ショートケーキ

 珈琲を淹れながら、私は陶器の平皿に並んだふたつのケーキを見た。端正な断面のショートケーキと、整然としたイチゴのタルト。迅くんがときどき持ってくる『お土産』はいつも私の食べたいものを的確に捉えていた。勝手知ったる、という様子でデザートフォークを取り出した彼が、ふたつのケーキを食卓へ運ぶ。
「どっち食べる?」
「迅くんは?」
「どっちでも」
「じゃあ、イチゴのタルトが食べたいです」
「了解」
「ミルクいれますか?」
「ん、すこし……敬語、なかなか抜けないね?」
「あ、」
「慣れない?」
「慣れませ……ない」
 抜けきらない敬語のわりに慣れた会話をこなし、抽出を終えた珈琲をマグカップに注ぐ。濃褐色の水面に浮かべるようにフォームミルクを足せば、ふたつのマグカップは大きな手がたちまち攫ってしまって、私はすこし手持ち無沙汰だった。先に食卓についた迅くんのあとを追うようにその正面に座る。
「いただきます」
 と、ふたりで手を合わせてからさっそくケーキに取り掛かる。艶やかなナパージュの絡んだイチゴは見るからに瑞々しく、土台のクレームダマンドはしっとりときめ細やか。底のタルト生地をフォークで割れば、ザクッといい音が鳴る。ひとくち頬張ると、甘酸っぱい果汁とまろやかなダマンドとザクザクのタルトが口のなかで至福をつくった。
 どこかほっとするような味わいで、一つひとつの仕事が丁寧なことが伺える。いったいどこのケーキだろうか。訊ねようと顔をあげて、やさしく細められた青い瞳とかちあった。
「なまえさんはほんとうにおいしそうに食べるよね」
 ショートケーキは手つかずで、珈琲はすこし減っているだろうか。頬杖をついた彼がふにゃりと笑うので「実際のところ、おいしいですから」と囁くように返す。なんだか妙に気恥ずかしいやら、歳下の恋人の笑顔ひとつで翻弄される自分が情けないやら。冷静さを取り戻すために口づけた珈琲は我ながら上手に淹れられていて、そっと安堵する。
「迅くんは食べないんですか」
「食べるよ」
 言いながらフォークを手にとった迅くんが、ショートケーキのてっぺんに鎮座するイチゴを掬いあげる。最初に食べる派か、となんとなくその行方を見守れば、それはなぜか私のお皿に置かれた。
「えっ」「あげる」
 迅くんは、あたりまえにそう言って、それから端正なショートケーキの鋒をフォークで崩した。私のもとにはサンタクロースのひげのように白い生クリームをつけたイチゴがちょこんとおさまっている。
 なんてことを。と、思ったものの『イチゴくらいで大袈裟な』と言われたことを思い出して口をつぐむ。あの時は与えられたのではなく奪われたのだけれど。
「……イチゴが嫌いというわけではないですよね?」
 念のため確かめると、迅くんはきょとりと目をまたたかせ「好きだよ」と答えてみせる。なのに、迅くんはわたしにショートケーキのてっぺんのイチゴを差し出したらしい。たぶん、わたしがイチゴをおいしそうに食べていた、というだけの理由で。彼は、なんというか、そういうところがあった。美徳とも悪癖ともつかない、そういうところが。
「それはよかった」
 私は迅くんがくれたイチゴはそのままに、タルトを新たに切り分けて(もちろんイチゴがまるまる一粒になるように)それから彼の口元に差し出す。ぱちり、とまた青い瞳が瞬いた。不思議そうな視線が意図に気付くのは一瞬で、その目元がすこしだけ赤らんだような気がする。
「ええ、っと……」
 羞恥は私にだってある。
 誰も見てないとしても、相手が恋人だとしても、分け合うときは彼がそうしたように相手のお皿にのせるか、カトラリーごと渡してしまうスタイルを貫いてきた。それでも、今はこうしなければならい。こうしたい。
「どうぞ」
 にっこりと笑ってみせた。彼が私の笑顔によわいことを、私はもう知っている。そのくちびるにタルトをあてがう。おそるおそるといったふうに開いた口へタルトを放りこんだ。もごもごと頬を動かしながらもなお不思議そうな迅くんに、達成感とかすかな優越が滲む。
 価値あるものも、大切なものも、容易くひとに渡せてしまうような彼を、私だけは甘やかして何もかも与えたいと思った傲慢を、きっと私はショートケーキを見るたびに思い出すようになる。