎしりと音を立てて、それがベッドの軋む音と鼓膜で重なってすこし生々しい。
 物事には順序があって、例えばこいつがわたしとそういう行為になだれ込みたいと思った時は、まずこうやってマウントを取りにくる。わたしがそれを了承したら抱くし、しなければ何もしない。今日は疲れてるからしない、なんていう曖昧な理由を述べると、多少食い下がってはくるけれど。

 しかし今の五条は、そもそもこちらの言うことに耳を傾けるつもりがない。というか、行動の端々に余裕がない。いつもの飄々としたあの憎らしいほど涼しげな顔はどこへいった。我慢を隠さない表情で早急にわたしの服を乱し始めたのを見て、ようやくやばいと思い始めたわたしは、案外この男を信用してしまっていたらしい。

「五条、待って」
「なんで」
「今日変だよ、飲み過ぎだって」
「俺が彼氏じゃだめなの?」
「……は?」
「合コン行くくらい彼氏ほしいなら、俺でいいじゃん。なんで他の男、探してんの」

 今日わたしが合コンに行ったことを知っていることにまず驚いた。硝子に聞いたのだろうか? だけどそんなことより更に耳を疑ったのは、まるでわたしを独り占めしたいとでも言うような言葉。

 五条悟という人間は天才で最強で、たとえその存在を身近に感じたとしても圧倒的に遠くにいる人で、誰かのものにはならないと思っていた。
 その規格外の強さから、五条の生死が世界の均衡に関わるとまで言われていて、いつからかわたしも五条を神様のように思っていたのかもしれない。

 身体を重ねることがあっても、こころまでは同じにならない。なんとなくそういう存在だと思っていた。今までは。
 それがどうだろう。下戸のくせにどういう訳かお酒を飲んで、酔っ払って、縋るような言葉を吐く。五条自身によってボタンがいくつか外されて首もとが開いたわたしのブラウスの、鎖骨から首元にかけて鼻先を寄せ、甘えるような仕草をする。

「……いい匂いする」
「え、あぁ、香水かな……?」
「ん……」

 体重は殆どかけられていないけれど、大きな身体で覆い被さられたらそれなりに圧迫感がある。だけど掠れたような声で弱々しくそんなことを呟くものだから、つい頭を撫でてしまった。不可抗力なので許してほしい。

「こんな匂いつけて男と会ったの」
「いやまあ、合コンだし……」
「このカッコも。かわいいけど、他の男のが見たと思うとむかつく」
「……えっと、五条、ほんとに大丈夫……?」

 かわいいとか簡単に言うタイプじゃなかったっていうか、そもそも今まで言われた記憶がない気がする。どちらかというとブスとか馬鹿女とか、そういう感じの罵倒が多かったと思う。いくら酔ってるとはいえ、これ以上聞いたら後戻りできない気がして、どうにか五条の肩を押す。ある程度力を込めれば割とすんなり離れてくれてほっと息を吐いたけれど、わたしの上から退く気はないようで、また変な沈黙が流れる。
 五条、と名前を呼べば、「一緒に寝て」と脈絡のない言葉。それが行為の意味ではないことは分かっていて、だとしたらわたしたちが一緒に寝る意味はないはずなんだけど。もう抗う気力もなく、二つ返事で頷くしか無かった。







 落ちると危ないからと、狭いベッドの壁際に押し込まれ、ぎゅっと抱きしめられる。五条の胸に顔をうずめるこの体勢は慣れたものだけど、今日はそれに加えて、足もわたしの身体をがっちりとホールドしている。このベッドは五条には狭すぎるから身体を折り曲げているだけかもしれないけど、甘えるのが下手くそな子どもみたいに思えて、ついトントンと一定のリズムで背中を叩いてみる。すると少し不満そうな、そして眠そうな声で言う。

「……おまえ、俺のこと酔っぱらってるだけって思ってるだろ」
「いやまあ、実際酔ってるし……」
「酔ってない。ちょっとふわふわするだけだし」
「それを酔ってるって言うんだよ」
「そうだったとしても、」

 おまえを誰にもあげたくないのは本当なんだよ。

 その言葉を最後に、穏やかな寝息が聞こえてきて、とくんとくんと緩やかな心音も耳を打つ。酔っ払いの言うことだからと心を落ち着かせて、わたしも目を閉じた。

 数十分経った気がするが、眠気は一向にやって来ない。目の前ですやすやと呑気に眠る男の声が、言葉が、表情が、頭から離れない。
 きっと五条と違って、アルコールが足りていなかったからだろう。そうでなければ、困るのだから。




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