※夏油傑生存if






「センパイ美人なんですから、彼氏作ればいいのに!」
 後輩の女の子と仕事帰りに飲みに行ってそんな風に笑顔で言われて、彼氏って作るものだっけ? なんて笑ったのが記憶に新しい。



 彼氏は作るものらしい。というより、彼氏ができるチャンスがある時に掴むかどうからしいということを、25年間生きてきて初めてそのチャンスとやらに直面して知った。

 とても優れた実力を持つ年下の後輩に誰にも知られず恋をして、伝えることもなく失恋した。
 そんな折、「彼氏を作ればいいのに」という言葉を聞いてそれが脳の端っこに引っかかったまま遠征へ行った先で、「ずっと好きでした」と補助監督の男の子に告白された。

 任務が終わった夕暮れ時、空が赤く焼けてすごく綺麗で、だけどそれはほんの一瞬だった。わたしが告白の言葉にぽかんとしている間に、空は黒と青を混ぜたような色に染まっていった。マジックアワーなんて洒落た名前が付くのも頷ける。
 幻想的なその一瞬の光景を目の虹彩が捉えて、気が付けば「失恋したばかりだから、お試しでも大丈夫なら」と告白を受け入れていた。





 人知れず散った、燻っただけ恋の始まりは覚えてない。だけど恋の終わりは、鮮明に覚えてる。

「ごめん。……今は彼女を作るつもりはないんだ。昔からずっと好きな人がいるから」

 たまたま立ち聞きしてしまった、夏油くんと女の子の告白シーン。女の子はとても可愛いと評判の子で、わたしの三つ下、夏油くんからすれば二つ下の後輩だ。
 そんな子からの告白を断るんだと思っていると、続いて聞こえてきた言葉。

 彼女は作らない。ずっと好きな人がいる。
 高専の時から生意気だけど可愛い後輩の一人として夏油くんを見てきて、そんな人がいるなんて知らなかった。
 「昔から」と言っていたし、見かけによらず一途なんだな。意外な一面にもっと好きになってしまって、だからこそもっと失恋が悲しくなってしまった。



 人生で初めての彼氏となった補助監督の男の子は、純粋にわたしを愛してくれていた。
 わたしが25歳にして今まで誰とも付き合ったことがないこと、そして失恋したばかりでまだその人のことを引きずっていること。それらを伝えた上でわたしを楽しませようとしてくれていて、いずれ失恋の傷も癒えてこの人のことを好きになれる日が来るかもしれないと思うのに時間はかからなかった。

 わたしは気持ちを切り替えるために髪を切った。鏡を見ると新鮮な気分になれて、晴れやかな気分になった。

 髪を切ってから3日、お試しの恋人ができてからは2週間ほど経ったある日。任務の後に用事があって母校へ出向くと、後ろから夏油くんに呼び止められた。

「先輩、お疲れ様です」
「夏油くん。お疲れ様」
「……髪、随分ばっさり切られたんですね。短いのもよくお似合いです」
「ほんと? ありがとう」

 あまりにさらりと褒められて照れる暇もない。さぞかしモテるだろうなと思ってから、それなのに長年一途に思う人がいるなんて、本当にその人のことが好きなんだなとまたあの日の言葉を思い出して落ち込みかけた。
 もういい加減切り替えなければ。早めに話を切り上げようとして言葉を探す。

「えっとじゃあ、また」
「あの」
「ん?」
「お会いするの久しぶりですし、今晩、飲みにでも行きませんか?」
「え、」
「美味しい店を見つけたので、よかったら」
「あー……」

 目線を少し泳がせてしまって少し気まずい。最低な本音だけを言ってしまえば行きたい気持ちが強い。まだ好きだから、誘われるのは嬉しい。そこにたとえ他意がなかったとしても、少しだけでも話せたらと思ってしまう。
 でも、それこそ自分を一途に思ってくれている恋人のことを思い出して「ごめんね」と言う。

「心配、させたくないから」

 そう言って踵を帰すと、その瞬間に掴まれた腕。
 驚いて振り返れば視界が真っ黒になって、たくましい腕の中にいることに気付いた。驚きで声も出ない私に、抜け出せないこともない程度の力で抱きしめられる。

「……彼氏できたんですか」
「っあ、えっと、うん……」
「当分作らないって、言ってたのに」
「……、え?」

 頭を撫でられて地肌をくすぐられるとぞわぞわと背中が疼いて落ち着かない。そうしていると夏油くんの胸に頭をくっつけられた。聞こえる筈ないと分かっているのに、その逞しい胸からとくとくと心臓の鼓動を感じる気がする。いつ誰が通るかも分からない廊下でこんなことをして、ダメだと思うのになかなか離れられない。

 というか、当分作らないって言ってたって何? まるでわたしが過去にそう言ったというような言葉に混乱する。
 夏油くんとそんな話をした記憶がなくて、だけど誰かと話したときにそういえば言ったことがあるような気もしなくもない。

「あと彼氏いるなら簡単に、隙を見せないでください」
「っ、あの、夏油くん。離して──」
「好きです」

 呼吸が止まる。今なんて?

 好きって言った? いや、そんなわけない。そんなわけないって、分かってるけど。こんな体勢でそんなこと言われて、期待しない女なんているのかな。

 夏油くんは腕を離して、わたしの視線を持ち上げた。数十センチほどは差のある高身長な彼を、こうして面と向かって見上げるのはひどく久しぶりだ。

「貴女のことがずっと好きだった」

 夏油くんから目が離せないままの私には彼の頬や耳が赤く色付いて見えてしまって、恋愛の持つフィルター効果をこの眼に焼き付けることしかできなかった。

◇◆◇

「お試し……?」
「えっと、うん。失恋したばかりの時に告白されたから、付き合うつもりなかったけど……。でも新しい恋探さなきゃいけないかなって」

 とりあえず一旦離れてほしいと何度かお願いをすれば、夏油くんは渋々離れてくれた。だけど再び手を掴まれて、気付いたら空き教室に連れ込まれていた。母校に来るのは久しぶりだけど教室なんかは全然変わってないなあなんて思って呑気に窓の外を見ていると、夏油くんがわたしの名前を柔らかく呼んだので慌てて振り返る。

「……恋人の件は分かりました。でもその前に失恋したってことは、その好きな人には先輩から告白したってことですよね」
「……えっと、それは」
「それは?」
「その人、昔から好きな人がいるって言ってたから、その、失恋しちゃったなーって、思って……」

 だんだんと尻すぼみになってしまうのは仕方ない。だってこんなにも恥ずかしいんだから。今まで、告白されたことが無かったわけじゃない。勇気を出して言ってくれていた人たちばかりだと分かっていたけど、好きな人に好きと伝えることがこんなにも大変なこととは知らなかった。

「……ねぇ先輩、私、自惚れてもいいの」
「えっと、どちらかというと自惚れたいのはわたしの方なんだけど」
「………もうやめて。可愛すぎて死にそうだから」

 どのあたりがツボだったのかは少しも分からないけど、好きな人に顔を赤くしながら可愛いと言われることがこんなにも幸せで照れ臭いものとは知らなかった。今日は知らないことに出会うばかりだ。

「まだ駄目なのに、先輩のことが今すぐ全部欲しくなる」
「え、ぁ」
「会う度に私がそう思ってたこと、知らないでしょう?」

 至近距離で見つめられて、その黒に吸い込まれそうになる。夏油くんから目を逸らすことができないでいると、「そんなに真っ直ぐ見られたら悪いことできないな」と照れたような苦笑いの表情になった。そんな顔を見るのは初めてで、またじっと見つめてしまう。
 そんな夏油くんを中心に置いた視界の中でも分かるような夕焼けの色濃い輝きが、奇しくもあの日と同じ色をしていた。

「マジックアワーですね」
「うん。綺麗だよね」
「はい。とても」

 二人して夕日を見ていると思っていたのに、ふと夏油くんを見ればぱちりと視線が交わってしまって、さっきの形容詞の主語が夕日ではないかもなんてことを知って、慌てて顔を逸らした。
 さっき一瞬揺らいだけれど、夏油くんはいつだって余裕そうだ。目を細めながら「どうしました?」なんて分かりきったことを聞いてくるあたりに、恋愛経験値の差を思い知る。少し悔しくなってむくれっ面になりそうなところをどうにか堪えて、強がりを口先に乗せた。

「別に、前に告白された時もこんな夕焼けだったなって思っただけだよ」
「……それを思い出されたの、すごく嫌なんだけど。あと私より先に先輩へ告白したのも初めての恋人になったのも、思い出すと殺意が湧くから、早く別れて。もう二度と言わないで」

 敬語が外れるほど拗ねた彼につい笑ってしまうと、次いで唇を尖らせた彼のその頬の色にまた笑みが溢れる。マジックアワーとはよく言ったものだ。本当に魔法のような時間を贈ってくれた上に、燃えるような赤い夕日の置き土産を遺して、わたしに見せてくれたのだから。




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