ショコラフェス
1
今日はショコラフェス開催日だからか、ES全体にほんのりチョコの甘い香りが漂っているようだ。
ショコラフェスのようなユニット主体で進めるライブは、企画や運営含め普段のライブよりも私の仕事は少ない。とはいえ各所が円滑に進んでいるかの確認をしたり、設営や販売諸々のサポートに入ったり、ESと夢ノ咲を行き来したりと可能な限り足を止めないようにしていたら、一息ついた頃にはもうすっかり太陽が沈んでしまっていた。
お手伝い先の各ユニットから差し入れに受け取ったチョコをつまみながらスマホを取り出す。液晶に映るフェスのタイムテーブルを確認すると、ESトリを飾るEdenのライブはぎりぎり見られそうな時間だった。
先日コズプロに用事があり夜遅くに訪れた時、七種くんが百面相をしながらPCと大量の資料に向き合っていたことを思い出す。少ししか会話をしていないものの、彼がこの企画にかけている情熱は計り知れないものだと感じていた。
一体どんなものが出来上がっているんだろう。
期待以上のものにする、と言っていた彼の言葉通りなんだろうということは分かっているが、だからこそわくわくとした気持ちが湧き上がってくるのを抑えられない。
こうしちゃいられないとチョコレートを鞄へ仕舞って走り出した。プロデューサーとしてとても参考になる舞台だろうし、客としても満足のいくライブとなるだろう。きっと席は余ってないから、現場のサポートをしながら舞台袖から見ることになるが、客席からは見られない景色を見られるというのは関係者の特権だ。
関係者用出入り口にキーカードを翳すと電子音と共にドアが招き入れてくれる。たくさんの人が行き来する忙しない様子の通路を進んでいくと、舞台袖で衣装とメイクの最終チェックを行なっているEdenの面々が見えて声を掛けた。
「お疲れ様です。いよいよですね、応援してます」
真っ先に顔を上げた七種くんが衣装担当者へ断りを入れてこちらへ向き直し、いつもの調子で綺麗な敬礼をした。
「おや、ご都合がつきましたかあんずさん。お疲れ様であります」
「このまま裏でサポートしながら見させてもらうね」
すると七種くんは待ってましたと言わんばかりに不敵に微笑み、ポケットから一枚の長方形の紙を取り出した。
「いえ、あなたには是非特等席でご覧いただきたく。こちらへ移動をお願いできますか?」
手渡されたのは客席のチケットのようで、番号から中央少し前側にあってステージを見渡せる、かつ舞台から遠すぎない程良い場所だということが分かる。
「いいの?ありがとう」
「では後ほど。5分後には開始ですのでお急ぎください」
2
Eve、Adam、そしてEdenのライブが終わった後、会場はのぼせるような熱気に包まれていた。どこかうわの空で頬を上気させた人々が余韻に浸っていて、友人と来ている人たちは恋している相手のことを語り合うみたいに鈴のような声で囁き合っている。
バレンタインは年々多様性が増しているが、それでもやはり恋とか愛とかそういう側面が強い。女性ファンの多いEdenは需要と供給が完全に一致するイベントなのだ。それに加えて、既存のファンだとより一層楽しめる、いやオタクであれば歓喜するだろうEveとAdamが合流してEdenとなる構成。二つのユニットが合体しているEdenでなければできない演出だ。
Eden仕様のバレンタインチョコのモチーフである宝石も舞台上にあり、ファンは益々チョコに特別感を見出すだろう。それこそ食べるのが勿体無い、と思うほどには。
はっ、と我に返って席を立つ。
この席が七種くんから貰ったもので、しかも自分がプロデューサーだということを一瞬忘れてしまっていた。お礼と感想を伝えに行かなければいけない。ポケットに仕舞っていた社員カードを取り出して舞台裏へ急いだ。
舞台裏はライブ開演前の緊張感はすっかり無くなっていて、スタッフたちは和気藹々と撤収作業を進めている。間を縫って進むと、控室へ向かうEdenの面々が前方に見えて胸が高鳴った。……まだ客として観覧していた時の気持ちが抜けていないみたいだ。
「お疲れ様でした。すごくいいライブでした」
巴さんがひらひらと手を振って笑顔で迎えてくれる。
「そう言ってもらえると嬉しいね。まぁ当然だけどね!」
「ありがとうございます。楽しんでもらえたみたいで良かったっす」
「うん。あんずさん、いつもより嬉しそう」
まだライブの熱が冷め切らない様子の三人は、タオルで汗を拭いながらにこにことしている。本人たちも楽しくライブができたみたいだ。客としても、プロデューサーとしても、相互に楽しく過ごせたのであれば本望である。
七種くんはどうだったんだろう、と何故か黙ってこちらを見ていた彼に視線を投げると、ふむ、と弧を描いた口に手を添えた。
「……いいですね、その宝石のように輝く瞳!自分、宝石の類に然程興味はありませんが、あんずさんのソレは喉から手が出るほど欲しいと思うくらいには価値があると感じます」
射抜くような視線で返されて、ドキ、と心臓が飛び跳ねた。
「欲しい……?」
「ええ。ああ怯えないでください!なにも目を穿り出そうなどとは考えていませんよ。ただ、そうですね。もう少し具体的に言語化すると……」
怯えてはいないが、そのように見えたらしい。
七種くんは頬を汗が伝うのも気にせず考え込む仕草を見せると、横でそれを見ていた巴さんが口角を上げたまま淡々と告げた。
「独り占めしたい」
「そう、ひと……殿下?何ですか急に」
急に不機嫌になったように眉間に皺を寄せた七種くんは巴さんを睨むが、巴さんはいに介さない様子でやれやれと頭を振る。
「ああもう!見てられないね!ジュンくんに読ませてもらった少女漫画みたいにいじらしい!」
「おひいさん、野暮ですよそれは」
漣くんは呆れた様子だ。だってそうだろう、巴さんには悪いが私から見ても誇張表現だ。七種くんからしたら余計に気に食わないだろう。
「ジュンくんは何も思わないの?この甘ったるい雰囲気!」
「ほぼ口説き文句でしたからね……まぁいつもやってますけど」
「客席の熱気がこちらにも伝わっておりますな!ショコラフェスに確かな手応えを感じて大変気分が良いです!当初の目標は充分に達成できたのではないでしょうか!」
相手するだけ無駄だと思ったのか、七種くんが食い気味に話を被せる。
「テンション上がる茨の気持ちも分かりますよぉ。全部のピースがはまった感覚というか、すっげえいいライブだったし」
「それは僕も同意だね。茨が頑張った甲斐があったね!」
「楽しいライブだったね。お客さんにも楽しんでもらえたみたいだし。茨の企画のおかげかな」
「……賞賛は不要です。私は自分がしたいようにしただけですし、皆さんの努力と才能あってこそ……あんずさん、なんですかその微笑ましそうな目は!やめていただきたいのですが!」
Edenにいると途端に末っ子のような扱いを受ける七種くんがおかしくて、堪えられずに笑みを溢した。どんどん四人の仲が良くなっているのが側から見ていても分かって、彼が言うように微笑ましく感じている。
「さっきのライブ、とても勉強になったよ。EveとAdamとEdenで統一されてるーーーの演出がーーーで」
「ええ!お気付きいただけましたか!流石慧眼をお持ちのあんずさん!その時ーーーでーーーのようにして」
「うん!すごく良かったよ。ーーーがーーーで」
「そこでーーーをーーーするように……」
「あーあ。二人の世界に入っちゃった。僕を無視しないで欲しいね!楽しそうな子たちを見るのも悪くないから、許してあげるけれど」
「仕事の話になると盛り上がるんですよねぇ、この二人」
「似たもの同士なんだね。茨、楽しそう」
控室に向かって歩きながらライブの感想を伝えていると、そういえばまだ四人にはチョコを渡していなかったということに気付くが、肝心のチョコはロッカーの中だ。
控室前で別れてロッカーへ急ぎ、帰る支度と四人用のチョコを持って改めて控室へ向かうと、向かいから巴さんと乱さんと漣くんがこちらへ歩いてくるのが見えた。七種くんがいないな、と思いつつもチョコを渡すと、巴さんから彼はまだ控室にいるとだけ教えてもらって、三人は帰ってしまった。
ぽつんと廊下に取り残されて、静けさが辺りに漂う。
もしかして控室の後片付けをしているのか、とか、PCを開いて仕事をしているのか、などが脳裏に過ったが、取り敢えず待たせている可能性もあるので足早で向かった。
「七種くん、いる?」
「ええ。どうぞ」
ノックをして声を掛けると中からドアが開かれて、私服を身に纏っている七種くんが招き入れてくれる。
なんとなく控室という密室の圧迫感に恐縮しつつ部屋へ入ると、後ろでドアが閉じられる音がした。
なんというか、なんでもないはずなのに緊張する。
さっきのライブの余韻がまだ残っているのだろうか。
しん、と一瞬静まり返ったことに焦って、そういえばと話を切り出した。
「ええと、チョコあげるね。いつもお世話になってます」
「ああ、ありがとうございます。今食べても良いですか?」
「え?うん」
アイドル一人一人違うチョコを作っているのだが、七種くんへのチョコは薔薇を象ったビターチョコだ。中に少しベリーソースが入れてある。
手のひらに収まるほど小さな箱を七種くんへ渡す。
彼の手に触れないように、と何故か意識してしまって、なんとなくぎこちなくなってしまったが、彼は特に気にした様子がないのでほっと胸を撫で下ろした。
七種くんの長くて綺麗な指がリボンを解いていく。
解かれたワイン色のリボンは七種くんの手のひらに垂れ下がり、続いて箱の蓋も開けられた。
どうかな、と彼を盗み見ると、ふ、と口角が上がり、優しい表情で微笑むのが見えた。
心臓がばくばくとうるさい。
「去年もそうでしたが、案外嬉しいものですね」
ばち、と視線が交わる。
「これを作っているときは私のことだけを考えているのでしょう?」
七種くんは親指と人差し指でチョコを持ち、私に見せつけるように口の中へ入れた。
かり、ぱき、と小気味よい音が耳に届く。
見てはいけないものを見てしまっているような感覚に陥り、頭の中が真っ白になって、つい視線を逸らした。
頭上でくすりと笑われた、気がした。
「ビターチョコと酸味と甘さのあるベリーソースがマッチしていて大変美味しいです!商品化したら飛ぶように売れるチョコとなることでしょう!」
急に声を張り上げるものだからびっくりして肩が飛び跳ねた。なんなんなんだ急に、と視線を上げると、愉快そうにしている七種くんが見下ろしていた。
「いやぁわざわざ作っていただきありがとうございました!バレンタインは愛がどうのこうのと殿下やジュンが仰っていましたが、これが愛というものなんでしょうな!あんずさんのアイドルへ対する素晴らしき博愛!我が精神に通づるものもあり見習いたい所存でございます!今後ともぜひ!七種茨をよろしくお願いいたします!」
敬礼〜⭐︎
ああ、いつも通りの七種くんだ。
ほっとして息を吐く。
「では夜も遅いので駐車場まで送ります。タクシーを利用してご帰宅ください」
「ありがとう。じゃあお言葉に甘えようかな」
駐車場までの道中でこれからの仕事の話をしていたが、タクシーが見えたところで、そういえばと先ほどの疑問を聞いてみることにした。
「なんで七種くんだけ控室に残ってたの?もしかしてこれからお仕事?」
「いえ、本日はもう帰りますよ。殿下が先程仰っていたことを叶えてあげると言って聞かなかったので乗って差し上げた次第です!まぁ良いものを見られましたのでよしとしますが!」
「?」
「こちらの話です。では、お気をつけてお帰りください。敬礼〜!」
いまいち言っていることが分からなかったが、これ以上深掘りしても教えてくれなさそうなので、軽くお辞儀を返してタクシーに乗り込んだ。
窓越しに七種くんと目が合う。にこ、とひとつ微笑まれて、そのまま動き出したタクシーからはすぐに見えなくなった。
帰りのタクシーで、先ほどの道中に七種くんから貰ったEdenのバレンタインチョコの包を開ける。
宝石のようなチョコが今日のライブの記憶を思い返させた。
舞台上から目が合ったと錯覚するほどに真っ直ぐこちらへ向けられた視線。
うまいなぁ、さすがアイドル。と感心して、七種くんモチーフの宝石を口に入れた。
口内に広がるフレーバーに、頭を傾げる。
あれ?こんな味だったっけ?
サンプルで貰った時は全然違う味だった気がする。
少し柑橘系の酸味があって、これは何の味だったかと思考を巡らせて、そしてひとつの結論に辿り着いた。
これはアンズだ。
ぼっ、と顔が赤くなるのを感じた。
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