重い金属的な衝撃音がひとつ、ふたつ。花火のような、それでいて花火よりも不快感を感じさせるその音は、ある月のない新月の夜、人影の少ない路地裏に響き渡った。人影の少ない路地裏なだけあって、その数回の音をわざわざ気にかける人は少ない。そもそも路地裏の周りはとうの昔に寂れてしまっていて、廃墟も同然の場所だった。このような場所に住んでいるのだとしたら、よっぽど人目に触れられたくない理由を持っている者だろう。その者たちがわざわざ些細な音で路地裏に顔を出すとは考えにくい。このあたりにいる者で、先ほど鳴り響いたその音が銃声の音だと分かっていない者は1人もいやしないのだから。
しん、と音の静まった路地裏には額の真ん中を正確に撃ち抜かれたそれが恐怖の表情を貼り付けたまま、糸の切れたマリオネットのようにその場に垂れて落ちる。それを側で見ていた人物は手に持っていた銃をすっと懐にしまい込んだ。まるで周囲と同化したかのような黒いマントを被ったその闇は、相手が確実に死んだことを目で確認すると、もう用はないといったように死体から目を外し、地面に落ちた空薬莢を回収しその身を翻す。そして、空薬莢をポケットにしまうと、その代わりにそのポケットからスマホを取り出し、電話のアイコンをタップした。普通ならば連絡先から電話をかけるが、その闇は連絡先などに目もくれることなく記憶している電話番号をタップしていき、そのまま耳に当てた。
「依頼完了。処理を要請」
『了解。次の依頼まで待機しろ』
「……了解」
冷徹な勤めて機械的な声に耳を傾け、ぶち、と容赦なく切れた電話に闇はふぅと息を吐いて、やや乱暴にそのスマホをポケットの中に落とした。そして、自らのマントにおもむろに手をかけて、体からそれを引き剥がし、もはや命のない亡骸に向かって投げる。ふわりと亡骸の上へとマントが落ちる頃には、闇の姿はもうそこにはなかった。
××××はとある要人達の息子としてその生を受けた。裕福で豊かで、何も足りないものはないかのように育った××××だったが、実際のところ、その両親は忙しさにかまけて××××を殆ど放置していた。勿論お手伝いを雇っていたから××××は1人ではなかったが、幼い子供にとって両親がいないというのは相当な辛さである。それでも、××××はその寂しさを我慢する良い子だった。今はちょっと忙しいだけ。あともう少ししたら両親は自分を構ってくれる。そう毎日毎日自分に言い聞かせて。
××××の転機はそんな日々が続いたある夜だった。ベットで横になり、すやすやと寝ていた××××の耳に突如飛び込んできた甲高い悲鳴。屋敷中に響き巡る尋常ではない悲鳴の海に××××はベットから飛び起き、その体をガタガタと震わせた。悲鳴はだんだんと声の大きさを増していく。それに伴って、耳を思わず塞ぎたくなるような、不快な花火の音が××××の部屋へと近づいていた。××××はそれに気づくことはなかったが、それゆえに突然勢いよく開かれた部屋の扉に××××はその扉から視線を外すことができなかった。
「ひっ」
「ちっ、なんだガキか」
目的ではない、と言ったように悪態をついた男はなんの感情も持たない瞳で、手にした冷たい鉄の塊――拳銃を××××の眉間に向ける。その指がトリガーにかかり、あと少し力を入れれば××××はその命を散る……そのはずだった。しかし、拳銃のトリガーをどれだけ引いてもかすれた音が聞こえるだけで、そこから弾ひとつ出てこない。銃弾切れだった。男は盛大に舌打ちをして、銃弾を入れ直しはじめたが、そこで別の誰かの足音が聞こえてきた。
「おい、依頼は終わった。さっさとズラかる……この子供は、依頼の奴の息子か。殺さなかったのか?」
「弾切れだ。今殺す」
「弾切れ? は、随分運の良い子供だな。ああ、そうだ。ちょうど良い。1人さっき運悪く、こいつの親父に殺されたからな。その罪でも償ってもらうか」
「なんだあいつ死んだのか。はぁん? そりゃあちょうどいいな」
闇が××××に近づく。黒いローブを被ったその闇は、××××の額に拳銃をつきたて「名前は?」と××××の名前を半ば強引に聞き出す。××××は震えながら自分の名前を口にすると男は何度かその名前を口の中で転がして、はっとどこか小馬鹿にしたように笑った。
「××××という人間は今日この場で死ぬ。だが、【お前】は生かしてやろう。ただし、俺たちの仲間として。その命が尽きるまでな」
ある月のない新月の夜だった。それはとある要人達は暗殺され、その子供までも命を奪われた悲劇の夜。そして、人知れず命を葬り去る闇――北上哲平がこの世に生まれた夜だった。
「おい、あんた。そのままアジトに入るな」
血が汚れる、と開いた扉の向こう側からかけられた声に闇――北上哲平は眉を歪めた。北上哲平に声をかけたのは女だった。いや、まだ女と呼称するにはまだ若い容姿をしているが。その動くたびにゆらりゆらりと揺れる腰あたりまで伸ばされた黒髪と、目に突き刺さるような鋭い紫色の瞳を北上哲平は視界に入れた瞬間、懐にしまい込んだ銃に手を触れる。だが、女はそれをすぐに理解したのか北上哲平の手元から銃を素早い手つきで奪い取った。
「……手グセが悪いな」
「あんたに言われたくない」
「はっ」
北上哲平は女の言葉に鼻息だけを返して、アジトの中へと身を滑り込ませる。待て、と言う声が後ろから聞こえてくるが、北上哲平はそれに応対せずに一歩一歩足を進めた。
「そのまま入るなと言っただろう。誰がこの血痕を始末すると思っている」
「……今更血痕のひとつふたつでぎゃあぎゃあわめく奴はこの組織にはいないだろ」
「このアジトは仮だ。いつまでもいるわけじゃない。これだけでも証拠になりうる」
「なんだ警察にビビってるのか? 未だ組織の人間を1人も捕まえられていない無能な彼奴らに? 冗談きついな」
「……あんた、いつか足をすくわれるぞ」
女はそう言いながら北上哲平を睨みつけるが、北上哲平はソファーに座り込むとそこから動く気は全く無くしたようだった。女はそんな北上哲平を見て、諦めたようにため息を吐く。
「何をそんなに苛立ってるんだ? 仕事か? 今日の標的のせいか?」
「……別に。少し手間をかけさせられただけだ」
「きちんと計画を立てないからだろう。いつも言っているだろう。計画は――」
「人の殺しに文句をつけるな。俺はお前とは違う。俺が苛立ってると思うなら、お前と顔を合わせたせいだ。邪魔だ。出て行け」
「残念だが、私は明日この辺りで仕事がある。出て行くならそっちが出て行ったらどうだ?」
「……俺も明日にはこの辺りで仕事だ」
「なら、我慢しろ」
北上哲平はちっ、と舌打ちをするとソファーに横になる。そしてそのまま目を閉じた。女がここで寝るななどなんだの北上哲平に声をかけるが、北上哲平はその全てを無視する。目を閉じれば今日殺した人間の姿が浮かんだ。やめてくれ、殺さないでくれと願う男の姿が。そして同時に好きな人ができて邪魔になったから殺してほしいと依頼してきた女の姿も。そんなことはもうあの男が知ることはないし、さらに言えばその女も毒牙が明日襲い掛かることは知らなくていい話だ。
「……くだらないな、愛なんて」
醜くて醜くて仕方がない。愛が美しいものだと述べるものの意図がわからない。いつしかの標的にあなたには心がないの、こんなことをして心が痛まないの、あなたには愛がないの、と喚かれたことがあるが、北上哲平は淡々とないなと答えて命を奪った。あんな醜いものが自分にあるはずがない。吐き気がするようなあんなものが、自分にあるとしたら今すぐに自殺したくなる。
「……ああ、私もそう思う」
「ちっ、お前に答えは求めてない。明日ははやいんだ。もう寝るからな」
北上哲平は女に背中を向けるようにして体を丸める。女は北上哲平に再びため息を吐いて、その体にそこらへんにあったタオルケットをかけた。北上哲平は女のその行動にかちん、と来たが、何も言わずにそのまま意識を奥深く沈めていった。
北上哲平がその女が死んだと聞いたのはその日から数日後のことだった。足をすくわれると言っていた女が、足をすくわれたのかと鼻でわらった北上哲平は再び休息のためにアジトへ向かった。
だがしかし、いつもはすぐに休息できるその場所はなんだか落ち着かなかった。じくりじくりと謎の痛みを覚える胸に北上哲平は苛立ちを募らせた。その苛立ちのまま北上哲平は思いつく限りの行動を起こしてみたが、何をしても落ち着かない。結局、その日、北上哲平はそのアジトで寝ることはできなかった。
北上哲平は大きなため息を吐く。こんなことは今までなかったのだ。意味がわからない。頭を抱えながら収まらない苛立ちをどうにかする術を考えていると、ふとスマホがポケットで震えだした。北上哲平はそれを取ると、重要な依頼が届いているがわかった。重要がゆえに伝える場所も指定され、時間も指定されている。北上哲平はそれに目を通しながら、立ち上がった。指定された場所はここから少し離れた場所だ。指定された時間を考えるともう出ないと間に合わないだろう。そう考えた北上哲平はアジトの外へと足を向ける。扉から出るその時、北上哲平は一瞬だけ足を止めてアジトを振り返ったが、特に何もないそのアジトを見て北上哲平はかぶりを振り、再び外へと顔を向けた。
――その後、北上哲平がそのアジトを訪れることはなかった。