バニラ味の欠片

その日は疲れていた。ここのところ呪霊の発生件数はただただ増加する一方で、人手不足は加速していて、激務が詰め込まれる日々。

そんな中、在学中の高専生の応援として向かった任務は、結果として祓ったけれど建物の被害は甚大で、怪我人こそいなかったものの、気が動転した被害者の親族の一人に罵倒された。お前らの所為だと、そんなこと言われ慣れてるのに、今日ばかりは心に重くのしかかった。

他の人たちはその人を嗜めて感謝をしてくれたけれど、ネガティブなことは強く頭に残るようで。こんなに頑張ってるのになんで、と子どもみたいな気持ちが膨れ上がり、じりじりと脳や心臓が痛くなる。

こんな日は、甘いものでも食べるに限る。高専時代に悟と開拓したスイーツショップのひとつ、駅前のお気に入りのケーキ屋で、ショートケーキを買って帰ろう。明日は休みだから、モンブランも買っておいて、明日のおやつにしよう。お店に向かいながらぼんやりと高専のときを思い出して、悟は元気かな、最近会わないな、なんて思いながら歩いていたのが、いけなかったのだろうか。

お目当てのケーキ屋、そのお店の前で、見間違えるはずもない後ろ姿。さとる、と思わず声が出そうになり、その隣に華奢な女の子がいることに気付いて、喉が呼吸をやめてひりついた。

女の子が悟の首に手を回して、そして、顔を近付けた。恋愛ドラマで見るどんなキスシーンよりも目が離せなくて、そのくせ目の奥が、熱くて。

きっと、このケーキ屋がお気に入りなんだと、彼女に紹介したんだろう。
……そっか、私との思い出も、悟にとっては全部、今の彼女との思い出になっちゃうんだな。

気付いたら駅に戻ってきていて、任務の疲れに更に疲労感が上乗せされた。ああもう疲れた。硝子の予定が空いていたらご飯でも誘おうと、スマートフォンの通話履歴を指で滑らせていると、間違えて傑の名前を押してしまって。すぐに切ったけど、数秒で折り返しがあったので、通話ボタンをタップして耳に当てた。

『もしもし? 何かあった? 間違い電話かと思ったけど一応、』
「す、ぐる」

耳をくすぐる優しい声が、心配そうな声色が鼓膜を焦がす。涙腺がゆるんでしまって、それに気付いた傑はさらに心配してくれた。大丈夫なのかと気遣われ、何度も名前を呼ばれる。泣いてない、大丈夫、という言葉は少しの信憑性もなくて、我ながら呆れる。

「私の家に来るかい? まあ、今日はカレーしかないけど」

しばらくして少し私が落ち着いた頃、傑はそう言った。傑の口からカレーなんていう庶民的な単語が出てきて、別に傑は普通の家で育った人だからおかしくなんかないのに、なんだか笑ってしまった。

「ふふ、いいね。傑の作ったカレー、美味しそう」
「しかも二日目のね。どう?」
「じゃあ、お邪魔しようかな」

迎えに行くという傑を制して、電車に乗る。普段あまり馴染みのない駅に降り立って、肺に吸い込む空気が澄んだような気持ちになった。
駅まで迎えに来てくれた傑と並んで、彼の家に向かう。私は呪術師で、そこらの男より格段に強いから心配なんてしなくていいのに、傑はいつも私をただの女の子として見てくれる。少し照れ臭くて、だけど今のささくれた心にはとても心地よかった。