第1話
死なない人を探しているの

 国と国が戦争をしているわけでもないこのご時世に、人が死ぬところを何度もみてきた。

 一度目は、六歳のとき。
 それまでは、ごく平凡に、平穏に生きていたと思う。父と母と三人で、ベグニオン帝国にある中では小さな屋敷に暮らしていた。地位も名誉も大してない下級の貴族であるはずだが、父は昔、生前の神使様に何度もお会いしたことがあるのだとよく自慢話をした。人柄の素晴らしさと、たまに美しさについても話し、その度に母の嫉妬を買ってこちょこちょと喧嘩をしていたが、顔を見れば二人とも幸せであるのは分かった。それでも、いつも話し終えてからは父も母も目を伏せてしまっていた。とても敬愛していた神使様だったから、お亡くなりになったことが今でも悲しいのだろうと思っていた。
 なんの前兆もなく、ある日突然、武装した大人たちが屋敷に押し入ってきた。父は母と私に「裏口から逃げろ」と言って、嫌がる私の手を払った。母は頑として動かない私を無理やり抱き上げて走り、父に言われたとおりに裏口から屋敷の外へ逃げた。屋敷に背を向けて走る母に抱かれながら、私は二階の窓の中に見える父の背中を見つめた。間もなく、父は正面から剣で斬りつけられ、血が噴き出ていた。ゆっくりと倒れていく父の背中は、母が角を曲がったことで最後まで見届けることもできなかった。

 二度目は、八歳のとき。
 母は知人の男性を頼ってベグニオンの平民が住む田舎町に家を借り、仕立てや家庭教師などの仕事をして私を養ってくれていた。
 木枯らしの吹く季節に、視察という名目でひとりの元老院議員が街にやってきた。この頃、次代の神使様が即位されるまでは元老院議員が権力を欲しいままにしていた時期で、貴族で構成された軍隊も引き連れて、まるで平民の牽制と抑圧のために訪れているみたいだった。この町に住む人々が貧しいことを分かっていながら、元老院議員は最上級のもてなしを要求した。
 そんなことが何日か続いていると、元老院議員は通りを歩く母に目を留めた。しつこく愛妾になれと迫り、娘がいると分かると、おぞましくも私にもそうしろと言ってきた。母がそれを頑なに拒むと、元老院議員は激高し、私を人質にとるか始末しようとでも思ったのか、家にまで押し掛けてきてナイフを手に取り襲ってきた。母は私を庇うように前に飛び出して、凶刃を腹に受けてしまった。母は悲痛な声で何か叫びながら、自分の腹に刺さったナイフを引き抜いて元老院議員の胸を刺した。そこに、騒ぎに気付いた母の知人と元老院議員の部下が同時に駆け付け、床にできた真っ赤な池を見て暫く呆然としていた。先に動いたのは母の知人だった。私の手を引いて立ち上がらせると、森の奥へと走り続けた。何日そうしていたかは、よく覚えていない。

 三度目は、九歳のとき。
 母の知人と私は、誰も住んでいない山小屋を見つけてそこに住むようになった。麓の方にはまあまあ大きな街があって、母の知人はそこのレストランで働かせてもらえることになったのだと教えてくれた。こんな私のことなんて捨て置いてしまえば楽になるだろうに、真面目に働いて、私に一日三食たべさせてくれたし、服やぬいぐるみだって買い与えてくれた。「お母さんに似てきたね」と慈しむように言ってくれた。私は少しずつ、この人のことを二人目の父のようだと思い始めていた。
 深夜、眠っているとふと違和感を覚えて目が覚めた。横向きになって寝ていた私の背後から、誰かが腕を腹に回して抱きしめていた。思わず悲鳴を上げると、大きな手で口を塞がれ、もう片方の手が乱暴に私の衣服を破り、体をまさぐった。項に生暖かい息が吹きかけられて、何かが脚の間に押し付けられた。吐き気がした。暴漢が侵入したのだと思って、力いっぱいもがいてそいつの腕の中から抜け出した。いつもなら夜でも控えめにつけているはずの明かりがひとつも無くて、私はひどく混乱した。母の知人に助けを求めようと声を出そうとしても、がちがちと歯が鳴るだけで声が出せない。暗闇のなか手探りで戸を開き、廊下の壁を伝ってなんとか大部屋に転がり込む。窓から差す月明りが、寝る前に洗っておいた包丁を照らしていた。護身のためと思って震えながらそれを手に取り後ろ手に隠し持つと、バン、と戸が開かれた。追いつかれたのだ。暴漢は私を押し倒そうと両肩を掴んで体重をかけてきたので、私は咄嗟に、包丁を前に持ってきた。倒れた私に覆いかぶさった暴漢の胸か腹のあたりに、包丁が突き刺さる。一瞬の呻き声のあと、暴漢は動かなくなった。
 恐い、寒い。私はひどく取り乱して、裸足のまま小屋の外に飛び出していた。草木が肌を引っ掻くのにも構わず走っていくと、小さな池の畔についた。月を半分以上隠していた雲が流れ去ると、真っ赤に濡れた私が鮮明に浮き上がる。陽が昇るまで泣き喚いた。

 声も涙も枯れて虚ろのまま山小屋まで帰り着くと、母の知人が死んでいた。

 服を着替え、山小屋にあったお金と食べ物と、ナイフやらランプも鞄に詰めて、行く当てもなく歩き続けた。何日も、何日も。森と山と街をいくつか通り過ぎる道の途中では、獣に遭遇したり雨風に晒されたりすることもあったが、なんとかなった。ぼろぼろな服を着た私が大きな木の下に座り込んで木の実をかじっていると、白く清潔な服を着た老齢の男性が私の前で立ち止まった。


「お嬢さん。良かったらうちにおいでなさい。私は、向こうにある教会の神父をやっているんだよ」


 人に声を掛けられたのはどれくらい久し振りだっただろう。邪な気配も混じっていない、あたたかい笑顔を向けられたのも。返事をしようとして、そこで初めて声が出ないことに気付いた。驚いて喉を抑えていると神父は察してくれたのか、もう一度優しく「おいでなさい」と言って、そっと私の手を引いてくれた。

 それから二年近くは経っただろうか。少しずつ声は出るようになっていったし、傷は癒えて、脂肪と筋肉もついて、健康だと言える体になった。低いレベルで止まっていた読み書きや世の中の常識だって、根気強く丁寧に教えてもらえた。神父は、本当に優しい人だ。彼が二人目の父だ。

 四度目は、今。
 どうしてだろう。私はさっぱり分からなかった。神父は、教会を訪れた身分の高そうな見知らぬ人物と面会していて、私は自分の部屋でおとなしく本を読んでいた。突然ガラスの割れる音が聞こえてきて、何事かと思って柱の陰に隠れながら広間を覗き見ると、その見知らぬ人物は光の魔道で神父を殺したところだった。血は流れてない。それでも、人は死ぬときは死ぬのだ。


「運のないやつだ。きのう散歩をしたばかりに、お前は死ぬことになったのだ。本当に運のないやつだ」


 悲しむ様子もなくそんな独り言を残して、見知らぬ人物は周囲を探ることもせず教会から出ていく。孤児院が併設されているわけでもない小さな教会で、まさか年老いた神父が天涯孤独の子を養っているとは考えなかったのだろう。私はその姿を目に焼き付けた。濃い金髪で、もみあげと髭をつなげるように生やした、太った垂れ目の男。強い殺意を自覚したが、今は武器など何も持っていなかった。目を見開いたまま倒れてぴくりとも動かない神父のもとへ行って、瞼をそっと閉じさせた。しばらくしてから自室へと戻り、神父から贈られた護身用の短剣を腰のホルダーと共に装着し、マントを羽織った。これらをくれた神父だって、本当なら私に使わせる機会など訪れてほしくなかっただろう。しかし、この状況では意に添うことはできない。

 ここを発つ前に、神父を埋葬してあげなくては。再び広間に戻ると、神父の傍らには身を屈めて何か調べている様子の怪しい男がいた。男はすぐにこちらに気が付いて、さっとナイフを構えて睨みつけてくる。


「何者だ、娘」

「……神父に拾われた身」

「いつのことだ。そんな情報はなかった」

「もう二年ほど。私のことは、私からお願いして言いふらさないでいただいたんだ」


 何も持たずに両手をあげて一歩ずつ近付いていくと、男は警戒を解いてナイフを仕舞った。動きからして、只者でないことは私でも分かる。そしてこの様子だと、神父を殺したあの男の仲間ではなさそうだ。


「娘。お前、行く当てはあるのか」

「全くない」

「……はぁ」


 面倒だ、と男の顔に書いてある。がしがしと雑に頭をかいて、何列も並んでいる教会の椅子のひとつにどっかりと腰を下ろした。私も、少し離れたところに腰かける。ドーム型の高い天井を見上げて暫く逡巡していた男は、「おい」と私に呼びかけた。


「仕方がないから、ひとまず俺の雇い主のところに連れていく。荷をまとめろ」

「神父を埋葬してからなら、いい」

「……分かった。埋葬は手伝ってやる」


 教会の前に咲いている、可愛らしくて好きだと神父が言っていたふんわりとした白い花と一緒に、神父の遺体を棺に納めた。歌は歌わず、静かに祈った。私が花を摘んでいた間に、男は穴を掘ってくれていたようだ。二人で棺を運び、土をかぶせ、墓標となる石を置いた。ふと、これまで私に関わって死んだ人たちの墓はどこにあるのだろうと思ったりした。


「荷はそれだけでいいのか。じゃあ、日が暮れる前に発つぞ」

「ねぇ」

「なんだ」

「名前を教えて」

「……フォルカだ。お前は」

「フゥリ」

「そうか。そら、行くぞフゥリ」


 雑草がまばらに生える細い道を、フォルカの後に続いて無言で歩き続ける。いったい、どこに連れていかれるんだろう。「雇い主が」とか言っていたし、危ない人ではないとは言い切れない。しかしそれも今更過ぎるし、もうどうでもいいかと自暴自棄な思考になった。
 風が冷たくなってきた。教会から一番近い街は通り過ぎて、馬車が通れるくらいの殺風景な街道をこんな時間に突き進む私たちは、夜逃げにでも見えることだろう。


「次に見えた街で宿をとるぞ」

「ねぇフォルカ」

「なんだ」

「フォルカは――死なない?」


 影が一番長くなる時間だ。私はフォルカの頭の影の上に立ち止まって言った。藪から棒に、と思うことだろう。でも、どうしてか聞いてみたかった。フォルカは、みんなのように死なないだろうか。私は死神みたいだから。出会った人は、みんないなくなってしまうから。


「ここにきて泣くのか」


 神父を埋葬しているときにも泣かなかったのに、突然泣き出した私を見て、フォルカはまた面倒だという顔をした。ずい、とぶっきらぼうにハンカチを寄越された。さっさと拭いて歩けということだろう。私は、それを受け取るふりをしてホルダーの短剣を抜き、フォルカの心臓に突き立てようとした。目も当てられない自棄だ。これでフォルカが死んだら、自分のことも殺そう。……そう思っていた。

 フォルカは難なく私の手首を握って止めた。二人とも力を入れているせいで、カタカタと刃が鳴く。躊躇なく殺そうとして、素早く動けたつもりだったのに、止められた。


「俺は死なない」


 フォルカはそれだけ言うと、私から手を放してまた歩き出した。たった今、己を殺そうとしてきた人間にあっさりと背を見せたのだ。私に殺されなかったくせに、なんだその態度は。そんなちぐはぐなことを考えた。でも、嬉しくてたまらなくなって、ぼたぼたと涙を落としながら、私もまたフォルカの背を追った。