「めずらしいな、センパイ……っと、」
喧騒を縫うように近づいて声をかけてから、彼女が荒船と話している最中だったことに気づく。表情も視線の先も読めない弊害だ。夕方のボーダー本部は人が多く、ちょうど荒船が死角に入っていたのもある。
「すまん、じゃまをしてしまった」
「気にすんな。……それよりおまえら、知り合いだったのか」
会話に割り込まれた荒船は気分を害した様子もなく遊真を迎え入れる。ほほ笑んだ彼女が「ええ、秘密の関係です」と答えた。
「つっこまねえぞ」
「それで、どうかした? 空閑くん」
おれたちは秘密の関係だったのか、と思いつつ「いや、用事があるわけじゃなくてだな」と言葉を探す。対戦相手を求めてぐるりと見渡したロビーで彼女の姿を見つけ、一直線に歩いてきただけなのだ。
「センパイがここにいるの、めずらしかったから」
正直に告げると、彼女はどうやらベールの下でまばたきをしたようだった。荒船が「シーズン中はフリーのやつが多めに任務に入るからな」と理由を教えてくれる。
「なんと。それはごめいわくをおかけしております」
「いえいえ、お気になさらず。前からシフトは増やしていたから」
では、公園にいなかった日は防衛任務に出ていたのかもしれない。しかしそれを差し引いても彼女が公園にいる確率は高く、いったいいつ寝ているのだろうかと疑問が過ぎる。
「……ふたりはなんの話をしてたんだ?」
「荒船先輩にご教授いただいてたんだよ」
「ただの反省会だ。さっきまでこいつと十本勝負をしてたからな」
「結果は?」
「俺の負けだ」
チッと荒船が舌打ちをこぼす。
「センパイ、強かったんだな」
「射程の有利があったからね」
なるほど、と頷いた。荒船は遠近それぞれのトリガーを習得しているが、互いの顔が見える位置に転送される個人ランク戦では弧月が主になる。
「そうだ空閑。おまえ対戦相手探してんだろ? こいつとやったらどうだ」
「ほう」
荒船の提案に興味をそそられる。B級とはいえ彼女は
「さてはわたしのポイントを空閑くんに奪わせようという魂胆ですね」
「わかってんじゃねえか」
「空閑くんがいいなら構いませんけれど……」
ベールの向こうの瞳が遊真を見つめている。その表情が読めないのをいいことに「おれは相手してくれるならだれでも」とにっこり笑って返した。
思いのほか、難しい相手だった。主な攻撃は
しかし遊真にとって最も厄介なのは、貌を覆い隠すベールの存在だった。目元を隠す装甲は珍しくないが、彼女のそれは波打つようにゆらめき濃淡が生まれる。目敏さが仇となり、その変化に必要以上に意識を割かれた。
それでも――勝てないほどではない。
「
彼女が色づいたくちびるから夜を紡ぎながら言う。遊真が貫いた細い首から、仮想戦闘特有の煙があふれた。かつてないほど近くにある貌を、じ、と見つめる。
こてり、と彼女がちいさく首を傾げた。
「かおねらいには、なにかいみがあるの?」
パキッと頬にひびが入ると同時、こぼれおちた言葉に虚をつかれた。あ、と思ったときには、彼女の手には弧月がある。つくりなおされたばかりの刃はやはり短く、密着した間合いのなかでもじゅうぶんに振われた。
五勝四敗、一引き分け。特に序盤の試合は結果も内容もあまりよくなかった。画面に表示された結果に、荒船が「調子悪いのか?」とすこし心配そうに問いかける。遊真が苦戦するとは思っていなかったのだろう。
「いや、相性がわるかった」
嘘は言っていない。荒船はほう、と息をつき「具体的にどこが?」と踏み入ってきた。研究熱心だ。
「空閑くんはつよいね」
遅れてブースから出てきた彼女がベールの下で静かにほほ笑みながら近づいてくる。そのまま遊真の頭をもふもふと撫でた。ひやりと冷たい指先がかさの多い髪に埋もれていく。
「もしかして手加減してくれた?」
「おまえとは相性が悪いんだと」
「おや、そうなの」
「じつは」
するり、と手が離れ、彼女は考えこむように指先を顎にあてがう。それから「次はどこと対戦だっけ」と訊いてきた。
「カゲんとこだろ。あと二宮隊と東隊」
「ううん……そのなかだと戦い方が似てるひとはいないから対策はいいかな。そもそもハンドガンと弧月を使うひとはあんまりいないけどね」
どうやら彼女も遊真を心配してくれたらしい。贔屓か、と荒船が笑って、彼女は贔屓です、ときっぱりと答えた。
「センパイは戦ったことある?」
「何回かはあるけど、
「そうなのか」
うん、と頷き、彼女がすこしだけ腰をかがめる。遊真の耳元にそっとくちびるが近づけられ、ひそりと声が落ちた。
「影浦先輩には顔狙いやめたほうがいいよ。当てるのが難しいから急所を狙いたい気持ちはわかるけれどね」
「むっ……」
戦闘中にも指摘されたことだ。かといって、意識してそうしていたわけではない。むしろ的の小さな頭部は獲れるときしか狙わない部位である。自分がなぜそうしたのか、心当たりがないとは言わないが、くすぐったく鼓膜を撫でていく声も相まりそろりと落ち着かない心地になる。
「おい、なんの密談だ?」
「秘密です」
「ひみつだ」
「仲がいいこって」
顔の横に残り、やがてベールへと取り込まれていく黒い煙をなんとはなしに目で追いつつ、遊真は「そういえば」と声をあげた。
「センパイのとこはなんで解散したんだ?」
「音楽性の不一致だよ」
「おんがくせいのふぃっち」
明らかに嘘だと思うが、彼女の場合はそもそもすべてが嘘だ。確認するように荒船を見ると「んなわけあるか」と呆れた顔をしている。
「……でもまあ、そろそろ新しく
荒船が彼女を案じていることは見てとれた。彼女はベールの下で、まるでなにも気づいていないようにほほ笑む。
「ええ、そうですね」
淑やかな声は、やはり嘘を紡いだ。
◇
「今日の試合は惜しかったね」
ブランコにゆられながら彼女が言う。日付もとうに越えた真夜中の公園だ。ジジッと街灯が焦げつくような音を立て、かすかに明滅する。夜に浮き出るような、馴染んで消えるような。彼女は不思議な存在感でそこにいた。
「いや、惜しいどころじゃなかったな。まだまだだった。でも、おれも修も千佳も、やられっぱなしにはしないよ」
おや、というようにくちびるがひらき、すぐにほほ笑みをかたちづくる。
「空閑くんたちは、もっとつよくなるね」
「じまんのなかまです。もう
「今日は観戦席から見てたよ……これはおつかれさまのしるし」
差し出されたのは深い赤色のリボンでラッピングされた小箱だった。ひとまず受け取り、金色のインクで書かれた
「チョコレート」
「もしやバレンタインの」
「二日遅れだけど。ごめんね」
「遅れるとだめなのか?」
「ふつうはそうだね」
「へんな風習だよな、バレンタイン」
しゅるしゅるとリボンを解くと、ひとくちサイズのチョコレートが九つ入っていた。丸、四角、さんかく……つやつやとひかりを反射する小さな図形は、おそらく玉狛支部のおやつで気軽に出されるようなものではない。こういうもののほうが高価なのは不思議だが、小南と宇佐美から学んで知っていた。
さっそくひとつ放りこむと、瞬く間に口のなかでとけていく。ふんわりと軽い口当たりは、例えるならチョコレートでできた雲だ。引き際を心得た後味が次の一手を催促する。
「きえた……」
むぅ、と残った八つを見つめる。もっとたべたいような、惜しいような。悩んだ末にもうひとつだけ食べて、あとは蓋を閉じてコートのポケットにしまった。食べられるときに食べ切らなくてもいいというのは、なんとも平和なことである。
「口に合ったかな」
「うまかった。ありがとうございます」
きちんと頭を下げて礼を言うと、彼女は「それならよかった」とほほ笑む。心なしかベールも楽しげにゆれているように見えた。
「遠征を目指してるんだよね。きっと空閑くんたちならA級にあがれるよ」
「いくよ。……センパイは、もう
「どうして?」
「こないだそんな感じに見えたから」
「そう……」
彼女は返事に迷っているようだった。しんと静かな夜がゆっくりと呑み込むようにふたりを包んでいく。ふだんの彼女は遊真の言葉にもすぐ応じるから、余計に沈黙を長く感じる。
「――空閑くん」
と、彼女が立ち上がった。じゃらり、ブランコの鎖が重たげにゆれる。返事をする前に、冷たい指先が遊真の手をとって立ち上がらせた。
「?」
「かくれよう。ひとがくるから」
ひそめた声が言う。細く、薄く、黒い煙が夜へ流れていく。あたりにはやっぱりふたりしかいなかった。話を逸らしたいのかとも思ったけれど、遊真は手を引かれるまま公園の中央へ――例の『トンネルのようですべり台でもあるようなやつ』のなかへ入った。
コンクリートと湿った土に囲まれたそこはうっすらと黴臭くて、外見よりもはるかに狭い。まず高さがなく、遊真でさえ立っていられないのだ。ふたりで暗がりに身を潜ませるのは無茶があるように思える。しかし彼女は慣れた様子で奥深くに座り、コンクリートに背を預けて遊真を手招く。
「となり?」
「ここに」
指先が示したのは脚の間である。遊真はほんの一瞬だけ立ち止まったが、まあいいか、とそこに腰を下ろした。ひやりとした腕が腹にまわる。足元まで伸びるひかりから逃れるように、彼女は遊真ごとぎゅっとまるまり、身を縮めた。
「ごめんね」
生温い吐息が首筋にふれる。
「すこしのあいだだけ、我慢してほしい」
彼女の貌を覆うベールも、そのくちびるから紡がれる嘘も、見えない。背にじわりと熱が移る。ゆきばをなくして暗闇に彷徨わせた視線は、かすかに震える指先を見つけた。
「……、」
寒さのせいではないだろう。ブランコに座っているよりは風もない。土とコンクリートが冷たいのかもしれないとも思ったものの、冷気が伝わるにはまだ早い。
「…………」
怯えているのだ、と思った。なにかに。だれかに。
遊真が彼女の手に自分のそれを重ねれば「あたたかいね」と小さくちいさくひそめられた声が落ちる。彼女の手が冷たいだけだった。仮初の身体は平熱を保ち、だれかと熱をわかちあうことはできない。震える指先と裏腹に、背に伝わる鼓動はゆっくりと、おだやかだ。ちぐはぐな反応は彼女の言葉に似ている。
ひゅるる、とトンネルから入り込んだ風が悲鳴をあげる。耳を澄ませれば、彼女の心音と呼吸がきこえた。彼女もそうしていたら、遊真の身体に心臓も肺もないと気づくかもしれない。
ふと、彼女はいまあのベールを取り払っているのではとかんがえる。くるりと向きを変えれば確かめられるだろうけれど、それよりも遊真は、彼女のつめたい指先をあたためてやることでいそがしかった。
「ここ、シェルターに似てるな」
彼女にならってひそめた声で囁けば、ふっと吐息が肌をかすめる。
やがて、遠くからかすかに足音がきこえてきた。どうやら二、三人ほどの男性のようだ。彼らは酔っているのか、夜にしては大きな声で笑い声をあげる。少なくともだれかを追いかけたり、探したり、公園を気にしている様子はない。彼女はまんじりともせず、ただ息をひそめて蹲っていた。