すべては愛に帰結する


「え?」

 思わず聞き返してしまった。聞こえなかったわけではない、ただ、夏目から発されたその言葉が信じられなくて、同時に意味を理解することが出来なかったのだ。そんな気持ちをしっかり理解しているのだろう、私の反応を当然だというように、夏目は眉を下げながら続けた。

「今度ボクと一緒ににいさんたちに会ってもらウ」

 それは決して楽しそうにとか、期待してとか、そういうポジティブな声色ではなかった。むしろため息交じりのその様子は本当に嫌々という感じが伝わってくる。不本意ながら、という言葉が似合うくらいだった。
 『五奇人』……というか、夏目の「にいさん」たちには過去、それぞれ一度ずつ会ったことがある。どの人もかなり強烈で、さすが奇人と呼ばれるだけあると思ったほどだ。そういう意味では、夏目が過去の話を語ってくれた時に自分のことを「数合わせ」だと言っていたことがむしろプラスなことに思える。いや、どの人も良い人であることは間違いないんだけどさ。
 何にせよ、こんなに夏目が嫌そうで、それでも私を会わせようとしているんだから、彼らにきちんと紹介しろと言われて断れなかったのだろうか。そう思って聞くと、夏目はいヤ、と否定して、それから少し間を置いてゆっくりと話し出した。

「……にいさんたちはサ、ボクにとッテ、やっぱり大切な人たちだかラ。きちんと紹介しておきたいんだよネ。……まア、キミと本当に付き合う前からにいさんたちは『そう』だと思ってたみたいだけド」

 ハア、ともう一度ため息をついた夏目だったが、一方で私は色んな感情を含めた瞬きをぱちりと一回。微笑ましいと思ったのがひとつ、そういえば彼らはずっと私たちを勘違い(今となっては勘違いじゃないけど)していたというのがひとつ。けれど何よりも、揶揄われることをわかっていながらも、大切な人たちに改めて私を紹介しようと思ってくれている、というのが嬉しくて、私はうまく言葉が出てこなかった。

*

 そういえば、前に日々樹くんと会ったときもこの喫茶店だった気がする。あの時確か昔ここで忘年会じみたことをしたって言ってたから、この場所は彼らのたまり場……とまでは言わずとも、馴染みのあるところなんだろう。
 私たちが喫茶店に着いたのは集合時間の十五分前だったけれど、その時にはもう既に四人全員揃っていたから驚いた。絶対に騒がしいと思ったのに、ボックス席に静かに座っている四人の姿を見て、夏目も何だか声を掛けずらそうにしていた。しかし私たちが来たことに気付いた彼らは即座に動き出した。深海くんの隣に座っていた朔間くんがすくりと立ち上がり、テーブルを回り込んで無理やり詰めて席を空けた日々樹くんの隣にずかりと座りこんだ。詰められた窓際の斎宮くんはかなり窮屈そうだ。というかこれ、四人想定のボックス席じゃないか。なんで大男三人が無理やりぎゅうぎゅうに座ってるんだ。一方、反対側のシートに一人残された深海くんは窓際でぽんぽん、と自分の隣を叩いている。座れってことか。三、三で座れってことかこれ。なんで四人席に無理やり座ろうとするんだ。大人数席がないならないでもう諦めて三人と三人で分かれようよ。というかあの深海くんがにこりとも笑ってないのめちゃくちゃ怖いよ。
 あまりにツッコミどころが多すぎる。けれど誰も喋らないこの空間が異質すぎて、私も夏目も何も言えずにいた。やがて諦めたように夏目が深海くんの隣に座り、私も恐る恐るその隣へ座った。狭い。よく反対側の三人収まってるなって思ったけど、よく見ると朔間くんのお尻が少し浮いていた。

「……ええト」

 丁度お昼時だったので皆も飲み物意外に食べ物を注文していたし、私たちも飲み物と軽食を頼む。ちなみに私は斎宮くんが食べていたクロワッサンがおいしそうだったから同じものにした。
 しかし私たちが注文を終えても、彼らは一切何も言わなかった。振動しない空気に痺れを切らしたのか、夏目が言葉を選びながら恐る恐る切り出した。

「にいさんたチ、忙しいのに集まってくれてありがとウ。それでええト……この子ガ、ボクと付き合っているなまえ」
「え、あ……は、初めまして、じゃないですよね皆さん。その、それぞれお会いしたことありますが……改めまして、みょうじなまえです」
「こうやってわざわざ改めて言うことでもないかもしれないけド……一応、ちゃんと紹介しておきたくテ」

 いつもより声が小さい夏目は、やっぱり少し照れているのだろう。そりゃあ彼女を「改めて紹介」するほど大切な人たちだと公言しているようなものだから当たり前だ。それでもそうすると決めたのは夏目自身で。そう考えると、この五人の関係性はなんだかすごく尊いものに思えた。
 しかし私たちの言葉に反応したものは誰一人としていなかった。相変わらずの、明らかにおかしい静寂。もしかして、私は何か地雷を踏んでしまったのだろうか。それとも大切な弟のような存在である夏目に私なんか相応しくない! ってやつ? でもわりと前に会ったときは皆それぞれ受け入れてくれていたような気がするんだけど……。
 考えたら恐ろしくなってきて、とにかく言葉を発さなきゃ、と「あの」と口に出したとき。

「やああっと紹介してくれましたね夏目くん!!」

 世界は突然、弾けて、震え出した。

「もう私たちいつ夏目くんが紹介してくれるのか、今か今かと待っていたんですよ……☆」
「うふふ、びっくりしました? でも『しずか』にしていたほうが、なっちゃんたちもはなしやすいとおもって〜」
「ねえねえ吾輩「お父さんは許しません!」って言っていいかえ? 一度言ってみたかったんじゃが」
「静かにしたまえ! 小僧の声が聞こえないではないか!」
「おとうさんはゆるしません」
「ああっ深海くん! 先に言うなんてずるい!」
「やられましたね零、でもこういうのは早い者勝ちなんですよ」
「君たちはいつから小僧の父親になったんだ」

 先ほどまでの静けさが嘘のように、彼らは一斉に喋り出した。あまりに突然のことに夏目もぽかんと口を開けてしまっていて、もちろん私だって状況把握すらできなかった。けれど、恐らく私が危惧していたことは何もなかったんだと思う。じゃなければ、こんな笑顔で騒ぎだしたりしないだろうし。
 夏目もなんだかんだで緊張していたのだろう、恐らくいつも通り? であろう彼らの姿に、安心したように息を吐いた。

「まあにいさんたちはとっくの昔に勝手に勘違いしていたみたいだけド……」

 ぼそりと呟いた夏目の言葉に、私も小さく眉を下げる。付き合う前から深海くんに「かのじょさん」と言われたり、朔間くんに「ガールフレンド」と言われたり。その後に会った日々樹くんは真実を知っていながらもみんなにそれを伝えてくれなくて、結局あの時私たちは勘違いされたままでいることを選んだ。もしかしたら日々樹くんはあの時、もうこの未来が見えていたのか? なんて、少し思う。奇人という存在である彼らを改めて見て、やっぱり凡人である私とは違うな、と感じさせるくらいの圧倒的なオーラを感じた。

「そうじゃのう、お陰で可愛らしいお主らの姿が見えた」

 ……のは、やっぱり気のせいだったのかもしれない。

「ハ?」
「れい〜いっちゃ『だめ』って『やくそく』でしたよ」
「おおそうじゃった、うっかりうっかり」
「そうですよ! 本当は私以外も全員、勘違いしているフリをしていて、二人が温泉旅館で交際を始めたことも、その際にキ」
「わーっ!! わーっ!?!?」

 何やら放っておけばとんでもないことを言い出しそうだったのを寸でのところで止める。というか、ほぼ反射的に大きな声が出てしまった。
 いや、というか待ってくれ。今この人たち何を言っていた? 聞き捨てならないことめちゃくちゃ言ってなかった? 聞こえたことが自分の聞き違いなのかと、正解を求めるかのように隣の夏目を見れば、彼はぷるぷると、……顔を赤らめて震えていた。その反応だけで、私は今の言葉たちが間違いなく自分の耳に聞こえたものだと理解してしまった。

「なっ……なんでにいさんたちがそんなこと知ってるノ! ていうか勘違いしてるフリって何!!」
「だって逆先くんたちの反応が可愛いんじゃもん、仕方ない」
「だかラッ! ボクをいつも子どもみたいに扱わないでッテ!」
「私たちの手にかかればあなたたちの出会いから現在まで、そしてなまえさんに至ってはしっかりと身長体重家族構成推しキャラまで調査済です!」
「えっ」
「意味わかんなイ何なまえの個人情報入手してるノ!? 渉にいさんの奇行に今更とやかく言えないけド、ボクたちにプライベートはないわケ!?」
「安心してください夏目くん! さすがにそこは弁えているので、存分にイチャイチャしてください!」
「何の話かナ!?!?」
「わたる、『げせわ』ですよ」
「ノンッ! やめたまえ君たち! 何を考えているのだね!」
「しゅうこそ、なにをかんがえているんですか」

 これをカオスと言わずならなんと言おう。暴走キラーである日々樹くんに朔間くん、そこにさらに波を広げる深海くん、全く静止の意味を成していない斎宮くん、そしてひたすらツッコみ続ける夏目。きっと彼らは、今までもこういう風に過ごしてきたのだろう。五人揃って過ごす時間なんてほんの僅かしかなかったのかもしれないが、その少ない時間をこうやって大切に過ごしてきたんだろう。夏目が圧倒的に大変そうではあるけれど、それでもその表情は心底からこの状況を嫌がっているようには思えない。というか、本当に嫌だったらとっくに店から出ているはずだ。

「あ〜もウ!! だからにいさんたちに話したくなかったんだヨ!!」

 ……たぶん。
 周りの人が騒いでいると自分は逆に冷静になってくる現象だ。わたしは盛大なため息をついた夏目をまあまあ、と宥めてから、改めて他の四人に向き直った。まあ深海くんは夏目を挟んだ向こう側にいるので、ちゃんと顔は見れないが。
 斎宮くんを除いて、彼らは一切の笑みを崩さずに私たちを見ていた。その表情を見ていたら、こんなふうに揶揄われてしまっていることとか、私のプロフィールを知られてしまっていることとか、そんなこともうどうでもよくて、ただただ可笑しくて。

「ふっ……あはは!」

 その感情を抑えられなくて、そのまま声をあげて笑ってしまった。突然笑い出した私に、その場にいた全員の視線が一気に集まる。そりゃそうだ、急に笑い出すなんて頭がおかしくなったと思われても仕方ない。なまえ……? とドン引きするような夏目の声に、ごめんごめん、と息を整えながら言う。しかしまだ口角は下がりそうになくて、これはもう自分では止められないところまできてしまったんだな、と思った。

「みんなさ、本当に仲が良いんだなって思って」
「いやキミ、知らない相手に個人情報握られたりしてたのに嫌、っていうかそもそも怖くないノ?」
「だって「渉にいさんの奇行は今に始まったことじゃないイ」んでしょ?」

 いつか、夏目がそう言っていた。夏目が自ら「にいさん」たちのことを話す機会はそう多くはないとはいえど、たまに彼らのことを話す夏目は、私の前ではあまり見せないような表情をしていたと思う。多分、きっと、夏目にとっての数少ない、甘えられる場所なのだろう、ここは。
 私の言葉にすぐさま反応したのは夏目ではなく日々樹くんで、彼はオーウ! と仰々しく(といっても恐らく彼はこれが通常運転だ)雄たけびをあげた。

「私のことを話してくれているんですね夏目くんっ……☆」
「ええよく話してくれてますよ〜とっても大好きで尊敬しててもうマジBIGLOVEだって」
「いつ誰が言ったそんなこト」
「なっ……夏目くん! そんな、まさか私のことをそこまで……! ああこの日々樹渉、感動で胸が打ち震」
「えなくていいかラ!」
「やっぱり『かのじょ』さんはおもしろくて、『いいこ』ですね〜」
「さすがじゃ、それでこそ逆先くんのガールフレンドじゃ。どれ、我輩のことをお兄ちゃんと呼ぶ権利を……あ、待って、お兄ちゃんは凛月専用だから別のがいい。ねえねえ斎宮くん何がいいと思う?」
「僕に聞かないでくれるかな」
「じゃあ零にいちゃんって呼びますね」
「何その呼び方。我輩ときめいちゃう」
「急に真顔にならないデ」

 やっぱり私もこうやって一緒になってバカみたいなこと話すのが合っていると思う。気が付いたら自らをボケ要因として追加してしまっていて、見事夏目の負担を増やしてしまったけれど、それもまた、たじたじになってる夏目を見れるってことでなかなか面白いよね。
 そんなときにようやく私と夏目が注文した品々が届く。随分遅いとは思っていたけれど、どうやら零兄ちゃんと知り合いである店主さんが話のキリのいいところを見て持ってきてくれたらしい。気を遣わせちゃって申し訳ない。そういえば他のお客さんがいないのも、もしかしたら何か計らってくれたのかな、なんて、さすがにそれは考えすぎか。
 紅茶と一緒に届いたクロワッサンは焼き立てのようで、目の前に置かれた途端バターの香りがふんわりと鼻をくすぐった。表面はぱりぱりに焼かれていて、香ばしいだろう焦げ目が折り目から顔ぞ覗かせている。
 ごくりと唾を呑み込んで、ゆっくりとクロワッサンに手を伸ばす。そして私の指が、そのさくさくした表面に触れたその時。

「ノンッ! 君はクロワッサンを食べるときの神聖なマナーを知らないのかねっ!?」

  私の向かい側に座っていた斎宮くんに、ぱしりと手首を掴まれた。何だ神聖なマナーって。もしかして斎宮くんってやばいほどのクロワッサン好き? もしくは私が単純にクロワッサン界隈の常識を知らないだけ? クロワッサン界隈って何? とりあえず多分、謝っておいた方がいいだろう。知らんけど。そしてクロワッサンを食べるときの神聖なマナーとやらを教えてもらおう。そう思って口を開こうとした。
 瞬間、斎宮くんに捕まれていた手が、今度は私の意志とは関係なく勝手に動いた。正式に言えば夏目によって動かされた。私の手首を掴んだその手は、一瞬にして夏目の胸の前まで引き寄せられてしまった。

「ハ?」

 しかし訳がわからない、と言わんばかりの声を上げたのは私でも斎宮くんでもなく、行動を起こした夏目自身だった。自分の起こした行動を、その意味を自分でも理解していないとでもいうのか、私の手を掴んだままの自分の手を見つめ、それからまたハ……? と小さく呟いた。
 一瞬の静寂。私もなんて言えばいいかわからなくて、夏目……? と恐る恐る声を上げた。その瞬間だった。

「やだーっ! みんな見た? 見たかのう? 何? 何今の可愛い! 逆先くん可愛い!!」
「おやおやおやおや夏目くん、訳がわからないという表情をしていますが貴方が起こした行動ですよ〜! さあさあその行動の意図を私たちに教えてくださいさあさあ……☆」
「なっちゃん、かんねんしましょう」
「すまないね小僧、君にそこまで独占欲というものが」
「うるさいヨにいさんたチ!!」

 多分昭和のアニメだったらちゃぶ台をひっくり返してた。それくらいの勢いで立ち上がり、叫んだ夏目の横顔は、先ほど見たのとは比にならないくらい真っ赤になっていて、私も夏目の行動の意図やその気持ちは読めたにしろそれどころじゃなく、うっかり四人と同じ気持ちになってしまった。
 ああ、夏目可愛いなって。