無辜の血眼 –泡影–

追想
むこのちまなこ –ほうよう–

 『猿猴捉月えんこうそくげつ』って知らないの?川面の月に向かってこうも不用心に飛び込んで来ちゃうなんて、ボクちょっと心配になるよ?
 ……仕方ない。折角だし、もう少しだけ昔話をしてあげよう。誰にもナイショだよ。

 『紆余うよ曲折きょくせつ』って言葉はモチロン知ってるよね。くねくね遠回りしてやたらめったら込み入っちゃってる感じ。書き下すと……なんだろ、あまりにがってが……まがりすぎじゃない?『Wうにゃうにゃ』かっての。とにかく、ボクとあいつって正にそれだったの。
 誰しも幼い頃や若い頃があった。キミらだって、いつか今が懐かしく思える時が来るさ。先達として言うけど、大抵は青さゆえの恥も付いて回るから覚悟しておくといいよ。若人笑うな来た道だ、年輩笑うな行く道だ、ってね。……なんか違う?いーの、べつに。
 ボクら「右向け右」と言われて左向くのみならず欠伸あくびして寝っころがっちゃうような、おなか真っ黒けの天邪鬼世のなかナメ青少年てるクソガキだったワケ。でも浮竹はそうじゃなかった。同期で唯一の良心というか、反抗期はお母さんのおなかの中でもう済ませてきたに違いないってくらい、誰に対しても親切かつ実直なの。

 だからこれも、成るべくして成ったことだと思うんだ。


***


「よろしくな天鷹」


 親友の浮竹十四郎は、何の躊躇いもなく彼の名を呼んだ。京楽春水が百年かけてもまだ一度も呼べていなかった名を、初対面を果たしたその日の内にあっさりと。
 やはり彼は『よろしく』はしてくれなかった訳だが、浮竹はこの程度で折れる男ではない。何を隠そう、あの時灘のことも友達だと思っているような“純”である。一度冷たくされたくらいで冷めないし、仮令たとい、いや実際、自分が殺されそうになっても他人の事情を汲んで赦してしまう筋金入りのお人好しなのだ。誰に何を言われようと忌まれ者の同期を放っておく筈がなかった。そう、親友から「ボクもやめといた方が良いと思うな」などと止められていたとしてもだ。

 牛頭の化け物に襲われて、あわや此処が死に場所かという窮地を天鷹に救われた或る十月の夜。これより、その後日談を語ろう。


――――――


「なあ、京楽」

「なに」

「あれから天鷹には会っ」

「ね〜やめときなってば〜」

「お前のそれは何なんだ……もうただの意地になってないか……?」


 綜合救護詰所内、とある白い病室にて。
 天鷹と友達になりたい浮竹と、それを阻止したい京楽という見飽きた構図である。似たやり取りはさてもうこれで何度目か、数えるのもばかばかしい。

 負傷した浮竹を連れて瀞霊廷まで帰るのには数日かかった。虎挟みにやられた足は骨折していたうえに傷は膿んで腫れあがり、おまけに熱が出てしまって、暫くの入院を余儀なくされていた。京楽は暇を見つけてはこうして見舞いに来ているのだが、何か一つ話題に区切りがつくとその度に浮竹は天鷹、天鷹と。恩人に改めて礼がしたいのだと言って聞かない。
 確かに命は救われたが、そこまで感謝してやる道理はないというのが京楽の考えだ。なにしろ面倒見が悪かった。敵を倒してくれたはいいが、その後さっさと一人で立ち去ってしまったのだから評価は足し引きしてゼロが妥当だろう。×罰点だ。自分と余り体格の変わらない人に肩を貸しつつ長距離を進むのは想像以上に大変だ。浮竹を連れ帰るにも二人がかりであれば幾らか楽だったと思うと、手放しに感謝する気になれなかった。


「……なあ、思うんだが」

「違うよ」

「!? まだ何も言ってないだろう」

「じゃあ言ってみなよ」

「……俺に友達を取られるんじゃないかと心配しているのか?」

「ほ〜ら違う!そんな訳ナイでしょ!そもそもあいつ友達じゃないもん、あんなおっかない死にたがり」

「そうか?俺にはそうは……」

「見えなくてもそーなの。ホラもう変なこと言ってないで、そろそろご飯の時間だよ。ボク今日食堂でやってる𩸽ほっけ食べ損ねたくないからもう行くね」

「あ、ああ。またな」


 京楽は静かに病室を後にする。虫の居所が悪くても物に当たったりしない辺り、育ちの良さが窺えた。見送る浮竹が手を振ってきたので、無愛想ながら一応振り返してから戸を閉めた。
 ひんやりとする廊下を歩きだして間もなく、背後に人気を感じた。浮竹の夕食を配りにきた四番隊隊士かと思ったが、振り向けばいたのはなんと窓枠に足を掛けて外から侵入せんとする不埒者であった。バチリと鳴った錯覚がするほど、ばっちり視線が交わった。


「『這縄』」

「そうくるかい」


 京楽は有無を言わさず対象の片手首を捕えた。そのまま詰め寄って押し返し、一緒に外へ飛び降りる。そこは三階だったが、死神であればどうという事はない高さだ。両者とも軽やかに中庭の芝生に着地した。


「やる事が突拍子もないな、変人」

「それキミに言われたらおしまいなやつ」

「行儀が悪かったのは認めるが縛ることなかろ」

「だって物騒だし?」


 不埒者もとい天鷹の手には、あの真黒い斬魄刀があった。そして反対の手には――


「なんだ、久里くり屋の栗饅頭か」

「……ひったくるほど好物か?」

「盗らないよ。どしたのこれ」

「見舞いの品だよ。重國殿から十四郎に」

「……おつかい?」

「そうだが。……何だと思ったね」

「べつに……まあ、キミが所構わず暴れるとは思ってないよ。斬魄刀抜いてるのは何でか知らないけど」

「そりゃこらぁ、あれだよ」

「どれよ」


 天鷹が指を差した方に目を遣ってみると、中庭中央にある橅の若木から少し離れた所に、大人の腿くらいまでの高さの真黒い立方体があった。どういうことよ、と今一度視線で問えば、彼は縛られたままの手首を軽く動かして刀を降った。すると、固そうな石に見える立方体が音も立てずにみにょーんと上に伸びた。ある程度伸びきると、今度は先端が首をもたげるようにして曲がったり、向きを変えたり。まるで生き物になったようだった。


「……何コレ」

「俺が『黒燿こくよう』で作った何か」

「創った本人でも『何か』ってなに」

「乗っかってチョイとこいつを振れば、高い所に上れたり橋の代わりになったりな。なくても訳無いが、あると結構便利だぜ。瀞霊廷の其処そこ彼処かしこに置いてあって、これはその一つ」

「なに?宝探しでもさせる気?」


 要は彼の斬魄刀の能力で作られた絡繰りの仕掛け物であると。しかも見た目はただの黒い石だから黙っていればバレやしないと踏んでか、其方そち此方こちにおおかた無許可でこうも堂々と。意外な方向に思い切りがいいというか、真面目そうに見えてやはりどこか狂っている。


「さて、解ったからもうよかろ。放してくれんか」

「まだかない。ちょっとキミに話があるから」

「話ならこの腕自由にしてくれてからでも」

「そしたらキミ逃げそうだし」

「…………」

「アタリだからって黙らない。表情薄いくせしてボクより分かり易いってどうなの」


 心許ないので念のため後述詠唱をして這縄の強度を高めておく。天鷹は眉間に皺を寄せて「本気かよ」と呆れた面差しだが当然、こちらは本気である。京楽からすれば天鷹は神出鬼没の山鳥にたとえても過言にあらず、この機を逃せば次はまた何時いつ何時いつまで待たされるかも知れないのだ。手荒だとか見た目が犯罪アレだとかは知った事ではない。


「……栗饅頭は…」

「どうせもうご飯の時間だし明日で良いでしょ。ボクから渡しておくよ」

「はぁ……あいよ、分かったよ。話ってなァなんだね」


 彼はろくに回らない手首でどうにか刀を納めると、立方体の上にボスンと腰掛けた。彼の背後に立つ橅の黄色い葉は、茜色の空からの落陽に染め抜かれて赫々かっかくとして見えた。
 刀と、その色。なにやらざわつく気持ちがおこりかけたが、このときはまだ思い起す事は特になかった。


「浮竹がさ、キミと友達になりたいって言うんだけど」

「……やはりまだ言っているか。というか君、『巻き込まないでくれ』みたいなこと言ってなかったか?自ら間に挟まりに来てどうするね」

「そうだよ皺寄せはまっぴらごめんだよ。でもさ、本当に栗饅頭だけ渡して帰るつもりだった?」

「重國殿からの遣いというのが偽りだとでも?」

「……浮竹と顔合わせるのは避けたいみたいなのに、素直に引き受けて来るのは変だと思うよ」

「避けたいのは否定せんよ。だが考えてもみろ、俺があの方の頼みを断れる訳もなかろ」

「それはそうかもしれないけど……」

「……なぁ、率直に言ったらどうだ」


 一段低い声で言いながら、天鷹は這縄が巻き付いている腕をぐんと引いた。反対側を握っていた京楽はよろけ、天鷹に頭を差し出すような体勢になる。これではもう、縛っているのは一体どちらなのか。京楽は自分の後頭部が赤瞳に捉えられているのをひしひしと感じた。
 すぐに顔を上げる勇気が出せなくて、中途半端に伏せったまま口を開いた。


「……面倒だって思うかい」

「何を」

「友達。友達っていう関係をさ」

「……強いて言えば今の君が面倒だ。まだ遠回しに物を言う」

「……じゃあ、言うけど……」

「手短に。……多分アタリだぜ。君、振る舞いに反して聡いようだから」

「…………浮竹の記憶、消しに来たんでしょ。やめてあげて」

「そらな。言わぬことではない」


 言い当てられたら潔く認める。そんなところも昔から変わっていないようだった。
 天鷹は小物みたいに焦ったり驚いたりしてくれないから、非常に口喧嘩がやりづらい。図星を突いて揺らげばそこを叩くし、認めず頑固になれば遠慮なく責められる。それなのに「さあ言い負かしてやるぞ」と意気込んだそばから「はい負けました」と降参されたら、こちらは意気の遣り場に困ってしまう。分かり易いのと御し易いのとは別物なのだ。


「消すといっても俺の事だけをだ。君としても十四郎から俺を遠退けたかろ。何か問題があるか?」

「浮竹がキミに関する記憶を失くしたとしても解決しないと思うよ。またちょっとでも噂が耳に入れば、浮竹は必ずキミを探す。どんなに悪い評判でもだ。浮竹は自分で会って確かめたがるだろうね」

「……親友の君の言なら信じないか?君から悪評でも吹き込んで諭してやれ」

「ははは、そんなのもうとっくにやってるんだよねぇ……やってるのに効かないからボクも困ってる」


 つい半笑いで嫌味な声が出た。そしてこれは、紛れもない本心だ。


「浮竹はああ見えて誰よりも頑固だよ。あの晩キミも感じ取ったでしょ?……だからもうさ、諦めてよ。諦めてキミの方が折れなよ」

「そこまで諦めばやくはない。三月みつきも潜めば、彼のおかしな余熱ほとぼりも冷めよう」

「そんなに友達をいらないと思うなら、どうしてキミは……死神になんてなったの」

「俺と違ってきっちり統学院に通った君が何を言う。無論、世のためよ。この身の潰えるまで使い潰していただく」


 山本元柳斎重國に拾われた身である天鷹は、問答無用で否応いやおうなしに死神に就かされている。学友と共に学ぶこともなく、未だに家の外との繋がりの尊さを知らない。そのうえとっくに深層心理で自分は生きる価値なしと断じている。向けられる鉾は全て正当であると信じている。そんなことだから、ここまで見事な希死念慮の怪物が出来上がった。

壱王いちおうこうまもりまほしくば、敵ことごとかげよりほふるべし』

 死神統学院で教えられる死神心得の一つだ。霊王と五大貴族のため、ひいてはこの世界の現状維持のために、無情の兵士であれと示唆している。
 護廷は友達ごっこをするための組織ではないし、死神はただ世界の調整者として務めを果たせばよい。つまり、彼の答えはある種の模範解答といえる。
 それでも「違う」と思った。本当は何と答えて欲しかったのだろう。


「……山じいは……そんなことのためにキミを拾ったんじゃない」

「重國殿に聞いた訳でもあるまい。“世のため”をそんなこと、とは。まぁ一文にもならない、糞の役にも立てないことは解ってるよ」

「うるさい。というかそんなこと言ったら、糞の役にも立たないキミに助けられたボクと浮竹って何?糞そのものになっちゃうじゃない」

「そんなきた……いや、そんなこたないぜ」

「あれ?なんでボク励まされてるの?ああもう、キミと話してるといっつもワケわかんなくなってくるなぁ!」

「なら突っ掛かって来るな」

「やだね!!」


 そこは「そうだね」とでも言っておけば良かったのに、反射的に出てきたのは「やだね」だった。言った自分に驚いたが、言われた天鷹も虚を衝かれたように目をみはっていた。京楽は顔から火が出てきた。
 こうなりゃ自棄ヤケクソだ。もっと目にもの見せてやる。


「天鷹」

「……は…」

「ボクも今度からそう呼ぶ」

「苗字で呼ぶなとは言ったが名でも呼ぶな。君どうした」

「浮竹ばっかりずるい」

「は?」

「キミは天鷹でしょ。うん、天鷹だ。だから天鷹って呼ぶね、天鷹」

「止せ連呼するな、おい、聞いてるのか、この――」


 天鷹はらしくない慌てた様子で腰を上げ、聞かずを黙らせようと手で口を覆いにかかる。京楽は急いでヒョイと躱したが、お互いの片手首が這縄で繋がっていたのが頭から抜けていて、ピンと張ったあと両者とも派手に転んだ。なんだか楽しくなってきた。

 ――名前失くしたがりのキミは、本当は自分の名前が大好きなはずなんだ。大好きなら大切にしなきゃ。捨てちゃ駄目だ、失くしちゃ駄目だ。名前がキミを繋ぎとめるというなら、これから何度だって呼んでやる。もう遠くへなんて飛んでいかせてやるもんか。
 ――ボクじゃなくてもいい。浮竹でもいい、別の人でもいい。キミが帰ってくるしるべになる誰かや何かがあればいい。いつか心の底から、死にたくなんて無くなれ。

 京楽は這縄を消して、よろよろと起き上がった。迫力の欠片もない仏頂面の天鷹を拝めてスカッとした。


「浮竹はいいやつだよ。いつかちゃんと友達になってあげてね、天鷹」


 この日、京楽は食堂の𩸽ほっけは食べ損ねた。


――――――


 真央霊術院教本『死神心得大鑑』は後に改訂がなされた。

『護るべきものを護りたければ、倒すべき敵は背中から斬れ』

 “護るべきもの”とは何か。旧版と違ってぼやかされた表現は、各々にその解釈を委ねている。
 旧態と変わらず「霊王と五大貴族のことだ」と考える者もいるだろう。誰かのように「世」と定義曖昧に答える者もいるだろう。さて此処で問うが、護るべきものを護るために倒すべき敵を背中から斬ることは、無情であるか、否か?

 数百年の時を超えた、遠い未来――若き天才と讃えられることになる死神は、学び舎で次のように教えられたと証言している。

『死神 皆すべからく 友と人間とを守り死すべし』


***

 ――ボクと天鷹の昔話は、これでいったんおしまい。

 これだけ語ってまだ話は尽きないけれど、下手に言いふらすと世界がひっくり返りそうだから。聞いた人が腰を抜かしてひっくり返るくらいで済んだらいいのに。うん、時期尚早だ。そう簡単には明かせない。
 話す必要がある時が来れば、必要とする人には話すさ。……でも、そんな時が来ないことを祈るよ。

 ――宿悪のことは、まだ内緒。







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