その日、都内某局内で最も大きなスタジオでは四半期に一度の大きなバラエティー番組の収録していた。日本全国から芸人が集まり、漫才やコント、モノマネなど、それぞれの持ち味を活かした芸を披露していく、いわば祭典ともいえる番組で、貴女は相方と共に今日の収録に挑んでいた。
番組のプログラムの中には、本来のグループで演芸をするパートとは別に、“コラボ企画”なるものが存在し、貴女は事務所の先輩である川西ら数名とグループを組み、往年のアイドル、ピンクレディーをモチーフにしたコントを披露した。
ネタが終了し、大きな拍手に見送られながら舞台袖に退場すると、貴女はやっと肩の荷が下りた気がした。
今日は何もかも勝手が違っていた。普段はやらないコントで、しかも参加者も多く、(全員プロとはいえ)息を合わせるのも一苦労だった。さらに貴女は役柄上、ピンクレディーの振り付けを覚えて踊らなければならなかったため、本番ギリギリまで確認作業に神経をすり減らしていたのだ。
しかし、神経を使っただけあって、ウケは良かったように思う。最終的には自分も楽しめたし、舞台は成功と言っていいだろう。
「なあ、貴女ちゃん」
充実感に浸っていた貴女を呼んだのは川西だった。
ウィッグと化粧を施した顔は本当に女性といっても通用するほど整っており、練習中密かに羨望のため息を漏らしたことも一度や二度ではない。
今回コントのモチーフにピンクレディーが選ばれたのは、実のところ、参加者のうちの何人かが川西のミニスカート姿を見たかったからではないかと、自分と同じミニスカートのワンピースを着た彼を見て思った。
「何ですか?」と返事をすると、川西の端正な顔がぐっと近づいてきて、思わずドキッとした。
「絆創膏、持ってへん?」
内緒話をするように潜めた声が耳を打つ。コント中に歌ったせいか、かすれた声が妙に艶っぽく、変なことを言われたわけでもないのに背中がぞくりと粟立つ。
「楽屋にありますけど、怪我でもしました?」
平静を装って貴女は言った。
「靴擦れしてもうて……。一枚貰えへんかなぁ」
ばつが悪そうな声を聞いて、思わず目を落とす。舞台袖にいるせいで暗くてよく見えないが、自分も川西も、履いているのはピンクレディーを意識した厚底のヒールだ。自分でさえ痺れるような痛みを感じているのだから、彼が靴擦れをしているのも無理はない。
「ちょっと待っててください。取ってきますから」
「あ、待って、俺も行くわ。ここに立ってんのも何やし」
川西は慌ただしく舞台袖を行き来するスタッフに目を走らせながらそう言うと、ややゆっくりとした動作で貴女に続いた。
※
楽屋に到着すると、貴女は履いていたダンスシューズを脱いで、壁に立て掛けるように置いてあった自分のバッグの前に膝をついた。
「ちょっと待ってくださいね。この辺に靴擦れ用の絆創膏が……」
バッグに目を落としたまま貴女が言う。
「ごめんな、ありがとう」
川西の声が誰もいない楽屋に響く。
貴女の相方は次の仕事のために一足先に移動しており、部屋には貴女の荷物しかない上に、あらかた片付けられていて綺麗だった。
「えっと……確かこの辺りに……あった。どうぞ、これ使ってくださーー」
振り向くと、すぐ側に川西が立っていた。驚いて思わず言葉に詰まったが、貴女はすぐ取り繕うように笑ってみせた。
「びっくりした……。心臓に悪いから、気配消して後ろに立たないでくださいよ」
全くもう、と付け加えながら、然り気無く距離をとる。といっても、バッグと壁に阻まれ、精々1歩程しか離れられなかったが。
「これ、靴擦れ用の絆創膏ですから、革靴履いても痛くないと思いますよ。1枚で……」
足りますか? と繋げようとしたが、言葉にならなかった。
ふと目を落とした川西の足が、赤く腫れてこそいるものの、靴擦れをするほど重症には見えなかったからだった。
「そんなに怯えた顔せんといてよ」
見た目は女だが、その声ははっきりと男を感じさせた。
直感的に全てが嘘だったのだと確信して、血の気が引いた。
「そんなカッコでうろうろして、楽屋とはいえ男と二人きりになって。俺も男やし、あんまり油断したらあかんよ。さっき可愛く歌ってたやん、男は狼やって」
どういう意味なのか貴女には分からない。
何センチもない距離は簡単に埋められ、優しい腕に正面から抱きしめられる。
「上向いて」
抵抗こそするものの、男の顔をした川西にはまるで意味をなさず、長い指が絡めとるように顎を持ち上げた。
「可愛いなぁ、そんな顔して……」
熱病に侵されたような目が貴女を射抜く。
『瞼を閉じたら負け』
その歌詞が頭に浮かんでいるのに、恐ろしくて目を閉じずにはいられない。
固くつぶった瞼の向こうで川西が小さく笑う。
貴女は狼に捕まった。
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