日の出
ぱっ、と目が覚めて枕のすぐ横にあるスマホの画面を表示させた。時刻は3時45分。場所は仮眠室。1時間だけ、と布団に潜ったのは24時だっただろうか。
「寝過ごした……」
乾燥している目を無理やり開けて、重い体をなんとか起こす。顔を洗って髪を整えて、スケジュールを一応確認したらそこには休みという二文字が書かれていた。
今日は休みだったのか。でも仕事はまだ……。
P機関のオフィスに向かうべく部屋を出て廊下を歩く。
足元の非常灯だけが照らす廊下は暗く、地面の絨毯は足音を吸収する。
ぼーっとする頭のまま曲がり角を曲がると。
「うわあああ!?!?」
何かにぶつかって驚いて尻餅をついた。
声のした方へ顔を上げると、顔を真っ青にして後ずさっていた守沢先輩と目が合う。
「あっ……ああ!あんずか!すまない!こんな時間に誰かに会うと思っていなくてな、ついおばけかと……」
幽霊の類が苦手な先輩は苦笑をしながら手を差し伸べてくれて、私はその手を取って立ち上がった。
「いや、ところでなぜまだ家に帰っていないんだ?」
訝しげな先輩は当然の疑問を口にする。
これは怒られてしまうかもしれない。
「少し寝ようと思ったらこんな時間になってしまって」
と、その場を取り繕うだけの愛想笑いをしてみるが、もちろん先輩の眉間の皺は深くなるばかりだ。
「なに?危ないだろう。女の子が一人で人気のない場所で居眠りをしてはいけないぞ。何かあってからでは遅い」
「すみません」
仮眠室は社員権限のついている入館証があれば誰でも入れる。確かに危険と言えば危険かもしれない。
「だがおまえのおかげで俺たちは仕事をできているのだからな!いつも感謝している。ありがとう!ただ自分を労ることも忘れないでくれ」
遅くまでお疲れ様。と、先輩は大きな手で私の頭を撫でる。
残業で心身共に疲れているところだったので、その優しさが胸に沁みて涙が滲む。そういえば、と声を張り上げた。
「先輩はお仕事だったんですか?」
「ああ。この時間に収録をすることは中々無いのだが、他の出演者の都合が合わなくてな。今から帰るところだ」
先輩は私の頭から手を退けて、そうだ、と手のひらの上に握り拳をぽんと置いた。
「あんずも今日はもう帰るのだろう?家まで送ってやろう」
実は今から朝まで仕事をしようとしていた、などと言える雰囲気ではなく、お言葉に甘えることにした。
*
てっきりタクシーを呼んで家の近くまで同行してくれるのだと思っていたのだが、私の目の前には大きなバイクに乗っている守沢先輩がいた。
「先輩のバイクですか?」
「ああ!かっこいいだろう!仮*ライダーが乗っているようなバイクがずっと憧れでな!」
フルフェイスのヘルメットを渡されて、見様見真似で被る。
過去に弟と、そして学園で先輩とそれを観た時にも思っていたが、確かにあの作品に出てくるバイクに乗るヒーローはかっこいい。憧れるのも頷ける。そしてそれに乗っている先輩は、普段よりも大人びて見えて少しドギマギしてしまう。
「奏汰や高峯を乗せたことがあるから安心してくれ!それにあんずは足が届かないからな、普段より一層安全運転を心掛ける!」
手を借りて後部座席に跨ってみるが、先輩の言う通り足が地面に届かなくて、久々に乗る大きなバイクは少し恐怖心があった。
「しっかり捕まるんだぞ」
「はい。お願いします」
以前にも瀬名先輩のバイクの後ろに乗せてもらったことがある。同じように目の前にある先輩の背中へ抱きついた。
びくりと一瞬肩が跳ねた気がした。
「よ、よし!ああそういえば、今日はなにか予定はあるか?まさか朝から仕事か?」
「いえ、今日は一日休みです」
「そうか!なら少し付き合ってくれないか?」
どこか行きたいところでもあるのだろうか。
「はい。楽しみにしてますね」
頼り甲斐のある背中にくっついていると、先ほどまでの恐怖心は消えワクワクした気持ちが込み上げてきた。
バイクのストッパーが上げられ、エンジンがかかる。
重い音が体の芯に響き、少し体が浮く感覚がして、ワクワクした気持ちに自然と口角が上がった。
ESを出ていくつか信号を通り過ぎる。それはタクシーから見たことがある経路で、予想通り夢ノ咲学園へと辿り着いた。だがそこで止まることはなく、学園前を通り過ぎる。
それから街を抜けて視界が開けると、道路の左側には広大な海が広がっていた。空は白み始めていて、世界は青く染まっていた。
海辺の簡易的な駐車場へと向かい、バイクのストッパーが下ろされて先輩が体を起こす。
「よし。間に合ったな。あんず、大丈夫か?寒くなかったか?」
「はい。先輩が温かかったので大丈夫でした」
「そ、そうか。ならよかった。それでその……降りるから離してもらえると有難いのだが」
はっとして腕を離した。つい居心地が良かったから、と頭に浮かんだその考えに少しだけ顔が熱くなる。
先にバイクから降りた先輩の手をとって、地面へと足を下ろしてヘルメットを外した。
「少し砂浜を歩かないか?」
先輩の提案に頷いて、コンクリートでできた地面から、ふわふわの砂浜へと向かう。
ざざーん、という波の音と、隣を歩く先輩と私の足音しか聞こえなくて、なんだか世界で二人だけみたいだ、なんて考えが頭をよぎってしまってまた顔を赤くした。
なぜか今日は調子が狂う。寝不足のせいだろうか。
「先輩はたまに海に来るんですか?」
もしかしたら深海先輩と遊びに来るのかもしれない。それか誰か意中の女性と……?と考えて頭を振った。何を考えているのやら。
「仕事でたまに来るくらいだろうか。学園に在籍していた時ほどは遊びに来なくなってしまったな」
その返答にどこかほっとしている自分がいて驚いた。
違う、これは吊り橋効果に似た何かだ。
「私も前ほどみんなと遊べなくなっちゃいました。なので今日先輩に誘われて嬉しかったです」
誰もいない早朝の海辺。誰かに見られる心配は無い。
「そうだな。立場上仕方がないかもしれないが、寂しい思いをさせてしまって申し訳ない。そうだ、久々にどうだ?」
「?」
ばっ!と先輩は腕を広げる。
「さあ来いあんず!疲労も、孤独も、全て受け止めてやる!お前は一人じゃない!」
少し、いやかなり恥ずかしいが、ここは行くしかない!
先輩の胸に顔を埋めて、背中に腕を回して力いっぱい抱きしめた。
先輩も私が苦しくならない程度にぎゅっと抱きしめてくれて、なんというか、恥ずかしい。
「先輩の疲労は私が受け止めます。ハグは、ストレス解消に良い、とも言いますし」
心臓がうるさい。耳元でばくばくと、ということはこれは先輩の心臓の音だろうか?いや私の心臓はかなり暴れている。ということは先輩に伝わっているかもしれない。まずい、のでは?
顔を上げると、それに気付いた先輩と目が合った。
お互いに頬を真っ赤にして。
「あっ、あんず!ほら日の出だぞ!」
「えっ」
海の方へ目を向けると、水平線から太陽が顔を出していた。
腕が解かれて先輩は口元を片手で覆う。
「いや、そのだな、気にしないでくれ。久々にあんずを抱き締めたもので気恥ずかしくなってしまってな」
「は、はい。私もです」
「もともとは日の出をあんずに見せたかったんだ。時間もちょうど良かったしな。それに最近はおまえとゆっくり話すことも無かったから、いい機会だと思って……邪な気持ちがあったわけではないぞ!」
邪な気持ち。そんなもの無いというのは初めから分かっている。だからこちらは悪いことをしているような気持ちになってしまっているのだろう。少しでも先輩を意識してしまっているのだから。
「それは分かってます。先輩は善意で連れてきてくださったんですよね。年末年始は忙しくて初日の出を見れていなかったので嬉しいです」
ありがとうございます。と伝えると、安心したように微笑んでくれた。
それから辺りが明るくなるまで二人で砂浜に座り、日の出を見ながら近況などを語らった。
春先の冷たい気温など気にならないほどに高揚していたのだが、それに気がつかないふりをして家路についたのだった。
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