「五条先生、好きです」

 わたしの馬鹿な告白に、目隠ししていても分かるほどキョトンとした顔になった先生は、「僕のことが好きなの?」と純粋に疑問に思ったことを聞き返すように問うた。

「わたしなんかに興味ないの、分かってます。綺麗な女の人と歩いてるのも見たこともあるし。でもいつ死ぬか分からないから、伝えておきたくて」

 てっきり茶化されるかと思ったけれど、五条先生は意外にも真面目に考えていてくれたようだった。暫く沈黙した後、「じゃあお試しで付き合ってみる?」とわたしに言った。

「……え?」
「僕と恋人になりたいって意味じゃないの?」
「え、いや、でも先生、彼女とか……」
「ん? いないよ? 情報提供者とか上層部の要人とかに派手な女がいるから、キミが見たのもそういうのだろうねえ。僕忙しいから彼女とか作る予定なかったけど、キミならその辺の理解もあるし、なんか楽しそうだしね」

 99.9%玉砕すると思っていたのに0.01%の方の結果になってしまい戸惑うわたしに、先生は「じゃ、これから彼女としてよろしくね」と言って、頭をぽんぽんと撫でて廊下の向こうに歩いていった。

 お付き合いはもちろん誰にも内緒だし、先生は「キスとかそれ以上のことは、キミが卒業してからね」と度々言っていた。それでも、会ったら頭を撫でてくれたり、任務帰りに迎えに来てくれてカフェに行ったり、休みの日に外で待ち合わせてデートをしたり。
 先生は恋人らしいことをわたしとしてくれて、デートの終わり際には「これくらいはセーフでしょ」なんて言ってから、おでこにキスをしてくれた。

「顔真っ赤。……かわいいね」

 少し揶揄うような、だけど落ち着いた声色でそう言われ、さらに顔に熱が集まった。その日はそれを何度も思い出してはドキドキして、夜になってもなかなか眠れなかった。

 誰にも言えない、誰にも知られてはいけない、秘密の関係。だから五条先生が硝子さんと仲良さそうに話をしていても、歌姫先生を揶揄って楽しそうだったとしても、わたしに出来ることなんてなくて。
 恋人になった日から3ヶ月が経っても先生のことは変わらず大好きで一緒にいるのはすごく幸せだけど、先生はどうだろう。先生だって男の人だし、キスもその先もできないわたしじゃきっと退屈だろうな。

 「いつか先生がこの関係に飽きて、振られちゃうんだろうな」なんてそんな思いが頭を過ぎるようになってしまって、一緒にいても心から笑えないまま、ただ時間だけが過ぎた。





 今日は卒業の日だ。いつ死ぬかも分からないって覚悟で今日までを過ごしてきたけれど、準一級というそれなりに上の階級で、今日という日を生きて迎えられた。二つ下の後輩の真希ちゃん達から花束を貰って、少しだけ泣きそうになった。

 本当なら今日、五条先生とわたしはようやく本当の意味で恋人になる、そんな特別な日になるはず、だったけれど。

「卒業おめでとう。生徒じゃなくて同業者になるのは変な感じだけど、なまえなら頼もしいな。これからもよろしくね」

 五条先生は二人きりになってもただそれだけを言って、授業も何もないこの卒業式の日にも普通に『生徒』としてわたしを見送った。……ああ、きっとこれが先生なりの優しさで、つまりはもう潮時なんだろうな。

 実はわたしの本当の進路は呪術師ではなくて、だけどそれは五条先生には伝えていない。この呪術界にいると絶対に先生とは関わることになるから、こっそり大学の試験を受けて合格し、入学の手続きを既に済ませてある。
 今日は3月21日。4月に入ったら大学へ進学することにしたということだけを五条先生に伝えて欲しい、と夜蛾学長にはお伝えしておいた。

 4月上旬から大学が始まるから、またわたしは『学生』になる。きっと先生は、これまで散々おままごとのような恋人ごっこに付き合わせてきたわたしがまた『学生』になったりしたら、今度こそわたしへの興味はゼロになるだろう。
 もしかしたら、何も相談せずに勝手に決めたわたしのことを、厄介で無礼な生徒だと思うかもしれない。だけどもう、それでも良かった。

 先生のことは本当に大好きで、付き合ってすぐの頃にわたしはそれを何度も言葉にしたけれど、先生から「好き」という言葉が返ってくることはなかった。つまりそういうことなのだ。でもそれはつまり、好きでも何でもないただの一生徒の望みを、一年半もの期間に渡って叶えてくれたということ。それだけでわたしは十分、幸せだったから。




 そう思って先生の前からいなくなり、大学への距離を考えて県外に家を借りて住んで携帯も番号ごと変えて、心機一転、大学生活をスタートした。何事もなく友人も出来て、順調な新生活を送っている。はずだった。

「……ご、じょう、先生……?」
「久しぶり。世の恋人たちに倦怠期っていうのがあるとしても、ちょっとやりすぎじゃない?」

 入学して一週間経った頃。大学の門の前に、見間違うはずのないその人が、黒いサングラスの隙間から蒼の眼を覗かせ、貼り付けた笑みで立っているのを見るまでは。

「ちゃんと優しくしたかったのにな。……どういうことか洗いざらい全部吐くまで、止めねえから」

 表情が消え、こちらが凍りつくような威圧感。低く、そしていつもより荒い言葉の端々。何が起きているのかも、五条先生が何を言っているのかも分からない。

 わたしが返事をする間もなく腕を掴まれ、唇が塞がれた。はじめてのキスだというのに、分厚くて長い舌を捩じ込まれ上顎を擦られ舌を吸われて、腰が抜けるようなとんでもないキスだった。

 人が疎らだったとはいえ公衆の面前での触れ合いにしてはあまりにも度が過ぎるだろうそれに抗議をしようとしたら、「何? 僕とのキスを見られて困る相手でもいるの?」と、更に機嫌を損ねたような声とよく分からない台詞が返ってくる。

「……ま、いいや。とりあえず行こうか」
「え、あの、どこに、」
「ホテル。大丈夫、ずっと気持ちいいことしかしないから」

 その言葉はあまりにストレートで、わたしとは羞恥と混乱のあまり「先生、わたしと別れたかったんじゃないんですか」と口走った。

 それが、実は本当にわたしが卒業するまでずっと待っていた五条先生の地雷を踏み抜く一言だったらしいと、馬鹿なわたしが気付く筈もない。




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