東大寺お水取り

ただいま生中継されていますね。
(14日追記更新)

文化を学んでみようという気持ちのほかに、目に焼き付けておけば今後なにか創作に活かせないだろうか……という些か邪な気持ち混じりで拝観していることを白状します(見るもの聞くもの感じたこと全てが大抵そうなのですが)。
1270年もの時を渡り続く儀式。信心の到底足りない私などは一度も目にすることのないまま生涯を終えていた筈ですが、幸か不幸かこのコロナ禍、入場や参拝が規制されたことに対する配慮がされたために私もテレビをつけるだけでみることができます。

昨日12日は『このほの』に登場する十三番隊隊士、見坊さんのお誕生日でした。実を言いますと、この歴史ある行事に肖って設定した次第です。彼というキャラクターが生まれたのはもう五年ほど昔のことなのですが、当時はまさか生中継でみられる日が来るとは思いもしませんでした。

神聖な儀式を秘するように垂らされた白い布の先で炎を取り囲んで行われる『走り』。このぼんやりと布に映る影の様子が「影法師」という言葉の親である説もあるそうで。但しこれもまた「注・諸説あります」というやつなのですけれど(外伝一の第2話参照)!

さて、これ以降はもっと追記したくなったら明日にでもしれっと付け足しておきます。


【以下は翌14日記】

放送延長されましたね。生中継最後までみました。色々と勉強になりました。各々方の解説や感想もとても興味深かったです。みた方には解っていただけるかと思うのですが、夢枕さんの「何やってんだろう」でフフッとなりました。

三界、昇華、魂魄など、ざっと用語を省みるだけでも、BLEACHって仏教の思想や言葉とは切っても切り離せないところがありますね。ぱっと思い当たるのは浦原さんの『観音開紅姫改メ』や山本総隊長の『火火十万億死大葬陣』なんかもそう。由来やネタ元を考えてみると果てにはやはりそこに行き着きます。
生中継で儀式終盤に行われた『達陀』(だったん)で「水の神『水天』と火の神『火天』が向かい合って飛び跳ねています」とアナウンサーさんが実況されていた頃、煩悩にまみれた私は『捩花』を振り抜く海燕さんと『鳶絣』を掲げるこのほの主人公の姿を思い浮かべて重ね見ておりました。お恥ずかしや。この他にも「一心にお祈りを」とか「鈴を鳴らして神を驚かせ覚まし呼び寄せます」といった内容を耳にする度に、自分も二次創作をするうえで仏教に影響されまくりなんだよなぁと改めて思い知らされました。ちらちらと画面に映っていた二月堂内部にある真黒い六角形の吊り灯籠を見ては、『鳶絣』の鎖の先についてるやつも正にこんなイメージしてたなぁ……とかもしみじみ。

現在『このほの』本編は37話『自傷自罰は朦先からよ』まで公開しています。そして次の38話には、これまで以上に筆者個人の原作独自解釈と独自二次創作裏設定が含まれます。あの世界の神様とか始祖とか、その辺りに関わることです。
浮竹隊長と"例の彼"の篤い友情(最近の巷ではそういうのをクソデカ感情と呼ぶ)と、浮竹隊長が"あの子"に向ける慈愛や庇護(これもまたクソデカ感情といえる)について語られる予定です。これは執筆中に正気になってしまったら筆をへし折りたくなるというか筆も臍もひん曲がりかねない気がしているので、羞恥をかなぐり捨てて臨んでいます。創作者よ狂気を抱け。
今のところ38話内の追想二つ目の終盤まで書き上げているのですが、この話を仕上げきる前にお水取りの生中継をみることができて運が良かったと思います。といってもここまでの推敲はほぼ済ませてあるので、文章を書くための参考というよりか、ただ私の心理的な部分のお話になるのですけど。

『このほの』の名前変換ページから飛べるようにしてある年表ページには、公開当初から話ごとのイメージソングもメモしています。でもあれ、殆どは「聴いてイメージして話を書いた」のではなく「話に合ってる気がしたから聴きながら書いた」というものばかりです。次回更新予定の38話とそれに含まれる追想にも、それぞれ「これはドンピシャ!」と思える曲に都合良く出会えたので、後日公開できたらそれも載せておきますね。
……Spotifyくんが毎週自動生成してくれるプレイリストが秀逸すぎて、「もしかしてヘッドホン経由で私の頭ンなか覗いてません?」なんてお馬鹿なことを考えて怖くなるくらいです。お気に入り登録した曲数も増えてきたし、AIがどんどん私の好みを把握していってるんだろうなぁ……。


BLEACH 2021/03/13
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