「ねえ、なんで主は俺を初期刀に選んでくれなかったの」
ぽかぽかとした昼下がりだった。暑くもなければ寒くもない、この時期ならではの心地いい気温で、障子の外からは短刀たちのはしゃぐ声が聞こえる。いや、彼らはきっと暑くても寒くても外に出てはしゃぎまわるのだけど。
今は誰にも出陣してもらっていないから、気を揉む必要もない。強いて言えば遠征に出てもらっている皆は今日の夕方頃帰るかな、とその帰宅を待ちわびるくらいである。だからこそ今日は書類業務が捗るわけだけど、そんな今日に限って仕事が少ない。いつもの倍以上のスローペースで書類に手を付けていれば、不意に清光がそんなことを問いかけた。
「何、どしたの急に」
あまりに突然なことに少々驚きつつも、私は手を止めて後ろを見る。先ほどまで何やら雑誌を読んでいた彼は、この執務室の中心にある机に頬杖をついて、私の顔をじっと見つめていた。
「なんで最初に選んだ刀が加州清光じゃなくて、山姥切国広だったかってこと」
相変わらず視線はこちらに向けたまま、清光は先ほどの言葉をより詳しくしてまた呟く。雑誌はいつのまにか彼の脇に存在感なく置かれていた。
私と清光は恋仲である。それは政府にはもちろん、この本丸の皆にだって秘密だ。主であり、人間である審神者と刀の付喪神である刀剣男士の恋は、きっと大っぴらにするものではない。そもそもが本来結ばれるはずがないのだ。それなのにどうしてか私は清光を好きになってしまって、清光は私を好きになってしまって。いけないことだとわかっていながら、お互い気持ちを抑えることが出来なかった。
彼はしょっちゅう執務室に出入りするから、他の男士たちは私たちのことを仲良しだとは認識しているだろう。もしかしたら勘づいている刀もいるかもしれないが。政府に報告するなんてそんなスパイじみた刀は、きっとこの本丸にはいない。つまるところ、本丸内ではあまり隠す気のない関係だった。
それでありながらも、この本丸の初期刀は彼ではない。私が最初に選んだ刀は、山姥切国広であった。
「嫉妬してるの?」
「うん。悪い?」
流れるようにそう言えば、息もつかずに返事がくる。
「悪くない。可愛い」
「……まあ、俺は可愛いけどさあ」
思ったままのことを正直に言えば、少々不服そうにそう返ってくる。いくら可愛いを自負して、可愛いと言われたい彼でも、この場合はちょっと違うようだった。男心がわかるわけではないけれど、その態度を見れば女の私でもなんとなく想像することが出来た。
私は首だけ向けていた姿勢を一度正し、それから今度は身体全体を清光の方へと向き直す。頬杖を付いていた彼も、その小さな顎を両掌から離した。
「まんばちゃんは私と似てたからさ。写しだと気にしてるところとか」
「それってつまり、卑屈ってこと?」
「んー、まあ言葉は悪いけど、そうだね」
「じゃあさ、もし、主が俺みたいだったら。あるいは俺が卑屈だったら、」
「清光を選んでたかもね」
「……ふうん」
何とも単純な話だ。もし少しでも何かが違っていれば、私は清光を、あるいは蜂須賀を、歌仙を、陸奥守を選んでいたかもしれない。つまり、本当にそういうことなのだ。
「納得?」
「大体」
そう言いつつも、清光はもう一度ふうん、と小さく呟いた。一体どうして彼がそんなことを急に聞いてきたのかはわからない。この様子を見るからに、ただの気まぐれである可能性が高いような気がするが。
「でもさ」
しかしそんな言葉とと共に、視線は逸らされる。それでもどこに目を向ければいいのかわからないようで、どこか視線の行き場を探すように彼はその一つに縛った自身の髪の先を人差し指でくるくると弄ぶ。羨ましいくらいのさらさらの髪が、円の中で追いかけっこをしていた。
「俺は初期刀になれなかったから、主のいちばんにはなれないよね」
そう吐かれた言葉に少し驚いた。だって清光はいつでも自信たっぷりで、いつも「主は俺が大好きだからね」と笑っていたのだから。
「どうしてそう思ったの?」
「なんとなく。ただちょっと、山姥切が羨ましく思っただけ」
結局嫉妬だと、彼はまた繰り返す。本当にそれだけなのだろう。ただ、なんとなくで、大した理由もない。私が初期刀を選んだ理由のように。
清光は相変わらずこちらを見ない。私は少し迷ってから、小さく口を開いた。
「そうだねえ。でも、清光が初期刀だったとしても、いちばんじゃなかったと思うよ」
「……は」
それはきっと、彼の望む答えじゃなかったのだろう。そんなことくらいわかってる。清光は私の答えが予想外だったのか、その髪で遊んでいた指をぴたりと止め、ようやくこちらに目を向けた。
「初期刀が誰であれ、私のいちばんはこの本丸の皆だよ。清光も、まんばちゃんも、みんなみんな私のいちばん」
ほんの少し、彼が眉を顰めた。それも仕方ない。だってこれはずるい答えだから。
私は審神者だ。皆の主である以上、愛する刀剣男士の中から一番を決めることなんてできない。私がいくら清光を好きでも、愛していても、それは変わらない。皆は私のすべてであり、仲間であり、家族だから。
「……怒った?」
言ってから、やっぱりまずかったかなと少し後悔する。普通は怒るだろう、自分にとっては一番で特別な相手なのに、相手にとったら自分は一番じゃないなんて。
真っすぐこちらを見つめるその赤い瞳はそれでも宝石のように綺麗で、美しい。けれど彼はそんな瞳を数回ぱちくりと瞬きさせてから、ふ、と呆れたように笑った。
「んーん。むしろあんたがあんたで安心した」
「ごめんね」
「いいよ。俺はあんたのそういうところが好きだから」
彼はそう、淡々と言った。あまりにも出来た彼氏すぎて、申し訳なくなってしまう。そしてさらりと好きだなんて言うところ、本当にかっこいい。こんな私に勿体ないくらいだ。
「それに」
言いながら、清光はすくりと立ち上がる。そうして一本、二歩と大して元から距離のなかった私との間を縮め、やがて私の目の前に来ると、座っている私に視線を合わせて彼もしゃがみ込んだ。
「『男』としては俺がいちばんでしょ?」
さっきのは聞き方が悪かったね、なんて悪戯っぽく笑う。……ああもう、清光にはなんでもわかられちゃうなあ。私の言葉の裏を読み取ったのか、それとも最初からわかっていたのか。
私も小さく笑いつつ、こくりと頷く。嘘じゃない、というか、嘘を吐くはずもない。だって私にとっての「そういう」存在であって、「そういう」いちばんは、清光でしかないのだから。最初からそう聞いてくれればよかったのに、と呟けば、そういう話の流れじゃなかったでしょ、って。それもそうだ。
そうして彼はずい、と私の顔にその端正な顔を近づける。お互いの息がかかる距離。あと数ミリ近づけば、触れてしまう距離。大きな瞳と長い睫毛が、ゆらゆらと揺れていた。
「ねえ、キスしていい?」
「それ、わざわざ聞く?」