花の墓標

彼が花が好きと言ったのを、私は少し意外だと思った。暁は男所帯であるから、そもそも花を愛でる人など思いもつかない。花を愛する心を持っているのは、手製の花髪飾りを付けている小南くらいだと思っていた。サソリは花の様な儚い美など毛嫌いしていたし、デイダラには少し静か過ぎる美しさだ。角都は金にならないと興味すら示さないし、他のメンバーも似たようなものだった。
私だって、本当は同じだ。好きで育てている訳ではない。単に薬の調合に使う薬草を育てているにすぎないので、そこに美しさは見出さないのだ。何の感慨も無く、零れんばかりに咲く花を手折り、しなやかに伸びる茎の根を掘り起こす。そんな、無味乾燥な人間である。
だからこそ、あの余りに透明で脆い花を愛でる彼が、少しだけ羨ましかった。

「意外だね、イタチが花が好きだなんて」
「似合わないか?」
「ううん、逆。似合い過ぎて怖いくらい」

ジョウロで鉢植えに水を遣るイタチの背を眺めながらそう呟く。なんだか、妙に様になっていた。目を細めて花を見守っているその横顔は、いつもよりも酷く幼い。降り注ぐ日光が白い輪郭を淡く滲ませ、やわらかな陰影を描いている。優しい眼だ。こんな顔も出来るのだな、と今更の様に思う。言った通りに花が好きなのだろう。

「本当に、好きなんだね」
「……なまえは嫌いなのか?」
「どうだろう、あんまり考えた事無いかも。嫌いとか、好きとかそういうのじゃないの」
「毎日見ていると、案外そういうものなのかもしれないな」

汲んだ水を運んでいると、偶然廊下を歩いていたイタチが声を掛けてきたのだ。オレにやらせてくれないか、と。たっぷりと水を湛えたジョウロは、存外に重い。断わる理由もなかったものだから二つ返事で了承したが、理由が気になったから問うてみたのだ。特に答えは気にしていなかった。気紛れなら、それはそれで構わなかった。

イタチは優しげな横顔で花々を見詰めている。指先の筋肉が伸びやかに動いていた。大きなジョウロに汲んである水を、一掬いの狂いも無く均等に分け与えているのがよく分かった。いつも何気なく行っているはずの水遣りが、余りに丁寧に行われるものだから、何か侵し難い神聖な儀式を眺めているような気分になる。
そんな事を考え、私はそっと頬を綻ばせた。なんだか、可笑しい。

「どうかしたのか?」
「ううん、何でもない。続けて」

空気の綻びに気付いたのか、イタチが振り返る。笑って首を振った。不思議そうに見返していたが、私がそれ以上何も言わずに微笑んだままいると、何処か満足したように手元へと視線を戻した。さらさらと零れる水の音。やわらかい木漏れ日に縁取られて、一粒一粒が硝子の玉のように輪郭を持っている。雫達はきらきらと密やかに輝いていた。

「この花は、何という花なんだ?」
「それはダチュラ。ナス科の一種なの、綺麗でしょう」
「嗚呼確かに。こんな花も薬草になるんだな」
「そう。ダチュラはね、猛毒を持ってるの」

――1、2、3。まばたき一つ。その位の感覚で、イタチはきっちりと水を遣る。手に握っているジョウロの水は、半分を切ろうとしていた。

「イタチはどうして花が好きなの?」

ふと、ずっと気に掛かっていた事が口を衝いた。さらさらと零れていた音が途切れる。此方を見返すイタチは、些か困った様に微笑みを浮かべている。

「何故、だろうな」
「綺麗だから?」
「いや、そうではないんだ。そうだな、何でだろうな」

イタチが少し目を伏せる。ジョウロを支えていた細い指が、そっと白い花弁に触れた。くすぐったそうに震える雄蕊。イタチは慈しむ様な、ひっそりとした潤いのある眼差しで見詰めている。均整のとれた横顔。陽光にけぶる輪郭は、悲しくなってしまう程美しい。

「考えてみれば、花自体が特別好きな訳ではないのかもしれないんだ。多分、花を育てるのが好きなんだろうな」
「育てる事、……」
「憧れと言った方がいいのかもしれない」

私は思わず首を傾げた。イタチは目を細め、相変わらず花ばかりを見詰めている。

「大袈裟ではあるが、少なくとも命を育む行為だろう」
「ええ、確かにそうね」
「だから好きなんだ。他には方法も無いからな」
「そう、だけど。でも、それなら……」

少し言い淀む。その先を続ける事は憚られた。今はこうして普通に会話しているが、イタチがこれほど饒舌なのは寧ろ珍しい。彼はいつも己の領域に明確に線を引いている。自分の事はあまり語らない。私は、殆ど彼について知らないのだ。私たちの関係は、世間一般で言われる恋人という関係と呼ぶには余りにひそやか過ぎた。もっと静かで起伏の無い何かだった。恋人という美しくも醜く強固な繋がりより、ずっと心地良い。それ以上は決して望まなかった。だからこそ、その線引きの外側から、言葉の先を投げる事に私は酷く躊躇したのだ。

「オレは、子どもを残せる身体じゃない」
「え?」

それは、まさに喉の奧で身を潜めていた言葉の答えだった。私は目を見開く。イタチの横顔は、依然静かだ。ただ、その目元を注視していると細やかに睫毛が震えている。肌理細やかな目蓋がふるり、とまばたきを繰り返した。

「薬の副作用で精巣が破壊されてしまったんだ。今この身体に留まっているのは毒液のようでしかない」
「……毒?」
「その内に体内で腐敗していく。いっそ取り去る方がいいんだろうな」
「そう……、皆死んでしまったのね」

ぽつり、と呟く。イタチは飽く迄淡々とした口調で話し続けている。その言葉が続く度、引かれた線が少しずつ薄まるような気がした。彼の世界は、あたたかで静謐だった。
私は今、きっと境界に居る。

「まだ、未練があるの?」
「必要無いんだ。精液が腐敗する前に寿命が尽きてしまうだろうから」

そう答えると、イタチは頭を振るう。溢れる光に染まった黒髪は透ける様にしなやかだ。とても、綺麗な髪。何処も傷んでいない様に見える。一度空気を孕んだ後、計算し尽くされた角度で横顔を僅かに覆った。

「すまない、気持ちの良い話ではなかったな」
「ううん、いいよ」

実際、生々しい話の話であるはずなのに体温を感じさせない位にひそやかな感覚だった。至極自然と紡がれた言葉だったからだろうか。子供を残せないのだ、と諦めにも似たその言葉は、明確な輪郭を持って胸の底に凝っていた。ただその凝りは、決して不快なものではない。寧ろ、今まで欠けていた大切な何かがぴったりとあるべき場所に落ち着いたように安らかだった。
ゆっくりとイタチの傍に歩み寄る。初めて抱きしめたその身体は、はっとする程か細く骨張っていた。肺が焼かれ、血が腐り、生殖機能を摘み取られた死に向かう身体なのだ。回した手に重ねられた掌は、矢張り薄い。それでも、彼の手はあたたかだった。
少し静寂を置いた後、イタチが口を開く。その言葉は幽かに震えていた。

「死んだら、花になりたい」
「生まれ変わったら、ということ?」
「いいや、只埋められて根から茎の養分になって、花の苗床になりたい。薬に侵されたこの身体が、花の養分になれるかは分からないが」
「……なれるよ、きっと」

青褪めた膚にそっと根を這わせ、一つ残らず細胞を包み込む。彼の上に咲く花は、きっと白く透き通っていて美しい花だ。何よりも冒し難く神聖で、平伏してしまいたくなるほど美しい。私はその花に、一糸の狂いも無く水を捧げるのだ。さらさらと零れかかる水に濡れた花弁は、きっと狂おしい程に曇りが無い。そっと指先で触れれば、頼り無げにその茎を揺らすのだろう。雄蕊が揺れ、しっとりと濃密な香が鼻先を擽る。そんな、酷く美しい花だ。

「きっと、綺麗な花だから」

本当は、何も言わずとも分かっていた。死んだら土に埋められ、緩やかに腐敗し花の苗床となりたい。そんなささやかな願いも、叶う事が無いのだとは。イタチのように特異な能力を持つ忍の末路は、一様に皆同じだ。一粒の灰さえ残さず、この世から消し去られる。眠る様に朽ちていくことなど、所詮は只の夢。そんな事は、分かり切っていた。

ぽつり、と零れた滴がダチュラの花弁を揺らす。イタチのあたたかな涙が渇いた地面を潤していく。
それは、土の下で息衝く根に優しく吸い込まれ、細い道管を巡るだろう。花を癒す、やわらかな一匙の雫。



花を好きだと言った彼の部屋には、鉢植えが一つだけある。真っ白なカサブランカが植えられた鉢植え。私がイタチに贈った物だ。
イタチの死後、誰も顧みなくなったその鉢を私はこっそり持ち出した。主を失った部屋は緩やかに朽ちていた。水を遣る人など誰もいない。そのまま枯れさせてしまうには、余りに美しく気高く咲き誇っていたのだ。心の何処かで、そのしなやかな姿とイタチの後ろ姿を重ねていたのかもしれない。

ジョウロに汲んだ冷たい水を、たっぷりと振りかける。渇いた土に水が吸い込まれていく。夏の光が半透明の花弁を透かして零れ落ちていた。ほんの少し、私は目を細める。
――ふと、ぬかるんだ土の隙間から何か白いものが見えた気がした。指先でそっと掘り返す。

「あっ、」

思わず声を上げた。殺風景な部屋の隅に反響して、その声は何処かに吸い込まれていく。半端に口を開けたまま、私は暫く植わっていたそれを見つめていた。
それは、白い指だった。熟れる様に潤いのある、一本の指だった。切り取られ、今まで土の下で眠っていたことが信じられない程にみずみずしい。不思議な事に、そっと唇を寄せてしまいたくなる生々しさを未だ失っていなかった。
それは確かに、花になりたいと願ったあの青年の薬指だった。

「其処にいたのね」

ぽつりと呟き、目を伏せる。元の様に土を被せ、私はただ美しく咲くその花を見つめた。顔を寄せ、白い花弁に口付けた。ほっそりと揺らぐ茎。真珠色の花は、何も言わずただ微かに雄蕊を震わせているだけだった。


(2013/03/05)


back