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可愛いって言って!



あの日から、マスターが化粧を施すようになった。
2月14日、バレンタインデーの日。律儀なマスターは全サーヴァントにチョコを渡していて、そのチョコのお返しにと手渡されていた品々の中に、それがあったからだ。

「おや?本日は何か祝い事ですか?」
「祝い事?いや、いつも通り種火周回だよ。なんで?」
「化粧をされていますので」
やんわり頬を赤く染めたマスターが前髪を整える。
「化粧品をガウェインがくれたからさ、使わないわけにはいかないじゃん。変かな?」
「いえ、変というわけではありませんが……」
彼のことは嫌いではない。だが、その名前が彼女の口から出ただけで、胸の奥が気持ち悪くなった。
度々感じる違和感。誰かからの贈り物を彼女が使用しているだけ。ただそれだけなのに。
「化粧なんてお遊びでしかやったことないからちゃんとできてるかなって心配だったんだけど、変じゃないなら良かった!」
でもちゃんと可愛くなるならメディアとかに教わったほうがいいよねーと、眉を下げた彼女は、朝食を摂りに食堂へと足を向ける。
なぜ、可愛いの一言が言えなかったのか、先ほどのマスターの表情を思い出しながら、胸がズキリと痛んだ。



マシュに声をかけられ、意識が浮上する。
寝ぼけたままの頭で顔を洗い、歯磨きをして、アイロンで寝癖を直す。
どうしても少し跳ねてしまう朱い髪にヘアオイルを馴染ませて、黄色いシュシュでひと束結った。
洗面所からベッドのある部屋へ戻り、マシュと談笑をしながらガウェインに貰った化粧品をさっと施す。詳しいことはまだあまり分からないから見様見真似で。
うん。ちょっとうまくいったかも。クーフーリンとかは褒めてくれるかもしれない。

ーーーーーー

「こんにちは、マスター。本日のレイシフトはお休み……ですか……?」
朝食後、マシュと別れトレーニングルームへ向かう途中、図書室へ向かう天草と出会った。
……出会った、といっても、天草がこの時間に本を読みに行くことを知っていて、わざと鉢合わせするように時間を調整したので偶然ではない。
語尾をゆるく上げた天草は首を傾げてこちらを食い入るように見る。よく分からないが負けじと私もじっと見つめる。もしかしたら何か褒めてくれるのかもしれない、と期待を込めながら。
「何かついてる?」
「いえ……もしやコンタクトレンズを入れていますか?」
「コンタクト?裸眼だよ」
少しがっかりしながら答えると、天草は首を傾げた。
「瞳の色が、少し違うような気がしまして」
「そうなの?」
朝、顔を洗った時や化粧をした時だって特に違和感を感じなかった。いつも通りの茶色い目。
「ダヴィンチちゃんに診てもらおうかな」
「ええ。一応、その方がよろしいかと」


ダヴィンチちゃんは、悪戯を考えついた時のような、楽しそうでわるーい顔をして私の目を覗き込んでいる。青い透き通った綺麗な瞳には、怪訝な顔をした私が映っていた。
「ふむ。成る程成る程!これはもしや、彼の瞳の色になってるんじゃないかな?」
私の後ろに姿勢よく立っている天草に目を向けたダヴィンチちゃんに釣られ、振り向く。彼の瞳の色っていっても。
「前から同じ色じゃないの?」
「いーや、同じじゃない。同じ色なんて存在しないよ立香くん。君の瞳はオレンジに近い茶色だが、彼の瞳は黄色に近い茶色だ。厳密には違う」
「へぇー。じゃあなんで天草の目の色になっちゃったの?」
「さぁーなんでだろうね?こればかりは天才の私にも分からないなー!」
わざとらしく腕を組むダヴィンチちゃん。
「知ってるやつじゃん!知ってる時の反応じゃん!教えてよ!ダーヴィーンーチーちゃーんー!」
ニヤニヤと愉快そうな表情で私と天草を交互に見るダヴィンチちゃんの肩を揺らす。本当にタチが悪い。
なんとか言ってやってくれと天草に目を向けると、なにやら考え込んでいるようだった。

「にしてもまぁ、よく気がついたものだね。余程普段から立香くんのことをじろじろ見ているんだろう?」
口の端を片方だけ上げて机に肘をついたダヴィンチちゃんは、"じろじろ"を強調させて天草を挑発した。
「語弊のある言い方はやめてください。マスターの健康に気を配るのはサーヴァントの務めですから」
表情一つ変えない天草は、いつもの微笑みで本心なのかどうなのか分からないことを口にする。
面白くない、といったように、ダヴィンチちゃんがため息をついて端末を操作し、私の診断結果を表示させた。
「……まぁいいさ。そのうち治るよ。瞳の色が変わっただけで他に異常はない」
さぁ散った散った!とダヴィンチちゃんに医務室を追い出されてしまった。


「全く同じ色……ですか」
「そうみたいだねー」
「なんといいますか、むず痒いですね」
廊下で二人、見つめあって微妙に照れてしまう午後2時であった。



「マスター、怪我をしていますね?」
「いや、してないよ」

レイシフトが終わり、医務室で簡単にドクターから検診を受けた帰り。
さっさとマイルームに帰って寝ようと思っていたのに、意外な人物に捕まってしまった。
「おや。嘘はいけませんね」
にこ、と微笑まれるも、それは温かいものではなく、冷や汗が流れる。
伸ばされた手に反応できず、ぐっと肩を軽く捕まれてしまう。鈍い痛みが走って怯むと、やはり、といったように天草の眉間に視野が寄った。
「……なんでわかったの」
「そうですね、神の啓示でしょうか」
「チートじゃんそんなの」
「早く手当をしないと」
すっと笑顔が消えた天草は、有無を言わさぬ表情で私の手を取った。
「ドクターに心配かけたくないから嫌だ」
ふいっと顔をそらすと、ピリピリとした雰囲気が伝わってくる。あの天草が怒っている。
とはいえ、あの人のことだ。自分のことのように心を痛めるんだと思うと、軽い怪我なら見せたくはない。うまく隠し通せたんだから、このままなかったことにしたい。
ちらっと天草を見上げると、視線をずらして、呆れたような、よくわからない表情をしていた。
「……では私がします。怪我の処置は心得ていますので」
「ほんと?ありがと。助かるよ」
なぜか分からないけど、こういう時天草は微笑まない。


「これからこういった……彼に知られたくない怪我があれば私に言ってください」
服を肌蹴させ右肩だけ出した状態で、天草に背を向けて手当を受ける。軽い打撲らしかった。
「んー……」
「分かりましたか?マスター」
「わ、分かったよ。ドクターに見せたくなかったら天草に診てもらう」
「よろしい」
お礼を言おうと振り向くと、ブランケットを頭からかけられる。天草にしては珍しい行動だな、と不思議に思っている間に彼がすっと近くを離れる気配がした。
「すぐ治るでしょうけど、あまり無理はしないように。明日の朝経過を診ます。ではマスター、お邪魔しました」
視界が暗いまま、ドアが閉まる音を聞いて首を傾げる。
「君ってそんなに過保護だったっけ……?」



「おや、こんな夜更けにどうしました?」
足元だけを照らす照明では、廊下の先はあまり見えない。声だけで誰がそこにいるのかが分かったのは、付き合いの長さのおかげだろうか。そういえば、化粧をしていない状態で会うのは久しぶりな気がして、ブランケットをすこし顔の高さまで持ち上げる。
「天草は?」
「ナーサリーライムに絵本の読み聞かせを」
「さすが神父様」
にっこり。いっそ胡散臭い程に微笑んだ天草は、ゆったりとした足取りで私に近づく。
こちらに伸ばされた手に心臓が変に跳ねる。肩にかけているブランケットを優しく首の方へ引っ張ってくれた。どうやらずれていたらしい。
「夜食、ですか?」
「んーいや、夜食ではないよ」
「では、散歩?」
「散歩?それも違う」
答えつつ、言い訳を探した。誰かに会いたくて廊下を彷徨っていたなんて、なんというか、恥ずかしいからだ。
「迷子、かも?」
口をついて出たそれも、なかなかに恥ずかしい理由ではないだろうか。言ってから後悔しても遅い。
じんわり熱が集まる顔を見られたくなくて、私はブランケットを鼻先まで持ち上げた。
「でしたら、私が部屋までお送りしましょう」
どうやら先ほどの言い訳を信じてくれたらしい。
横に並んで廊下を歩く。肩が、手が触れないように気をつけながら。


3分もしないうちにマイルームについた。それはそうだ。ベッドを出てそんなに時間は経っていない。
ドアを開くと、天草はそこで立ち止まった。
「良い夢を」
「あー……えーっと、その、天草」
勇気を振り絞って、天草の袖を掴む。
「はい」
「朝まで、手握ってくれてもいい?」
「ええ。勿論」
まるで私にそのお願いをされるのを知っていたかのように、動揺を一切しない天草に少しびっくりする。いや、彼のことだ。この程度のお願いは特別気にもとめない、些細なことなんだろう。
そのまま引っ張ってベッドまで連れていく。もぞもぞと布団に入ると、天草はベッドに腰掛けた。
「勿論、とは言いましたが、あまり男にこういったことは頼まない方がいいですよ」
「うん。それは分かってるよ」
布団から手を出すと、天草は躊躇わずに包み込むように握ってくれる。それだけで十分温かいのに、冷えるといけないからと、そのまま手を布団の中に入れた。
「実は迷子っていうの、嘘なんだ」
「ええ。分かっていましたよ」
こちらからでは表情が伺えないが、きっといつも通り微笑んでいるんだろう。
天草はなんでもお見通しだ。
「じゃあなんで廊下歩いてたかも分かってた?」
「大方、嫌な夢を見ただとかではありませんか?」
「うーん。正解」
かなわないなぁ。
ぽかぽかと温かくなってきた布団に微睡む。きっとこんなに安心して眠れるのは、彼が手を握ってくれているからだ。
「嘘を教えてくださったあなたに、私もひとつついていた嘘を告白します。実は、ナーサリーライムに絵本を読んでいた、というのは嘘です」
「……ん?」
寝る寸前のふわふわした頭でそれを聞く。眠くなってしまうと、天草の声は子守唄にはちょうどいい。
もうほとんど頭は回っていなくて、頭を撫でられたことに反応できないほどには微睡みに身を任せていた。

「おやすみなさい。マスター、よい夢を」



随分と、彼女が眩しい。

「ねぇ、最近さ、ほら、なんか感想ない?」
「感想……というと?」
髪の艶が以前より増した。睫毛の長さが、目が、瞼が、眉が、頬が、唇が、以前より彼女は綺麗になった。
「最近女子力上げようと頑張ってたんだけど、天草から見て私は可愛くなった?」
自分磨きをしたおかげで、以前より自信がついたようだ。謙遜するよりは、その方が彼女らしい可愛さがあり、好ましい。
「君、細かいことによく気付く人だったけど、なんだか最近鈍感になったんじゃない?」
口をへの字に曲げて不満そうに零す彼女から見ると、私も以前と同じとはいえないようだった。
あなたは可愛くなりましたと、それが最良の答えだ。もちろん実際にそう思っているからお世辞ではない。だが、それが、それだけは口から絞り出せない。
日増しに綺麗に、可愛く、女性らしくなる彼女を見て、私はとてもじゃないが善いとはいえない感情を抱くようになっていった。
その化粧品を渡した彼はさぞかし喜んでいることだろう。化粧を教えた彼女らも、会う度にマスターの頑張りを褒め称える彼らも、彼女に気遣ってもらえる鈍感な医師も、なにもかも分かったような顔で微笑むあの画家も。
その全てに怒りを覚え、あまつさえ独り占めしたいなどと。


「ねぇ、天草はあんまり好みじゃなかったかな」
あの日のように、眉を八の字にして私から目をそらすマスターを見て、胸が痛む。
「いえ……」
近頃きちんと直視していないマスターの顔を、正面から見据える。
やはり眩しくて、目を細めた。
「好きです」
一拍置いて驚愕した。この発言は先ほどの回答だから他意はないのだと、何故か自分に言い訳をする。しているのに、顔に熱が集まってきて、咄嗟に白い壁へと視線を移した。
「そ……そっかぁ〜!よかった!」
ちらりと横目で彼女を見ると、彼女も真っ赤になって笑っていた。


2018/11/16



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