デストロンとの一戦を終え、アデルロルフは基地から離れた空を気儘に飛行していた。
仲間達は先に帰還しており、今頃司令官に報告を上げているだろう。大抵の場合、陸と空とでは空の方が速い。その為報告を上げるのは自然とアデルロルフに任される事が多いのだが、指揮を取っていたマイスターから「ゆっくり帰っておいで」と散歩の許可が出たのだ。
何がとかではなく、何となく、アデルロルフにとって今日は嫌な気分の日だった。だからその言葉が嬉しくて、彼女はマイスターに手早く感謝を伝えてから、普段は見せない音速で空に駆け上がった。
雲と同じくらいの高度で飛行を続けていると、個人回線での通信が届いた。開かないと後が怖いので渋々繋げれば、《いい加減帰ってこい》と不機嫌そうな音声が頭の回路の中に響く。
「通信不安定でーす」
《……アデルロルフ》
「聞こえませーん」
《頼むから。俺だけじゃ手が回らないんだよ》
そう言って彼が回線越しに吐いた溜息には若干の疲れが滲んでいた。
ちゃんと寝てるか聞くが、返答はない。「プロール?」と彼の名を呼んでみても、うんともはいともならない相槌が返ってくるだけだ。
アデルロルフとプロールが過ごした時間は深い。サイバトロン軍内におけるアデルロルフの立場ゆえもあるが、それを除いても二人の関係は複雑に絡んでいる。だからこそ、回線越しであっても彼の声音からいつも以上に疲労が溜まっているのだと察した。
「今日はどれくらい残ってるの?」
《……ん、何が》
「報告書」
《先日のデストロンとの一戦で壊してしまった発電所、公共道路の始末書と今日の分の報告書、添削、処理、作成、あとは》
「分かった、帰ってから確認するよ」
《そうしてくれ》
宇宙探索に出るだけの任務だった為、元より前線に立つメンバーの方が多く招集されていた。ここまで長期になるとは事前に想定されておらず、加えて元民間人の戦士が多いからか規律がやや緩い。
その為記録に対して重要性を感じる者が少なく、進んでデスクワークを行うメンバーが限られているのだ。
自ら進んで記録を行っているのは戦略家のプロールと、遊撃員のアデルロルフの二人のみ。日々のデストロン軍との交戦に加え、その報告書や始末書、地球での活動記録、人間との交渉記録など……とにかく諸々の事務作業は全て二人が担っている。
《いつもすまない》
「お互い様でしょ。暫く休めなさそうだね」
《あぁ、そうだな……》
プロールの声にいつもの覇気が無いのは、きっと気の所為ではない。回線の向こうで欠伸を押し殺したのが聞こえて、「直ぐ帰還するから」と言えば短い返答が返ってきて通信が切れる。
アデルロルフはくるりと機体を翻し、エンジンを唸らせ基地への帰還を急いだ。
◆◆◆
「アデルロルフ、只今帰還しましたぁ」
「あぁ、おかえり。羽は伸ばせたかい?」
「お陰様で。作戦室行ってきまーす」
「プロールなら記録保管庫に向かうのを見たぞ」
基地に帰還後、アデルロルフは真っ先にメインルームに居るコンボイの元へと向かった。彼と話していたアイアンハイドとラチェットに「お疲れ様」と手を振ってから、記録保管庫へ先を急ぐ。
アデルロルフが足早に踏み出す度、人間の女性が履いているハイヒールのような踵がカツカツと船内に反響する。記録保管庫にはあまり誰も来ないからか、道中誰にも会うことはない。
「プロール?」
保管庫内は電気が付いておらず、首を傾げながら室内に入る。名を呼ぶが返事はない。奥の方にほんのり灯りが見えたので、再度彼の名を呼びながらそちらへ行く。
「ちょっと、聞こえて……?」
珍しい事があるものだと、アデルロルフはバイザーの下のオプティックをぱちぱちと瞬かせた。
誰も居ない薄暗い記録保管庫の中、膨大な文字の羅列を見ている間に眠ってしまったのだろう。今回の探索は急なものだった為ここには過去のデータ板は勿論の事、いつ使用したのかも分からない資料やどこかの星の物品など。整頓されておらず、様々な物が散乱している。
ちょうど良い高さの箱を見つけたらしい彼は、壁を背にして規則正しく寝息を立てている。その手にはデータ板があり、オプティックは固く閉ざされている。「プロール」ともう一度、今度はそっと優しく名を呼べば、彼は僅かに身動ぎしてからゆっくりとオプティックを開けた。
「おはよ」
「……うわっ」
「第一声がそれ?失礼じゃん」
アデルロルフはけたけた笑いながら、彼の手にあるデータ板を取ってさらっと目を通す。暗くて読みにくかったのか、彼女は「うぅん?」と唸りながら目元を隠す青いバイザーをカシャリと上げた。
赤いオプティックが手元のデータ板の文字列を追う。プロールはその様子をぼーっと見て、それから目頭をぎゅっと揉みこみながら溜息と共に小さく「すまない」と零した。
「いいよ。何に対してか分からないけど」
「寝てた事と驚いた事。分からないのに許すなよ」
「ふふ、理由知りたい?」
「……別にいい」
「私はプロールが正しいと思ってるから」
「だから言わなくていいって」
猫の目のような、丸くつり上がった形をしたオプティックがにんまりと歪む。悪戯っ子のようなその笑みに、プロールは自身が揶揄われているのだと分かって眉間に皺を寄せた。
「こら、バイザー付けなさい」
「良いじゃん。今は私とあなたしか居ないよ」
「誰が来るか分からないだろ」
「クリフとか?」
「……かもな」
「冗談でしょ」
アデルロルフの指先がプロールの頬に添えられる。反応する間もない内に彼女は掠めるように彼の額にキスを落として、それを窘めるように声をあげる時には既に彼女のオプティックはバイザーに覆われていた。
「ほら、作戦室行こ」彼女は手を差し出す。
その手を取って自身の方に引き寄せれば、アデルロルフは体勢を崩してプロールの膝の上へ落ちた。彼女の後頭部に手を回し、唇を奪う。「ゔぅ……」といつもと勝手の異なる呻き声が聞こえて、プロールは首を傾げながら彼女を離してやる。
「膝、膝ぶつけた……」
「ふふ、いやすまん……ははっ」
「笑うなよぅ……」
「本当に可愛いやつだな君は」
「可哀想の間違いでしょ」
体勢を崩した際、プロールが掛けている箱の角にぶつけたらしい。アデルロルフは「いたい…」と膝をさすっている。その手の上に自身の手を重ねれば、彼女は不思議そうにプロールを見詰める。
「機嫌悪いの治ったか」
「なんで分かったの?」
「君が一人で帰ってくる時は大抵そうだろ」
「……だからここで待ってたの?」
「いや?」
「ふうん?」
プロールは誤魔化すように笑って、怪訝そうに口をへの字にしているアデルロルフにもうひとつキスをする。僅かに触れるだけのそれだが、彼女は満足気にふふんと鼻を鳴らした。
◆◆◆
現在のアーク内作戦室は、ほとんどプロールが使いやすいように整理整頓されている。コンピュータやデータの保管棚、資料、そして中央に置かれた広めのデスクと椅子が二つ。
元々はセイバートロニアンが二十名弱入っても余裕がある程の広さだったのだが、不時着した際に運悪く岩場が室内の半分ほどを埋めてしまったのだ。その為、現在ここに出入りする者はプロールの他アデルロルフを含めた数名しかいない。
「なんか多くない?」
「だから言っただろう、手が回らないって」
「言ってたけどぉ……」
デスクの上に積まれた未処理のデータ板の山を見て、アデルロルフは何か言いたげに口元を引くつかせた。
プロールは椅子をコンピュータの前まで引いて行き、それ以上何も言わず作業を始める。それに倣い、終わりの見えない業務を片付けるべくアデルロルフは一番手前にあったデータ板を手に取った。
作戦室の室内ではプロールのタイピング音と、アデルロルフがデータ板の上で指先を滑らせる音だけが響いている。途中プロールの舌打ちやアデルロルフの溜息が零れる以外、二人の間に会話はない。
どれくらい時間が経っただろうか。近くでコンコンとデスクを叩く音がして、アデルロルフがゆっくりと顔を上げると隣に彼が立っていた。
「少し休むか」彼の言葉に疑問符はない。
デスクに積まれていた報告書はほとんど処理し終えている。あと数枚で終わる為、アデルロルフは「そうだね」と口走りながらも次のデータ板を手に取る。だが、それは彼によって阻まれた。
「少し休むよな」
「……聞こえてるってば」
「なら手を止めるんだ」
「あと少しで終わるのに?」
「急ぎのものは終わってるだろ。どうせ明日になればまた増えるんだ、今日はここまでにしよう」
プロールの言う通りではあった。それでも全て片付いていないと気が済まなくて、アデルロルフは口元をへの字に曲げる。バイザーが掛かっていても、その赤いオプティックでプロールをじとりと睨み付けているのは想像に容易い。
「ここ数日デストロンとの交戦に出突っ張りだったのは知ってるからな。あまり無理し過ぎるのも良くない」
「手伝わせておいて良く言うよ」
「それは悪いと思っている」
飄々と言ってのける彼に向けて「思ってないでしょ」と返して、ようやくアデルロルフは手に持っていたデータ板をデスクに置いた。
カチャと自身の装甲が擦らせながら両腕を上げて、体内の回路の流れが良くなるようにうんと身体を伸ばす。その様子を見て何を思ったのか、プロールは彼女のバイザーを押し上げて、親指の腹で赤いオプティックの下をスッと撫ぜた。
「……何?」
「いい加減バイザー外したらどうだ」
「馬鹿言わないでよ。というか、バイザー付けるように勧めたのはプロールでしょう」
すぅ、とアデルロルフのオプティックが翳る。それを見計らったかのように、プロールは彼女の顎を掴んで自身の方を向かせる。一度は嫌そうに身を捩ったが、その指先は離れようとはしてくれない。
抵抗しても無駄だと悟ったアデルロルフは、渋々彼のオプティックを覗き込んだ。そこには熱もなく、何の感情も読み取れない。ただ彼の青いオプティックがアデルロルフを見詰めているだけだった。
「付けろって言ったり、外せって言ったり。プロールは私にどうして欲しいの」
「さぁ?どうだろうな」
「……あっそ」
プロールの手を振り払えば、今度は簡単にその手は離れた。
どうせこの冷徹な堅物はアデルロルフの問いに答えやしない。何年、何十年、何百年経っても答えは返ってこないのだから、聞くだけ無駄なのだ。それが分かっていても、アデルロルフは彼に問い掛けることを止めはしない。バイザーを掛け直して、アデルロルフはもう一度問う。
「プロールはなんでわたしをサイバトロンに連れて来たの?」
下らないとばかりに肩を竦め、プロールはアデルロルフの腕を引いて椅子から立たせる。少しふらついた彼女の腰を取り、支えながら「少し寝てこい」とだけ言葉を返した。
「答えになってないよ」
「今必要な問答ではないだろう」
「そうだけど」
「部屋まで送っていこうか」
「……いい」
「ふらついているようだが?」
「大丈夫。一人で戻れる」
眉間に寄る皺を揉みながら、アデルロルフは彼を押しやる。これ以上踏み込めば更に嫌な表情をする事は経験済の為、プロールは降参したように両手を上げて、ふらふらと作戦室を出ていく彼女の背を見送った。
部屋に残されたプロールは重く溜息を吐く。
あの小柄な赤い戦闘機をひとりにしたい訳では無い。だからデストロンからサイバトロンへと寝返らせ、自身の監視下に置いたというのに。
アデルロルフは存外ひとりを好む。天真爛漫に振る舞い、無垢な振りを続ける彼女を知っているのは自身だけだと、プロールは自負していた。にも関わらず彼女が思い通りに動く事はない。それがプロールの中で彼女に対する論理的な判断が付かないからなのか、アデルロルフがそれ以上に上手く立ち回るからなのか。
ふたりの関係はずっと曖昧なまま、止まっている。