傑はモテる。それはもう、ものすごく。それを感じたのは4人で買い物に出かけた時。わたしと硝子が二人と別行動をしていると、その度に悟と一緒に綺麗なお姉さんに話しかけられていた。

悟も傑も、強くて逞しくて堂々としていて、格好よくて。街を歩けば女の子の視線を集めて、わたしはそれを見て聞くたびに、心臓がちりちりと痛くなる。悟はあれでいて少し子どもっぽいところがあるから、話せば彼のあの見た目とのギャップにびっくりして離れていく女の子もいそうだけど、傑は優しくて紳士だから、話したらきっともっと、傑のことを好きになる女の子ばかりだ。

そう、傑は、誰にでも優しい。

わたしに向ける優しさは、他の誰しもが甘受できるそれと同じもの。特別にならなくたって、傑はきっとずっと、わたしに優しくしてくれるけれど。恋というものはどうしても、人を我儘に、そして欲張りにするらしい。

「どうしたの。任務で何かあった?」
「うん、今日、悟が」
「……悟?」

今日わたしはひどく疲れていた。その足で高専に戻って、傑の部屋を訪ねた。

今日は悟の任務のサポートだったから、何事もなければ楽に終わるだろうと思っていたら、急に現れた一級相当の呪霊。悟がすぐに祓ってはくれたけど、その呪霊が放った術式はわたしを狙っていて、咄嗟に悟がわたしを庇った。無下限があると分かっていても、自分のせいで誰かが傷つくかもしれないと、──死ぬかもしれないと思ったのは久しぶりで、しばらく動けなかった。

悟はもちろん無傷だったけれど、でも、庇ってくれたのが悟じゃなかったら? 他の人なら、たとえば傑が、呪霊ではなく生身でわたしを庇ったら? 考えれば考えるほど怖くて、弱い自分が情けなかった。

「……悟と、何かあった?」
「あ、ううん。ごめん、何でもないんだ。ただわたしが気にしすぎてるだけ」

傑の顔見たら元気出た、なんておちゃらけてみる。半分本当で、もう半分は、そうでもして話を終わらせないと、何か要らないことを口走りそうだったから。傑のあの声で優しく促されると、惚れた弱みか、するすると話してしまうのだ。馬鹿だって思うけど、自分でも止められないから、離れた方がいい。

「急に来てごめん。部屋に戻るね」
「待って」

くん、と服の裾を引かれる感覚に振り返ると、今度は腕を捉えられた。傑の顔が思いのほか近くにあって、ほんの少し顔の熱が集まる。思えば、こんな風に触れられたのはいつぶりだろう。
傑はパーソナルスペースにそこまで過敏なわけでもないけど、そういえばわたしは、傑が女の子にしているような自然なボディタッチというものを、されたことがない気がする。きっと、その人たちと私とでは、何かが決定的に違うのだろう。また胸がつきりと痛くなった。

「私と付き合わないか?」

少し考え事をしていたせいで、反応が遅れた。傑の言葉の意味が分からなくて、数回瞬きしてから、「え?」と間の抜けた声が漏れた。傑がこんなにも脈絡のない話をするなんて珍しくて、次の言葉が出てこない。

「駄目かな?」
「えっと、駄目じゃない、けど……でも、」
「じゃあ、付き合ってくれる?」
「……う、ん」

経緯が分からないとはいえ、好きな人から付き合おうと言われて断れるほど、わたしは人間ができていなかった。理由を聞いたらこの話はなかったことになりそうで、何も言えない。
傑はそんなわたしに気付くはずもなく、ほっとしたように笑った。その顔は初めて見るものだったけれど、これがきっと女の子に微笑む時の表情なんだろう。

じゃあこれからよろしく、とそう言われて、そこでようやくわたしの手は離された。どうやら彼氏彼女の間柄になったらしいけれど、経緯も何も分からない上、この体温があっけなく離れても、何も言えやしなかった。きっと、惚れた方が負けというやつだ。

──経緯はどうあれ、とにかくわたしの認識と記憶に間違いがなければ、わたしと傑は恋人同士になったのだと思うけど、彼はたとえば任務や高専で会ってもあまりにもいつも通りで、むしろ以前より目が合うことが少なくなった気がする。
そのくせ、女性の補助監督や同業の人なんかにはあの優しい笑顔で笑いかけるものだから、わたしの肺や心臓に鉛が落ちては、呼吸の中の酸素が押し出されて減っていく。

わたしは彼の何なのだろう。分からないけれどとにかく、付き合うというあの言葉に浮かれていたのはわたしだけだったのだ。



「傑と何かあったのか?」
「……わたしそんなに分かりやすいかな」
「まーな。おまえがそんな顔すんのなんか、どーせ傑がらみだろ」

教室で報告書を書いていると、ふと影が落ちて、見上げると悟に顔を覗き込まれていた。サングラス越しの蒼い眼からは逃れられない気がして、一瞬閉じた口を、もう一度開いた。

「傑は、関係ないよ」
「はあ? 嘘つけ」
「本当だよ。……そもそも、別に付き合ってないんだから」

わたしがそう言ったのと同時に、それなりに大きな音を立てて教室のドアが開いた。驚いて顔を上げると、悟は「げ、めんどくせ」とその綺麗な顔立ちに似合わない声を出したけれど、その気持ちも分かる気がする。
扉を開けたらしい傑の顔は傍目にはいつも通りだけれど、目が笑っていなかった。そんな顔は初めて向けられたかもしれない。

「じゃあ俺行くわ」と悟は教室から出て行ってしまう。いま二人きりにされるのはどうにも気まずくて、その背中を恨めしく思いながら見送っていると、くん、と服の裾を引かれた。あの日と、同じだ。

「私と付き合ってないって、どういうこと? 別れた覚えはないんだけど」
「……だって、」

こんなこと言ったら面倒くさいって思われるかもしれない。そんな気持ちで一瞬言葉を飲み込んだけれど、すでに面倒な状況にはなっているんだからと、傑の目を見て言う。

「恋人、らしいことは何もないし。傑はむしろわたしの目、見てくれなくなった」
「……それは……」

今度は傑が目を逸らす。言葉選びの上手な傑が言い淀むなんて珍しくて、少し言葉を待つけれど、沈黙は止まない。──ああ、やっぱり。わたしにあんなことを言ったことを後悔してるんだろうな、気まずくて顔が見れなかっただけなんだろうな、なんて思って、思わず口を開いた。

「大丈夫だよ。わたしは気にしてないから」
「……は?」
「傑、モテるしさ。わたしなんかと付き合わなくても、すぐに素敵なひとが見つかるよ」

自分で言っていて辛くなって、なんだかやっぱりその顔を見られなくなってきて、書きかけの報告書を裏返した。硝子のところへでも行って話を聞いてもらおうと思って立ち上がると、腕を掴まれ、そのまま身体ごと引っ張られて、気付いたら、何かに呼吸が堰き止められていた。
それがキスだということに気付いたのは、その感触が離れて、苦しそうな傑の顔を見たときだった。

「どうすれば良い?」
「え……」
「どうすれば伝わる? どうすれば、君の一番になれる?」

慣れた動作でわたしを引き寄せて、腕の中に閉じ込めたくせに、この耳がくっついているその心臓から、とにかく急いた鼓動が聞こえてくる。わたしの脳はもうとっくにキャパオーバーで、訳が分からない。

「好きなんだ」
「……え?」
「……どうしてそこで驚くの」
「え、いや、だって、……え……?」

好きって、あの「好き」だろうか。信じられなくて、思わず腕を突っ張って顔を上げると、思いのほか近くに傑の顔があった。前にもこんなことを思った気がする。あの時と違うのは、傑の顔が、目元が、どうしてか赤いということ。

「傑、顔赤い、よ」
「……仕方ないだろ。初めて、好きな子を抱きしめてるんだから」

どうやら聞き間違いでも勘違いでもなくて、さっきの「好き」は紛れもなく、傑からわたしに向けられたものらしい。だけどそれなら、どうしてわたしに笑ってくれなくなったんだろうか。他の女の子に対しての方が優しく笑っているなんて、どうしたって悲しいのに。
わたしの心を読んだみたいに、傑は言いにくそうに口を開いた。

「きみの顔、見れないのだって、これでも、照れてるんだよ」
「………」
「……何か言ってくれないか」
「ご、めん、意外で」
「どんな男に見えているか知らないけど、私はけっこう餓鬼で、欲張りで、我儘だよ。だから、君から悟の話を聞きたくないし、君が悟と一緒にいるのも嫌だ」

ふたたび腰を引き寄せられ、抱きしめられる。さっきは驚きすぎて感じなかった傑の匂いを吸い込んでしまって、ぶわりと顔に熱が集まった。鮮明に聞こえていた傑の心臓の音も、今はもう聞こえない。自分の鼓動が、あまりにもうるさいから。

「す、ぐる」
「……何かな。悪いけど、もう一度付き合ってくれるまで離さな、」
「好き」

日本語というものは芸術的で、気持ちを表す言葉はきっとたくさんあるのに、わたしの口から溢れたのは、その立った二文字だった。顔が熱い。好きと言ってしまってよりこの恋心を自覚してしまったら、傑がこんなにも近いものだから、いよいよ心臓が破裂しそうだ。

「……こっちを向いてくれ」
「無理」
「顔が見たい」
「やだ」
「……キスしたい。今度は不意打ちじゃなくて、ちゃんと、するから」

結局傑のことが大好きなわたしは、その言葉に陥落して、顔を上げた。我ながら現金だとは思うけれど、言われた通りにちゃんと従ったのに、「そういうところ、本当にずるいよね」と、拗ねたような顔をして傑は言う。

何がずるいのかについては分からない。ただ、惚れた方が負けとはよく言ったものだ。わたし達の勝敗は、誰にも分からないけれど。




list

TOP