※多少の流血表現有り。
刀解表現はありませんが、ハッピーな話ではないので
苦手な方はお気を付けください。























「恋人が出来たんだ」

 そう言われたのは、まだ蝉の鳴く暑い昼下がりのことだった。あまりに突然のことに言葉が出ない。ようやく絞り出せたと思えば、え、というような何とも情けない掠れた声。そんな俺はさぞかし驚いてる風に見えたのだろう、主はわたわたとしながら補足するように口を開いた。

「現世のね、会社の先輩なの。私が審神者をしていることはもちろん知らないから隠すのは大変だろうけど、でも、……良い人なの」

 ゆっくり、ゆっくり。一文字ずつ紡がれるその文字にまるでそいつへの想いが込められているよう。愛おしい存在なのだろう。目の前にいるのは俺のはずなのに、細められたその目には、俺じゃない誰かの姿を映し出していた。

「そっか、良かったね。おめでとう」

 笑顔を浮かべてそう言えば、主も同じようにうん、と嬉しそうに笑って答える。

「清光にはね、言っておきたかったの。私の大事な初期刀だから。あと安定にも。清光に言ったら、安定にも言わなきゃでしょ?」
「何それ、あいつと俺はセットなわけ?」
「ふふ、私の中ではそういうイメージ」
「たく、勝手なイメージつけないでよね」

 ふわふわと笑う主は可愛い。心の奥があったかくなって、人の身に顕現してよかった、と実感する。いつもそう思いながら、こんな風な会話を今まで繰り返してきていた。だから、こんな風に胸が張り裂けそうな痛みを抱えながら主と会話をするのは初めてだった。
 俺は主が好きだった。この本丸が出来てからずっと、近侍にしてもらっていた。本丸にいる刀の中で俺だけにしか許されていないこともたくさんあった。現世と本丸を行き来する主が、俺だけにお土産を買ってきたこともしばしばあった。その度に「清光はとくべつだから」と悪戯っぽく笑っていた。
 俺は主が好きだった。主も俺を同じ意味で好きなんだと思っていた。でもそれは俺の勘違いでしかなかった。確かに俺は愛されていたけれど、俺の望んでいた愛され方ではなかったのだ。

 主の長い髪を束ねたところに挿した簪の飾りがゆらゆらと揺れている。俺が万事屋に行ったときに見つけた、主に似合いそうと買って渡したヤツ。赤と黒を基調にして、ところどころに金のアクセントが入っているそれは誰が見ても俺を彷彿とさせるだろう。似合いそうと思ったのも本当だけど、俺っぽいものを身に付けさせたかったのも本当。だけど主は嬉しそうにそれを受け取って身に着けてくれた。他の刀達には加州があげたんだろ? とか、わかりやすすぎ、とからかわれたけど、それでも俺は主が喜んでくれたことが嬉しかった。
 それを毎日のようにつけてくれる姿が愛おしかった。けれど今はそれが、その姿が、ひどく悲しくてたまらない。同時に自分への情けなさも生まれて、俺はひたすらに笑顔を繕うことに集中する。

「主は幸せなんだね」

 そして口から出てきたのは自分の思いとは真逆の言葉。そんな心にもないことを、我ながらよく吐き出せたなと思う。それでも主はそんな俺の言葉を本心からのものだと信じて、またふわりと笑うのだ。

「ありがとう」

 でも、なんでそんな今にも泣き出しそうな表情で笑うんだろう。泣きたいのはこっちだってのにさ。

*

 息が切れる。周囲に漂う血の匂いに、思わず顔を顰める。襲ってきた敵打刀の攻撃を躱し、思い切り跳び上がる。

「オラオラオラッ!」

 そしてそのまま刀を振りかざし、敵の身体を切り裂く。瞬間、あっという間にその身体は塵となり消えていくが、それを眺めている暇もない。すぐさままた突っ込んできた敵短刀の剣撃を弾き返す。すると今度は俺が行くよりも早く、安定がそいつに飛び掛かって刀を振りかぶった。でもそれでこの戦いが終わるわけではもちろんない。一体どこから湧いてくるのか、時間遡行軍は倒しても倒しても現れる。ここは俺と安定が踏ん張っているけど、分散した他の皆は大丈夫だろうか。……いや、仲間を信じないでどうする。アイツらが強いなんてこと、本丸を最初から見てきた俺が一番知っているじゃないか。

「清光っ! 上だよ!」

 そしてそんなことをごちゃごちゃ考えている間も俺らは戦っている訳で。安定の声に呼応するように、俺は上から襲ってきた敵をそのまま刀を上にして突き刺す。クソ、本当にキリがない。山の上ということで空気が薄いのか、呼吸がしづらい。こういうときに人の身は不便だ、とひどく感じてしまう。
 いつ終わるのか、いつ本丸に帰れるのか。余計な考えを胸にしまいつつ、ただひたすら目の前の戦いに集中して刀を振るう。そのお陰か、目に見えて敵の数がようやく少なくなってきた。一体、二体、安定も二体。また一体倒し、そのまま連続で最後の図体のデカい大太刀を思いっきり切り裂いた――はずだった。

「っ!?」

 敵を切り、空気に触れているはずの刀の切っ先は何故か多太刀の身体に触れている、だけ。力の入れるタイミングがズレた……! そんな感想を抱きつつも、急いで受け身を取りつつ身体を反らす。が、間に合わない。左胸から肩にかけての燃えるような熱。視界に飛び散る大量の赤。背後にあった木の幹に背中を打ち、尻餅をつく。あまりの激痛に、反射的に右手でその部分を抑えた。やらかした。でも大丈夫だ、右手は使える、刀は振れる。多分さっきは連撃でタイミングがズレたのに加え、刀の角度がよくなかった。凡ミスだ、俺のアホ。だから今度こそちゃんと、

『恋人が出来たんだ』

 ……そんなときに、あの言葉を思い出してしまったのは何故だろう。俺の大好きな主。寂しそうに笑った、俺の主。これは、死ぬ前に見る走馬灯というやつだろうか。いや、今の俺は死ぬ前じゃない。右手に握る刀さえ振るえば、死の危険から遠ざかる。じゃあ俺はどうしてこんな光景を思い出している? 刀も振るわず、ただ自分を襲おうと向かう敵を呆然と見て。
 死にたい、のか? 俺は死にたいのか。考えたことがなかった。確かに俺はあの時絶望した。けど、だからって死を選ぼうとは思わなかった。だって俺は刀剣男士だから。主の命を受け、歴史を守ることが生きる理由だから。戦いが終わらない限り、主がいる限り、俺は決して生を諦めない。それに主は俺を、「愛して」くれているから。だから俺が死んだら、きっと悲しむ。主を悲しませるわけにはいかない。だから生きなきゃ、戦い抜かなきゃ。……そう、思ってたのに。

「俺、本当に主が好きだったんだよ」

 口をついて出たのはそんな言葉。さっきの胸の傷がズキズキと響く。いてぇなあ。俺どんどん強くなってたし、最近は怪我もあまりしなかったから、怪我の感覚も忘れてたかも。こんなに痛いもんだったか。
 大太刀が目の前に迫る。その刀を振りかざす。ねえ、主。主は俺が折れたら、泣いてくれるかな。その時だけは俺、主にとってのいちばんになれるかな。

「清光っ!!」

 だけど安定の何もかもを震わせるような叫びが響いたその瞬間、俺を覆っていた大きな影が徐々に消えていく。さらさらと上から塵となって消えた大太刀の背後には、安定が息を切らしつつもぎろりと俺を睨んでいた。

「何やってんだよバカ!!」

 空を切り裂くような声。それもそうだ、この場にいる時間遡行軍は今の奴で最後。安定が倒してくれたおかげで、ここはさっきとは比べ物にならないくらいの静寂が広がっていた。

「……うん、ごめん、安定」

 怒ったように俺を見る安定に、けれど俺はそう言うことしか出来なくて。安定ははあ、と大きなため息をつくと、くるりと俺に背を向けた。

「他の皆を見てくる。多分もう敵はいないと思うけど。お前はその傷口を広げないようにじっとしといて」
「ん、わかった」

 あんな行動をしたにも関わらず、妙に素直に返事をする俺を安定は変に思わないのだろうか。そのまますたすたと歩いていくあいつの背中を見送る。が、安定はふいにぴたりと足を止めた。

「清光。お前、死のうとしたの?」

 こちらを見ずに、ただ、そのままで。

「さあね」

 そんな曖昧な返事、普通だったら許さない。というか、もし今の俺と安定の立場が逆だったら、きっと俺もあいつをめちゃくちゃ怒っていたはずだ。どう見たって今の俺は折られにいこうとしていただろうし、ぶん殴られても仕方がないだろう。けどあいつはそうすることもせず、やっぱりこちらを見ないままぽつりと静かに呟いた。

「……主は、お前のことが好きだよ」
「うん、知ってる」

 だって俺、愛されてるもん。間髪入れずにそう言えば、安定は何も言わず、そのまま駆けて行ってしまった。

 多分、というか確実に、本丸に帰ったら俺は手入れ部屋直行だ。皆に、そして主に問答無用で手入れ部屋に入れられる。うちの本丸は昔からそうだ。主が心配性だから、ちょっとの怪我でもすごく心配して、空きがある限りすぐに手入れ部屋へと入れられる。だから主を心配させないようにと、他の刀達も怪我した刀はすぐに手入れさせようとするんだ。
 門を潜った瞬間、香ばしいような、甘い香りが鼻を擽った。この季節柄だ、庭に立ち昇る煙を見る限り、恐らく短刀たちが焼き芋でもしているのだろう。そういえば去年もしてたな、言い出しっぺは確か主だった。

「清光!?」

 そしてこの悲痛な声も、もちろん主。帰還の知らせを受けて待っていてくれたのだろう。白い息をはあはあと切らして、大きな目を潤ませて、一期一振の肩を借りて何とか立っている情けない俺の姿を見ていた。

「なんでそんな大きな怪我、とにかく手入れ部屋に、」
「一期、肩貸してくれてありがと。手入れ部屋には一人で行くから大丈夫」
「加州殿、そのお身体で何を言っているんですか! 私も一緒に行きます!」
「大丈夫だから」

 支えてくれていた一期から身体を離し、俺はゆっくりと歩き出す。けど、足元はふらつきおぼつかない。時間が経つにつれ、血が抜けてくらくらとしてくる。やっぱり自分一人で歩けるはずもなくて、俺はその場にへたり込んでしまった。清光! とまた主の泣きそうな声が聞こえる。情けない、情けないなあ俺。
 主が倒れそうになった俺の身体を抱き、支える。温かい。俺の大好きな、主のにおい。きよみつ、と泣きながら俺の名前を呼ぶ主。その目はちゃんと俺を見ていて、きっと俺のことで頭をいっぱいにしているんだろう。幸せだと思ってしまった。あの時俺が本当に死んでいたら、この光景を見ることは出来なかっただろう。主の綺麗な手や髪が俺の血で汚れてしまうのは、少し勿体ないけれど。

「ごめんみんな、清光を手入れ部屋に連れて行くの手伝って!」

 大丈夫だよ主、このくらいで俺は死なないから。だからこそ周りの皆も主と俺の様子を見ながら動いてくれてる。意外と頑丈なんだよ、俺たち。
 心の中でそんなことを思いながら皆に指示をする主の横顔を見る。しかしそれを視界に入れた瞬間、息が止まった。
 俺があげた簪。主がいつもつけてくれていた簪。ああ、そうだったね。いつからか主は付けてくれなくなったね。気づいてたよ俺。わかってたよ。その新しい髪留めは、きっと例の恋人にもらったものなんだろうね。主には似合わない、濃い紫色で花柄のそれ。俺の趣味じゃないなあ、俺だったら絶対に選ばない。主もそれ、好みじゃないよね? わかるよ。俺、主のことなら何でも知ってるから。でも主はそれをつけるんだね。それをくれた相手が、主にとっての大切な人だから。

「あるじ」

 皆に支えられた俺は、ぽつりと口を開く。心配そうに俺を見つめる主は何? と眉を下げながら言った。

「俺のこと、愛してる?」

 顕現してから今まで何度も言った言葉。加州清光という刀は愛されるために可愛くするから、きっとどこの加州清光も主に似たようなことを聞いているんだと思う。まあ、俺と同じ意味で尋ねている個体は少ないと思うけど。
 主は俺の問いに一瞬臆したように見えた。が、すぐにその口を開いて返事をした。

「愛してるよ」

 同時に、主の目からつう、と涙が流れ落ちていく。その姿があまりにも綺麗で、あまりにも残酷で。
 だめだよ、主。俺なんかに愛してるって言っちゃだめだ。なんて、言わせたのは俺のくせに、ね。

*

 最近蝉の声を聞かなくなったな、と思った。夏真っ盛りのときはあんなにうるさく己をアピールしていたというのに、少し季節が進んだだけでこんなにも聞かなくなるなんて、蝉の一生はあまりにも短くて切ないな、と感じる。それを風流だと言う人もいるが、生き物の生死で勝手にそれを良し悪しとするのはどうなのだろうか。実際それが四季を感じる理由のひとつであるのだし、私がどうこう言う理由もないけれど。

「主、入るよー」
「どうぞー」

 そんな時に聞こえてきた声。足音がしたから誰か来るだろうなとは思っていたけれど、その正体は安定だったらしい。障子をゆっくりと開けた彼は片手で小さな器を持っていた。きらきらと輝く削られた氷に、緑色のシロップがかかっている。

「かき氷?」
「うん。皆で作ったから、主に持ってってって言われた」
「ええ、私も一緒に作りたかった」
「仕事中の主の邪魔をするのはって燭台切たちが言ってたよ」
「余計な気遣わなくていいのに」

 くすくすと笑えば、皆主が大好きだからね、と言いつつ机にことりと器を置かれた。安定が私の部屋にわざわざ来るのは珍しい。おやつを誰かが持ってきてくれることは多いが、こういうとき、大抵短刀の皆が持ってきてくれるし。今回はさしずめ短刀たちははしゃぎすぎていて、手の空いていた安定にその役割が回ってきたと考えるのが妥当だろうけれど、この部屋に安定がいるというあまり見慣れない光景に、少し不思議な感じがした。

「でもこの時期にかき氷はちょっと寒くない?」
「シロップが余ってたんだって。でも焼き芋とかよりはいいんじゃない?」
「ふふ、確かに焼き芋はちょっと早すぎるかもね」

 だってようやくあのうだるような暑さがおさまったころだ。秋が近づいているとはいえ、どちらかといえば気温的に今は夏寄りだろう。
 ところで安定は食べたの? と聞いてみると大きく頷いたから、遠慮なくいただいてしまおう。氷に刺さっていたスプーンをゆっくりと引き抜き、てっぺんのシロップがたくさんかかっているところをすくって口に入れる。ひんやりとした甘みが口いっぱいに広がり、思わず顔が綻ぶ。

「ところで主さ、最近簪付けてないよね」

 そんなとき、ぽつりと安定からそんな言葉が発せられた。彼はしばらくここにいることを決めたのか、その場に座り込んで私を見ている。いや、正確に言えば私の髪の結び目だろう。以前まで清光にもらった赤い簪はそこになく、紫の花柄の髪留めが鎮座している。意外とよく見てるなあ、なんて苦笑いを浮かべれば、安定は表情を変えることなく、ただ淡々と言葉を紡いだ。

「まあ、彼氏にもらったものを付けるのは当然だろうけどさ」

 安定は清光と二人、唯一彼の存在を知っている刀だ。当然至極のように言う彼の姿に少しだけ心がちくりと痛む。そうだよね、当然。当然だから、私も身に付けてる。本当は外したくなかった彼からもらった簪を外して、趣味でもない、好きでもないものを。

「別に、人間と付喪神の恋だっていいと思うけど」

 思いがけない言葉に思わず目を見開く。安定は相変わらず平静で、表情を変えない。ああ、私の気持ちは第三者の安定にはバレていたということか。清光にバレていないのが幸いなところだが、なんだかちょっと複雑なところである。
 かき氷が徐々に溶け始める。下の方は既に水っぽくなっているようで、綺麗な形が段々と崩れかかっていた。
 清光からもらった赤い簪。私の好みのデザイン。それを髪につけることはなくなった。けれど、最低な私はまるでそれをお守りのようにしていつも懐に入れている。自分の心を殺して、恋人と呼ばれる人に愛を囁いて、嘘をついて。ずるい女なんだ、わたしは。
 それでも清光は良かったね、と言ってくれたから。幸せなんだね、と肯定してくれたから。私はその幸せを受け入れなきゃいけない。大丈夫、幸せ、なんだ。わたしは。だから、泣きたくなるようなこの気持ちも、突き刺すような胸の痛みも、細かに震える唇の動きも、ぜんぶ、わたしの気のせいだ。

 頭に浮かんだ清光の笑顔、優しい声。それは私の中でどろどろに溶けて、身体に染み込むように消えていった。

「飲み込めるくらいの幸せなら、苦しくないから」