こんな夢を見た

――替えましょう替えましょう。
歌のような言葉が聴こえてくる。囁くように、囃すように。その声はさらさらと耳に馴染んで薄い鼓膜に溶けていく。
沢山の人達が同じ言葉を同じように言っていた。替えましょ、替えましょ、と。老いも若きも、男も女も。どこか楽しげな祭り囃子のようにも思える。

どこかで聞いた事のある文言だが、なんだっただろう。
夢の中で私は石畳の上に立っていて、遠くで行われている儀式めいたものを眺めていた。隣には多分、幼いイズナがいる。何故子供の時分に戻っているのだろうと訝しむが、目線の高さが同じだから私も同じように幼いのだろう。曖昧であどけない脳は思考も頼りないもので、夢だからそんなこともある、などと呆気なく納得してしまっていた。
まあるい飴を口いっぱい頬張り、機嫌良さげに舐っているイズナとは対照的に、私は酷く不機嫌だった。人々が集まっている内に私も行きたいのだが、イズナが大きなどんぐり飴なんて食べるものだから飲み込むと危ないと止められ、二人で待っているからである。
飴を食べているのはイズナだけなのだから、私は行ってもいいじゃないか。反抗的にそう息巻いたのだが、まだ幼いから見ているだけにしなさい、と結局は言い含められてしまったのだ。こうなると最早飴など関係ない。大人はいつも勝手である。

人々は押し合い圧し合い揉み合うようにして、手に持った何かを渡し合っている。目を凝らす。時刻はもう日暮れを過ぎ、薄墨のような宵闇が辺りをとっぷりと染めてしまったので輪郭が判然としない。此処からでは何をしているのかよく見えなかった。
多分、あれほど大勢で固まっていると、近くにいる顔すら却って分からないのでは無いだろうか。予想もしていないところから、例えば脇の下から顔の見えない手がぬうっと出てきて驚かされてしまうかもしれない。
それは少し、嫌である。
単に臆病風に吹かれただけなのだが、確かに危ないかもしれないな、とまるで得心したように殊勝に頷いた。イズナは相変わらず飴玉ばかり舐めている。砂糖を煮詰めた甘ったるい匂いがこちらまで漂っていた。

――替えましょう、替えましょう。
飽きもせずに同じ言葉が延々と繰り返されている。ざわざわと数え切れない影が一つの大きな塊のように蠢いている。大気の唸りのような熱気は少し離れている私達の頬まで届いていた。反して風はびょうびょうと寒く、多分冬の頃だろう。留紺の空には気の早い星が瞬いている。
鷽替の神事かな、と私は唐突に気が付いた。そういえば、子供の頃に一度見たことがある。掛け声のもと、日が没した暗闇の中で手にした木うそと呼ばれる木彫りの人形をお互いに交換し取り替える神事である。うそとは鷽という鳥を指しており、木うそはそれを象って作られているものだ。鷽は嘘に通じ、これまでの凶事を嘘に変え、先々の吉にするのだという。

「あれは鷽替だね」
「いいや、違うだろうなあ」

納得したように私が呟くと、イズナが超然と答える。妙に大人びた口調である。

「違わないよ、だってどう見ても鷽替だよ。替えましょうって言ってるし、ほらイズナにも聞こえるでしょ」
「そうでもない。大体取り替えてるのが本当に木うそかどうか、此処からだとよく見えないだろ」
「それはそうだけど」

最前まで幼い顔で飴を舐っていた筈の口は随分と達者だ。面白くないと唇を尖らせ、私はむっすりと押し黙った。飴でも食べるかと機嫌でも取るようにイズナが聞く。いらないと答えた。

「私も行こうかな、楽しそう」
「それは駄目だね」
「どうして?」
「駄目なものは駄目なんだ」

イズナの手が私の手を掴んでいる。痛いほどの力だった。随分な掌に私はしぶしぶ腰を下ろすが、それでも小さな手はまるで逃してはいけないというようにしっかりと左手を捉えたままでいた。幼いイズナの手はまだやわく、象牙を透かしたような半透明な白さである。懐かしいような、何故か息苦しいような心地になり、私は空いた手でその白い手の甲を撫でていた。イズナはさせるがままに任せている。
前方の大いなる塊から、不意に一つ影が離散した。周りの影たちより少しだけ背の低い影法師は、真っ直ぐに此方へと歩いてきた。茫洋と夜に紛れていた目鼻立ちが段々と露わになってくる。イズナの兄であった。

「兄さん、遅かったじゃないか」
「三つ同時に取り換え合うのは意外と難しくてな。そら、お前達のだ」
「わあ、ありがとう」

マダラが袂に手を入れ、木彫りの小鳥を二つ、私達に差し出す。幼い掌に収まるようなささやかな大きさで、木肌を残して削り取った上部に鳥の顔が描かれている。赤と黒につるりと塗り分けられ、どこかとぼけたような目が可愛らしい。愛らしい細工に私は喜んで手を伸ばした。掌に乗せて繁々と眺め、立派に鷽替に参加したような気持ちで得意げである。

「兄さん、取り替えよう」
「――嗚呼。ごめんな、イズナ」
「いいよ、謝らないでくれ」

イズナとマダラが何事か話している。まるで二人きりの談話である。得意な気持ちは見る間に萎んだ。あからさまに爪弾きにされ、私は紛然として声を張り上げた。

「私のは? 私のは取り替えてくれないの?」
「なまえは駄目だよ」

イズナは変わらずそんな事を言う。その笑顔を浮かべる時の彼は、どんな時でも強情だった。どうせ、聞きもしないのだろう。酷い、全く酷い。考えつく限りの悪態を吐きたくなったが、結局何ひとつ形を成さず風に紛れた。

「どうして、私も持ってるよ」
「それはお前のだから、ちゃんと持ってて」

――替えましょ替えましょ。取り替えましょう。
幾多の声が鳴動する。ぼわぼわと騒めくような声は、皆聞き覚えのあるものだった。幼い声が、老いた声が。引き攣れた叫びが、ざらつく嘆きが。死んでいった同胞達がイズナを急かすのだ。
戦で散った父のため、自分を庇った友のため、千々に散った仏のため。
千の骸がイズナの背を押すのである。一族の為に、その目を捧げろと。なんて酷いのだろう、そんな非道は罷り通って良い筈がない。私は押し潰されそうな気配に抗うように変わらず声を張り上げる。そうでもしなければ、イズナの耳に決して届きはしないとでもいうように。

「嫌、いやだよ。私のをイズナにあげる、私はいらない。イズナに、私の目をあげるから。なんでも、あげるから」
「馬鹿ななまえ。貰ってばかりじゃあ、替えられないだろう。俺のはもう、兄さんにあげてしまったからね。もう替えてあげられるものなんてないんだ」

泣き崩れるように叫んで蹲る。指の隙間からほろほろと滴が零れ落ち、青褪めるように白い半透明な皮膚を濡らした。イズナは真綿の床に横たわり、見上げるように此方を向いている。包帯で覆われた眼窩は落ち窪み、寒々しい虚無が何処までも満たしていた。

西の空には仄白い月がかかり、すっかり夜は更けている。いつの間にか祭り囃子のような声も止んでいた。ぴたりとまんじりともしない静寂が一面覆っていた。

「本当はお前にあげたかったんだけど、ごめんね。何も残してやれなかったな」
「いやだ、いやだよう。いやだよイズナ、置いていかないで」
「なまえはいつまで経っても子供のままだね、仕方ない」

そう言って薄く笑うイズナはもうすっかり大人の眉目である。私と言えば全く子供のままであって、幼い手で縋るようにイズナの手を握りしめていた。嫌だいやだと聞き分けなくむつかり、頑として聞き入れない。
いつの間にか悟ったように私を置いて行ってしまう事も、宥めるように握り返す手も何もかもが不服だった。
何もやれないけど、飴でも食べるかと揶揄うようにイズナが聞く。馬鹿と答えた。それきり嗚咽ばかりが溢れ出て、私はただ黙然と押し黙っていた。

堪らずに遠い空を見上げたら、うっそりと月が沈んでいった。白みかけた空には有明の星がたった一つ瞬いていた。
イズナが息を引き取ったのも、確かこんな時刻だった。

「後悔なんてしていないけど。叶うなら、お前の事をずっと隣で見ていたかったよ」

そんな悲しい言葉を、夢の中で恋人から聞いた。


(2020/10/21)


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