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 まるで付き合い始めた時みたいに、悟から数日に一度、電話がかかってくるようになった。頻度は減ったけどいまだに手紙も送ってくる悟に、「電話で話せるんだから送らなくてもいいよ」と伝えると、僕が送りたいだけだから返事はいらないよ、なんて少しすれ違った会話になった。

 この呪術界の中で最も忙しいと言っても過言ではない人だ。だから無理をしてほしくなくて、だけど手紙や電話がくるのは素直に嬉しくて、何も言えなかった。私は随分と自分本位な人間だったらしい。

 ある日の電話で、いつもより硬い声で『あのさ』と悟が言う。返事をしても電話の向こうから応答はない。

「悟?」
『……あの、再来週の、12月24日の夜、空いてる?』
「え、」
『休み取るから、その、デート、してくれないかな』

 遊びに誘われることは何度かあった。ランチやカフェなど、名古屋でも東京でも、ほんの短時間だけ会うものだったけれど、それなりにきちんと約束をして、待ち合わせをして、互いに少しよそ行きの格好をして会うことを、何度か繰り返していた。
 だけど悟がWデートWという単語を使うのは、私が実家に帰って以来初めてで、そして夜に会うのも、初めてのことだった。

『それで、君が嫌じゃなければ、家に泊まってほしい』
「……それは」
『っ、ごめん。今のは調子に乗っちゃった。晩ご飯食べに行こうって、言いたかっただけ。その後は忘れて』
「……いいよ、予定空けておくね」
『ほんと?』
「うん、楽しみにしてる」

 臆病な私は、返事をはぐらかした。家に行くことをイエスともノーとも言えなくてどちらとも取れるような言い方をしてしまったけれど、悟の反応を見るに、12月24日の予定そのものをOKした方と捉えられたようだ。それで良かったと思う自分と、なんとなくもやもやが残る自分。どっちつかずで遣る瀬無い。

 電話を切った後、ベッドに寝転ぶ。悟の嬉しそうな声が耳に残って離れない。実家に転がり込んでから、独身のふりをして地元の友人に誘われるまま、ただの知り合い同士な食事会のようなゆるい空気の婚活パーティーのようなものに参加してみたりもしたけど、誰と話しても悟のことを考えてしまって意味がなかった。
 私は結局、ずっと悟のことが好きなままだった。離婚前の彼の態度なんかを思い出して込み上げる虚無感は、その後の彼から与えられた優しさで絆される。単純で馬鹿な女だと思う。

 クリスマスイブに会ったら、この曖昧な関係も、何か変わるだろうか。変わってしまう、の方が近いだろうか。

 悟はどんなお店とは言わなかったけれど、彼の生活レベルを考えるとドレスコードが必要なところだってあり得る。服を買いに行く日を決めて、あのスウィーツビュッフェの時のように、美容院も予約することにした。
 ネイルは元々来週行く予定にしていたから今回は予約は大丈夫だけど、どんなデザインにしようか。悟の綺麗な蒼の瞳を思い出して、その色にしてみようと決めた。


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『僕が誘ったのに、ごめん。12月24日、会えなくなった。……任務、入っちゃって』

 その連絡が来たのは、約束の日の3日前だった。私は自分の心臓が冷たくなるのを感じた。彼は忙しいから仕方ない。呪術会にとって替えのきかない人なのだから。
 そう分かってはいても、「本当に仕事?」なんて、言ってはいけない言葉が口から溢れた。他の女の人との約束だとかそんなこと、疑ってもいない。だけど、そう捉えられてもおかしくない言葉。

 言ってしまってから後悔してももう遅い。口から出た言葉は戻せない。ごめんと私が言う前に、彼がもう一度「ごめん」と言った。悟は悪くない。なのに私の喉はただ空気を吸って吐くだけで、何の言葉も渡してあげられなくて。

『僕の我儘ついでに、もう一つ聞いて。しばらく、絶対に、東京と京都には行かないで』
「え? どういう、」
『ごめん、会議があるからそろそろ切る。本当にごめん。また、連絡させて』

 悟は何度も謝って、電話を切った。東京と京都。それぞれ高専があって、呪いにとっても縁のある場所。何か起こるのだろうか。私は今はもう呪術師ではないけれど、説明してくれたらきっと理解できるのに、教えてももらえないんだね。
 心配することも許されなくて、だけどそもそも自分から突き放したせいなのだから、自業自得だ。それなのに、ほんの少し涙が溢れた。泣いたのは熱を出したあの日以来で、擦った目尻がぴりぴりと傷んだ。








 『12月24日の百鬼夜行』という言葉と、『首謀者である呪詛師・夏油傑を五条悟が討った』という話は、それから一週間後に、元同僚から聞いた。12月24日。約束が無くなった日。そして、夏油さんは私や七海の一つ上の先輩で、たとえ呪詛師になってしまったとしてもきっと変わらない、悟の唯一の、親友で。

 悟は今、どんな気持ちでいるの? 同僚の話が本当なら、夏油さんを手にかけたのが本当に悟なら、親友の最期をその手で終わらせたなら。どんな顔をして、どんな風に過ごしてるの?

 あの日はきっと夏油さんによって、予告されていたんだ。だから東京と京都へは行くなと言ってくれた。親友といよいよ戦うことになってしまって、悟はどんな思いだった? どんな気持ちで私に断りの電話をくれたの? 私はそれに対して、どうしてあんな最低な言葉しかかけられなかったんだろう。

 居ても立っても居られなくて、上着を引っ掴んで乱暴に袖を通した。マフラーは、ぐるりと見渡した視界に見当たらなかったので放っていく。いつも使っているバッグに財布と携帯を突っ込んで、母親に晩ご飯が要らないことと、東京へ行くことだけ伝えて、家を飛び出した。

 もう嫌われているのかもしれない。だけどそれでもよかった。たとえば悟がそれを望んでいないとしても、大切な人を失った悟の側にいたかった。