まるでふたつの個性を掛け合わせたような、とっても強い個性。氷と、炎。そのうちの片方しか持ち合わせていなかった私は、初めて見たあの時から、ふたつの個性を持った強くてかっこいい彼に、ひどく憧れた。

「と、轟くん!」

 個性把握の体力テストが終わったときのことだ。私はすぐさま好成績を収めた彼に話しかけた。

「すごい、すごいね! 氷と炎、どっちも使えるなんて! しかも個性のコントロールもとっても上手だし、ほんとに、ほんとにすごい!」

思えば、あの時の私はひどく興奮していたんだと思う。生まれて初めて、自分と似たような……いや、ほぼ同じの個性を持つ人間と出会えた。しかも、自分なんかよりよっぽど個性の使い方が上手い人と。炎の方は全然使っていなかったけど、きっと上手に違いない。きっと私は、単純に嬉しかったのだ。だって、この人に個性のことを教えてもらえば、自分はさらにヒーローに近づけると思えたから。
 だから、気づかなかったんだと思う。この時の彼の目が、ひどく濁っていることに。

「あっ、ごめんね! 私、みょうじなまえ! あのね、私の個性……」
「知ってる」

彼と話したのはこれが初めてだった。だから、彼の声がいつもより低いのも、あの時の私はまだ知らなかったのだ。

「炎の個性だろ、お前」
「そ、そうだよね! 体力テスト見てたもんね、あのね、私この個性とっても気に入ってて、大好きなんだけ……」
「悪ィけど」

言葉を途中で遮られる。そこでようやく、私は彼の異変に気づいたのだ。

「俺はこの炎の個性が、大っ嫌いだ」

ひどく、冷たい目。この時のことはきっと一生忘れないと思う。嫌悪と、憎悪と、拒絶。全ての負の感情を含んだような視線を真っ向に受けた私は、怯まざるを得なかった。ああ、私は彼に嫌われているんだと、一瞬にして理解した。

 体育祭のことはよく覚えている。嫌われているとわかっていても、彼が私の憧れであることに変わりはなかったから。騎馬戦で一瞬使った炎。それから、緑谷くんとの試合で使った大規模な炎。彼がどうして左側の炎が嫌いなのか、なおかつ嫌いなのにどうして急に使ったのか。そんなことわからない。ただ、観客席にいた私がぼんやり聞こえた緑谷くんの言葉で、轟くんの中の嫌悪がほんの少し薄れたように見えた。

 それからすぐのことだ。今まで目すら合わせてくれなかった彼が、私に話しかけてきたのは。

「俺に、炎の使い方を教えて欲しい」

彼は確かにそう言った。一体どういう風の吹き回しだろう、体育祭で何かあったにしても、これはあまりにも急展開すぎる。しかも、轟くんが私に教えを乞うなんて。

「左側、まだ扱いに慣れてねえんだ」

同じ個性を持っているにしても、私はそんなに個性の扱い方が上手い訳ではない。それに、彼ほどの才能とセンスの持ち主なら、私になんか教わらなくてもきっとすぐにうまく扱えることが出来るだろう。そう伝えたが、彼はそんなことないから教えてくれの一点張りだ。そんな彼の意思に負けて、私は憧れの轟くんに炎の個性の扱い方を教えることになったのだ。

 それはあまりにも奇妙だった。今まで頑なに左側を使わなかった彼に、同じクラスということしか接点がなかったはずの私がその使い方を教える。A組のみんなからは一体何があったと問い詰められるし、一方で轟くんは周りを一切気にせずに私に関わってこようとする。けれど時間と場所を選ばないお陰で、訓練は予想以上に捗った。いやそれよりも、やっぱりそれは轟くんだからかもしれない。彼は異常なほど飲み込みが早く、教えたことをすぐに実践できた。だから、彼が一定のレベルに達するまで……というよりは、もう私の教えることが何もないくらいになるまで、そう時間はかからなかった。

「やっぱりすごいよ、轟くんは」

 放課後、夕方。最終下校間近のこの時間、生徒達のほとんどはもう帰宅しているだろう。大きなグラウンドで、私と轟くん、たった二人の影が夕焼けに照らされて長く伸びている。

「炎の個性は同じなのにね。憧れちゃう」
「……んなことねえよ」

へへ、と自嘲するように笑えば、歯切れの悪い言葉が返ってくる。会話が、続かない。別に私は沈黙が気まずいわけでもないし、この空間が嫌いなわけではなかったが、いつも私から話題を振り、一向に自分から話をしない轟くんにどこか違和感を感じていた。

「……ねえ、聞いてもいいかな」

少しでもいい、彼の内側から、言葉を引き出したかった。

「どうして轟くんはお父さん…エンデヴァーさんじゃなくて、私に教えを頼んだの?」

 エンデヴァー。その名を口にした途端、彼の纏う空気が一瞬にして変わるのを感じた。やっぱり聞いちゃいけないことだったのだろうか。体育祭が終わってからずっと考えていた。彼の左側への嫌悪は、きっとお父さんが関係しているのだろうと憶測を立てていた。……・この反応から見るに、恐らく正解だ。轟くんがちらりと私を一瞥する。その瞳が、ほんの少しだけ、戸惑いを含んでいるようにも見えた。やっぱり話してくれないかな、と諦めかけた矢先、彼は突然口を開いた。

「親父から受け継いだ左側が嫌いだった。けどお前は、俺の大嫌いな炎の個性を持って、それを自分で好きと言った」

轟くんに初めて話しかけたあの日のことだ。確かに私は自分の個性に誇りを持っていたし、それ故に好きと公言することができた。それがきっと、あの頃の彼のスイッチに触れてしまったのだろうけれど。

「けど、俺も考え方が変わった。左と向き合おうと思った。だから」

それまで自分の左手に視線を落としていた彼と、ぴたりと目が合う。

「親父じゃなく、この個性が好きなお前に教われば、俺もコイツが好きになれるような気がしたんだ」

彼はほんの少しだけ、笑顔とまではいかないくらい僅かだったが、その口角を釣り上げた。一方で私は予想もしなかったことに驚いてしまう。私は、そんな彼の役に立てたのだろうか。言葉が出ない。言葉と言葉の間が開いていく。しかし彼はその話が途切れぬうちに、それに、と今度は少し重たい口調で続けた。

「お前に、謝りたかったから」
「……私に?」
「俺の事情だ。みょうじが全く関係ないことはわかってる。それでもあの時、俺はお前をひどく拒絶し、嫌悪した。……正直、俺はみょうじに嫌われていると思ってた。だから、俺の頼みをお前が聞いて、了承してくれたことが未だに信じられないくらいだ」

そうして、彼は再び視線を足元にやる。まさか、あの轟くんがそんなことを考えていたなんて。そうか、だから彼は自分から話題を振ろうとしなかったり、どこか遠慮する素振りを見せていたのか。けれどいくら私が彼に嫌われていたとしても、きっと彼の頼みを断ったりだなんてしないだろう。そんなの当たり前だ。だって私は最初から。

「轟くん、……左側の個性、好きになれた?」

 静かに尋ねる。彼は一瞬驚いたような顔をしたが、それから少し考えて、彼なりの答えを言い放った。

「今はまだよくわからねえ。けど、少なくともお前のことはもう、嫌いじゃない」
「…十分じゃん」

それは、私にとって百点満点の答えと同義だった。
 いつの間にか伸びていた影は闇と同化し始め、あんなに綺麗だった夕焼け空はすっかりと色が落ちていた。早く帰らないと校門が閉まってしまうかもしれない。その辺に投げ捨てていたリュックを拾い上げ、轟くんに帰ろう、と声をかける。彼もリュックを拾い、校門までの長い道のりを一緒に歩き出す。

「私さ、轟くんを嫌いだなんて思ったことないよ」

 薄汚れたスニーカーの紐を見つめながら、ぼんやりと呟く。そりゃ、怖いとはちょっと思ったりしたこともあったけど。笑いながら付け足すようにそう言えば、轟くんはどこか申し訳なさそうに悪ィ、と呟いた。何にも悪くなんかないのに。

「轟くんは最初にあったときから今でもずっと、私の憧れだから」

憧れの、とっても強い同じ個性を持つ人。未だに信じられないなんてこっちのセリフだ。私にとって轟くんに個性の使い方を教えるなんて、例えばオールマイトに教えることと同じくらい衝撃だったのだから。そうして冗談っぽく笑えば、轟くんはなぜか不機嫌そうな顔をこちらに向けてきた。あれ、私また変なこと言ったかな?

「その憧れっつーのやめろ」
「なんで?」
「……俺はみょうじの憧れじゃなくて、みょうじの友達になりたい」

 え、と思わず間抜けな声が出そうになった。友達。ひどく眩しくてきらびやかな響きのそれは、私がまさに求めていたそれだった。どうやら彼は憧れと友達を両立できないと思い込んでいるらしい。それはあまりに偏った考え方だな、とくすくすと笑ってしまえば、轟くんは動揺したような表情を見せた。それをなんだかかわいいと思ってしまって、私はそのまま笑いながら彼に言ったのだ。

「私のほうがずっと前から、轟くんと友達になりたいって思ってたよ」