きみと終わる世界にいる




 なまえが珍しく繋いだ手に力を込めたから俺も握り返してやったら、幾分か下にある彼女の顔がすこし下を向いた。だから表情は分からないけれどなんとなく、ふわりと笑っている気がする。
 お前が先にしたくせになんで笑うわけ。そう言いたかったけれど唇から零れたのは、ため息ですらない僅かな二酸化炭素だけだった。

 それなりに暑いけれども、手を離す気はさらさらなかった。冷静になってみて気付いたのだ。いつもよりやたらと注目を浴びているということに。

 ちなみにいつも、という比較対象はバレー部三年で歩いているときであるが、身長と見てくれのお陰で目立つのはいつものこと。ただそれは、ちらちらと見てくるのが女子だけなら、の話だ。
 だけど今日は男子も、いや、あからさまに見ているのは男子の方が多いくらいかもしれない。自分の隣にいるとこいつも必然的に目立つからとか、そんな理由だけじゃない。

 ちらりと目線を隣にいる彼女に向ける。派手ではないが確かに、うっすらと化粧をしている。気持ち程度のマスカラ、自然に書かれた眉、頬には淡いピンク色のチーク、くちびるにはグロスらしきものも。髪はゆるく巻いてあって、歩くたびにふわりと揺れる。落ち着かない。

 短すぎないスカート丈に紺色のハイソックスにローファー、よくある着こなしだけど今のこいつじゃそうもいかない。垢抜けて見える、これは贔屓目なしに見ても間違いない。

 こんなことならさっきキスをしておくべきだったかもしれない。そうすればグロスだけでも、ちょっとは落とせたかもしれないのに。

 そしてそんなことをぐちゃぐちゃと考えていると、視線だけじゃなくて要らない会話まで耳に入ってくるものだから、ものすごく厄介だしイラつく。
 「あの子すげえかわいくね?」「うわ、かわいい。やばい」「いいよなあ、あんな彼女ほしいわ」「お前じゃ無理だっつーの、隣の男見てみろよ」……分かってるなら見るのすらやめろって言いたい。

「あの、徹くん」
「………、なに?」
「えっと、良かったらクレープ、一緒に食べたいなあって……」

 繋いだ手をすこし引いて控えめに顔を覗き混んできた彼女はきっと、俺の機嫌を伺っているんだろう。
 なるべく柔らかく紡いだつもりだった二文字は彼女にどう聞こえたのかは知らないが、おそるおそるといった様子なのでどうやらすこし低い声に感じたようだ。瞳に困惑の色が浮かんでいる。

「あっ、徹くん部活のあとでお腹すいてるし、ご飯系食べたい、よね。ごめんね、コンビニでも寄ってパンとか、それかファミレスとか」
「いいよ」
「……え、」
「クレープでいい。食べたいんでしょ」

 確かにちょっとはお腹すいてるけどそこまでじゃないし、俺は甘いものだって嫌いじゃない。刺々しく聞こえないようそう付け加えてやると、なまえはへらりと頬を緩ませる。クレープ屋に着いても当然のように繋がれたままの手がいとおしかった。

 もとより優柔不断な彼女はやはりメニュー表の前でうんうん悩んでいる。どれで迷っているのかと聞けばイチゴとバナナがメインのもの二種類を指さすので、それをひとつずつ注文した。
 びっくりして何度か瞬きをしてから、あわてて財布を出そうとするその手をやんわりと制して、店員から受け取ったふたつのクレープを彼女の前に差し出した。


「どっち?」
「え、あ、えっと」
「俺のもかじればいいんだからさっさと決めたら」
「う、じゃあ……こっち、で」


 彼女が選んだ方を手渡すと、はにかみながらも、ありがとう、と満面の笑みを寄越された。クレープくらいでこんなに喜ぶならまた買ってあげてもいいなと思ったことは秘密だ。

 ちまちまと食べ進める様子は小動物みたいで、同時にまた周りの視線が鬱陶しく感じたので、彼女のクレープを持つ手首を掴んで引き寄せた。
 がぶりとそれにかぶりつけば、生クリームとイチゴ、そしてほんのりチョコレートの味がした。見せつけるためだとかそんなこと、絶対に言ってやらない。

 顔を赤くして俯く彼女は初心だなあと思う。今さら間接キスくらいで、とそう思うけれども、そんなところも嫌いじゃないので黙っておくことにする。俺の持っていた方を差し出せばおずおずとかじるその様子は、やっぱり小動物だと思った。





「徹くんって、やっぱり目立つね」

 前に行きたいと溢していたアクセサリーショップに連れていけば、店に着くなり、なまえは少し眉尻を下げて笑いながらそう言った。店内にはカップルもちらほらいるから、この空間で浮いているという意味ではないだろうと解釈する。

「クレープ食べてるとき、気付いたんだけど、女の子みんな、見てて」
「その前から見られてたけどね」
「……あはは、やっぱりそうだったんだ」
「俺もだけど、お前もね」


 なまえに似合いそうなネックレスを指先で遊びながら物色する。なんでも似合うしむしろなにもしなくても可愛いけど、どうせつけるのなら自分が買ってやったものがいい。
 ピンクゴールドのチェーンはこいつの白い肌に映えそうだけど、服には合わせにくかったりすんのかな。彼女の首もとに当ててみようかとそれを指にひっかけ隣を見ると、ぽかんと口を開けて固まっていた。
 そのくちびるは人工的な色つやではなくなっていて、すこし気分がよくなった。

「なに」
「えっ、あ、ううん」
「珍しく化粧してるから、ちゃんとフツウに釣り合ってるし、見てたのは男、だから。それよりお前これ、つけてみて」
「……あ、ありがとう……」

 後ろに回って、髪が絡まないよう、外したチェーンをロックする。鏡を見たらしい彼女が「これ可愛い」と微笑むので、自分も鏡ごしにそれを見る。淡いピンクのチェーンもその先に下がる小ぶりな青いバラの装飾も、彼女の髪にも肌にも、ついでに言えば制服にもなじんでいる。

 ネックレスを外すと彼女が振り返って手を差し出すので、何の気なしにそのてのひらにネックレスを乗せた。値段をちらりと見て悩んでいる。

「他のもつけてみれば?」
「ううん、これがいい」

 珍しくすっぱりと言い切った彼女は唐突に、「青い薔薇って徹くんに似てるよね」と言った。どのあたりからどう連想されたのかは知らないが、俺に似てるからこれを選ぶというのだろうか。とんだ殺し文句である。

「………」
「……ご、ごめんね、変なこと言って」
「……次来たときにもっと気に入ったの見つけたって、知らないよ」
「え、」

 その小さな手から再びネックレスを拐って、レジへ向かう。ああもうむかつく。包装はどうされますか、という店員の対応に、横からなまえが小さな声で「今、つけることはできますか?」なんてことを言うので、ますます心拍数があがる。むかつく。
 お付け致しましょうか、なんて聞いてくる女性スタッフに断りを入れて、買ったネックレスを自ら彼女の首に添えてやる自分も、珍しく積極的なこいつも、らしくない。

「あの、ありがとう、徹くん」

 だけどそんな羞恥も乱れたペースも、すごく嬉しいだの毎日つけたいだの、にこにことご機嫌なこいつを見ていたらどうでもよくなるんだから、自分も大概単純だ。
 帰り道に「次から化粧はするな」と言おうとしたら、「徹くんの隣に立っても恥ずかしくない女の子になりたくて、薄めにだけど頑張って、メイクしたんだ」なんてことを細々と伝えてきたこいつに、いつもより可愛いだとかそんなことは素直に言える筈もなかったけれど、代わりに、ひねくれた言葉ひとつだって出てこなかった。
 それらぜんぶが伝わるようにと、住宅街の道なのもかまわず、そっとキスをした。クレープを食べたのはずいぶん前なのに、あまい苺の味がした気がした。