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吸血鬼

※吸血鬼パロ

カタッ
後ろに一歩引いた足がドアに引っかかって、静かな部屋に小さな物音が響いた。
男性の首筋から顔を上げた七種くんは、獲物を見つけた時の蛇のような瞳でこちらに視線を刺す。
私はそれに射抜かれてカエルのように硬直した。
「おやおやあんずさん!盗み見とはご趣味の悪い」
その時に見えた、七種くんの口元と男性の首筋。そこには鮮やかな赤い液体が付着していて、首筋にキスをしているのかと思っていたものは、もっと恐ろしく、痛々しいものだったということが見てとれた。
それほど痛くしていなさそうな男性を見るに軽傷なのだろうが、それにしてもこの状況はなんだろう?
「本日は以上で大丈夫です。ありがとうございました」
黒いハンカチで口元を拭った七種くんは事務的にそう告げて男性に退室を促すと、その男性は私の方に目もくれず、首筋をタオルで覆って足早に出て行った。
閉まるドアの音が響き、沈黙が訪れる。
七種くんから視線を逸らすことができなくて、体も動かなくて、喉から声を出すのも怖くて、時が止まったかのようだった。
どれくらい時間が経ったのか、長く見つめ合っていた気もするし、ただの5秒間だけだったのかもしれない。七種くんが鞄に手を入れる動作で緊迫した空気が少しだけ緩んだ。
彼は取り出したペットボトルのキャップを開けて、喉を鳴らして水を飲む。上下に動く喉仏が、怪物のように見えて異様に怖く映った。
私も食べられてしまうのだろうか?

「単刀直入にお伝えしますと、私は吸血鬼です」

えっ?
耳を疑った。
吸血鬼、吸血鬼?あの、トマトジュースを飲んでる、いや、凛月くんの方には実際に血を舐められたんだったっけ。唐突すぎて過去を遡ることすら困難なほど、頭が混乱している。その吸血鬼がもう一人いた?というよりもだ。
「血を飲まないと生きていけないの?」
彼らは、朔間兄弟は血を飲むのは必須じゃないっぽいし、吸血鬼というよりは夜型で低血圧で貧血気味な体質の人、という印象だ。
「新鮮な人間の血液にのみ含まれる栄養素を摂取する必要がありまして、それがなければ栄養失調でぶっ倒れてしまうんですよ。なので、先ほどいた男性のように金銭を対価に血液をいただいているのです」
なるほど。
と、頷いていいものか、そんな人がいるなんて聞いたことがない。いやでも調べたら見つかるのかも。数十万人に一人の難病とか、体質とか、そういう記録が。
「この情報はトップシークレットでして、血液をいただく際には契約書も交わし、人数も可能な限り少数で回しているんですよ。なので口外しないでいただきたいのですが、約束いただけますか?」
「うん。言わないよ。契約書はいいの?」
「本日は持ち合わせがないので後日にでも。まぁそもそもバラされたらその人を世間に出られなくなるほど社会的に抹殺しますのでたかが紙切れなど意味がないのですがね!」
あっはっはと愉快そうに笑う七種くんはいつも通りで、まだ彼が人の血を摂取している吸血鬼なんて実感がまるで湧かなかった。


それから暫くが経って、ESからは私と七種くんの二人で、他は別会社の人たちで仕事をすることになり、北の大地のとある場所へと赴いていた。
季節は二月。最も寒くなる時期に入ったその仕事は順調に終わりを迎えたのだが、いざ帰るとなった時に大雪に見舞われて飛行機が欠航してしまった。
仕方なく近くのホテルで宿を取ろうとしたのだが、同じく帰宅難民となった人たちでごった返していて、運悪くツインルームが一部屋しか取れず、今に至る。

「大雪の影響は三日ほど続くそうです。仕事はここからでもPC業務であればできますが、部屋が一つしかとれないのは痛かったですね」
「そうだね。あまり邪魔にならないようにするね」
「いえいえ!気を遣わせてしまい申し訳ございません!私のような存在は石ころとでも思っていただければ幸いであります!」
「あはは……」
綺麗な敬礼を見せた七種くんは、ジャケットをハンガーにかけてパソコンを取り出した。どうやら仕事の続きをするらしい。
ではこちらもと同じようにパソコンを出して、就寝時間まで仲良く無言で仕事をするのであった。

宿泊一日目も変わらず、メールやチャットでESの人とやりとりをしながら一日中仕事をしていた。もしここで一緒に泊まった人が七種くんじゃなければ、相手はすることがなくて相当暇だっただろう。あまり相手の存在を気にせずに仕事に集中できるのは、すぐそこで同じように仕事をしてくれているからなのだろう。

宿泊二日目の朝、昨日であれば私が起きた時には既に洗顔や歯磨きなどの身支度を済ませていた七種くんが、今日はまだ布団の中にいた。
彼の日常はよく知らないが、おそらく他人に寝顔や無防備な姿を見せたくない派の人だろうことは、性格から察せられる。
だから体調が優れないんじゃないか、と瞬時に判断した。
「七種くん、おはよう。起きてる?大丈夫?」
「ええ……正直少しまずいです」
のっそりとだるそうに上半身を起こした七種くんの顔色は青く、眉間には皺が寄っている。
「熱とかあるんじゃ」
ベッドに近づいて額に手のひらを近づけると彼に手首を掴まれた。
「失礼。あまり近づかないでいただきたいのですが。あんずさんからは何故か甘い香りがして腹が減ってきます」
「ええとそれは……」
……吸血鬼の本能?
「実はこの仕事が終わってから血液摂取をする予定だったのですが、この通り帰られなくなってしまったので栄養が足りていない状態になっていまして」
なら話は簡単だ。とりあえず原因が分かってほっとする。
「私の血飲んでいいよ」
「は?」
心底信じられないという目でこちらを見上げる七種くんは、なんだかちょっと間抜けに見えて面白かった。
「いいよ。血はご飯食べてたら増えるものだし」
「そういう問題ではないのですが」
じゃあどういう問題なんだろう?
「ですがこうなっては四の五の言ってられませんね。お言葉に甘えさせていただきます。多少痛いですが、本当に良いのですか?」
「うん。初めてじゃないし大丈夫だよ」
「は?」
「前に凛月くんにも噛まれたことあるし」
「はぁ……」
七種くんがうんざりとした表情で頭を抱えた。
「ではいただきます」

ベッドに向かい合って座る。
シャツのボタンを3つほど外して、首から肩にかけて肌を露出させて、どうぞと差し出した。
ごくり、と首筋を凝視している彼が生唾を飲み込んだのが見え、そのまま整った顔が寄せられる。
肌に触れる滑らかな髪がくすぐったくて身を捩ると、逃がさないように肩を掴まれてそのすぐ後に鋭い痛みが走った。
「ーー!」
じくじくと痛む傷口に、ぬるりとした感触のものが這う。
それが傷に触れるたびに鈍い痛みが走るのに、体の底から快感ともとれる感覚が湧いてきて甘い痺れが脳を刺激した。
「ぅ、んっ……」
口から漏れた聞いたことのない声に驚いて手で口を覆う。
這わせられる舌が数回往復したあと、傷口に柔らかい唇が押し当てられて先ほどまでのとは別の感触に心臓が跳ねた。
じゅる、という艶かしい音と共に傷口から血を吸われていく。
だんだんと体から力が抜けていって、頭がふわふわしてきた。
頭がおかしくなりそうだった。こんなの知らない。
焦点の合わなくなってくる視界に真っ直ぐ座っているかも分からなくなってきて、自然と七種くんに体を預けてしまう。
その異変に気付いた七種くんが顔を上げて目が合った。
その瞳は爽やかな澄んだ青色をしているのに、熱を帯びて燃えているように見えて、そのまま近づいてくる七種くんにぼうっとしたまま声をかけた。
「あの、どうかな」
そろそろやめにしても大丈夫かという意味で問うと、ぴたりと動きを止めた七種くんが袖で口元の血を拭った。
「うまいです」
味はどうかとは聞いてない……。
「美味すぎてトびそうでした。いやはや危ないところでしたね。あんずさんこそ目が虚ですが貧血ですか?大丈夫ですか?」
「なんか変な感じがして」
「ああ」
七種くんが私から体を離すと、私はそのままベッドにへたり込んだ。サイドテーブルの上にあるティッシュを数枚掴んだ彼は、血で濡れているだろう私の首元を痛くないように優しく拭う。
「どうやら私の唾液には麻酔に似た特殊な成分が含まれるそうなのですが、そのおかげで対象はあまり痛くなく、しかし若干の快楽を感じてそれに中毒性が生じるようです」
「そう、なんだ」
確かおとぎ話の吸血鬼もそんな設定があったような。
「いやはやしかし、本当にあんずさんの血は甘くて美味しかったです。果実とかをよく食べていますか?今まで血をいただいてきた男性陣とは段違いでした」
「特に何も。ほとんどESの食堂の定食か、エネルギーチャージ系のゼリーか、スティックタイプの栄養補給食か……」
まだ体の奥がじくじくと疼く私は、ベッドに体重を預けて横になった。その男性陣も同じような状態になっているんだろうか?だとしたらなんだか、危ないような……。
「ふむ。食事ではないとすれば血液型……いやそもそも性別が原因かもしれませんね」
ぶつぶつと独り言を呟く七種くんが続ける。
「これほど美味い食事を知ってしまうと元々いただいていた方々の血が不味く感じそうですね。しかしいつも男性陣はピンピンしているのにあんずさんのこの消耗具合は体力が原因か、他の女性も同じか確かめたいところですが……」
「そ、それはだめ」
とんでもないことを口走っている七種くんに待ったをかける。
「こんなの、他の女の人にしたら七種くん襲われちゃうよ、そうじゃなくてもさっき」
さっき、キスをされかけたような。
記憶が蘇ってかっと顔が熱くなった。
「ああ……確かに。先ほどはすみませんでした。勢いでそのままあんずさんにキスをしてしまいそうになりました!」
そんなことを堂々と言われても。
「まぁでも……」
と、言葉を切った七種くんは、べろ、と舌なめずりをした。
「あんずさんが良いのであれば私は良いですけどね」
「え」
なにを、なんで?
「血液摂取に関してはあんずさんには負担が大きいようなので暫くは男性陣の血液をいただきます」
暫くは、というところが引っかかったが、では風呂をいただきますね。敬礼〜!と、足早にお風呂場へと向かった七種くんに何も言えずにその場に取り残された。
さっきまでの出来事が夢だったかのように、朝の空気の冷たさが体を冷やしていって、シャワーの音だけが響いている。
七種くんならいいかも、と一瞬だけでも思ってしまった自分に驚き、罪悪感から頬をつねった。



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