妬んでいるわけでも、羨んでいる訳でもない。誰にどう言われようと、これは本当のことだ。じゃあ私の中にあるこのもやもやは何なのかと問われれば、確定は出来ないが、恐らく「自己嫌悪」と答えられるだろう。

 私の学年には――というか、この夢ノ咲学院にはプロデュース科の女子生徒がたった二人だけ存在する。私はそのうちのひとり。もう一人は隣のクラス、2年A組の女の子だ。彼女は転校当初から色んな意味で有名人だった。私と同じで、アイドルのことなんて何も知らない素人だったのに、『Trick star』と協力してあの『fine』を打ち負かし、革命を成功させた。だからなのか、彼女はそれからいつだって、どこのユニットにも引っ張りだこだった。
 一方で私といえばどうだろう。経験値を積んでぐんぐん成長していく彼女と違って、大きなプロデュースを任されたことも、それを成し遂げたこともない。だからこそ、次へ進むステップさえも踏めない。……いや、こんなの言ってしまえばただの言い訳になるだろう。私には努力が足りてないのだ、彼女と比べて、何もかも。

 ふわふわとゆっくり流れる雲を見上げて、はあ、と息を吐いた。秋とはいってもそんなのカレンダーの上だけで、未だ気温は夏に近い。それでも夕方のガーデンテラスは少し気温が下がって心地良くなる。冬より幾分軽い夏用のスカートを靡かせつつ、私は人気のない校舎の陰へ向かうと、そこへゆっくりと腰を下ろした。
 目の前に広がる作物が実った畑をぼんやりと見つめる。ここって確か大神くんがお世話してる畑なんだっけ、彼もマメだよなあ。なんだかんだですごく優しくて気遣いの出来る人なんだよなあ。そんなこと言ったら、全力で否定されて逆ギレされそうだけど。
 そんな同じクラスの彼の反応を想像すると思わずふふ、と笑みが零れたが、それもくだらない私の自己嫌悪によってすぐに消えてしまった。
 あの子は大神くんのいる『UNDEAD』のプロデュースもよくしていたな。強豪ユニットなのに、すごいな。それに比べて……。
 じわり、とうとう視界がぼやける。先ほど見えた作物がぐにゃりと歪んだ。周りはきっと誰もいないし、別に今ちょっと泣いたって、許されるよね。顔を俯かせてひとつ瞬きをしようとした、そのときだった。

「何してるノ、なまえ」

 聞こえた声に、条件反射で顔を上げた。ぼやけた視界に映ったのは見慣れた赤色の髪で、私は慌てて目元を袖で拭った。

「……夏目」

 そう呟けば、彼は何か言いたげにじっとこちらを見つめる。大丈夫かな、泣いてたの、バレてないかな。どうしたの、こんなところで。なんて、平然を装ってそう言えば、夏目は別ニ、といつものように素っ気なく言った。

「ちょっと実験に行き詰ったかラ、適当に散歩してただけだヨ」

 そう言うと、夏目はすとんと私の隣に腰かけた。
 実験、ってことは、今日は『Switch』の活動日ではないのか。いや私も一応プロデューサーだから、たまにプロデュースを担当している彼のユニットのことを本当は把握していなくちゃいけないんだけど。……きっと、こういうところがダメなんだよなあ。いかんいかん、こんなことを思うとまた涙が出て来てしまう。この幼馴染は鋭すぎるところがあるけれど、それでもこの感じだと多分さっきの涙は見られてなかったのだろう。

「それでも珍しいね。夏目が秘密の部屋やゲー研の部室以外のとこに来るなんて」
「失礼だネ。まあ確かニ、ボクはその二か所以外のところに好んでは行かないけド」
「ほらやっぱそうじゃん」

ほぼほぼ否定ではない返事に対してからからと笑えば、すかさず左頬に痛みが走った。

「いたいいたいほっぺた抓らないで!」
「あはハ、良く伸びル」
「もー! 扱いが雑!」

漫画だったらぐにゃーん、とかびろーんとか、そんな効果音がついていただろう。確かに私のほっぺたはよく伸びるって自分でも思ってるけどさ!
 ぐにゃぐにゃと私のほっぺたで遊ぶ夏目の手をいい加減振り払えば、彼はちェ、なんて口を窄めた。これがまた可愛いと思ってしまうのが腹立つ。くそ、イケメンめ。
 夏目は私に対していつもこうだ。あの女の子には子猫チャンなんて言ってべたべたに甘やかしてるくせに、私に対しては……どちらかというと、つむぎ先輩に対する扱いに近い気がする。いや、あそこまで暴言も暴力もされないけどさ。

 それから、しばらく夏目とその場で話した。別に特別話題が盛り上がったわけでもないし、込み入った話をするわけでもなかった。だけど、夏目はずっと私の隣にいてくれた。だからなのか、いつの間にか私のもやもやとしていた気持ちは薄れていってしまっていた。

「どうやラ、ボクの魔法が効いたみたいだネ」

 ふと、夏目がそう呟いた。真冬だったらとっくに真っ暗になっていただろう。しかしこの季節ではそこまで暗さは感じられない。ただ少し、太陽が先ほどより少し西へ傾いたときだった。

「魔法?」
「ソ」

ばかみたいな呆けた声を出した私を夏目はちらりと見て、それから呆れたような、一方で、どこか安心したようにふう、と息を吐いた。
 魔法、とは。私はここまで彼と話していたけれど、魔法と思われるような言葉はなかった。いやそれよりも、彼が魔法をかけるときというのは何か必ず理由がある時だ。夏目はむやみやたらに魔法をかけたりなんかしない。じゃあいつ、なんで、どうして。
 そんな私の思考を読み取ったのか何なのか。今度は思い切りため息とわかるように息を吐くと、彼はしっかりと私の目を見て言った。

「ボクが気づいてないとでも思っタ?」

そうして、親指で私の目元を優しく擦った。それはまるで、そこにある涙を拭うような仕草だった。
 ……ああ、そうか。バレてないなんて、そんなことありえなかったんだ。だって私は昔から夏目に何一つ勝てたことがなくて、何一つ隠し事を隠し通せたことがなくて。
 心と身体がぽかぽかして、ふわふわするような、優しい感覚。ここに来たとき頭をいっぱいにしていた自己嫌悪なんてどこかにいってしまっていて、また頑張ろう、なんて前向きになっていて。そうなったのは、間違いなく夏目が隣で一緒にいてくれたことが理由で。
 そう思った瞬間、色んな感情が溢れかえってくる。こちらを見つめる夏目の薄橙の目がいやに綺麗で、先ほどとは違う意味でなんだか涙が出てきそうになった。

「ボクの言葉は嘘くさいって、なまえはいつも言うからネ」
「じ、事実じゃん」
「そうだネ、まあ今までの会話の中にも嘘はあったシ」
「え! 何それどれ!?」
「さア? そもそも今のボクの言葉が嘘かもしれないヨ?」
「……夏目と話してると惑わされたというか、化かされたような感覚になる」
「誉め言葉として受け取っておくヨ、ありがとウ」

 これなんて言うんだっけ、そう、堂々巡りだ。もう彼の言葉を何が嘘かなんて疑ってかかっても仕方ない。別に夏目の嘘がどれであっても構わないのだ。だって私は、夏目がどんなに嘘つきでも、彼が人を傷つけるだけの悲しい嘘をついたところを見たことがないから。

 さテ、そろそろ行こうかナ、と、夏目は私から視線を外してすくりと立ち上がった。そっか、夏目は珍しく散歩してたんだっけ。実は私を見つけて来てくれたのかな、なんて最初に夏目を見た時に思ってしまったことは内緒だけど。時間取らせて悪かったなあ。

「夏目」

 歩き出そうとした彼の制服の裾を掴む。すると、彼は少しだけ驚いたように振り返った。まだお礼も言ってないのに、勝手に行ってしまうなんてあまりにも自分勝手だ。

「ありがとね。魔法、かけられた。お陰で明日はいつも通りに元気に過ごせそうだよ」

 へらりと笑えば、夏目は何故か一瞬面喰らったような表情をして。けれどそれもつかの間のことで、すぐに彼はうーん、と少し考える素振りを見せてから言った。

「いつも通りノ、ねエ……」

その言葉のどこに引っかかりを感じたのか私には全くわからない。疑問に思う彼の行動に夏目? と声を掛けてみれば、やがて彼はまるで悪戯を思いついた小さな子どものように、それはそれは楽しそうに小さく笑ったのだ。

「それはどうかな?」

 夏目独特の、不思議なイントネーションの語尾じゃない。心にじんと響くような、言葉に表せない不思議な感覚。ああこれは、彼の言葉の魔法――……。
 そう思ったと同時に感じたのは、唇に触れた柔らかい感触。温かくて、それでいてすごく優しくて。先ほどまで見ていた整然な顔はいつの間にか私の目の前にあって、どきどきさせるような瞳ときゅん、と目が合った。

「っ………!?」

 何をされているかようやく頭で理解した瞬間、彼の顔はゆっくりと離れていく。驚きで何も言えない私をよそに、夏目は屈んでいた体勢を立て直す。そうしてそのまま歩き出すと、振り返りざまに言ったのだ。

「ボクのとっておきの魔法だヨ」

その魔法があの直前に吐いた言葉か、それともその後の行動のことか。そんなの、考えなくてもわかる。
 秘密の部屋に戻るのか、そのまま一人でさっさか歩いて行ってしまった夏目を追いかけることも出来ず、私は混乱する頭でゆっくりと腕を動かし、そっと指を自分の唇に触れてみた。未だほんのりと熱を帯びた唇。そこだけじゃなくて、顔も身体も、どこもかしこも熱くてたまらない。どきどきと打つ心臓の音はびっくりするほどはっきりと聞こえて、きっと私の真っ赤になった顔を目の前で見られたんだろうな、なんて思ったりして。
 本当にここは先ほどまでと同じ世界なのか。魔法をかけられたのは、私じゃなく世界まるごとなんじゃないのか。だって気づいてしまったのだ、私が彼を想う自分自身の気持ちに。だってこんなに、こんなに夏目のことしか考えられない世界、わたしは知らない。
 いつも通りに? そんなことできるわけない。明日から、どんな顔して夏目に会えばいいんだ!

「いじわるな魔法使いだ……」

ぽつりと呟けば、どこからか「ボクは幸せを運ぶ魔法使いだヨ」なんて聞こえてくる気がした。



♪Magic for your “Switch”