年末年始はお仕事
1
年末年始のバラエティ、年越しライブ、ラジオ、音楽番組、などなど……年末年始はとても忙しい。
ES規模で仕事に携わっているあんずは、事務所の隔たりなく各アイドルたちの現場へ向かっていた。現場の仕事は主にそこのスタッフが行なうものだが、お偉い方への挨拶や現場スタッフでは判断しかねる事に対する指示などは責任者であるあんずが行う必要がある。
ESの年越しライブが無事終わり、客席からの歓声を聞きながらあんずは腕時計を確認した。2:10。10分のオーバーだ。出番が終わったアイドルたちは既に会場から出て次の現場へ向かっている。今から出てギリギリなのはEdenのメンツか。と、小走りで楽屋へと向かった。
様々なスタッフが忙しなく行き交う廊下の中間にある部屋をノックする。聞こえているかどうかも怪しいので、あんずは返事を待つことなくドアを10cmほど開けて中へ声をかけた。
「失礼します。七種くんいますか?」
ドア付近で荷物整理をしていた茨は、声から相手があんずと分かると自らドアを開いて顔を出す。
数分前まで着ていたライブ衣装は既に私服へ着替えられており、制汗剤の爽やかな香りがあんずの鼻腔をくすぐった。
「もちろんでございます!ちょうど今荷物を纏めたところでここを出ようと思っていました。どうしました?手短にお願いします」
言われるまでもなくあんずは早口で業務連絡をする。
「駐車場はCを使って。AとB側の道路が混雑してるから、少し遠回りになるけど裏道を通った方が早いよ」
「成程!ありがとうございます!ばたばたしておりそこまで手が回っていなかったので大変有難いです!では早急に向かいましょう!」
茨の合図とともに凪砂たち3人があんずに挨拶をしながら退室し廊下を進んでいく。3人が出た後に忘れ物がないか一通り確認した茨は、スマホを持ってみっちりとしたスケジュールを確認しているあんずに対して通りすがりに敬礼をした。
「ではあんずさん、失礼いたします!次お会いするのは朝方ですね!」
「あっ、」
茨が背を向けて一歩踏み出すと、くい、と袖を軽く引かれて、勢いのまま振り返る。
「七種くん、汗、風邪ひくよ」
あんずは手を伸ばし、茨の首筋へふかふかのタオルを軽く押し付けた。首という急所を触れられた茨は咄嗟にあんずの細い手首を掴む。が、脳が相手はあんずだと認識した瞬間に手を離した。見下げた先のあんずの透き通るような青い瞳にどきりと嫌な音を立てた心臓に気を逸らされながらも、なんとか謝礼の言葉を口から絞り出した。
「……ありがとうございます!」
「そのタオル新品だから持っていって。お疲れ様、次もがんばってね」
相手の時間も自分の時間も残されていないことを把握しているあんずは、早口でそう伝えてから背を向けて足早に去っていった。
茨も背を向けて大股で廊下を歩く。首元に残された白いフェイスタオルから香る柔軟剤の匂いがやけに鼻についた。
2
1月4日の22時頃。
あんずのスマホに刻まれていた怒涛のスケジュールの帯は漸く隙間を見せ始めた。
仮眠室やデスクで簡易的な眠りしかとっていないあんずの脳は、仕事以外の時間はほとんど働いていない。そして同じような状況の男が隣を歩いていた。
「次は……5日20時のラジオ出演ですか。しっかり睡眠を摂れそうですね。あんずさんはどのようなご予定で?」
「ええと、5日は絶対休みをとるように佐賀美先生に言われてるから、6日9時出勤かな」
「それでは互いに帰宅ですね。下まで送ります」
もう明後日まで仕事がない。そう分かり気を緩めた途端に眠気はやってくるもので、あんずはもう寝る寸前だった。
普段ならあんずへ気の利いた話題を提供している茨も、疲れと睡眠不足から省エネモードになっており口を閉ざして頭を空っぽにしていた。
沈黙があんずの眠気をさらに誘い、視界が霞み始める。
ゆらり、と体の平衡感覚が無くなり、
あ、と思ったところで逞しい腕に支えられた。
「おっと、あんずさん、まだ倒れられては困りますよ」
そういえば隣には茨がいたな、と思い至ったところで、あんずは頭が冴えてきて、茨に預けていた体重を床へ戻す。
「あ、ありがとう」
普段接触しない人間から感じた人肌にどぎまぎしながら顔を上げると、ばち、と視線がかち合って、影が落ちた青い瞳に胸が高鳴った。
「あなたがいないと私のキャリアプランにも響きますので」
「……?」
唐突な発言にあんずの頭は疑問符で埋め尽くされた。
心臓は落ち着きを取り戻し、どういう会話の流れで出てきた発言なのか、と記憶を思い返そうとするも、眠くて何を話していたか思い出せない。
……そもそも碌に会話などしていなかったのだが、あんずはそれすらも覚えていなかった。
「私の将来はあなた込みということです。早々に引退、ましてや寿退社など絶対に許しません!共に生きて、共に死んでもらいます」
「……え?」
将来?引退?寿退社?生……死?
何やら難しいことを言っているということが分かったあんずは、なんとなく神妙な面持ちで頷いてみた。
それを見て満足げな顔を浮かべた茨は、前を向いて大股で歩き出す。
「さてでは急ぎますよ。突撃!侵略!制覇!」
お互い疲れてるなぁ……などとぼんやり思いつつ、あんずは小走りで茨を追いかけた。
その後それぞれの家でぐっすり睡眠をとり、そこで頭の整理が行われた際に脳の奥深くへと追いやられ、互いにこの時の会話が思い出されることは無かったのであった……。
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