いとしなでしこでしのしのこ
伯父の天鷹は、俺が物心ついた頃には既に十番隊の隊長をやっていた。父は自慢の兄の武勇伝や思い出話をよく聞かせてくれたし、瀞霊廷通信は毎号買って伯父がほんのちょっとでも載っていれば親戚一同大喜び。そんな環境で育った俺の中で伯父が英雄的存在となるのは当然の帰結である。
俺は字が下手だから、たまに届く伯父からの手紙の達筆っぷりには敬服したものだ。行書だとろくに読めなかったけど……めちゃくちゃ巧かったのは確か。人に傷つけられた過去があるらしいのに、分け隔てなく人を助ける心意気は見習いたいと思った。でかくて強い虚を難なく倒してしまうという剣の腕にも憧れて、兄弟とは毎日のように剣劇ごっこをした。
とにかく凄い伯父に是非とも会って話してみたいと思う気持ちは年々大きくなっていった。しかし、伯父は家に帰ってこない。
――んじゃこっちから行ってやろ!
俺が死神を目指した理由は至極単純だったのだ。ごっこ遊びとはいえ、いつも剣で俺を負かしていた兄は「お前にはたぶん向いてないから止した方がいい」と何度かやんわりと諭してきた。だが、それに対する俺の答えもまた、いつもお決まりだった。
「うるせえ今にみてろ!伯父貴に弟子入りして絶対に強くなってやる!」
***
「隊長ー!ってあれ?ここもお留守?」
一心が天鷹を探してあっちへこっちへ駆け回るのは十番隊ではお馴染みの光景であった。師事して此の方、暇さえあれば、いや実のところ暇がなくても、剣を教えてもらいたくて毎日こうしているのだ。彼が入隊した年から始まって、それから数十年が過ぎても変わらず続いていた。
天鷹の仕事に対する姿勢はとても真面目だ。提出物の期日や各会合の招集時刻は厳守する。隊長が処理すべき書類を放って部下を困らせることはしないし、手が空いていれば部下の分を手伝ってやることも珍しくない。戦闘に関しては十一番隊に負けないくらい出撃要請を受け入れ、遊撃や増援に向かうこともしばしば。加えて近頃は霊術院に特別講師として招かれることもあるそうだ。
つまり、後に隊長となる一心とは真逆の理由で、天鷹は中々つかまらない人だった。しかもそれだけではなくて、師を探して走る過程も弟子への修行として課している節があった。おかげで一心の足の速さと持久力はぐんぐん上がっていったのだとか。
「隊長ー!ど!こ!」
「こ・こ」
「――ぅわッちょ!?通り過ぎた!!」
大通りの石畳の上をしゅいーんっと滑って、百間いくかいかないかの距離を開いた所でやっと止まった。回れ右して引き返し、路地の入口にいた師の目の前に立つ。
「今日もよろしくお願いしマス!」
「あいよ。しかしお前、もうちょいバシッと止まれるようになっとけバシッと。そんなんだと突っ込んでく先に罠があるって分かっても飛び込むしかなくなるぞ」
「おう!気ィ付ける!……ん?隊長それ何カワイイの持ってんの?似合わなくない?」
白地の手拭いに色とりどりの糸で花や鳥が刺繍してある。何枚かあるみたいだが、どれも異なる意匠で随分と凝っている。私物の色柄に頓着しない天鷹には縁遠そうな代物だった。
「ンなの俺が一番よく分かってら……だがせっかく貰ったんだ、使わんと勿体なかろ」
「あぁなんだ人から貰ったの。納得」
「ほら、お前にも一枚くれてやる。死ぬまでありがたく使え」
「大袈裟じゃない?なにごとぅふっ…まぁ鍛錬とかで汗かいたら使わせてもらうわ、ありがと」
胸を軽く殴ってくるみたいにして寄越された。天鷹は真顔でいるが、きっと照れ隠しだろう、と一心は思った。未だに伯父を邪険にする奴らもいるが、正当な評価をすれば文句の付け所はそうないのだ。真面目でちゃんとしているし、優しくて恰好良い隊長だ。女の人から贈り物を貰うことがあっても別におかしかないだろ――そんな風に考えて、深く追及したりはしなかった。「そんなことより稽古だ稽古」。一心の指針はいつもこれだった。
――――――
「どっこか〜な〜隊っ長〜〜」
「……おや?一心殿」
休日だろうと関係なし。今日も今日とて師を探す。一心が廷内の商店街をスキップしていると、蕎麦屋の前で蒼純とすれ違った。少し通り過ぎてしまったので後ろ歩きでひょこひょこと引き返す。動きが面白かったのか、蒼純は左手で口元を隠して小さく「ぷふっ」と笑った。
「ヤッホー蒼純、隊長しらない?」
「天鷹殿なら今日は七番隊の裏山の方にいらっしゃると思いますよ」
「そっか!んじゃ――」
「いえ、お待ちを。今はその……遠慮なさった方が」
「? そうなの?」
「そうですね。お邪魔してしまうのも悪いですから」
お邪魔とは?……この時点で、一心はもう少し色々な可能性を考えてみるべきだった。しかし彼の脳は重度の稽古脳、付けた見当は大外れだった。
――隊長も陰で鍛錬積んでるってことか!さすがだぜ!
「わかった、今日はやめとく!」
「はい。それが良いでしょう」
それじゃあこれからどうしようか。昼食はここらで済ませて、それから西流魂街の山にでも行って鍛えてこようか。うんうん考えていると、横から「こんにちは、ちょっといいかい」と声が掛かった。蒼純は嬉しそうに「こんにちは」と挨拶を返している。
「あっ。山田大先生じゃん」
「……君、まさかその呼び方で通すつもりなのかい?」
「や〜だって隊長相手に押し
「はぁ……別にいいけどさ。これ、天鷹さんに頼まれてた物。十番隊まで届けに行くところだったけど、丁度良いから君から渡しておいてくれるかい」
ついと小さな風呂敷包みを差し出されたので、一心はその真下に両手を広げて受け取った。ぽとりと掌に落とされたそれはとても軽くて、カサリと乾いた音がした。
「……なにこれ?」
「
「オケツにキくゥ?なんかヤバイやつ?」
「……ほんっと馬鹿だね。どうしようもない馬鹿」
二人のやり取りを見守っていた蒼純はまたバッと口元を隠し、下を向いたうえに肩を小刻みにふるふるさせている。清之介は額を押さえて大きな溜息を吐いた。一心は「俺なんかおかしいこと言った?」と訊くも、両者の動作が一回り大きくなって繰り返されただけだった。
その日の夜、一心が隊舎に帰るとそのすぐ後に天鷹も帰ってきた。例の風呂敷包みを「山田大先生から」と言って渡すと、天鷹は安堵したような表情になって受け取った。「これで少しは楽になるといいが」……はて、隊長はオケツの具合が悪いのか?一心はこのときも深く追求してやらないのが優しさだと思って、色んな疑問はひとまず忘れることにした。
――――――
「隊長ー!」
「隊長ならさっき曳舟隊長に捕まってた。それよりこれ、十一番隊に持ってって」
「え〜〜」
「えーじゃないよ、少しは仕事もしなさい。序でにゆっくりしてきてもいいから」
「ゆっくり?どしたの、今日の逆藤ってば寛大じゃない?」
「俺はいつも優しいですよ、一心くん」
「……しゃーね、んじゃ行ってきてやんよ」
紙の束を受け取り、一心は俊足で屋根の上を超えたりして近道を行く。さっさとこなして時間短縮、仕事よりも稽古だ稽古。師が不在であろうと練磨は怠らない。一人でもできること、やるべきことは沢山ある。斬魄刀の具象化も安定してきたのだし……そうこう考えている内に、あっという間に十一番隊舎に到着した。門を潜り、執務室へと直行する。
「サゴシチ隊長ちわーっす」
「一心?ちわ、珍しいな手前が来るとか」
部屋の主は一人で刀の手入れをしていたようだ。掲げられた刀身がキラリと反射する。
片眉を上げつつ挨拶を返したのは、この当時の十一番隊隊長
「今日は副隊長に捕まっちまったんで」
「あいつが本気出してたら毎日捕まってるはずだろ。感謝せ」
「正論がイタぁい……」
「まぁソレ置いてきな。尾焼津の机の上でい……ゴホッ、」
「大丈夫すか?」
「なに、手前に心配される程じゃねーっての。さっさと置いてホラ……アレだ、あっちでゆっくりしてきゃいい」
「? ウス、失礼しましたー」
一心は言われた通りに書類を置いて、ぺこりとお辞儀してから出ていった。
――なんで二人して俺にゆっくりさせたがるんだろ?稽古のし過ぎってか?……ま、俺べつにまだまだ元気だし。いいから稽古だ稽古。
――――――
「くかー……ふが……」
「…ぃ……おーい。……おい、一心!」
「んっ?……んあ、浮竹さん。こんちは」
「こんにちは……って、まったく暢気なものだな。そろそろ日が暮れるぞ」
十三番隊の庭園の隅にある、人工の小さな丘の上。一心は面倒な事務仕事からフケてきては、ぽかぽかと陽が差すこの場所で昼寝をするのが趣味であった。
この日、天鷹は一心に書き置きをしていて、どうやら尸魂界を留守にするとのことだった。
『
一心へ
ちょっと現世いってくる。今日は稽古つけてやれんからよろしく。誰かに俺の行方を訊かれても、なんやかんやで上手く誤魔化しといてくれ。頼んだぞ
天鷹
』
』
一心のために楷書で書かれたそれは、執務室の机上ではなく、朝起きた時には既に私室の枕元に置かれていた。他の誰かに見られると都合が悪かったのだろうか?訳は分からなかったが、尊敬する隊長の頼みなので鵜呑みにしておいた。そのため今日は午前中にみっちり一人修行をして、あとは気持ちよく夢の中……という経緯である。
「お前は相変わらずだな……ちょっと寂しくなったりしないのか」
「寂しい?なんで」
「……話を振る相手を間違えたか」
「いやいやぁ、ハナシ見えませんけど」
「あ、まだ寝惚けてるのか……」
浮竹は幸せが逃げそうな溜息をひとつして、一心の隣に腰を下ろした。膝を抱えてしょんぼりした様子だ。夕陽の色も相俟って、
「どしたんすか、元気ないっすね」
「だって……現世に行ってしまったんだぞ」
「……ん?ああなんだ、そんなこと。二度と会えなくなるってんでもないのに」
「さっぱりしてるなぁ。どうしてこういう時だけ俺より達観してるんだ……」
「さみしんぼっすね浮竹さんてば。会えないのなんてちょっとの間でしょ」
「死神としてはそうかもしれないが……」
「難しく考えすぎじゃないすか?どうしても会いたいときは会いに行けないこともないんだし」
「……はぁ……子どもの成長は早いんだな……」
「やだな浮竹さん、俺今年で何歳だと思ってんですか」
――隊長が「現世いってくる」って何日か消えるのなんて別に珍しくもないのに、変な浮竹さん。
浮竹が言って指しているのは天鷹のことだと思い込んで、意図せず大先輩に高説を授けてしまった一心なのであった。
それから一ヶ月後の或る夜。
「ねえねえ、女の子って何あげたら喜んでくれるかなァ」
一心は京楽に
「……真心」
「なァにぃ?ボクがいつも真心込めてないみたいじゃないの」
「そうは言ってねっすよ。京楽さんがちゃんと込めてるつもりでも、間も空けずにあっちこっちの子に何かやってたら周りからはそう見えないかも、という……ですね……」
「え〜子猫ちゃんたちに対するボクの愛は平等だよ?……ていうかそうじゃなくてさ、いま言ってんのは女の、子!ちょっと小さい子。これくらいかな?」
京楽は胡坐をかいている体勢のまま、手を水平にして自分の頭の高さくらいまで上げた。確かに、どんな女の子のことであるかはこちらが勘違いしていたようだ。だがしかし、勘違いされるのは普段の行いのせいであってまぁ仕方ないよな、とも思った。
「またどうして急に……隠し子っすか?」
「ちっがうよ
「は?」
「あいつも隅に置けないよねェ、『そういうの興味ないです』みたいな顔しちゃってさ、ボクや浮竹よりも早く好い人できちゃったんだから……しかもあんな現世の若くて可愛い子つかまえてさぁ仲睦まじくてもうホント憎いオトコ〜!」
「待って待って待って」
一心は頭の中がぐわんぐわんした。酔いが回るにはまだ早い。それでも、まるで脳みその真ん中を震源とした地震が起きたかのように動揺した。血流は噴火の如し、凄い勢いでバーッと早くなって、耳の穴をチンドン屋が大行進しているみたいに自分の心臓の音が喧しく聞こえた。持っている盃から酒がダバダバ流れ落ちていることにも気付けない。
「……ナンのハナシ?」
「ちょっと大丈夫?もう悪酔いして
「ナン……」
「……え?ちょっと……一心クンやい?おーい、しっかり……目みえてる?この指何本…ウワァ!?」
人は、あまりに混乱するとぶっ倒れる。
- 栞 -