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 2、3日に1回程度手紙を書き続けていると、2週間後、ついに彼女から返信が来た。正直なところ、一ヶ月待っても来ないかもしれないと思っていた。彼女の優しくて律儀な性格に感謝した。

『お疲れさま。私は元気にしています。

洗濯物は夜に回して一旦室内に干しておいて、昼間の天気が良い日はベランダにかけておくと早く乾くと思うから、そうしたほうがおすすめです。
シーツは、私は洗濯が好きだから週1回くらいは洗っていましたが、悟はきっと忙しいからそこまでしなくてもいいと思います。

ところで、離婚届は出してくれましたか。ただでさえ忙しい悟の、手紙を書く時間を割いてもらうのは申し訳ないから、そちらの対応だけお願いします。』

 離婚届のことと手紙は要らないというところは脳内で読み飛ばし、その前の文章を何度も何度も読み返す。
 僕が洗濯機を回すタイミングや干すタイミング、シーツを洗濯するときのことなどを手紙でだらだらと相談したから、その返事として書いてくれただけだけど。彼女からの何かしらの連絡が来たことが、純粋に嬉しかった。

 あの日のメモにしてもこの手紙にしても、僕のことをしきりに『忙しい』と表現するのは、側から見たら少しの皮肉に感じるのかもしれない。ただ、僕にはこれが本心なのだとわかる。彼女は本当に僕を気遣い、僕の負担を軽くすることを結婚した当初から常に考えてくれていた。
 僕にぶつけてしまえばいいのに、その真面目な性格から溜め込んでしまい、そして耐えきれなくなって、彼女は出て行ってしまった。

 まあ原因を作ったのは間違いなく自分なので、たらればを考えたところで無駄だけど。

 あちらこちらへ散る思考を再びかき集め、改めて手紙を見る。この家で書いてくれていたメモよりもほんの少しだけトメハネが丁寧な字。相変わらず敬語であることは寂しかったが、彼女の性格が現れたような几帳面な字と、ひとつひとつが優しく選ばれた言葉で綴られたそれを眺めて、枕元に置いた。今夜は、少しだけ眠れそうだ。

 何せ彼女が出て行ってから、自分でもわかるほど眠りが浅くて、そのせいで夜に目が覚めることは日常茶飯事だった。
 アイマスクを外してサングラスをかけた時には生徒にも目の下の隈に気付かれ、心配をかけてしまっている。そのうち任務や業務にも支障が出そうだから寝なければと思うけれど、彼女のいないベッドを見つめてしばらく寝付けず夜中に意識が浮上して、隣を見てはまた眠れなくなる。
 今日からはその時に彼女からの手紙を読んで、少しは心が落ち着くだろうか。そして今夜こそ、夢でも良いから、会えたりしないだろうか。



 結論から言うと夢には出てこなかったけれど、身体は少し軽かった。いつもよりは深く眠れた気がする。彼女が書いた手紙だけでもこれなのだから、いつか彼女が戻ってきてくれたら、僕のベッドに招いて同じ布団で眠りたい。彼女を抱きしめて眠ったらいっそ寝坊をしてしまいそうだ。

 それからも手紙のやり取りは続いた。「君の作る甘めの肉じゃがが好きだったから、レシピが知りたい」と書けば、律儀に材料と作り方を送ってくれた。生姜なんて、一人暮らしの時はチューブのものでしかまともに見たことがなかった僕は、彼女がわざわざ生姜を買って、刻んで小分けにして冷凍していたなんてことも、一切知らなかった。

 お風呂掃除の方法を相談すれば、それも丁寧に教えてくれた。僕は本当に今まで何もしてこなかったのだと改めて思う。この家が綺麗に保たれていたのは、すべて彼女のおかげ。彼女だって仕事で疲れているのに、すべての家事をこなしてくれていた。
 仕事に行く前、帰ったあと、そして休日。僕と二人で過ごすこの空間の快適さを、たった一人で作り上げてくれていた。それがどれだけ恵まれていたことか。

 最初に手紙を出してから2ヶ月。思い切って、彼女をデートに誘った。ホテルのケーキビュッフェの優待券を貰ったから一緒に行かないかという内容。優待券を手に入れたというのは決して口実ではなく、本当に偶然だった。彼女に会うためならば、そんな偶然だった何だって利用したかった。

 手紙にははっきりと、『君以外と行く気はないから、君が行かないなら捨てる』と書いた。場所が東京だから、もし来てくれるなら名古屋からの往復の交通費も出すという内容も添える。

 やっぱり断られるだろうか。
 そういえば付き合う前にデートに誘ったときも、こんな気持ちだった気がする。今はそんな初々しい感覚ではなく、僕の誘いにイエスと言ってくれるかどうか、そもそも手紙が返ってくるのかどうか。あの頃よりも何重に不安と緊張を募らせながら、ポストに手紙を投函した。

 数日待つと彼女から手紙が届いた。うるさい心臓を静かにさせたくて深呼吸をし、それでも忙しない鼓動をもって、手紙を開く。
 『来週東京へ行く用事があるから、その時に悟の休みが合うなら』という返事で、僕はすぐさま彼女が指定した日付の休みを取るため、伊地知に電話をかけた。

 もう一度、彼女に会える。それだけでどんな呪霊も軽々と祓える気がした。休みを確保できたあと、いやに機嫌が良い僕を伊地知は逆に怖がっていたが、そんなことは少しも気にならなかった。