ベリー・ベリー・スイート


 そもそも本来、私は休日に一人で出かけるようなアクティブな人間ではない。それをアクティブというのかどうかは人によるかもしれないけれど、とにかく私はそういう人間ではない。休みの日は家でひたすらに無意味に動画を観たり、だらだらしたり。外に出かけるとしたら友達と遊ぶときくらいで、基本的には休日引きこもりに分類されるタイプだ。
 そんな私がこうして一人で街に出て買い物に来ているのは、友達の誕生日プレゼントを買う目的があったからだ。ネットで買うのもいいけれど、ゆっくり店頭で選んで実物を見て、相手の喜ぶ顔を想像するのもいいよね。そんなわけで納得のいくプレゼントを買って、ほくほくして帰ろうと歩を進めていたときのことだった。

「あそこ新しいお店になってる! 前はなんか違うお店だったよねェ?」

 聞こえてきた声に、ぴたりと身体が固まった。

「ええと、私はあまり覚えてないですね……。その、外に出て周りを見てる余裕が……すみませんすみませぇん!」
「いや、確かそうだったと思うよ。どんな店かまでは覚えていないけど、こんな外観ではなかった気がする」
「藍良さんも一彩さんもよく覚えていますね。この辺はお店の入れ替わりが激しいイメージがあるので、俺も記憶していませんでした」

 続々と聞こえてきた声ももちろん知っていて、急いで身を隠せる場所を探して建物の陰に飛び込む。隠れる必要なんてない、ないはずなのに、思わずそんな行動を起こしてしまったのは一番最初の声の主が原因だと思う。……だって最近会ってないし。どんどん、どんどん有名になっちゃうから。

「そう、確か前はクレープのお店だった! あそこのクレープ食べたかったのになくなっちゃったんだァ……」

 私も食べたかった。いつか食べようと思ってた。出来れば君と、藍良くんと食べたかった。
 ちらりと陰から彼らを覗き見る。わいわいと話す彼らになんだかすごくオーラがあるように見えるのは、以前より飛躍的に伸びた知名度のせいだろうか。いや、そもそも私はこうして彼ら四人が、『ALKALOID』が揃っているのを初めて見るから、単純にその光景に圧倒されてしまったのかもしれないけど。ていうか変装とかしないんだあの人たち。大丈夫なのかな、って思った傍から声かけられてる。やっぱ人気アイドルなんだなあ……アイドル科のことはよくわからないけど、きっと藍良くんもあんまり学校には来てないんだろうな。

「ところで皆さん……先ほどからその……あのう、その、視線が……」
「視線ですか?」 

 視線、という言葉に、慌てて半身出していた身を陰に隠した。

「またファンの人たちかな?」
「いやあの、そうではなくて、いやそうかもしれないんですけど、でもなんだか少し違うというか……。私もこういう性格ですから、人の視線には敏感でして、でも悪意があるような視線ではない、というか……」
「フム、僕も少し気になっていたよ。確かに悪意があるようには思えないけど、少し気になるね」

 いや、ウソ、バレた? そんなはずない、だって誰とも目が合ってないし、礼瀬……先輩も天城先輩もこちらに気付いた様子はなかった。そうだよ、そもそも私以外にも見てる人がいるかもしれないじゃん。あれだけ目立ってたらそりゃそうなるよ。そう、きっとそう。つまりこの状況で私はどうするべきかって。
 そろりそろりと音を立てずにそのまま後ずさる。学科が違うとはいえ、同級生と先輩たちがいるのにそんな対応、なんて言われる筋合いもない。だってそもそも藍良くんとしか面識がないんだもん。他の人たちは、私のことなんか知る由もないし。ただの一般生徒である私が、アイドルである彼らと話そうだなんて、

「君だね? 僕たちを見ていたのは」
「ひいいいえええ!?」

 後ろから声を掛けられて、思わず情けない声を出してしまった。なんでわかったの天城先輩。そういう特技なの? 恐る恐る振り向くと、そこには私をばっちり視界にとらえた天城先輩と、礼瀬先輩と、続けて風早さんと、それから。

「あれ、なまえちゃん?」

 藍良くんが、私を見るなりそう口にした。
 久々に彼の口から呼ばれた自分の名前に、ぶわりと全身から泡が弾けたような感覚に襲われる。ぱちぱちと音が鳴って、まぶしくて、飛んでいってしまいそうな。高揚感でどうしようもなくなる前に、私はええと、としどろもどろに口を開いた。

「ご、ごめんね藍良くん。その、偶然見かけたんだけど、ユニットの人たちと一緒だし、話しかけたら迷惑かななんて」

 何も考えずに、ただただありのままに話してしまったんだと思う。わたわたとしながら言って気づいた。これじゃあまるで私、藍良くんと話したかったみたいじゃん……! いやそれで間違いではない……けど。少しでもいいから彼を見ていたかったのかもしれない。一緒に課題をしたのは数か月前。今じゃ遠い昔に思える。彼の前でその名前を呼んだことだって、もういつぶりかわからなかった。

「藍良、友達かい?」
「……え、あ、その、プロデュース科の」
「そうなんだね! 僕は天城一彩だよ!」
「ちょっとヒロくん勝手に自己紹介始めないでくれる!? なまえちゃん引いちゃうから!」
「いやいやそんなことない、ですよ! 大丈夫ですから!」

 びっくりするほど大きな声を出されて少々困惑しつつもそう返す。……こんな感じの藍良くん、初めて見た。ユニットのみんなといるときってこういう感じなんだ。ぷりぷりと怒るのは天城先輩に対してだけかもしれないけど、ちょっとその、……かわいい。テレビとかで二人のやり取り自体は見たことあったけど、生で見るとやっぱりかわいい。やばい、久々すぎてちょっと本当にただのファンみたいなフィルターかかっちゃってるのかもしれない。
 ごめんね、と謝った藍良くんに、私の中でめいっぱいのかわいさを出しながら(出来ているかはわからない)全然! と笑って返す。多分藍良くんのほうがかわいい。

「なまえちゃん久しぶり……だね? あはは、なんか変な感じ……元気だった?」
「え、あ、うん! 藍良くんも……! 元気、だよね。いっぱい活躍しててすごいなあっていつもテレビとか見ながら思ってるよ」
「そんなことないよォ! 前に比べたらそうかもしれないけど、それでもおれなんて本当にまだまだで……」

 ああ、懐かしい、こういうやり取り。課題中はよくやったっけ。……なんか、改めて私と藍良くんの繋がりってあの課題しかなかったんだなと実感する。結局あのあと似たような課題をしてもペアになることはなかった。(そもそも藍良くんがどの頻度で学校に来ているかわからない)あのときに連絡先は交換したけれど、私から連絡出来るはずもなく、そしてもちろん彼から連絡が来ることもなく。
 だから、もうとっくに私のことなんて忘れられててもおかしくなかったのに。ちゃんと覚えててくれてて、名前を呼んでくれて。ああやばい、嬉しさが滲み出てしまう。私今、にやついてないかな。顔、気持ち悪くないかな。
 そんなことを思っていたとき、ずっと黙っていた風早さんがにこりと爽やかな笑みを浮かべて、そして私たち二人を交互に見ながら言った。

「お二人は久々の再開のようですし、どうです? 二人で話してきては」
「え?」

 突然の提案に驚いた声を出したのは一体どちらだっただろう。どうしてそんな発想が出てくるのかわからなくて発案した風早さんを見るが、彼は依然にこにことその笑みを崩さないままで何も読み取れない。
 そんな急に、と声を出そうとしたとき、そこに入ってきたのは意外にもおどおどとしたような声だった。

「いいですね……さっ、一彩さん行きましょう」
「えっ!? いやでもボクも藍良の友達と話がしたいよ!」
「我々は時間まで買い物でもしてますから、ごゆっくり」
「え、ちょっとみんな!?」

 何かまくしたてるように忙しなく、まるで昔のギャグ漫画のようにあれやこれやと。私たちが何かを言う間もなく、三人は、というか二人は一人を連れてあっという間に遠くへと離れていってしまった。残されたのは私と藍良くん。どうしようもなく顔を見合わせると、彼も困惑しているようで、ええ〜……? とその眉を下げていた。

「……藍良くんは時間とか大丈夫なの?」
「え、ああうん。そもそも夕方からユニットでの撮影があるんだけど、それまで四人で適当に時間潰してようって感じで歩いてたから……」
「そうなんだ。意外とちゃんと潰すくらいの時間はあるんだね」
「だからおれたちそこまですごい売れっ子じゃないって!」
「あはは、そんな否定しなくてもいいのに」

 ぶんぶんと両手を顔の前で振る藍良くんがあまりにも必死で、その可笑しさに思わずくすくすと笑ってしまう。それでもあの時とは謙遜の具合がまた少し違っているのだろう。だって彼は喜ばしいことに、アイドルとしてきちんと世に出て、私が願っていたように愛される人間になったのだから。

「えーっとォ、どうしよっか。とりあえずどっか座るとこ探す?」
「そうだね。そこの空いてるベンチとかでもいいけど、カフェとかなんか……調べよっか」
「うーん、でもこの辺なら色々お店あるし、歩きながら探してもいいかもしれないよ。歩きながらでもゆっくり喋れるしさ」
「あ、うん。じゃあそうしよっか」

 藍良くんの言葉に私も同意して、二人でゆっくりと歩き出した。
 日曜日、昼間の繁華街はやはり平日に比べて人で溢れかえっていた。確かにこの通りにはいろんなお店があるが、そのどこを見ても恐らく満席。中には外まで軽く列が伸びているところまであった。ここに来て私たちは先ほどの判断がミスっていたことにようやく気付く。あの空いていたベンチに座っていれば良かったと気づいてももう遅い。もうあそこからしばらく歩いてきてしまったし、この辺には座れる場所もない。
 もうどうしようもなかった。正直、私は並ぶのは好きじゃないけれど、この際四の五の言ってられないか……。そう思ってなるべく列の少ないお店を指し示そうとしたとき、藍良くんがねえ、と見覚えのある建物を指さして言った。

「アイス食べない?」

 その言葉にすぐに頷いてしまったのは、多分私の中で大事にしまってある思い出と重なってしまったせいだろう。
 そのアイス屋さんを二人で訪れるのは、初めてではなかった。藍良くんもあの時のことを懐かしく思って、なんていうのはあまりにも良いように思いすぎかもだけれど、少なくとも私の名前をちゃんと覚えててくれていた以上、忘れてはない……んだと思う。初めて名前で呼び合ってしまったあの日の、あの放課後の、私の中での一番の濃い記憶。
 アイス屋さんはイートインがないお店のためか、そこまで大勢並んではいなかった。開店祝いのスタンド花なんてとっくになくなっていて、前より少し広くなっている店頭スペースに二人で並ぶ。前も後ろも、クラスでスクールカースト上位にいそうな女の子たちだった。完全に偏見だけど、SNSで動画録ってダンスしてそうな、かわいくて私とは全くタイプの違う子たち。芸能人とか詳しそうなのに気づかれないのはなんでだろう。でもそんな疑問を口にすれば、彼はまた「おれはまだまだだから」なんて本心で言うんだろうな。

「前もここのアイス食べたの、覚えてる?」

 そんな時彼から発されたのは、私の濃い記憶のなかの一部のことだった。

「もちろん覚えてるよ。さすがに何を食べたかまでは怪しいけど」
「あはは。でも覚えてくれてて嬉しいなァ。おれ、なまえちゃんとした課題すっごく楽しくてさ。正直今日、名前呼んでくれたことがめちゃくちゃ嬉しかったんだよねェ」

 急に何を言われたのかと、すぐさま理解が出来なかった。だってそれ、私が思ってることと全く同じ。もしかして今のセリフ、私が言ったんじゃない? って思うくらいで。一歩ずつ商品を注文するところへと近づいていく。積まれたコーンに二段のアイスを乗せたカップルが、めいっぱいに顔を綻ばせて向こうの方へと歩いて行った。

「……え、あ、いや、藍良くんの名前なんて覚えてて当然だし、私だってその、嬉しくて」
「ううん、違うよ。おれは名前で、呼んでくれたことが、嬉しかった」
「え……と、」

 それは、どういう意味だろう。深読みするべき? しないべき? そもそもこの場合の深読みって何? どう解釈すべきかわからない。早く返事をしないと、早く解釈を広げないと、このままでは私の都合のいいように彼の考えを捻じ曲げてしまうかもしれない。

「それで……今日会えたことも、タッツン先輩たちが時間を作ってくれたことも、正直おれは嬉しかったんだよ」

 捻じ曲げて、しまうかも。

「ねえなまえちゃん。……あのときおれが言った言葉、覚えてる?」

 もう、誘導尋問でもされてる気分だった。藍良くんが言ってくる言葉のすべてが、わたしの都合のいいように解釈させようとしてくる。藍良くんも私に会えて嬉しかった、ううん、会いたいと思っていた。そうじゃなきゃ、ここであのときの言葉を思い返させなんかしない。忘れるはずがない、一生忘れたくなんかない。

「私も、藍良くんの隣にいたかった」

 頭に浮かんだ言葉が、そのままぽろりと口からこぼれ出た。あ、と思ったときにはもう遅い。私のずっと思っていた本音を聞いてしまった彼は一瞬その大きな瞳を開いてこちらを見ると、しかしすぐにはっとしたように目を伏せた。その反応をどう受け止めればいいか、普段なら落ち込んでしまいそうだけど、ここまで来るのにはあの誘導尋問的な流れを通っている。決してマイナスなものではない、かといってプラスのものであるという確信もない。
 藍良くん、と小さく呼びかける。彼はこちらに顔を見せない。商品注文を承ってくれるお姉さんのところまではもう目の前というところまで来ていて、いつの間にかメニューが貼ってある場所の真横にいた私たちに、色とりどりのフレーバーは自分を選んでと力強くアピールしていた。

「ああもう……まだ、言うつもりなかったのに」
「……藍良くん?」
「……うん。ごめんね。またあとで、ちゃんと、言わせて」

 アイスを食べるにはふさわしいくらい暑いのかも、という考えは、鈍感にも程があるだろう。ふわふわの髪の毛から覗く横顔は、メニューに載っているいちごのイラストにそっくりだった。でもきっと恐らく、それは私も同じなのだろう。
 前の女の子たちが注文を終えて、カウンターの奥で店員さんが「ご注文はいかがなさいますか」と笑っている。一歩進む。何にするかなんて何も考えていない。

「キャラメルチョコレートとラズベリーコットンミルク、ダブルで」

 慌てる私の一方で注文を終えた藍良くん。何その甘すぎるフレーバー二つって思ったけれど、思い返せばそれは、以前私が頼んだものそのままだった。