2022/07/06
ツイてない日


 思えば、今日は朝からツイていなかった。

 存在をすっかり忘れていた英語のプリントに気づいたのが昨夜の十二時。眠い目を擦りながら終わらせたはいいが、案の定寝坊し、今朝はろくに支度もできずに家を飛び出した。いつも以上に四方八方にはねまくる癖毛を友人たちにひとしきり笑われ、更には折角終わらせた英語のプリントを家に忘れるという体たらく。朝食を抜いたせいで授業中にお腹が鳴って失笑を貰ったのは思い出したくもない。同じ轍は踏むまいと、今日出された宿題を終わらせてまうために放課後に自習室に籠ったら、睡魔に襲われて寝てしまった。

 ……そして、目が覚めたのが今だ。照明は消えており、窓から差す月明りのみがおぼろげに教室の輪郭を浮かべていた。慌てて携帯を確認すると下校時間をゆうに1時間は過ぎていた。少し前に親からメッセージが入っていたため、すぐ帰ると返信したあとに大きくため息を吐く。

 急いで荷物をまとめて自習室から出るが、照明が点いていない廊下が思った以上に暗く、一歩踏み出すのに躊躇してしまう。

「〜〜〜、っえい!」

 ここで二の足を踏んでいてもどうしようもない。廊下の先の真っ暗闇を見ないように、足元に視線を落とし走り出した。足音が廊下に響くのも構わず、昇降口に向かって走る。

「はぁっ、もうすぐ……っ!」

 この角を曲がったら昇降口だと顔を上げると、急に目の前が明るくなった。眩しくて思わず目を閉じるが、走っていた勢いを止められずそのまま眼前の光の中に飛びこんでしまう。

「きゃあ!」
「わ、っと」

 ぼすっと何かに衝突するとともに、頭上から聞こえた声を聴いて自分は人とぶつかったのだと理解した。

「あれ、貴方……こんな時間に何してるんです」
「え!? あ、せ、先生!? な、なんで!?」

 目の前には、携帯をライト代わりに持った先生が立っていた。驚いて声を上げてしまった私に対して、「なんではこっちの台詞ですよ」と返される。寝過ごしただなんて言うのは恥ずかしくてすこし口ごもったあと、ごまかすわけにもいかないので素直にいきさつを説明した。

「――てなわけで、今から帰るんです。……すみません」
「……まぁ、いいでしょう。親御さんは迎えに?」
「いえ、家は近いので。走って帰ります」

 私の答えを聞いて、先生は少し呆れたような顔でため息をついた。

「……ほら、行きますよ」
「え?」
「車で家まで送ります。私も帰るところなので、ついでですから」
「え、で、でも、迷惑じゃ」
「こんな時間にはい気を付けて、と送り出させるつもりですか? そっちの方がよっぽど出来ませんよ」
「うう。……じゃあ、お言葉に甘えて」

 上履きを靴箱に仕舞って、職員玄関に向かう先生の背中を追いながら、スニーカーを片手に靴下のまま廊下を歩く。

「靴下汚れちゃうかも」
「居眠りの罰ですね。甘んじて受けてください」
「先生が抱っこしてくれたら汚れないで済むんですけど」
「馬鹿言わない」
「えへへ」

 家に着いたら、帰宅が遅くなったことと真っ黒になった靴下のことで、親に怒られてしまうかもしれない。今日は朝から夜まで、悪いことだらけだ。
 でも、夜の学校で大好きな先生と二人きりで歩いている――なんて、きっとこれだけで今日の不幸と釣り合うどころか、おつりがくる。

 すこし歩く速度を落としてくれた先生の横顔を見上げる。なんですか、なんて言って視線を向けてくれるのが嬉しかった。


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