リアルアートフィルム


 こんなに大きな車道があるというのに車があまり目につかないのは、車の存在をかき消してしまうほど人が多すぎるからだと思う。一体皆何をそんなに急いでいるのか。慌ただしく行き交う人々を眺めつつ、私は手に持ったプラカップに刺さったストローからちゅう、と中身を吸い出す。情報が出てからずっと飲みたいと思っていた期間限定フラぺ、ようやく飲めた。やっぱり想像通りめちゃくちゃ甘くて、同時にめちゃくちゃおいしい。カロリーおばけであることはわかっているけど、いいよね。昨日リハ頑張ったし。まあ今日はお休みだけど。
 相変わらずの人の往来を横目に、私はスマホを見ながらひたすらにフラペチーノを胃に入れ続ける。やっぱり冷たくて時折ストローから口を離してしまうけれど、それでも少しすればまたストローに口をつける。普通はこんなに慌てて飲むものではないし、値段だって安いものとはいえないんだからもっとゆっくり味わった方がいいというのはわかっている。わかってはいるけど、それでも急ぎたくなる。だってここで待ち合わせしている人物に私がこれを飲んでいるところを見られたら、何をネチネチ言われるかわからない。

「なああにそんなもん飲んでんのおお?」
「うっひゃああ!?!?」

 背後から聞こえた声に思わず大きな声をあげれば周りにいた人たちが何事かとこちらに目を向ける。が、その視線らが集まったのはあまりに一瞬で、ここが様々な事象に溢れた都会で良かったと心底思った。一方で彼は「なあにその情けない声」なんて開幕私を罵る。確かに情けない声だったけどいちいちツッコまないでほしい。いや、今はそれどころではなくて。
 私の前に姿を現した彼……泉を見て、反射的に手に持っていたフラペチーノをさっと自分の後ろに隠す。しかしそんなことをしたってもうとっくに無意味。泉はそんな私を見て、また嫌味っぽく言った。

「そーんなもん飲んでるとすぐブクブク太ってくよ〜?」
「き、昨日リハでめっちゃカロリー使ったもん」
「ふーん? ま、自分で調節してるならいいけどさ」

 泉は健康管理、というか美容管理にうるさい。それは自身がモデルであり、私がバレリーナだからこそ余計だ。だからこうやって言われることには慣れてるし、泉も私が自分でカロリーコントロールしてるってわかってて言ってくる、つまり本気で嫌味を言っているわけではないのだ。それを私も理解している。(それはそれでどうなのと人には言われそうだけど)けれどまあ、どっちかといえば何も言われない方がいいよね。というわけでどうしても今日このフラペチーノが飲みたかった私はわざわざ早めに家を出て証拠隠滅を計っていたんだけど。

「なんで泉も早めに来るかなあ……」
「なあにその俺が早めに来ちゃいけなかったみたいな言い草」
「なんでもない……」

 とにかくもう急いで飲んだっていいことないので、その太いストローから中身を吸い出すスピードをかなり遅くする。うん、やっぱりこれくらいが口にもお腹にも優しい。泉は何も言わず、私の隣に身を置くと静かにスマホをいじり始めた。私が飲むのを待ってくれているのだろう、なんだかんだ言いながらやっぱり優しいんだよなあ、こういうとこ。

「映画館持ち込み禁止なんだから、早く飲んじゃってよね」

 前言撤回。やっぱり優しくないかもしれない。

*

 事前にネットで購入していたチケットを機械で発券して、特に食べ物も飲み物も買わずに劇場内へと足を踏み入れる。私がもたもたフラペチーノを飲んでいたとはいえ、結果的には早めの待ち合わせとなったのだ。スクリーンには映画館の諸注意や飲食物、ポイントカードの宣伝等が流れており、映画の予告すらまだ始まっていないようだった。私はわりと映画本編が始まる前の予告が好きだったりするので、心の中でちょっと嬉しくなりながら泉とふたりで席に着く。
 相変わらず予告編すら流れない間。スマホを見ていた時、ふと隣の席からはあ、とため息が聞こえた。

「……そんなに嫌なの?」
「ホンット〜に嫌」
「今までだって泉が出た作品一緒に観ることあったじゃん」
「……映画館ではないでしょ」
「まあそうだけど……」

 何やら言い淀む彼に、私は頭に疑問符を浮かべる。
 泉はそもそも、今日この映画を観ることについて乗り気ではなかった。それを半ば無理やり一緒に行くことにしたのは私だ。だって私と泉の都合がついたこの日にちょうど彼が出演している映画が公開されるなんて、それはもう観に行けってことでしょ。舞台挨拶もない映画だったから、泉もまだ完成したのは観てないって言ってたし。けれど何故だか彼はずっと嫌そうにしている。そりゃあ自分が出演している作品はあんまり観ないと以前聞いたことがあるけど、そんなに拒否するものだろうか。
 そんなことを思っていたら場内の照明が少しだけ暗くなり、これから始まる映画の予告編が先ほどのCMより大きめの音で流れる。まあ、もしかしたら映画の内容を見ればわかるかもしれないな、なんてのんびり考えて、私は視線を前へと移した。

 そういえば、私は今日観る映画の内容をほとんど知らなかったということに観終わってから気付いた。
 カップルあるある(だと勝手に私は思っている)である暗闇の中でこっそり手を繋ぐなんてドキドキイベントが起きるはずもなく、それはそれは無事に上映が終了したあと。私は何とも言えぬ複雑な気持ちを抱きながらぼんやりと何も映らなくなったスクリーンを眺めていた。思い返すのは、泉が演じた男と、ヒロインとのキスシーン。恋愛映画じゃないとはわかっていた。けれど映画というものはメインのストーリー以外にも様々な要素が盛り込んであってもおかしくないものだ。私はようやく、彼が「私と一緒に」この映画を観たくない理由がわかってしまった。

「お、もしろかったね、映画」

 とりあえず何か、というか映画の感想を言わないと不自然すぎる。劇場内を出てから言葉を探りつつそう言えば、泉はあー、とそちらもまた言葉を探しているように繋いで、それから静かに言った。

「あの監督の作品なんだから当たり前でしょ。俺も全力で演じたし、とにかくあの作品にかけた熱量はすごかったからね」
「うん、伝わってきた。あれはヒットするだろうな〜」

 映画の出来としては一般的な邦画の中ではかなりいい方だったと思う。いや、私も映画通というわけではないし他の作品ときちんと比べられるわけではないけれど、少なくとも私は良い作品だったと思った。ああ本当に、あのシーンさえなければもっといろいろ感想を言えてたんだろうなあ、なんて嫌なことを考えてしまう。あのシーンだってれっきとした作品の一部なんだから、私個人の勝手な感情でそんなことを思うのは失礼すぎる。
 なんとなく、やっぱり、それから映画のことは言えなくて、二人で並んで駅までの道のりを歩く。映画を観る前、鑑賞後は駅前のカフェでお茶でもしようかなんて話していたけれど、今となってはカフェで何を話せばいいかわからない。でも、なんか、このまま解散になるのは嫌だなあ。
 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、彼は駅構内に入るなり自然と立ち止まって、私もそれに合わせて足を止めた。

「……どう思った?」

 人のざわめきや電車の走る音、改札の電子音や機械的なアナウンス。様々な雑音があるというのにわざわざこんな場所で立ち話を始めたのは、恐らく彼も今日この先どうしていいか迷っているからだろう。どう、と聞かれたその指し示すものは考えてもひとつしか当てはまらなくて、あまりにもいきなり切り込んできたその話題に、全く準備していなかった私はうっと言葉を詰まらせる。何も言えない私を見て、泉は少し口を開いて、しかし何かを思ったのか、開きかけたその口は静かに閉じられた。

「あ、れは作品の中の話だし、演技だし。私がどうこう言うところじゃないでしょ」
「……だよねえ」
「それに、私だって男性と踊ること普通にあるし」

 何か言わなきゃ。そう思って半ば何も考えずに言った言葉だったが、重ねていくうちにそれがあまりの正論ということに気付いてしまって、何かを隠すように自分のことまでぺらぺらと喋り出す。そうだ、バレエだって男女で踊るときはめちゃくちゃ接近する。女性が男性の手を握るなんて当たり前、男性なんか多分女性のプライベートゾーン以外は全部触ってるんじゃないかと思う。なんなら事故で触られてしまったなんてこと多分誰でも一度ではある。けれどそれが当たり前の世界だからこそ、観ている人たちも踊っている私たちもそこに何も思わないし、何も感じない。そう思うとやっぱりただのキスシーンに何かを言うなんてお門違いだ。しかも私は、余計に。

「ふーん、そう」

 めんどくさい女にも程がある。

「で、本音は?」

 思わず目を見開いた。え、とも声に出せなくて泉を見る。彼は表情を変えずにじっとりと私を見ていて、そこで私はようやく気付いてしまったのだ。ああ、彼は自分よりも何よりも、私を心配してくれていたのだと。私と一緒に映画を観て気まずいということはあれど、それよりもきっと、私がこうしてごちゃごちゃ考えていないかと思ってくれていた。それは、あんまりにも私を理解しすぎているのではないか。それは、あんまりにも私自身情けないんじゃないか。

「……なんか、ちょっと嫌だった……」

 まるで子どものわがままだ。恥ずかしさをいっぱいに覚えながらそれでも絞り出すようにそう言う。いっそのこと、駅の雑踏に紛れて音が消えてしまえばいいと思った。

「だ、だからといってどうこうってわけじゃないよ! 本当に! ていうかバレエ踊ってる私がそんなこと言える立場じゃなわっ!?」

 わしゃりと突然乱暴に頭を撫でられて口が止まる。見ると泉は相変わらず無表情のままで、しかしわしゃわしゃと私の髪の毛が崩れるのも構わずにまた乱暴に頭を撫でた。

「俺もプロだからさ。別にああいうシーンがあったって何も思わない。私の瀬名泉なのに〜とか、ごちゃごちゃ言われたら腹立つ。でもあんたはさ、「作品」をちゃんとわかってるからこそ、気ぃ遣ってごちゃごちゃ考えちゃうんだよねえ。ホンット、どうしようもないくらいのバカなんだから」

 そうやって泉は呆れたように息を吐く。私はすっかり崩れてしまった髪の毛を直しながら今言われたことを咀嚼し、それでも考えがまとまらないまま純粋な気持ちを口にした。

「……それ褒めてる? それとも言葉の通り貶してる?」
「どっちも」
「……めんどくさい女でごめん」
「いいよ、そんななまえに惚れてる俺もめんどくさくてバカだから」

 すっと歩き出した泉に私も慌ててついていく。これは恐らく、予定通りお茶しにいくということでいいのだろうか。泉、と声を掛けて隣に並ぶと、彼は切れ長の目を流してこちらを見つつ、ふっと小さく笑ったのだ。

「ま、最初の頃を思えば、あんたもいっちょまえに嫉妬とかできるようになったのは評価してあげてもいいかもね」